第15話:魔王は語る

 夢を見ていた。それはいつか見た夢の続き。


 場所は見覚えのある【常闇の大森林】で、エルスと暮らしていた家がある拓けた場所。


 そこで白銀の髪を後ろでまとめ上げた偉丈夫の騎士が、月明かりを思わせる金髪の美女に向けて切っ先を向けていた。


「カルム……これでもう何度目? いい加減に諦めたら? あなたじゃ私には勝てないと何度やれば理解するの?」

「うるさい! いつでも相手になると言ったのはお前だろう、魔王エーデルワイス! 今日こそはお前に一泡吹かせてやる!」


 倒すではなく一泡吹かせると言っている時点でこの男―――カルムと呼ばれた―――は何がしたいのだろう。やれやれと嘆息しながら黒赫の長剣を構えるエルスに対してにやりと笑みを浮かべるカルム。


 思い出した。このカルムという人は勇者で、以前見た夢の中でエルスと戦って惨敗した人。その時と比べて身に付けている鎧は傷だらけ。だがカルムの身体はさらに鍛えられており、背丈は変わっていないはずなのに一回り大きくなった印象だ。


「言っておくけど、何度やってもあなたの【聖光纏いて闇を断つホーリールークスオーバーレイ】では私には触れることはできないわよ?」

「あぁ……わかっているさ。お前を倒すにはそれじゃ駄目だってことはな……だから俺は……死に物狂いで新たな魔法を会得したァッ!!」


 カルムの身体から魔力が迸る。渦となり、そして嵐となり、大気を震わせ大地を揺らす。エルスは己の白磁の肌を焦がすような灼熱を感じながら、しかし心は昂っていた。無力透明だった魔力の乱気流が世界を照らす黄金を帯びる。


「行くぞ、覚悟しろ―――【星斂纏いて神魔滅するギャラクシアスオーバーレイ】!!」


 嵐が弾け、突風が吹き荒れる。エルスは思わず顔の前に手をやって風を避ける。世界が落ち着きを取り戻した時。そこに立っていたのはその身に星を纏う勇者の男。


 オールバックに固めていた銀髪が先の風圧で前に垂れている。放つ気配が強者のそれから絶対者の覇気へと変化している。その美しい輝きを前にしてエルスは感嘆の息を吐く。今のカルムの肉体は一時的だが神と同格へと引き上げられている。


「これが俺の新しい魔法切り札。お前を倒すために手に入れた、唯一無二の魔法だ」

「フフッ。えぇ……素晴らしいわ、カルム。まるで夜空に輝く満点の星を見ているような美しい魔法。人の身でありながら、よくその領域にたどり着いたわね」


 エルスは心からの称賛を拍手とともに送る。緊張感の欠片もないが、彼女はそうせずにはいられなかった。予想だにしていなかった反応にカルムは面食らいながらも被りを振って、改めて剣を構える。


「これなら少しは楽しめるかしらね。行くわよ―――【赫月真祖の覚醒リベレイションヴァーミリオン】」


 深紅の奔流。再び吹き荒れる旋風。だが黄金騎士は動じることなく。美麗なる黒赫魔王をその目でしっかりと見つめながら、ついに自分も彼女と同じ領域に立つことが出来たことに悦びに耽る。


「ようやく……ようやくだ。これであなたと対等に戦えるっ!」

「フフッ……さぁ、踊りましょう。二人きりの舞踏会の開演よ」


 黄金の勇者と黒赫の魔王が激突する。



 *****



「また……あの夢……でも前より鮮明で………男の人のあの魔法は一体―――うぅ……!」


 目を覚ましたアスタは左胸にズキリと走る痛みに呻く。見ていた夢のことを考えたかったのにそれどころではない激痛。ハァハァと胸を抑え、荒くなる呼吸を鎮めようとする。同時に何が起きたのかを思い出していく。


「そうだ……エルスさんをかばって僕は刺されたんだ……うぅ……でも、なんともない?」


 着ていた寝間着も変わりない。上着をたくし上げて身体を見てみても刺された傷跡は残っていない。ペタペタと触っていくと違和感を覚える場所が一つだけあった。


「これは……穴が二つ……? 噛み痕?」


 首筋についた傷は何かに噛まれたような跡。痛みはなく血も止まっているし痒みもない。ただ触れるとこの傷をつけた人の愛のようなものを感じる。その人はアスタのすぐ隣で顔を突っ伏してうずくまっている。寝るときは裸族を公言しているのに珍しく服―――最後に視た純黒のドレス―――を着ている。どうやらまだ寝ているようだ。


「エルスさん……」


 そっと撫でる。指からサラサラと零れ落ちる流砂のような金髪に触れているアスタの方が心地よくなってくる。起こさないように優しく何度も何度も手にとっては滑らせながら、この人を護れたことを嬉しく思う。


「でもどうして僕はエルスさんを護らないとって思ったんだろう……」


 呟き対する答えはない。倒すべきはずの魔王は珍しくスヤスヤと寝ている。いつものようにベッドに入って抱き枕のようにすればいいのに、と考えたところで大分彼女に毒されているなと苦笑い。


