幕間:初夜と五人目の合流
フユヒコ達が魔王討伐の出立を前日に控えた夜。
アスタは異常な喉の渇きに目を覚ました。隣ではスヤスヤと可愛い寝息を立てるエルスの横顔があった。その頬にそっと触れてからベッドから降りて台所で水を飲む。
「はぁ……はぁ……あぁ……」
何杯飲んでも渇きが満たされることはない。心臓の鼓動が破裂しそうな勢いで猛烈に鼓動している。頭が割れそうだ。息が荒れる。目に激痛に走る。視界が赤く染まる。自分の身に起きていることがわからず恐怖が足元から這い上がってくる。
「アスタ君……そろそろ来る頃かと思っていたけれど……大丈夫?」
声がして、はっと振り返る。そこにいたのは新雪のような肌に毛布をまいたエルスがいた。その眦は心配げに垂れ下がり、唇を噛んでいた。
「エルスさん……喉が……喉が渇くんです……いくら水を飲んでもダメで……僕は一体……どうなってしまったんでしょうか?」
肩を掻き抱きながらアスタは震えながら声を絞り出した。そんな彼にエルスは毛布を掛けながらそっと抱きしめた。この世界にあるどんな物よりも柔らかい双乳に頭を包まれ、この世界にある何よりも温かい愛を一身に浴びても尚、アスタの震えは止まらない。
「大丈夫。大丈夫だからね、アスタ君。君の震えは吸血衝動。血を求めてしまう吸血鬼の本能。今はまだ理性があるけれどやがて失い血を求める化け物になる……」
「僕が……化け物……?」
アスタの震えが一層激しくなり、エルスがより強く抱きしめる。小さな背中を優しく撫でながらエルスは片膝をつき、こつんと彼の額におでこをぶつけた。
「私の血を吸って、アスタ君。そうすれば君のその震えも、恐怖も、どうしようもない渇きも収まるわ」
細くて白磁な首筋をアスタの口元に
吸血鬼の本能が囁く。エルスの血を吸えと。人間としての理性が訴える。血を吸ったら戻って来られなくなると。
「ごめんね、アスタ君。君をこんな風にさせてしまって。血を吸いたくないのはわかる。でも今は……私を殺すその日までは我慢して。そうしないと、君は本物の化け物になってしまう。そうなったら私は……あなたを殺さないといけなくなる。お願い、アスタ君。私に……あなたを殺させないで」
「エ……ルス……さん……」
アスタの頬にぽたりと雫が落ちる。この人の涙は見たくない。かぷっと果実を食すように彼女の首筋に噛みついた。じわりと滲み出てくる血が喉を潤す。それは豊潤で甘い蜜のような味がした。
「んぅ……んんっ……ふぁぁ……アスタ君……」
嬌声に近い艶めかしい声を耳元で上げながら、さらにぎゅっとエルスがアスタの頭を押さえつける。こくこくと喉を鳴らしながらアスタは真っ赤な果実水を飲んでいく。いくら水を口にしても収まらなかった渇きと飢えが急速に癒えていく。
「はぁぁ……んぅん……んあっ……たくさん、たくさん吸っていいからね? ねぇ……美味しい?」
「エルスさん……あぁ……エルス……さん……美味しいです……すごく、美味しいです……」
今まで飲んだどんな飲み物よりも。今まで食べたどんな食べ物よりも。エルスの血は美味だった。渇きだけではない、心までも幸せで満たしてくれる魅惑的な禁断の果実。
一体どれくらい彼女に噛みついていただろうか。何もかもが満たされた心地よい感覚を味わいながらエルスの柔肌に包まれていた。
「んっ……もう、落ち着いたかしら?」
「……はい。もう……大丈夫です」
「そう、ならよかったわ。初めての吸血にしてはとても上手だったわよ。私も……なんだか気持ちよかったわ」
エルスは頬に朱を挿しながら、よく出来ましたと微笑みなら頭を撫でて褒める。喜んでいいのかわからず、彼女以上に顔を真っ赤にして俯いた。
「でもね、アスタ君。ここで一つ問題が起きてしまったの。聞いてくれるかな?」
なんですか、そう尋ねる前にアスタの唇はエルスによって塞がれた。咄嗟のことで何が起きたかわからずパニックになる。そうこうしているうちに彼女の舌が口内に侵入してきて―――
「フフッ。私もなんだか興奮してきちゃったの。だから……アスタの君のこと、食べるわね?」
逃げないと。そう思ったが深い空色の瞳が抵抗の意思を奪い去る。それと同時に、アスタの中で急速に膨らむ一つの感情があった。それは今まで経験したことのないもので、目の前にいる妖艶な魔王を見ているだけで心臓が早鐘を打ち、呼吸が再び荒くなる。心無しか頬も熱を帯びてきて、下半身にはち切れそうな痛みが走る。思わず腰を抱く手に力を入れて密着してか細い声で呟いた。
「……エ、エルスさん……はぁ……僕……また……変になっちゃいました……怖いです、エルスさん……助けて下さい……」
戸惑い、瞳に涙をためて消え入りそうな声で訴えるアスタの姿を見て、魔王の理性は一瞬にして吹き飛んだ。
「安心して、アスタ君。怖がらなくて大丈夫。私が……治してあげるからね」
決戦前夜。夜空に浮かぶ月や星に見守られながら。二人の吸血鬼の甘い甘い初夜が更けていく。
*****
魔王討伐出立の当日。フユヒコ達は未だ王城に留まっていた。本来ならば朝から出立したかったのだがノーゼンガズラが依頼すると言っていた魔法使いの到着が遅れに遅れていた。
