【第5回】天才詐欺師は大切な相棒に出会う

 扉を越えた途端、予想だにしない凄まじい喧騒に思わず耳を塞いでしまった。

 歓声、怒声、奇声、叫声。

 興奮と激情に支配された非日常の世界に僕は思わず苦笑する。


「ははっ、どうだ。すげえ盛り上がりだろ」


 ガイズは嬉しそうに言う。

 たしかにすごい盛況だ。

 ここまで賑わっていれば胴元の実入りもさぞ良いことだろう。


「そうだね。この音が外に漏れてないのは魔導具のおかげ?」

「ああ、だからこうして人通りの多い場所でも営業ができる。よし、こっちだ」


 子供の身長では人垣に阻まれ遠くまで見渡すことができないものの、かなり奥まで続いていそうな気配がある。

 テーブルの周囲に人だかりができていることが多いということは、ここでのメインはテーブルゲームらしい。

 ガイズについて歩きながら横目で見てみると、胸元を大胆に見せつけるような際どい服装の女性が客にカードのようなものを配っているところだった。

 また分かりやすい方法を使う。

 屈んだ時に谷間を強調し、客の視線を誘導しつつ胸で遮った手元でイカサマを……ほらやった。


「あれ、まずいんじゃない?」

「あ? 何がだ」

「あの巨乳お姉さんのお粗末なイカサマだよ。客は騙せてもギャラリーからは手元が丸見えだ」


 ガイズが目を丸くする。

 ギャラリーも巨乳見たさに客の傍へ回るから今までは何とかバレなかったんだろうけど、あの手際の悪さじゃボロを出すのも時間の問題だ。


「……後で言っとく」


 ガシガシと乱雑に頭を撫でられる。

 子供扱いされるのは納得がいかないけど、この短時間で向こうからボディータッチを引き出せたのは大きな前進だ。

 やがて賭場の最奥。

 またもや二人組のガードマンが守る扉を抜け、事務所のような場所に着いた。

 変な目では見られたものの今度は声をかけられず。ここへ足を踏み入れた時点である程度の信用は保証されているらしい。

 事務所は実に静かだった。

 魔法の防音ってすごい。


「アルベス、ディーラー候補を連れてきた」


 本革のソファにふんぞり返っていた白髪交じりの初老の男が顔を上げる。

 なるほど、この人がベイの言っていた旦那か。

 ガイズほど筋骨隆々なわけでもないのに確かな威圧感がある。

 アルベスと呼ばれた男はくわえていた葉巻を灰皿に置き、空いた手で向かいのソファに座るよう促した。


「煙いだろう、すまないな。そのうち消えるだろうからそれまで我慢してくれ」

「いいえ、お構いなく。紹介に与りましたロジーです」


 そう言って握手を交わす。

 手のひらの皮は全体的に分厚い。そして拳には古い切り傷、それも相当な数だ。


「ボウズ、お前敬語なんて使えたのか」


 突然口調を変えて話し始めた僕にガイズは意外そうな顔で言った。


「ここに来るまでは自分を評価させるためにああいう態度を取ってただけだよ。今はもう必要ない。アルベスさんに僕を売り込むのはガイズの役目だからね」

「敬語は必要ねえがガイズさんと呼べ。ここで雇われりゃ俺は上司になるんだぞ」

「雇われればね。そこは君の腕の見せ所だ。頼んだよ、ガイズ」

「はっはっは、なるほど」


 僕らのやり取りを見ていたアルベスさんは納得顔で頷いた。


「ガイズ、またとんでもない大物を連れてきたな」

「まったくだ。あんまり大物すぎたもんで、うっかり山へ埋めそうになったよ」


 あの時丸め込むのに失敗してたらそんなことになってたのか。

 一度海に沈められた身としては少々複雑な気分だ。


「ただ俺の見立ては間違ってねえぜ。ここを嗅ぎつけたのはもちろん、ロイの偽装を見抜き、アニーのイカサマを一瞬で暴いた。とてもじゃないが子供の洞察力とは思えん」


 ある意味正解だよガイズ。

 中身は子供じゃないもんで。


「そして私についても色々探っていたように見えたが、どうだロジー。私の手を握って何が見えた?」


 ニッと歯を見せて笑うアルベスさんに全身の毛が逆立つ。

 見透かされていた。

 首をひねって答えを促してくる彼に、僕は深く呼吸をしてから口を開く。


「あなたは昔……傷の状態から見て二十年くらい前かな、何かと戦っていましたね。等間隔に並んだ引っ掻き傷や歯型が主なので、猛獣でしょうか」

「……それだけかね?」


 唾を飲み込んでから、いいえ、とかぶりを振る。