「んぅ……アスタ……くん?」

「おはようございます、エルスさん。もう朝ですよ?」


 眩しい陽光を浴びて、エルスがようやく意識を浮上させた。目をしばしばさせながら数秒ほどアスタのことを呆けた顔で眺めてから、何も言わずアスタのことを抱きしめた。


「よかった……また声聞けた……生きてる……生きてるよね、アスタ君……?」

「く、苦しいですよ……エルスさん。僕は生きてますよ。おかしなこと言わないでくださいよ」


 普段ならぎゅっと抱きしめたとしても息苦しさを感じないのだが、この時は違った。まるで一度失くした大切な宝石が見つかって喜ぶように、アスタが生きていることを心底喜び、安堵しているようで。その不思議な態度にアスタは戸惑いを覚える。


 エルスに訳を聞こうとしても駄々をこねる子供のようにイヤイヤと首を振るばかり。抱きしめる強さは少し緩まって息苦しさからは解放されたが、アスタは諦めて気の済むまで抱きしめられることにした。


「ごめんね……アスタ君……」


 数分後、そっと身体を離しながらエルスは謝罪を口にした。その顔に後悔とも懺悔ともとれる悲痛な表情を刻み、その目には涙があった。アスタは混乱するばかり。


「ねぇ……アスタ君。昨日の夜、何が起きたか覚えている?」

「え……? はい。ぼんやりとですが……エルスさんが掴まれて、危ないと思って庇って代わりに刺されたんですよね? でもその後すぐ治癒の魔法をかけてくれたから僕は生きているんですよね?」

「……違うの。違うのよ、アスタ君。君はね……一度死んだのよ」


 つぅと一筋の涙がエルスの頬を流れる。悲しげな声で伝えられた事実にアスタの理解が追い付かない。何故なら自分はこうして生きている。心臓もドクンドクンと脈打っている。


「あの時。あの男の剣は確実にアスタ君の心臓を貫いていた。即死だったの。私の魔法でも死んだ者は蘇らせることはできない。でもね。君を生き返らせる方法が一つだけ私にはある。それがその首筋の傷よ」

「……この噛み傷……?」

「それはね、アスタ君に私の血を送った時に着いた傷なの。君を生き返らせるには私の血を送り込むしかなかったの……」


 それが意味するところが何か。アスタには判然としなかった。そもそも魔王であるエルスの魔族としての種族をアスタは直接・・聞いてはいない。初めて見た夢の中で、黄金の勇者が口にしていたけれど。


「エルスさん……あなたは一体……何者なんですか?」


 震える声でアスタは問う。勇者である自分を生かし、鍛え、導いてくれる母であり、姉であり、聖母のような女性の正体を。エルスは瞑目し、深呼吸をしてから厳かに、改めて自己紹介をする。


「……現存する唯一の吸血鬼にして真祖の力を引き継いだ女王。それが私、最古の魔王エーデルワイス」

「吸血鬼……始祖……?」

「そしてアスタ君。死んでしまったあなたを生き返らせるため、私の血を与えたことであなたも吸血鬼になったのよ」


 悲痛と後悔が入り混じった声でエルスは話す。


「初めて会った時に言ったでしょう? 私のモノになりなさいって。これでアスタ君は名実ともに……私のモノよ」


 おどけたような笑顔を作るが、止めどなく溢れる涙がこの言葉が彼女の望んだ形ではないことを教えてくれる。


「今すぐには信じられないかもしれないし、信じたくないと思うわ。でもね、残念だけどこれは事実。そしてあなたに死んでほしくなかった私のわがまま……」


 どうしてこの人はずっと泣いているんだろう。


「あなたに死んでほしくなかったの。アスタ君からはね、とても懐かしい感じがしたの。もう随分前に出会って、何度も殺し合ったけど、私が唯一愛した人と同じ感じがね」


 泣き笑いに照れが混じり、ポツポツとエルスが遠い過去を懐かしみながら話す。アスタはそれをただじっと聴く。


「アスタ君が使った魔法、【聖光纏いて闇を断つホーリールークスオーバーレイ】はその人も使っていたから驚いた。それと同時に……もしかしたらと思ったの。あなたはあの人の生まれ変わりなんじゃないかってね」


「でも違った。アスタ君はアスタ君で、あの人の生まれ変わりじゃない。血の匂いで気付いたわ。もうほとんど薄まってしまったけれど、アスタ君はあの人の血を引く子孫だってことにね」


「フフッ。不思議よね。そうとわかったら君のことがとても可愛くて、愛しく思うようになってしまったの。大きくなったとても素敵な男性になるのはわかっているし、そうしたらまた恋をして……愛し合って……そして今度こそ……殺してもらうの」


 恋する乙女のような弾んだ声から一転して底冷えするような声でエルスは願いを述べる。そして、首を傾げながらさらなる事実を口にした。


「私はね、アスタ君。元々はあなたと同じ人間なのよ」

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