【第2回】天才詐欺師は今世の自分の秘密を暴く


   第一章



 自分の根底が揺さぶられるような奇妙な感覚に、意識が急速に覚醒へと向かう。

 地震かと思ったけどそうじゃない。

 揺れているのは体じゃなくて心の方、なんとなくそんな感じがした。


「うわ、眩し……」


 上体を起こすと日差しが直接顔に当たった。

 寝起きの頭には刺激が強すぎて慌てて目元を手で覆う。

 その手が顔に触れた瞬間、眠気を吹き飛ばすような強烈な違和感が脳を揺さぶった。


「……んっ」


 確かに自分の顔に触れている感触がある。

 そのはずなのに、手のひらにある全てがまるで別人のような感覚だ。

 髪の毛の質感、肌触り、顔の大きさ、輪郭、眉毛の太さ、まつ毛の長さ、目元の形、鼻の高さ、唇の厚さ、その他もろもろ。

 どれを取っても自分の記憶にあるものではなかった。

 誰だって自分の顔の形なんて意識して覚えない。

 それでも、顔を洗ったり、目にかかる前髪を払ったり、少なくとも一日に十数回は顔に触れる機会がある。

 たとえば顔にできたニキビに触れた瞬間違和感として認識できるのは、本来そこに何もないことを無意識のうちに覚えているからだ。

 そしてよく見てみればこの手もそう。

 指の長さや爪の形、筋の太さなんて全くの別物。そもそも手のひらの大きさがまるで違う。


「あー、あー。声も高い」


 最後に股間をまさぐる。

 うん、ある。


「変声期前、十歳前後の男子ってところ……うん?」


 右手をベッドについて気づく。


「……なんでここに」


 手に取ってみれば、見覚えのあるタロットカードが二十二枚。

 ステンレス製トランプのような手触りで、先ほど僕が引いた時と同様に一枚一枚が奇妙な存在感を放っている。

 この少年の持ち物ってことはないだろうから、恐らくはマリーちゃんからの餞別と考えるのが自然だ。

 ……といっても、今は占いくらいにしか使えそうもないけど。


「さて」


 とりあえず自分の状態は把握した。

 なぜこうなっているかはマリーちゃんの一件と同じで考えても意味がないだろう。

 僕は意識を内から外に向ける。

 自分の現在地、木造の室内、個室、柱の位置や太さからして平屋建て。

 ベッドは木製、シーツは綿。

 落ちている髪の毛の本数からしてシーツや枕カバーを換えたのはつい最近。

 高級感はないが清潔で手入れが行き届いている。

 部屋にはおよそ私物と呼べるものがない。

 ベッド脇には空の花瓶と、一人が座って作業するのに十分なスペース。

 かすかに消毒液の匂いもするから病院だろうか。

 窓枠は木製、ガラスは透明度の低い粗悪品。

 外の景色は生い茂る木々と快晴の空模様、空の青さからして大気汚染はかなり少なそうだ。

 推測、ここは郊外の自然豊かな土地にある貧しい病院。

 僕は十歳前後の少年で何らかの理由があってここに入院中。目立った外傷や痛みは無いから原因は不明。

 このお粗末な設備で長期入院はありえないから、ここへ来たのはせいぜい三日か四日前といったところ。

 花瓶が空なのはお見舞いにくる身内がいないか、あるいは入院することになった直接的な原因に繋がっているかだ。

 まずはこんなところかな。

 ひとまず部屋を出て、騒ぎにならない程度に情報を集めてみよう。

 掛け布団を引きはがしベッドから降りる。

 ひんやりした板張りの床が気持ちよかった。


「ロジーくーん、入りますねー」


 そんな声が聞こえたのは僕がちょうどドアの目の前に立った直後。

 若い女性の特徴的な声の調子に、しまったと思った時には既にドアが開かれた後だった。