「僕と握手をするためにソファから上体を起こした時、重心が不自然に傾きました。筋力が衰えているのかとも思いましたが、そうではありません。その答えは靴にあります」

「靴?」


 アルベスさんは興味深げに自分の靴を覗き込む。


「左の靴に対して右の靴底が大きく擦り減っている――つまり右足が不自由である証拠。元からということはないでしょうから、原因は恐らくその手の傷をつけた相手と同じでしょう。そして、あなたはその負傷が原因で一線を退いた」


 しん、と静まり返る事務所。

 こちらを見据えるアルベスさんがふっと顔をほころばせたかと思えば、突如として拍手の音が鳴り響いた。


「とんでもねえな、さっき会ったばかりでそこまで分かるか普通」


 拍手の主はガイズだった。

 続くようにアルベスさんも手を叩き始める。


「ようこそロジー、ギルド『錆の旅団』は君を歓迎するよ」


 緊張からの解放に、僕はほっと胸を撫で下ろした。

 本当の問題はここからなんだけど。

 今はとりあえず、最終面接合格を喜ぶとしよう。


       ◆◆◆


 僕とアルベスさんの間で話がまとまってから数分。

 契約がどれほど重要な世界かは分からないものの、ギルド『錆の旅団』が僕を雇用し、労働の対価として住居と賃金を与える契約を書面で交わした。

 てっきり紙は高級品だと思っていたけど、単にあの村の生活水準が相当低かっただけで、ここカシアのようなそこそこの規模の街なら普通に使われているものらしい。

 あそこに戻る機会があったらここのを何枚かくすねて持っていってあげよう。


「さあボウズ、正式に雇われたところでさっそく働いてもらうぞ」


 ガイズがどこからかカードの束を持ってきて僕に手渡す。

 さっき巨乳のお姉さんが配っていたのと同じもののようだ。


「そいつがこの店『ラスティソード』の名物カードだ」


 一枚の厚さは一般的なトランプとほぼ同じ。

 手触りはスチールカードのようにひんやり滑らか、そしてある程度しなる。

 十七枚で一セットのようだ。

 裏面は青を基調としたデザインが施され、表面は全部で五種類の図柄。

 炎、水、土、風、そしてクリスタルがモチーフだろうか。

 各属性はそれぞれ四枚ずつ、クリスタルは一枚のみ。

 このクリスタルがトランプで言うところのジョーカーのような扱いだろう。


「へえ、思ってたよりずっといいカードだ」

「ははは、そりゃあそうだよロジー。なんせその一枚一枚が魔導具なんだからな」

「えっ、これが?」


 驚く僕に対し、アルベスさんは笑いながら指を三本立てる。

 価格のことだろうか。


「えっと、四万リチアで一ヵ月暮らせるとして……三百、いや魔導具だからもっと高いか。三千リチアとかですか?」

「一桁違うな、一組で三万リチアだ。君の言う通り、贅沢しなければ一ヵ月は食うに困らない」


 驚きの価格だ。

 いや、僕の魔導具に対しての金銭感覚が間違っているのか。


「そのカードは魔法的な干渉で透視することができないようになっている。透けて見えたらギャンブルとして成立しないからな、そのカードでしかゲームができない。……つまり?」

「カードは大切に扱う。失くさない、盗まない、そして盗ませない。ですね?」


 満足げに目を閉じて頷くアルベスさん。

 いくら消耗品とはいえ気軽に買い足せるような額じゃない。


「ボウズはいいなあ、説明の手間が省けて。よし、じゃあ早速ルールを説明するぞ」


 ガイズが立ち上がりアルベスさんの隣へ座る。

 僕と向かい合うような形だ。


「この『エレメント』は手札の役の強さを競い合うゲームだ。まずディーラーは山札をシャッフルしてから、プレイヤーにカードを三枚ずつ裏向きで配る」


 ガイズは慣れた手つきでカードをシャッフルすると、僕と自分、交互にカードを配っていく。

 あの大きな手からは想像もできない器用さだ。

 昔はディーラーをやっていたんだろうか。


「そしてプレイヤー全員が見える位置にカードを一枚表にして出す」


 場のカードは炎。

 そして僕の手札は炎が二枚、水が一枚。


「プレイヤーはここで一度だけ手札の交換を行い、その後ディーラーから見て左のやつから賭け金を決めていく。最初に掛け金を提示するやつは『ベット』、その賭けに参加しないやつは『チェック』と宣言する。掛け金を上げる場合は『レイズ』、提示された掛け金に乗る場合は『コール』、賭けを降りる場合は『フォールド』だ。あー、一気に説明したが覚えきれるか?」

