子ノ章

火々谷 美緒は燃え尽きない①

「────えー、日本の歴史と言うのはいつでも、妖怪と共にあったと言えるんですね。最古の妖はかつての中国・隋から各地を転々として最後に日本にやって来た九尾の狐というのがいて……。さてそれでは九尾の狐というのはどんな妖怪か、松屋君、分かるかい」

「いいえ全然。それに先生。妖怪との共存が重要であるのは分かりますが、何故高校でその授業をやるんですか?そういう専門的な事は、大学や専門学校でやるべき事だと思います」


 五月中旬、ゴールデンウィーク明けで皆勉強に本腰が入らない中、僕・御剣 穿刀は学級一の人気者・火々谷さんとの秘密の交際を活力に授業に勤しんでいた。


「うむ困ったなぁ。では先生の今の質問が分かる奴は?」


 僕はそっと手を挙げる。が、それを見てか否か隣の男子生徒も手を挙げた。僕より思い切りが良く、声もハッキリと『ハイ』と出ていた。教師も無論、そういう奴を指名する。


「じゃあまず柳田やなぎだ、九尾の狐がどんな妖怪か答えなさい」

「九尾の狐はアレです、要するに狐憑きですよね?」

「要約するに至っていない。何なら今のは大きな間違いだぞ柳田。知ったか振りするんじゃない」


 教師は『他には?』と辺りを見回しているが、どうやら僕が挙手しているのを見ていない様である。『教室の隅っこだから見えていなかった』とはならない。何故なら一番端の列に座る柳田が指名された今、端から二番目に座っていて、柳田のすぐ隣にいるこの僕が見えていない訳が無いからだ。この教師は、僕がいないものの様に振舞っているだけである。そしてそれに対して、教室にいる誰も先生を咎めはしない。僕を初めに無視し始めたグループは勿論の事だが、交際は秘密であるから、火々谷さんも迂闊には発言出来ないのである。


 ……まぁ、今更どうでも良い。そういった態度を取られるのは好い加減慣れてしまった。何事も耐性が付けば恐怖など無くなってしまうものである。


「先生」


 僕は有り得ないはずの発言が耳に届いて吃驚ビックリしてしまった。聞き覚えのあるやけにキリっと澄んだ声が、この時ばかりは刃物ばりの威力を以て耳から脳へ、金属の触感も無くいきなり貫通していったのだから。


「先生の仕事はいじめられている生徒を無視し続ける事じゃないですよね?黙認するのは共犯者であると自分で認める事になりますよ」


 それは学級委員長の凪下なぎもと陽弥はるやだった。彼は曲がった事を良しとせず、品行方正と有言実行の練り物が服を着て歩いている様なメガネ男子だ。そんな彼が僕を擁護したのは、決して疚しい理由などではなく、それが彼の性分だからなのである。


「……じゃあ御剣、答えなさい」


 渋々先生は僕を指名した。だが残念、僕を神話や妖怪関連の話題で指名したが最後、僕の知識はこの一点に於いて教師を上回っている事を認めざるを得ない状況になる事を先生は覚悟しなければならない。


「九尾の狐の説明はまで遡ります。妲己と名乗り残虐の限りを尽くしましたが周国の太公望らによって討たれ、天竺の妃華陽夫人に成り代わり、再び暴虐の限りを尽くしました。しかしこれも最後には国を追われてしまいます」


 周りの皆が口をあんぐりと開けたまま閉じられなくなっている。教師でさえ、自らが間違った事を指摘され心底悔しそうにしている。


「その後周国でも幽王の后・褒姒となり、王を誑かし国を傾け、王の元妻の申后によって捕虜にされましたが、この危機も乗り切り、その後若藻という娘に化け、日本にやって来ました。