「あ」


 と声を漏らしたのはどちらだったか。

 僕は引きつった笑み、エプロン姿の長身のお姉さんはドアを開けたまま茫然自失。

 そう、このお姉さんは病室に声をかけこそしたが中からの返事を期待してのものじゃなかった。

 たとえ意識不明でもプライバシーを尊重して部屋に入る時には声をかける、そんな配慮からの行動だ。

 とすれば今の状況は単純明解。

 目覚めるはずのない少年が目覚めた、ということ。


「えっと、お、おはよう……ございます?」


 僕だって読み違えることはある。

 とはいえ、ベッドの近くにスリッパなんかの履物が無い時点でもう少し様子を見ることはできただろう。


「う、嘘、でしょ……?」


 まさに幽霊にでも出会ったかのように、お姉さんは途切れ途切れにつぶやいた。


       ◆◆◆


 ロジー、というのが僕の名前(正確にはこの少年だけど)らしい。

 恐らくローゼス、ロズウェルなんかを縮めてロジーと呼んでいるんだろう。

 その名前に心当たりはない。

 窒息死する以前の記憶はほとんど思い出すことができる。

 ただ、このロジーという少年については思い出すどころか何も分からない。

 とはいえ、僕がロジーになってしまったのは今の状況でなんとなく理解できる。

 だとすると、これまで十年ちょっと生きてきたはずのロジーはどこへ行ったのか。

 現代科学で言えば記憶は脳が保管している。

 だからここにロジーの脳がある以上、記憶も残っているはず……なんて理屈は恐らく通用しないだろう。

 少なくとも一度窒息死した人間が見ず知らずの少年になっている時点で、科学だなんだという常識からは既に外れている。

 ただ一つ確実なのはマリーちゃんが何かしたということだけ。

 あの時渡されたカードは逆位置の『死神』だった。

 意味は再生、生まれ変わり、リセット。

 カードの意味に沿った処遇が与えられるという話だったけど、それがこの状況なんだろうか。

 僕が正位置の『死神』を選ぶことで自身の人生を終わらせ、彼女が逆位置の『死神』を告げることで僕の人生をやり直させる。

 あまりにできすぎた話だ。

 それこそ最初からそう仕組まれていたみたいに。

 単なるこじつけかもしれない。

 でも、全否定できないくらいには現状を示しているように思う。

 生まれ変わり、転生……か。

 とんでもないことになったな、まったく。


 と、それはひとまずおいておこう。今はこの状況をどうするかだ。

 目覚めるはずのない人間が目覚めるというのは思ったよりもめんどくさい。

 これが単なる事故によるものならいいんだ、奇跡が起こったで済ませることができる。

 厄介なのは何らかの謀略や口封じに起因する場合。

 もしそうだった場合、僕が目覚めたと知った誰かは再び僕を狙いに来るだろう。

 ロジーという少年の記憶は一切無いと言っても信じてもらえるはずがない。

 つまり、誰が敵で誰が味方かも分からない状態で、襲撃者に怯える日々を過ごさなくてはならなくなる。

 生前ならともかく、お金もコネもない十歳そこらの少年の状態でだ。

 ……現実的じゃない。

 となればやるべきことは決まった。

 子供の姿だろうとできるはず――いや、〝ロジーが目覚める〟というありえないことが起こった今だからこそできることがある。


「驚かせちゃってごめん。少し話がしたいんだけど……いい?」

「は、はい……?」


 まだ茫然としているお姉さんの両手を引き部屋に招き入れる。

 一瞬だけ廊下に顔を出し、この状況を見た人間が他にいないか確認しておく。