「へえ、その辺はポーカーと一緒みたいだ。大丈夫、続けていいよ」

「ぽーかー、ってのが何か分からねえが、ボウズが大丈夫ってんなら問題ねえな。まあ早い話このゲームは同じ図柄を多く持っていたプレイヤーの勝ちだ。ただし、図柄には有利不利があって、炎は風に強く、風は土に強く、土は水に強く、水は炎に強く、ってな感じで循環してる」


 このカードはトランプと違って図柄の種類が圧倒的に少ない。

 引き分けが発生しやすい状態を補うのがこの有利不利のシステムってわけだ。


「たとえば水二枚と炎二枚では水二枚の勝ち。炎三枚で引き分けだ。つまり有利不利の間では一枚の差がつく。ただし水を一枚しか持ってない場合は役として成立しねえから炎二枚の勝ちだ」


 手札が三枚しかない中で一枚の差はかなり大きい。


「そして場に出てるカードはブーストカードっていってな、その図柄と同じものを二枚以上持ってる時に、そのカードを自分の手札として数えていいことになってる」


 つまりプレイヤー共有の手札のようなもの。テキサスホールデムをイメージすると分かりやすい。

 相手がどんなカードを欲しがっているかも重要だけど、とにかく同じ図柄を二枚以上揃えないことには勝負にすらならないルールのようだ。

 この辺もポーカーとよく似てる。


「なるほど、ブーストカードが炎だからと言って一概に炎をキープすればいいわけじゃなくて、場合によっては弱点狙いの水やその裏をかいて土をキープするって選択肢もあるわけか」

「そういうこった、さすがに飲み込みがいいな」


 ガイズは言いながら自分の手札の二枚を裏面のまま場に出した。


「次に手札交換だ。ディーラーは全員に交換の有無を確認する。プレイヤーは手札を交換したいときはこんな感じで裏向きのまま場に出しておくんだ。全員分の意思表示が済んだら、誰がどのカードを交換に出したか全員に確認させて山札に戻し、シャッフルして交換分の枚数を配り直す。そこで何を交換してたかが後の駆け引きで重要になってくるから、自分でプレイするときはよく見ておけ」


 ガイズが二枚のカードをめくる。

 土と風が一枚ずつだ。 

 ああ、なるほど。

 ガイズが土と風を交換に出したのは、ブーストカードの炎かその弱点をつける水のカードを欲しがってるという意味。

 自分が集めようとしているカードの情報を他のプレイヤーにも与えてしまうというデメリットはあるものの、それを逆手に取ったブラフやハッタリも可能ということだ。

 単純なようでかなり奥が深い。


「それで、クリスタルは?」

「そいつは特別だ。どんなカードとして扱ってもいい」


 やっぱりこれがジョーカーか。

 持ってるだけで二枚役以上が確定するのは強い。


「確率的にはそんなにねえが、たまにクリスタルがブーストカードになることがある。だがな、そん時が一番盛り上がんだ」


 ガイズは心底楽しそうな顔でブーストカードを裏向きにする。


「全員のベットが終わってカードが全て公開された後、クリスタルを残った山札の一番上と交換する。どの属性が強いかも分からない状態で駆け引きが行われるだけじゃなく、最後の最後でどんでん返しが起こる可能性もあるわけだ」


