【第6回】天才詐欺師は招かれざる客の正体を見抜く


   第三章



 耳を塞ぎたくなるようなランチキ騒ぎのホールへと戻る。

 僕が担当するテーブルは事務所にほど近い『エレメント』のテーブル。

 客層的に高額ベットが起こりにくい低額設定テーブル、なおかつ何かあれば事務所前のガードマンがすぐに飛んでこられるような場所とは、ガイズもちゃんと配慮してくれたということだろう。

 ただ、僕には一つ憂鬱なことがあった。


「いや、服の質感自体は快適なんだけどさ……」


 さすがに今まで着ていたボロ布のような服のままディーラーはできない。

 店にあるディーラー服を一着貸してもらえないか聞いたものの、当然子供用のディーラー服なんてものは存在しなかった。

 苦肉の策として、ちょうど背丈が似ていたリーシャの替えの服を借りることになったわけだけど……。


「似合ってる……ぷくく」


 貸与されたのは若草色の半袖ワンピース。

 なかなかに裾が短く、うっかり大股であるくと下着が見えそうになる。

 これをリーシャに着せようと思ったやつはいい趣味してるよ。

 世が世なら問答無用で警察に突き出してやってるところだ。


「ところで、さっき護衛もリーシャが務めるみたいな話だったけど、本当に大丈夫なの?」


 白いブラウス、濃紺のスカートに、スカートと同色の薄いケープを羽織った姿のリーシャを見やる。

 可愛い、とても可愛いけど、何かあった時にどうにかできるような凄みが無い。


「大丈夫、危ない時は、これで」


 リーシャがすっとスカートの裾を持ち上げると、陰から黒いレザーに収納された小ぶりな短剣がちらりと覗く。

 ちょっと待って、それを抜かなきゃいけないような状況が今後あるかもしれないってこと?


