第19話:身体の調子を確かめよう

 色々と初めてを経験して迎えた翌朝。今まで以上に眩しい陽射しで目を開けていることが出来ない。壁にかけられている時計を見ると時刻はすでに正午を回っていた。完全に寝過ごしてしまった。


 だがそれは無理もない話。アスタの吸血衝動はエルスの血を飲むことで収まったが、反面エルスの欲求が爆発してしまったのだ。その結果一晩中色々されたのだが、それは思い出すだけでも恥ずかしい。


「ふぁ……あっ……あら、アスタ君。もう起きたの?」


 アスタが思い出して赤面していることなどどこ吹く風か。エルスは布団の中で頬杖をついて柔和な笑みを浮かべていた。穢れのない白雪のような首筋にくっきりと残る噛み痕。それ以外に胸元や鎖骨にもアスタが付けた痕跡がある。


「フフッ。おはよう、アスタ君。昨日はとても……よかったわよ」


 散々耳元で聞かされた脳髄を蕩かすエルスの声。ただそれだけでもうアスタの身体はぽぉと熱くなって身体が硬直する。そんな幼気な少年勇者の首に腕を回して啄ばむようなキスをする魔王様。


「フフッ。昨日はとてもありがとう。可愛くて、でも一生懸命で……とても気持ちよくて幸せだったわ」

「あぅ……エルスさんの馬鹿。意地悪。ケダモノ」


 離れ際にたらりと透明な糸が零れる。それを愛おしそうにぺろりと舌で舐め取りながらエルスが昨日の情事の感想をあえて伝えた。真っ赤な顔で照れるアスタの顔を見たいがためにわざと言ったのだ。


「あら、失礼な言い草に。アスタ君こそ獣のように腰を―――」

「それ以上は止めて下さい!! 恥ずかしくて死んじゃいます!!」


 耳をふさいでベッドから飛び降りるアスタを止めようとしたが間に合わなかった。なぜ止めようとしかと言えば、それは彼の今の状態だ。


「アスタ君、ベッドから出るのはいいけど服は着ないとダメよ? 風邪ひくわよ?」

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーー!!」


 少年の絶叫が静かな平和な森に響き渡る。涙目になりながらベッドに戻るアスタとくすくすと笑うエルス。


 この幸福な時間に終わりを告げたのは陽が完全に沈んでから。この日は月が見えない新月。吸血鬼にとって力が弱まる日であった。



 *****



 アスタが吸血鬼になってから、これまで毎日欠かさず行っていた鍛錬は一時的に中断していた。その理由はエルスの能力が弱体化しているためだ。


「アスタ君を生き返らせるために大量の血と魔力―――厳密にいえば生命力を送り込んだの。そのせいで一時的に力が落ちているの。アスタ君と鍛錬をするのは問題ないけれど、この間みたいな襲撃がいつあるかわからない以上、油断はできない」


 遅めの昼食を食べながらエルスはそう説明した。本来、吸血鬼が自分の眷属を増やし為に血を送る程度では弱体化が起きることはない。だが今回のように死んだ者を生き返らせるのは神にのみ許された特権行為。エルスの行為はそれを越権するものであるため大量の魔力と生命力を失うこととなった。


「まぁこの状態でようやく四大魔王と同等、と言ったところかしら。この前みたいな奴等なら十分相手に出来るから安心してね」


 そう言われて、アスタは苦い顔を浮かべた。自分が不用意に飛び込んだせいでエルスに余計な力を使わせたばかりか現在進行形で気を遣わせている。そんな自分がすごく情けなくて嫌だった。だから―――


「エルスさん。もしまた敵が来たら……僕も一緒に戦います。あなただけを戦わせたりしません」


 魔王エーデルワイスとともに戦うということはすなわち人族と敵対する道を選ぶということに他ならない。いつの日か、エルスが言うように彼女を殺して真祖の力を得たとしても、彼らと生きていくことはできなくなる。だがそれでも。アスタは魔王を護りたいと思った。それが自分を生き返らせてくれたことへの最低限の恩返しだ。