「……あの、本当に、ロジーくん、なの?」


 一瞬だけ目が合うと、お姉さんは慌てたように下を向く。

 患者と看護師の関係じゃない、お姉さんはロジーを知っている。

 少し揺さぶってみよう。


「うん。体はロジーのものだよ、でも心は違う」

「え、それって……どういう」

「ロジーは今も目覚められない状態にある。もちろん、お姉さんも知ってる理由でね」


 理由、という単語に反応してまばたきが三回。

 やっぱりだ、その状況を思い返している。


「わ、私は……!」

「お姉さんは?」

「っ」


 お姉さんは視線を泳がせながら唇を噛む。


「怯えなくたっていいよ。僕がこうしてお姉さんと話しているのは、お姉さんがどうしてロジーに罪悪感を抱いているかを知りたいからなんだ」

「なんでそれを――」

「知ってるのかって? お姉さんのことなら色々知ってるよ。ここでの仕事は主に掃除と洗濯。別の場所でも働いてるみたいだね、パン屋かな。下の兄弟たちを養うために働いていて両親はいない。家の経済状態はそこまでよくない。それが理由かロジーが理由か、最近強いストレスに晒されてる。そのせいで昨日もあんまり眠れなかったみたいだ」


 考える暇を与えないように喋っているとお姉さんの顔が真っ青になっていた。

 水が原因の手荒れ、エプロンについた小麦粉とパンの匂い、ダブルワークの理由、血色の悪い肌、ボロボロの靴、ほつれたスカートの裾、親指の爪に新しい噛み痕、目の充血。

 手を握るときに少し近づいただけでもこの程度の情報は読み取れる。

 ある意味インチキ占い師の必須スキルだ。

 ただ、どことなく安堵の表情が見える。

 なるほど、こっちが急所か。


「それと、弓の名手だね。罪悪感の理由はこれかな? ロジーを狙ったとか」

「ち、違っ、違うの! 私じゃ――」


 慌てて口を押さえるお姉さん。


「……こんなはずじゃなかった、そう言いたそうな顔だね」


 そう言って微笑みかけると悲しそうな表情を浮かべる。

 そのブラウンの瞳を正面から見据えていると、お姉さんは諦めたように目を伏せた。


「あなた、本当にロジーくんじゃないみたいね」

「そうだよ、だってロジーは目覚めないんだから」


 この一言がトドメになったのか。

 お姉さんは長い溜息を吐くと、ベッド脇のイスに腰かけ静かに天井を仰いだ。


       ◆◆◆


「……それで、聞きたいことは何?」


 お姉さんが口を開くまで待つこと十分。

 声にはまるで覇気が無く、観念したといった様子だ。


「じゃあ、まずはロジーがこうなった原因に君がどう関わってるか教えて?」


 長い溜息の後、お姉さんは視線を窓の外へ向ける。


「王立ロメリア魔導学園の入学試験……は知ってるよね」


 ……うん?


「私の弟、パイクっていうんだけど、弟は当時十二歳にしては剣も魔導具の扱いもすごかった。もちろん身内びいきっていうのもあるけど、特待生枠に入れるって私信じてた」


 あー、うん。

 ちょっと待ってほしい。

 情報の濁流に脳の処理が追い付かない。

 王立? ロメリア? 魔導学園? 剣……は分かるとして、え、魔導具?

 立ち眩みを起こしそうになる体を無理やり支え、苦し紛れに腕を組んで壁に背中を預ける。


「うちはお金が無かったから弟たちを学校に行かせてあげられる余裕が無かった。でも、特待生になれればお金なんて無くても教育を受けさせてあげられる。卒業さえできれば将来は安泰、こんな村の出でも騎士にだってなれる。そう思って弟を……ねえ、聞いてる?」