そして陽が沈みかけ、間もなく闇が世界を覆う頃になってようやく五人目が到着した。
「遅れて申し訳ございませんでした。なにぶん急な要請だったものですから準備に手間取ってしまいました」
文句の一つや二つでも言ってやらないと気が済まない。そう思っていたフユヒコだったが、顔を見るや振り上げた拳を所在なさげに下ろすこととなる。
「皆さん、初めまして。マリーゴールドと申します。ノーゼンガズラ王より魔王討伐協力の要請を受けて馳せ参じました」
黒紫の長髪を
ノーゼンガズラの知己ということで年老いた人物を想像していたが、まさかうら若き乙女が来るとは思っていなかったフユヒコとゲンティウスは少し面食らい、幼少組のライとスイレンは羨望の眼差しを送っていた。
「こちらこそ、初めまして。マリーゴールドさん。俺の名前はフユヒコ・サトウ。このメンバーの一応リーダーをしている。短い間だけど、よろしく頼むぞ」
彼の差し出した手を握り返しながら、マリーゴールドはにこやかに微笑む。
「フフフ。貴方のことはノーゼンガズラ王から聞いております。異世界からやって来た召喚勇者でとてもお強いと。それにあの
「……その話、あんた一体どこで聞いた?」
「あら、ノーゼンガズラ様か聞いていませんか? 私も例の計画に浅からず携わっているんですよ?」
そう言うことか、とフユヒコは納得した。計画自体は極秘裏に進められており、携わっている人数も少ない。だからと言って被験者であるフユヒコがどんな人間が関わっているか全てを把握しているわけではない。それはゲンティウスも同様だ。恐らくすべてを知っているのは国王のみ。
「もちろん、貴方以外のことも聞いていますよ。そちらにいらっしゃるゲンティウスさんは元騎士団長。歴代最強との呼び声も高く、その一撃は幻想種である竜をも断つとか。頼もしい限りですわ」
フフフと雅に笑うマリーゴールドに不思議と毒気を抜かれる二人。それから彼女はライとスイレンに目線を合わせるようにひざを折った。
「君たちのことも聞いていますよ。爆円の勇者のライラック君と癒しの勇者のスレインちゃん。まだ子供なのにとても心が強くて、魔王に殺されたお友達の仇を討つために参加したんですってね? お友達のためにも、必ず成し遂げましょうね。お姉さんも頑張るわ」
ポンと二人の頭に手を乗せて優しく撫でる。その姿はまるで絵画から飛び出して来た聖母のようで、当人達だけでなくそれを見ているだけで心が温かくなってくる慈愛に満ちた一幕だ。それこそこの瞬間を絵に描き残しておきたくなる程だ。ライとスイレンは頬を赤らめながらコクリと頷いた。
「そろそろ行くぞ。ここから魔王が住む【常闇の大森林】まで馬を走らせても五日はかかる。時間を与えずに攻め込むことが今回の討伐には重要だ。それにマリーゴールド殿の魔法も確認しなければ戦術の組みようがない」
ゲンティウスは四人を急かすように言った。如何にマリーゴールドが優れた魔法の使い手と言われても、それを自分の目で見たわけではない以上安心して背中を預けることはできない。
魔王の気が緩んでいる隙に攻め込みたいが、最低限の連携も決めなければならない。故に悠長にしている時間はない、と言うのが元騎士団長の考えだ。
しかしマリーゴールドは何が可笑しいのかクスクスと嗤う。
「安心してください、ゲンティウスさん。ノーゼンガズラ王が言っておられませんでしたか? 私のことを千篇の魔法使いだと。【常闇の大森林】にいる魔王の下へは馬を使わずとも転移の魔法を使えば一瞬で向かえますので」
「転移の魔法だと!? それはとうに失われた規格外の魔法だぞ!? あなたはそれが使えるというのか!?」
「えぇ。それが私の魔法【
彼女は自身の魔法の能力について話し、実際に
「転移の魔法だけでなくたった一つの魔法で様々な種類の魔法を使うことが出来るとは…‥まさしく規格外。最強の魔法使いと呼ぶにふさわしい。疑うようなことを言ってしまい、申し訳ございませんでした、マリーゴールド殿」
「いいえ、気にすることはありませんわ。ゲンティウスさんからすれば私は小娘同然。お疑いになるのも当然です。ですがこれで後顧の憂いなく、魔王討伐に向かえますね、勇者フユヒコ様?」
マリーゴールドは笑みを絶やすことなく首を傾げながら、リーダーであるフユヒコに尋ねる。彼は元騎士団長と顔を見合わせてから頷いた。
「あぁ。あんたのその規格外の魔法があれば最古の魔王だろうと四大魔王だろうと関係なくぶっ倒すことが出来そうだ。頼りにしてるぜ、マリーゴールドさん」
「マリーと。私のことはどうぞマリーとお呼びください。勇敢なる勇者の皆さま」
再び優雅にお辞儀をする稀代の魔法使い。彼女の淑女のような態度と圧倒的な実力を目の当たりにして、四人は彼女を仲間と認めていた。そればかりか魔王エーデルワイスに勝って気にさえなっていた。
その口元が三日月に歪んでいることに気付く者はいなかった。
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