 十八になり宮仕えをし始め、名を玉藻前と名乗り、その美貌と博識さで鳥羽上皇の心を射止めます。しかし鳥羽上皇は次第に病床に伏せ、医者が匙を投げてしまいます。

 そこで現れたのが陰陽師・安倍泰成!かの有名な安倍晴明の6代目の子孫にあたります。泰成が上皇の病を玉藻前と見抜くと、彼女は九尾に姿を変えて逃げ出してしまいます。

 二度の追撃によってとうとう討ち取られた玉藻前ですが、その後近寄れば死ぬという呪いを放つ大岩・殺生石に変化します。後々この岩は会津は元現寺の和尚・玄翁によって砕かれ日本中あちこちに四散しました。那須には今でも殺生石があり、殺生石を砕くのに使われた金槌は、その功績を讃え『げんのう』と呼ばれる様になりました。

 ……これが九尾の狐の伝説ですが、先生は異論ありますか?」

「カンニングだ!こんなのカンニングに決まっとる!後で職員室に来なさい!!……ここからは自習だ。先生はちょっと資料室行ってくる」


 結局、権力の濫用で僕の答えは無かったものにされてしまった訳だが。

 散々論破する快楽を久々に味わった僕の心は晴れやかになっていた。性格が非常に悪いと自分でも思うが、実際他人を言い負かした時得られる心地良さは中々のものであるから仕方ない。


 待ちに待った昼休みが訪れ、僕は教室を早々に抜け出して玄関前にある吹き抜けのホールにやって来た。ここは一階でも一際明るく、弁当を食べながら中庭まで拝める絶好の昼食スポットなのである。妖怪の生徒が増えてから多少騒がしくはなったが、お昼時ここに訪れる生徒は決して多くは無い。


「あ、御剣君じゃん!」

「ひ、ひひ火々谷さん!?」

「何キョドってんのー、もう可愛いなぁ」


 火々谷さん距離が近い近い!!

 というか何故火々谷さんがこんな所にいるのだ。いつもならば教室で、物凄い数の机と生徒に囲まれて集団でお昼を食べていると言うのに。


「私ね、御剣君とお昼食べたいなーって」

「それもしかして他の人に言った?」

「ううん、凪下君にしか言ってない」

「がっつり言ってるじゃない……」


 凪下君は正しい人なのであって善人という訳では無い(彼の正しさは善悪では無いので他人の心根が計れない)から、不純な交友であると認識されたら最後、僕は本当に学生生活が破綻しかねないのである。


「む?……こんな所に誰かと思えば我が校の名弁士・御剣君ではないか」


 嗚呼見つかってしまった。しかも先程の論破を名弁士と茶化された。きっと火々谷さんほどの美少女が、僕などの凡愚と話す事を、彼は決して快くは思わないだろう……。


「火々谷さん、彼は今回の授業の内容から考えるに、予習を抜かり無くして来たはずのこの凪下よりかなり、君達妖怪の事を根底から善く理解している。凪下の推薦ではやや根拠を欠いているとは思うが、交際相手を所望の際はとても良い相手だと考えるよ」

「ありがとう凪下君。でもごめんね、実は……」

「皆まで言わない。この凪下、今の火々谷さんの表情と、御剣君との距離で察した次第。安心してくれたまえ。男女が交際する事をとやかく言う程、この凪下、性根を拗らせてはいない。無論、『ここを通った凪下は何も見ていなかった』」


 回りくどい言い方ではあったが、どうやら凪下君は僕らの秘密の逢瀬に関して、口出しも告げ口もしないのだという。彼はそれこそ有言実行を練って固めた様な男だ、わざわざここで嘘を吐くタイプの人間でも無い。信用は出来るクラスメイトなので、安心して問題ないだろう。


「せっかくだし凪下君も一緒に食べよ?」

「是非一緒に……と言いたい所ではあるが、凪下はこの後【委員長の会】の面々と会食という名のランチが先約で入っている為、ここで失礼するよ」

「そっかぁ……それは残念。また今度ね!」

「ふふ……それでは」


 背中にホウキか鉄パイプでも入ってんじゃねーのと思わずにはいられないほどピンと真っ直ぐな姿勢で、かつ腕は振りながらも肩が上下しない奇妙な歩き格好で去っていく凪下君。その姿は最早────。


「頭がキレるセグウェイ……」


 僕は思わず、そんな事を口走っていた……。

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