「んぁ、あ、ああ。聞いてるよ。弟さんは難なく合格したけど特待生枠には入れなかった。そっちは補欠だったんだね」

「……本当にどうなってるんだろ。その話、家族以外の村の人は知らないはずなのに」


『特待生枠に入れるって私信じてた』という言い回しは、合格はしているけど特待生枠には入れなかった場合にしか使わない。

 過去形というのは一種の諦め、つまり否定を表す形でもある。

 今回は合格については否定していない。合格すらできなかったのなら、お姉さんの言葉は『合格できると信じてた』になるはずだ。

 そしてその後のお金の話は『もう少しでそこに届いたのに』という特待生枠に対する未練。

 この時点で特待生になれなかったのは確定、さらに言えば『補欠』という意味合いも見えてくる。

 お姉さんが何らかの理由でロジーに罪悪感を抱いていることとも照らし合わせると、パイクくんとやらが補欠になった原因の一端はロジーにあるのだろう。

 なんとなく話が見えてきたな。

 呆れたように笑うお姉さんに続きを促す。


「そう、あなたの言う通り、弟は特待生が辞退した場合の補欠だった。当然普通に入学しても学費が払えないからって、入学を辞退しようとしてたんだけど――」

「特待生枠の合格者、つまりロジーを襲撃しようって話が舞い込んできた?」

「……私、説明する必要ある?」

「もちろん。もう割り込まないから、続けて?」

「……特待生の補欠は何人もいるから、もしロジーくんが辞退したとしてもパイクが選ばれるとは限らないのにね」

「それでも、僅かでも可能性があるならと誘いに乗った」

「そういうこと」


 どこか懐かしむように、そして積年の後悔を打ち明けるように、様々な感情の渦巻く瞳で僕を見ていた。


「私、どうしてもパイクを学校に入れてあげたくて……っ!」


 話しながら当時の自責の念が溢れてきたのか、お姉さんの頬を一筋の涙が伝う。

いい感じに心を開いてきた。

 もう一押ししたら仕掛けてみよう。


「落ち着いて。泣いてもいいから、少しずつ続きを話してくれる?」


 お姉さんの前に跪いてそっと手を握り、優しく親指を撫でる。

 ……この姿でやると背伸びした子供みたいであんまり決まらないな。

 微笑ましい感じになってる気がする。


「ひくっ……だから私、話を持ち掛けてきた人に、射抜いた相手を一週間眠らせられる魔法の矢をもらったの。それで、期限の一週間前に書類を送ろうとしてるロジーくんを狙って……」

「ところが、ロジーは一週間経っても目を覚まさなかった」

「本当にごめんなさい……! 私は本当に! ただパイクのために特待生枠が欲しかっただけで、ロジーくんが一年間も眠ったままになるなんて望んでなかった!」


 なるほど。

 私じゃない、と言おうとしていたのも納得だ。

 それに、手入れの行き届いたベッド周りと空の花瓶、その理由が分かった。

 しかし一年か、これは相当な後悔だ。

 立ち上がり、泣きじゃくるお姉さんを正面から抱きしめる。

 長身だけどかなり細身だ、栄養状態があまり良くない。


「だからロジーの世話をしてたんだね。ほとんど毎日シーツを換えて、いつ目を覚ましてもいいようにマッサージとストレッチを続けて。花瓶に花を飾らなかったのは、後悔からかな」

「あ、いや、体については回復魔法で……」

「回復……えっ」

「えっ? あの、回復魔法よ。マッサージじゃなくて」

「……」


 僕はこうして〝仕事〟をするとき、どんな展開にも動じない自信があった。

 ただし、それはあくまで今までの常識の延長線上にあるもの限定だ。

 ここの常識に対する耐性はない。

 少なくとも〝射抜いた相手を一週間眠らせる魔法の矢〟とやらまでは耐えた。

〝そういうもの〟として無理やり納得させていただけで、正直あそこがギリギリだったけど。


「あ、その……ごめん」


 抱き着いたままなのもアレなのでお姉さんから離れる。

 ひとまず向かい合ってみると、お互いに気まずそうな顔をしていた。


「……あっははっ」


 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたままお姉さんが笑う。

 気づけば僕もつられるように笑っていた。

 もしかして、マリーちゃんは僕にこういうことをさせたかったのかな。

 だったら大成功だよ、事は君の思惑通りに進んでる。


「ありがとね、ロジーくん。私に謝るチャンスをくれて」


 トラウマに限らず、胸につっかえた不快感を取り除く特効薬は誰かにそれを打ち明けることだ。

 今回は図らずもカウンセリングみたいになってしまった。

 まあ、お姉さんは嬉しそうだし、結果オーライということで――

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