「……ちょうどいい。そこで見てて」

「え――」


 瞬間、何かを察知したように顔を上げたリーシャが吹き抜ける突風のように飛び出した。

 正面にはちょっとした人垣。抜けられそうな隙間はあれど、子供の体格であっても些か以上に狭い。

 ぶつかる、と思ったその時には、リーシャの姿は既に空中にあった。

 空席のイスを踏み台に飛び上がり、立っていた男の肩に手をつきながら体を捻り、数人からなる集団を飛び越える。

 およそ人間業とも思えない鮮やかな跳躍に目を奪われ、ありえない動きだとかスカートの奥が見えそうだとか、そんなありふれた感想は口をついて出る前に消えていく。


「ちょ……っ、もう!」


 一秒もしない一瞬の硬直から解放され、慌ててリーシャの後を追いかける。

 ざわつき始める人混みをかき分け、やっとの思いで抜けた先では――


「だから俺はこの目で見たって言ってんだろ! こいつがカードのすり替えをしてやがったんだ!」


 なぎ倒されたテーブルと散らばったカード。

 少し離れた場所でひっくり返っているイスを見て、おおよそどんな状況か見当がついた。


「俺らのイカサマは許さねえクセして、そっちはやり放題ってわけか? どういう了見だコラァ!」


 怒声を上げているのは髪型も身なりもしっかり整えているいかにもな風体の男二人。

 顔の紅潮や目の充血具合から見て相当酒が入っている。

 対するは背後を庇うように片腕を広げるリーシャと、行きがけに見たアニーと呼ばれていたディーラー。

 やはりというか何というか、僕が危惧した通りイカサマがバレたようだ。


「お嬢ちゃん、大人の話に首突っ込むモンじゃないぜ?」

「……」


 リーシャは何も言わず、感情の薄い瞳で男たちを睨みつける。


「引っ込む気はねえって顔だな」


 仕方ない、なんて素振りを見せながら、その顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいた。


「……あ? くくっ。おいおい、こりゃどんな巡り合わせだ?」

「なんだ」

「見てみろよ。このガキ、銀髪のエルフだ」


 そう言って顔を見合わせた男たちは、不意に纏う雰囲気を変える。

 酒の勢いで暴走した怒りの感情が一転。

 極上の獲物を見つけたハンターの如く、冷徹な理性の光がその目に宿る。

 リーシャはターゲットが自分に移ったのを察してか、背後にいるアニーに目配せをしてこの場を離れるよう促す。

 ニタニタと笑う男たちは、逃げ出すアニーには目もくれなかった。


「お嬢ちゃん、知ってるか? 銀髪エルフにはおもしれえ噂が色々あんだ」

「……」

「人間じゃねえから殺しても罪にならねえとか、貴族の変態ジジイが一生遊んで暮らせる金で買い取ってくれるとかな」


 眉間を寄せたのは男たちに対する嫌悪感か。それとも、理由の無い差別そのものに対する憤りか。

 ……ともかく、僕にできるのはガイズやアルベスたちを呼びに行くことだ。

 さっきの超人的な身体能力を見せられた後であっても、見るからに戦い慣れている大人の男二人が相手では勝ち目は無い。

 そう思い立ち、踵を返そうとしたところ見知らぬ男に肩を掴まれた。


「まあ見とけよ嬢ちゃん、おもしろいのはここからだぞ」


 僕は男だ、と言いかけて、ふと自分の格好を思い出す。

 今は勘違いされていた方が都合がいい。

 自嘲ついでに息を吐いて、冷静な思考を取り戻す。

 考えてもみろ、この状況――どこからどう見ても異常じゃないか。

 男二人と少女が一人、一触即発の雰囲気にもかかわらず止めに入る人間は誰一人としていない。

 そして周囲の人間の目。まるでこれからショーでも始まるかのような期待に満ちている。


「……ショー、か」


 そう呟いた瞬間、男の一人が動く。

 ゆったりと余裕のある所作で歩み寄り、リーシャの胸元に向かって右手を伸ばす。

と――


「なっ!?」


 声を上げたのは僕だった。

 男の袖口から覗く銀のブレスレットが輝いたかと思えば、リーシャの背後にあったテーブルが蹴り上げられた空き缶のように拉げながら宙を舞う。

 念力……いや違う。床の抉れ具合から圧力のかかった場所がはっきり分かる。周囲のものが巻き上げられているのを見るに、あれは空気の塊だ。

 そんなものが人に当たったらどうなるか、考えたくもない。

 それよりも、リーシャはどこだ。


「下だ!」


 もう一人の男の声に視線を下げると、片膝をついて攻撃態勢に移ろうとするリーシャの姿があった。


「クソッ!」


 男は半歩後ずさりながら左腕で防御の姿勢を取る。

 すると、今度は左腕のチェーンにつけられた菱形の魔導具が四つに割れ、それぞれが空中で静止。

 点と点を繋ぐように光の線が走り、半透明の盾となった。


「そんなもの……!」


 リーシャのブーツから青白い光が迸る。

 稲妻のような炸裂音と共に回し蹴りが放たれ、菱形の盾に靴底がねじ込まれた。

仰け反りながらよろめく男に対し、リーシャは盾を踏み台にして空中へ。


「はぁぁっ!」


 そのまま綺麗な一回転を決め、青白い軌跡を伴った踵落としが盾を直撃。

分厚いガラスが割れるような鈍い音が響き渡った。


「こいつをぶち抜いたのは褒めてやる、だがな!」


 盾を踏み砕かれた男が、今度は滞空中のリーシャに右腕を向ける。

 そんな男の行動も、マズイという僕の思考も、この時既にリーシャには追い抜かれていた。

 脚のホルダーから短剣を引き抜き、回転の勢いを利用して投擲。


「な――」


 短剣が描く光の筋に目を奪われたその一瞬に、リーシャの姿を見失う。


「まず、一人……!」


 声のする方へ視線をやると、突き出された肘が男の鳩尾に深く沈んでいた。

