火々谷 美緒は燃え尽きない②

 今日の弁当は妹のキリが『面倒』と言いながらも朝早起きして詰めてくれたものである。冷凍食品ばかりだが、卵焼きはどうも焼いてくれたらしい。しっかりうちの味──ごま油の香り、というのが正確だが──がしている。


「ねぇ御剣君、お弁当見せて?私のも見せるから」

「良いけど冷凍ものばっかだよ?」

「うわホントだ!卵焼き以外まっ茶っちゃ!!」


 反論のしようも無い。錐が『面倒』と言った日の弁当は大概がこれだから、正直な所あまり他人に見られたくは無かった。唐揚げにササミカツに焼きそばときて、まともに野菜らしい野菜が一つも無いのは『刻むのが面倒』だったという事だろうか。


「流石にこれじゃダメだよ……私のおかずあげるからこれちょーだいっ」


 と言って、火々谷さんは僕の弁当箱からよりによって唐揚げを掻っ攫った。一個しか入っていなかったのに。


「もう、そんなにしょんぼりしないの。ミニトマトあげるからさ……」

等価交換フェアじゃないよ唐揚げとトマトじゃ……」

「美味しければ何でも良いのだ」

「身も蓋もない!?」


 僕は渋々、彼女の弁当箱からミニトマトを取ろうとした。……のだが、彼女は僕を咳払いで諫めた。彼女を見ると、その箸にはちゃっかりミニトマトが摘ままれていた。まさか、と僕は全身に力が入ってしまう。


「冗談……では無さそうだね。本気なの火々谷さんここ学校だよ!?」

「別にやましい事は無いでしょ、他に言ってないだけで私は君の彼女だよ?」


 火々谷さんが……僕の彼女……。その事実を改めて実感し、僕は彼女に甘えて無言の提案に乗る事にした。それは即ち『あーん』である。彼女が出来たらやって欲しい事十選がもしあるなら絶対三番手くらいには入って来るだろうものである。


「そ、それじゃあ……あー」

「はい。あーん」


 勿論人生に於いては赤ん坊以来、親族以外に『あーん』は初めてだったが、思った以上に恥ずかしいものだった。食事という、一般的に大半の人間が一人で難無く出来る行為を、第三者に依存している事で生まれる安堵にも似た何か……赤ちゃんプレイとかいうのを好む人はこういう行為に興奮するのだろうが……に気付き、彼女に母性を見出だしかけていた自分を激しく恥じた。そうして自らを心の中で散々罵倒した。


「ねぇ、あーんってされてどんな感じだった?」

「……すごくいけない事してる気分になった。僕はそんな僕を自分で殴りたくなったよ。世の中のイチャイチャしてるカップルって、こんな、いやこれ以上の羞恥に耐えているのかと考えたら……凄いなぁ、って」

「ふふっ、やっぱり御剣君って面白いよ。多分そんな事、世の中のバカップルとか言われる人達は気にして無いよ?」


 僕の発言で彼女が笑う。これがどれほど尊く素晴らしい事なのか、正直人生経験不足が酷い僕の感覚では理解するには至らなかった。

 けれど、そんな凡人にでもはっきりと理解出来る事がある。


「火々谷さん可愛い……」

「デジャヴ!?」




 唐突な話だが、そして前述もしたので明白な話だが、火々谷さんは小柄である。こればかりは種族ごとの特徴であるため避けようが無いのだが、実は彼女は容姿が良いだけでは無く運動神経もかなりのものであり、複数の運動部から勧誘の声が掛かったのだという。

 軟式テニス、陸上、バレーボール、女子バスケットボール、バドミントンなど女子生徒が中心となって動いている部活の他に、『部活にいてくれるだけで活力になる』という理由で野球・サッカーのマネージャーとしての勧誘もあったという。


「そういえば」


 火々谷さんは僕に問いかけた。


「御剣君はどこの部活?」

「入ってないよ。新しく設立するのも手続きが面倒だし」

「えっ、じゃあこの際やろうよ!私も手伝うからさ、ね?」


 彼女との昼休みはこんな調子であっという間に過ぎていく。楽しかったのは事実だが、昼飯を食べ終えるのがギリギリになったのはこれが初めてだった。次からは話すペースを調節しなければ。




 午後の授業はあまり気が入らず、ずるずると過ぎていき、つい一昨日辺りまで憂鬱でしかなかった放課後が訪れた。また僕と火々谷さんは昨日よろしく体育館裏で待ち合わせしている。


 体育館裏に到着すると、そこには数人の人溜まりが出来ていた。誰だ────?