 たしかに、手札交換である程度の属性傾向が読めていても、ブーストカード次第では勝負がひっくり返ることもある。


「山札をめくる時、ギャラリーも含めたその場の全員が静まり返るんだよ。その瞬間の肌がひりつくみてえな空気は一度味わったら病みつきになるぜ」


 とまあ、ギャンブル中毒のガイズはさておき、ポーカーにかなり近いだけにだいたいのルールは理解できた。

 ディーラーとして何度かゲームを見れば駆け引きのポイントも分かってくるだろう。


「それじゃあ僕はこの手札のままでいくよ、交換無しで」

「よし、カードオープンだ」


 ガイズと僕は互いの手札を見せ合う。

 僕は炎二枚と水一枚、ブーストカードも炎なので炎の三枚役が成立している。

 対するガイズは水二枚と土一枚、水の二枚役だ。


「えっと、水は炎に強いからプラス一枚で三枚役扱い……ということは、引き分け?」

「いいや、そういう場合は残った一枚の有利不利で勝敗を決める。ボウズの水に対して俺の土が有利属性だから、この勝負は俺の勝ちだな」


 炎役が不利になる水の枚数を少しでも減らそうと思って手札をそのままキープしたけど、まさかノーマークだった土が原因で負けるとは。

 ディーラーとしてじゃなく、普通に遊んでもかなり楽しめそうだな、このゲーム。


「引き分けについてはかなり細かいルールがあってな。そいつはまあ実際にやりながら護衛兼教育係に教わった方が早いだろ。ってなわけでロジーを任せたぞ、リーシャ」

「リーシャ?」


 ガイズの視線の先、事務所の隅に設置された衝立から顔を出し、こちらを覗き込んでいた少女と目が合った。

 綺麗に切り揃えられた銀色の髪と空色の双眸、そして目を引かれるつんと上を向いた両の耳。

 そのどれもが異質であり、そのどれもが現実離れした美しさだった。

 こともあろうに、こんな地下違法賭博場の事務所の一室で――

 僕は、後の世で『銀燭のリーシャ』と呼ばれる七英雄の一人、リーシャ・ミスティリアとの邂逅を果たしたのだった。


       ◆◆◆


「は、はじめまして。私、リーシャ……です」


 衝立の向こうから風鈴の音のような澄んだ声が飛んでくる。

 発音がやや怪しく途切れ途切れの言葉だったものの、声質のおかげか特に問題もなく聞き取ることができた。

 全体像を見たわけではないけど、声の高さや顔つきからして歳は今の僕と同じくらいか少し上。

 ちょっとかわいそうになってくるくらい怯えた様子で、顔を覗かせては引っ込めるを繰り返していた。


「あの耳……」

「なんだボウズ、エルフを見るのは初めてか」

「うん。存在は知ってたけど、まさか実物に会える日がくるなんて思わなかった」

「たしかに、やつらは基本森に引きこもってるからこの辺じゃなかなか見ねえな。王都の方まで出れば街に定住してるのもいるらしいが」


 僕の元いた世界ではファンタジーの定番キャラクターだ。

 人里離れた森に住み、耳が長く美しい容姿で、弓の扱いに長けている。

 まさにイメージそのもののようなリーシャの姿に、僕の知的好奇心が珍しく刺激されていた。


「リーシャ、自己紹介するならこっちへ来たらどうだ? 今日から彼が君のバディなんだから、ちゃんと挨拶しておいた方がいいだろう」


 アルベスが声をかけると、リーシャは恐る恐る衝立の裏から出てくる。

 目を合わそうとしない、一瞬合ってもすぐに下を向いてしまう。

 緊張しているようだけど、どうにも初対面の人間と話をしているからという理由だけじゃない気がする。


「バディ……私の、ですか?」

「そうだ。歳にしては少し……いや、かなり擦れてはいるが、同年代の彼が相手なら君も少しはやりやすいと思う。どうだ?」


 リーシャが俯き右手で自分の左手首を握りしめる。

 結構な力を入れているのか、手の血管が何本か浮かび上がっていた。

 さりげなく席を立ち、ガイズの隣へ移動して床に膝をつく。


「あの子、何があったの?」


 小声で話しかけるとガイズは無言のまま眉を上げる。

 それから少しだけ口の端を歪めて笑うと、小さく肩を竦めてみせた。


「そいつは自分で聞くんだな」


 何かあったことは否定しないのか。

 まあ、こんなところに身なりのいい女の子がいる時点で訳アリなのは確かだろうけど。

 僕は立ち上がり、少しだけリーシャに歩み寄ってみる。

 こちらへの警戒が強まった。

 彼女が逃げ出してしまう限界点を見極めるように、僕はゆっくりと歩を進めていく。

 やがて重心が踵に寄り、今にも後ずさりしそうになった段階で足を止め、その場に胡坐をかいて座った。


「やあ」