 くぐもった声を漏らしながら倒れる男を最後まで見届け、動かなくなるのを確認してから構えを解く。


「高速移動……じゃ、ない? いや、こんなガキが扱える魔導具じゃ……!」


 床から短剣を引き抜いたリーシャがもう一人の男と相対する。

 距離にしておよそ二メートル半といったところか。


「まさか、瞬間移ど――」


 一歩、また一歩と狼狽えながら後ずさる男の足元に短剣が突き刺さる。

 その直後、突き上げられた掌底が男の顎を捉えた。

 まさに一瞬の出来事。

 あまりに非現実的な光景に言葉を失っていると、割れんばかりの歓声が耳を劈いた。

 短剣をホルダーにしまったリーシャが、スカートの裾を払いながらこちらへ歩いてくる。


「ほらね。大丈夫だった、でしょ?」


 すまし顔でそう言うリーシャに、僕は乾いた笑いを吐き出すのだった。


       ◆◆◆


 リーシャの強さは分かった。

 護衛としては申し分無しどころか、頼もしすぎて僕の立つ瀬が無い。

 本当は僕の方が守ってあげなきゃいけない気がするんだけどな……。

 目頭を押さえながらテーブルに着き、『他のテーブルをご利用ください』と書かれた立て札を下ろす。

 それを見ていた数人が周囲に声をかけつつ集まり始め、あっという間に定員である五人が席に着いた。

 すごい人気だ、名物ゲームというのは本当らしい。


「だあっははは、ずいぶんと可愛いディーラーだな? 今日が初めてかあ?」

「ガイズのやつ、リーシャちゃんだけじゃ飽き足らずまーた子供拾ってきやがったのか。気をつけろよ嬢ちゃん、何されるかわかったもんじゃねえぞ!」


 既に全員顔が赤く酒の入った状態だ。

 さて、しばらくは店が得するようなゲームの進め方はしなくていいとお達しをもらってるから、どんなキャラでいくかな。


「は、はい! 新人のロジーです、よろしくお願いしますっ」


 結果、新人らしさを装った初々しいディーラー路線でいくことにした。

 後々イカサマを使うようになった時、こっちの方が立ち回りやすいからだ。

 相変わらず女の子と勘違いされてるのはまあ……服装のせいということにしておこう。

 いや、僕の顔立ちが中性的というのもあるんだろうけど。


「そ、それでは、参加費のチップをお願いします」


 そう言うと、続々と白いチップがテーブルに飛ぶ。

 これが百リチアのチップだ。


「ありがとうございます。それでは五名の方から参加費をいただきましたので、合計五回戦を行いたいと思います。なお、イカサマが発覚した場合は所持されているチップを全て没収のうえ、当カジノへの出入り禁止を含めた厳しい処置をいたしますので、どなた様もご注意ください」

「あーこれこれ! 新人ディーラーが生真面目に規則を読み上げる初々しさがたまんねえんだ!」


 なんというか、レベルの高い趣味だ。

 鳥肌が立ちそうになるのを気合で抑え、シャッフルしたカードを配っていく。


「それでは、ブーストカードはこちらです」


 残った二枚の山札の上の方をめくる。

 属性は水。


「次に交換したいカードをお選びいただき、裏向きのままご提示ください。……皆様よろしいですね? それでは私の左手側のお客様よりカードの公開を行います」


 ブーストカードを開いた時点で、何人かはもう交換カードを選んでいた。

 さすがに慣れている。


「土、風が一枚ずつ。炎、風が一枚ずつ。炎が一枚。炎が一枚。水が一枚。合計七枚と残りの一枚をシャッフルして配り直します」

「お前、水捨てるってことは二枚役持ってやがんな? さては土の三枚役狙いだろ」

「さあ、それはどうかなあ?」


 ディーラーが新人と侮ってか、なかなか際どい会話が繰り広げられる。


「お客様方、ベット終了までカードに関する言及はお控えいただければと」

「おっと、怒られちまったぜ!」

「気をつけるから土のカード配ってくれよロジーちゃん!」


 溜息を吐きつつカードを配り直す。

 こうした客同士の会話を制限するのもディーラーの仕事だ。

 特に仲間同士で持っている手札の情報を共有されてしまうと、勝ち負けの確率の精度をかなり高められる。

 それくらい情報がカギを握るゲームのため、そうした〝通し〟は絶対に防がなくてはならない。

 今は新人ディーラーを演じてるからいいけど、今後は客の視線や一挙手一投足に至るまで観察する必要があるだろう。

 一通りベットが終わり、最後は一騎打ちの様相。掛け金は二千リチアまで引き上げられた。

 勝者は僕から見て右端の男。

 本当に土のカードが配られたらしく、土の三枚役でブーストカードをのせた水の二枚役に勝利した。

 そうして何度かゲームを繰り返し、四回戦目が終了した頃、事件が起こる。

 始まりはギャラリーの一人がテーブルに歩み寄ってきたこと。

 横で暇そうにしていたリーシャが突然ピクリと反応し、臨戦態勢に移ろうとしたため足を踏んでそれを止めた。


「驚いたな、まさかこんな子供二人に気づかれるなんて」


 金の短髪に深紅の瞳。

 見るもの全てを魅了するような整った顔立ちに、かえって危機意識を掻き立てられる。

 立ち振る舞いの時点で既に普通じゃない。

 アルベスさんのように、ただそこにいるだけで威圧感を放っているような、形容しがたい何かを感じる。


「俺はレナード。今日はただの観光のつもりだったんだが、ちょっと興味が湧いちまってな」


 と、テーブルにいた酔っ払い全員がレナードと名乗った男に一斉に視線を向ける。

 数秒後、揃って悲鳴を上げたかと思えば、自分のチップを取ることもせず蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 その光景にさして驚く様子もなく、レナードは僕の正面の席に座る。