「もう……君って子は……イイ男過ぎて困っちゃうわ。私以外にそう言うこと言ったらだめよ? みんなあなたに惚れてしまうから」


 明後日の方向を向いてパタパタと手で顔を仰ぐエルス。ほんのり紅が挿しているようにみえたがそれは窓から差し込む日差しのせいか。


「エルスさん、食べ終わったので少し剣を振ってきますね。じっとしているとどうも落ち着かなくて……」


 すでに人ではなくなったアスタだが、その影響を昨夜の吸血衝動以外は把握していない。エルスを護ると宣言した以上、自分の身体をちゃんと知っておく必要がある。それに、魔族となった自分を聖剣がまだ受け入れてくれるかどうかも確かめなければならない。


「わかったわ。なら私も一緒に行くわ。稽古は付けられないけれど傍で見ていてあげるね」


 それから食器を二人で片付けてからアスタは剣を担いで外に出た。陽射しは眩しかったけれど至って普通だ。吸血鬼の弱点の一つである太陽光だが、真祖であるエルスはもちろんのこと、彼女から大量の血と魔力、生命力を与えられたアスタもまた肉体的には彼女に近くなっているため、陽を浴びても身体が焼けるようなことはない。


「どう? 聖剣は応えてくれそう?」

「……わかりません。武典解放は使えるとは思うんですけど……」


 アスタは早速剣に魔力を込めてみた。彼の持つ聖剣【グラジオラス】は普段なら魔力を込めると白銀に輝き出すのだが、今その光はとても力弱く明滅している。これは恐らくアスタが人族ではなく魔族になったことが原因と考えられる。エルスの愛剣【メドラウト】が吸血鬼となったエルスが手にしたことで反転して魔剣となったのと同じ理屈だ。


「でも……身体は今までと比べ物にならないくらい動かせます。これなら【聖光纏いて闇を断つホーリールークスオーバーレイ】も少しは長く使えそうです」

「そうね。あまり使ってほしくないのは変わりないけど、吸血鬼としての再生能力があれば多少の無茶は効くはずよ」


 吸血鬼に限らず、魔族の強みとして再生能力がある。とりわけ吸血鬼はその力が高く、腕を落とされても心臓を貫かれても、頭さえ無事なら何度でも蘇る。故に、アスタが魔法を使って身体が傷ついたとしてもそれ当時に回復していく。


「だからと言ってむやみやたらに使ってはダメよ? まだ身体が出来上がっていないうちから回復を繰り返していたら成長に支障をきたすかもしれないから」

「……はい。わかりました……」


 素直に頷きながら、しかしアスタは心の中では唇を尖らせた。これで自由に魔法が使えるようになればエルスの力になれると思ったのにまだ制限がつくのか。そんなふて腐れた気持ちが態度に現れていたのだろう。そっと彼の頭をエルスは撫でた。


「時間をかけて、ゆっくり進んでいけばいいわ。アスタ君ならいずれカルムと同じ魔法も使えるようになるわよ。だから焦らずね?」

「……うん」


 その後。エルスに見守られながらアスタは身体を動かして汗を流した。今までもよりも力強く、今までよりも速く、剣を振ることが出来る。それがなんだか嬉しかった。そんな少年をエルスはただ笑顔でじっと見つめていた。


 陽が沈みだしたところで鍛錬を終え、汗でべとべとになった身体を流すために二人でお風呂に入った。身体を使って隅々まで洗われて、アスタもお返しに隅々まで洗ってあげた。柔らかくてすべすべしたエルスの身体に包まれながら湯船に浸かるのは心地よく、身体の疲れが抜けていくのがわかる。


 夕飯を食べて終えて、さぁ寝ましょうとベッドに潜りながら自然と唇を重ねようとしたとき、二人は侵入者の存在に気が付いた。


「……予想以上に早かったわね」


 魔王を倒しに本物の勇者たちが森の中へと入ってきた。

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