 ただ短くそう言った僕に、ずっと気を張って警戒していたリーシャは拍子抜けといった様子で目を丸くした。

 そして、今にも逃げ出そうと横を向いていた体がゆっくりと正面を向く。


「少し座って話をしようよ。目の前まで来てくれると僕は嬉しいけど、君の心の準備ができてなければそこでもいいよ」

「わ、私……お話し、苦手」


 ふむ、苦手ときたか。

 その言葉に、僕は笑顔で答える。


「それじゃあ僕の話を聞いてよ。本当は誰かに聞いてほしかったけど、僕、友達いなかったから話し相手がいなくて」

「くくっ、その性格じゃなあ」


 茶々を入れてくるガイズを睨みつけ「黙ってろ!」と口の動きだけで伝える。

 そんなやり取りを見ていたリーシャは少しだけ表情を和らげ、その場にぺたんと座り込んだ。


「……聞く、だけなら、いい」

「よかった、ありがとう」


 僕は話し始める。

 両親に捨てられ孤児院で育てられたこと、必死に勉強して魔導学園の特待生に選ばれたものの書類を送る直前に襲われて入学できなかったこと。

 そして、一年間眠り続けてつい先日目が覚めたこと。

 リーシャが身を乗り出して反応したのは孤児の部分。

 もしやと思い彼女の左手首を観察すると、さっきできたものとは別の古い爪痕がいくつか見えた。

 爪を噛む、髪を抜く、爪を立てるなど、幼少期の自傷行為は強い自己否定が原因であることが多い。

 そして片言のノルティア語と、先ほどのガイズの『やつらは基本森に引きこもってる』という言葉を思い出す。


 推測。

 リーシャはそう遠くない過去、エルフが住んでいる森を追われた。

 文化が異なる可能性があるので詳しい理由までは分からないけど、恐らくリーシャ自身に非はないのに集団から否定されるような何かがあってだ。

 それもこんな小さな子となれば、かなり根深く残っている迷信のようなものが原因の可能性が高い。

 海に沈められる以前、丙午の年に生まれたからということを自分が結婚できない理由に結びつけていた女の客を思い出した。

 占いにしろ迷信にしろ、何の根拠も無くても大多数の人間が信じていればそれが真実であるかのように思えてしまうということだ。

 彼女からはある程度金を巻き上げた後、自分を『丙午の女』にしているのは他でもない自分自身の思い込みが原因だと告げた。

 ついでに引き出していた周囲の男の情報から、脈のありそうな相手を選んで運命の相手と教えてやったら、翌年の正月に結婚しましたと書かれた写真付きの年賀状が届いたっけ。

 結局、迷信や思い込みなんてその程度のものだ。

 エルフは頭のいい種族だと思ってたけど、それは元の世界のイメージでしかないんだろうか。


「……ロジー、は」

「うん?」


 それまで黙って聞いているだけだったリーシャが口を開く。


「これから、どう、するの?」


 リーシャは再び身を乗り出してくる。

 そんなことを繰り返していたからか、僕と彼女の距離はいつの間にか大きく縮まっていた。


「ロジー、悪くないのに、たくさん、酷いこと、されて……」

「ああ、そういうことね」


 自分の境遇と重ねているんだろう。

 そして、暗に自分がこれからどうするべきか聞いている。

 だったら僕が答えるべきは、こうだ。


「僕は学園へ行くよ、お金を貯めてね」

「どう、して……?」

「僕はなるべくラクに生きたい。死ぬまで汗水垂らして働くなんて絶対に嫌だ」


 とんだダメ人間である。


「ただ、生きるためにはお金が必要だ。だからラクして稼ぐためにいろんなことを知らなきゃいけない。そして、いろんなことを知るには学校に行くのが一番手っ取り早い。とまあ、こんなところかな?」


 ふと後ろを向くとガイズが頭を抱え、アルベスさんが苦い顔をしていた。

 純粋な子供に何を吹き込んでるんだといった様子だ。

 ただ、何も言ってこないのは、どんなものであれリーシャにも未来を生きる意味が必要だと考えているからだろう。

 はいはい、分かったよ。


「そういうわけで、僕は僕の目的のためにこれからリーシャを頼るからね。その代わり、リーシャにもやりたいことが見つかったら、僕を頼ってくれていい」

「私、に?」

「そう、君にだ。だって君は僕のバディで、僕の先輩らしいからね。これからよろしく」


 そう言って手を差し出すと、リーシャは僕と手を交互に見て、それからおずおずと手を伸ばした。

 これでいい? と背後を確認すると、ガイズもアルベスさんも満足げな顔で頷いていた。

 とりあえず、これでようやく仕事を始められるというわけだ。

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