「お客様、当施設は完全会員制のため、申し訳ございませんが会員資格をお持ちでない方の入場はご遠慮いただいております」

「……へえ、どうして俺が会員じゃないと?」

「シャツの裾に新しめの返り血がついてる。押し入ってきたのが丸分かりなんだよ」


 レナードは僕の豹変ぶりをよそに、シャツの裾を掴み確認しようとする。

 しかし、そこに血液どころかシミ一つ無いことに気づくと、まるで降参でもするように両手を上げた。


「カマかけたな?」

「分かったらお引き取り願うよ。こっちは初日からトラブルを抱える気はない」


 ぶっきらぼうに言うと、レナードは片肘をついたままこちらに身を乗り出してくる。

 立っている分僕の方が目線が高い。

 なのに、強烈な威圧感にまるで見下ろされているかのような錯覚を起こしかけた。


「さっきのゲームをやらないか? 君と俺でだ。君が勝ったらおとなしく出ていこう」

「僕が負けたら?」

「……うーん、そうだな。よし、こういうのはどうだろう」


 ポン、と手を叩いたレナードが千リチアのチップを摘み僕の手元へ放った。


「王都ロメリアの聖騎士、レナード・ハーグレイブの名においてここを摘発する」


 涼しい顔でそう言ったレナードを睨みつける。

 聖騎士がどれだけ偉いかなんて知らないけど、物事が上手く回り始めた矢先にトラブルを起こされちゃたまらない。


「ロジー、やっぱり、この男……!」


 再び脚の短剣を抜こうとするリーシャを制する。

 さっきの大立ち回りを見て、実力に不足が無いのは分かっていた。

 それでも、このレナードという男には通用しない。不思議とそんな確信があった。


「僕が受けないと言ったらどうする?」

「俺の不戦勝だ、ここは潰させてもらう」


 まあそうなるよね。

 嘆息しつつ周囲に目を向ける。

 相変わらず騒々しいホールではあるものの、聖騎士とやらがいることに気づいている者は少ない。

 せいぜいこのテーブルを遠巻きに眺めている何人かだ。


「レナード、こうして普通にゲームを持ちかけてくるくらいだから、騒ぎを起こすつもりはないんだね?」

「もちろん。今日は観光で来ただけと言ったろ?」


 挑発的な笑みが様になっている。

 歳は十七か十八そこそこに見えるものの、元いた世界の高校生くらいと思ってナメてかかると足元を掬われるのは間違いなく僕の方だ。

 これまで過ごしてきた人生の密度が違う。

 修羅場をくぐり抜けてきた、という表現がぴったりだろう。


「……分かった、いいよ。早いところ済ませよう」

「へへ、そうこなくちゃな」


 ふと顔を覗かせる歳相応の好奇心に満ちた表情。

 荷が勝ちすぎる経験をいくつも積み上げながら、その心根から若さの輝きが失われていない証拠だ。


「チップは五枚勝負、チップの移動によってどちらかの持ち分がゼロになったら終了。チェックは無しで、どんな手札だろうと一戦ごとに必ず一枚は賭けてもらう。ふっかけてきたのはそっちだから僕がディールをやるけど、文句は無いね?」

「それ、ずいぶんと俺が不利なように思うが」

「文句があるならいいよ、摘発でも逮捕でも好きにするといい。少なくとも僕とリーシャは問題無い。違法カジノで働かされていた哀れな子供という扱いになってお咎め無しだろうしね」

「嫌々働いてるようには見えないな。俺が見逃すとでも思うか?」


 僕とリーシャを交互に見ながら侮るように笑う。

 レナードの言い分は正しい。

 リーシャがここで働いてる経緯は知らないものの、少なくとも無理矢理働かされてるようには見えないし、僕に至っては自分の意思でここにいる。


「見逃すよ、きっとね。君と違って世間は自分たちが見たいように物事を見るんだから」


 ただし、正論だけで渡っていけるほど現実は甘くないんだよ。

 元いた世界だろうと、異世界だろうとね。


「ずいぶんな自信だな」

「もちろん。子供にも容赦しない聖騎士ともなれば恰好のスキャンダルだ。死にものぐるいで築き上げてきた君のキャリアも無事じゃ済まない」

「……」


 レナードは一瞬目つきを鋭くしただけで、それ以上は何も言わなかった。

 おしゃべりはこの辺でいいだろう。駆け引きのクセはだいたい分かった。

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