 あからさまにそれはウチの高校の人間では無かった。制服を着ているがセーラーや学ランでは無い。ボレロの制服────遥か市の東にあるはずの【国立こくりつ棗沢なつめざわ学院】の奴らだった。


【棗沢】は簡潔に言えばが通う学校である。何故そんな所の人間がこんな所に……。


「なァ君めっちゃ可愛いじゃん?俺らとちょっと付き合えよ。悪い様にはしないからさ」


 ナンパだ────噂には聞いた事があった。【棗沢】の奴らは時たま他校に乗り込んでは、適当に見繕った女子生徒をナンパし、最悪『乱暴』するとか何とか────。


「私は彼氏いるんです!貴方達みたいな人とは一緒に行けません!!」

「そう言わずにさぁ?彼氏クン、大分来るの遅いみたいじゃない」

「その子の彼氏ならここにいるぞ!何人のツレ取ろうとしてんだヤンキー共が!!」


 怒りでつい声に出してしまった。あぁまずい、奴ら皆血相変えてこっち睨んで来るじゃないか。何か如何にもって感じの鉄パイプ握ってるし。


「ヤンキーと一緒にすんなやヒョロいの。俺らは天下の棗沢生なんだよ」

「お前みてェな弱いのが彼氏とは、あの子が可哀想って話よ。だから俺らが可愛がってあげるって悪い提案じゃねェだろうが」

「手前俺らがどんだけの秀才か知ってて言ってんの?こちとら喧嘩も勉強も手前より上なんだ……ナメてんなよ」


 最悪だ────コイツら思考がとことん歪んでやがる。


「のう……ガキら」

「「「!?」」」


 突然、僕の背後から異常なほどの殺気を放つ、如何にも強そうな色の声が聞こえてきた。不良共もビビっている。

 今振り返れば間違いなく死ぬ────僕はそう思って、全身を強ばらせながら火々谷さんがまだ何もされていない事に安堵を覚えた。


「弱者にたかる事を教えたつもりはねェぞ……少なくとも俺は『合意の上で、かつ脅しにならない範囲で』と言ったはずだ」


 強引にとは全く言ってねェよガキが。


 最後の声は最早脳内に直接拳を撃ち込んだ様な、死そのものを纏った様な声色だった。思い出すだけでゾッとする、殺意の塊だ。

 気が付けば不良共は姿を消し、僕の後ろにいたはずの『死』────やはりそれ以外の形容詞が見つからなかった────も、気配も姿も無かった。一体何だったのだろう。


「あっ……火々谷さん大丈夫だった!?」

「御剣君……凄かったね」

「えっ?」

「だってあの不良、御剣君に殴りかかろうとしたら突然顔を青くして逃げてったんだもん。私怖くて腰抜けちゃった」


 そんな馬鹿な。あの『死』の禍々しい気配も声も、僕にしか聞こえていなかったというのか?考えたら僕は背筋に悪寒が走り、やっぱりこれ以上の詮索は止しておこうと、きっぱり今回の一件は記憶の奥に封印しておく事にした。


 僕と火々谷さんは先刻の不良の話も兼ねて、部活新設の話をする為に職員室へ向かった。


 職員室は部活の顧問を担当する職員がいない為とても広く感じられた。そんな場所に二、三人、顧問では無い先生が見受けられる。


「照宮先生」


 火々谷さんの声に振り向いたのは、今年から新任の照宮てるみや緋彩ひいろ先生だった。失礼な話かも知れないが、火々谷さんと同じくらいちんまい。


「さては仲人の依頼かな?」

「気が早すぎます!依頼したかったのは部活の顧問ですよ」

「気が早い……ふふ、おめでとう御剣君。脈は大アリみたいだ」

「冷やかすのは辞めて下さい」


 ……この性格のお陰で一部の生徒は嫌がり、また一部の生徒からは極端に好かれるのが照宮先生である。ご機嫌らしく、生えている細いながらもフサフサした尻尾の振れが隠せていない。


 何を隠そう、照宮先生も妖怪なのである。

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