第14話:魔王の油断と初めての夜

 旭光を纏った三人の騎士のうち、まず動いたのは隊長以外の二人。エルスを挟み込むように散開して迫ってくる。しかしエルスは表情を変えず、手にしている黒赫こくかくの長剣に魔力を込める。


 彼女の愛剣の名は【メドラウト】。冥府で鍛えられた叛逆者の剣。元々はまだエルスが人間だった頃・・・・・・に生まれ育った祖国に伝わる聖剣だったが、魔王となってから手にしたことで属性が反転して黒と赤に刃が染め上がった。


「―――赫炎かくえんに焦がれなさい」


 指揮者がタクトを振るように優雅な動作で剣を払うと、その切っ先から怨嗟が具現化したかのような赫炎かくえんが騎士達の行く手を阻む。


 これは剣に内包されている記憶の一部を引き出しているに過ぎず、エルスにしてみれば単なる児戯であり【武典解放】などではない。だがエルスの膨大な魔力と【メドラウト】の魔剣としての性能の高さが合わさって放たれたこの赫炎に触れたが最後。耐魔力が低ければその身が灰となるまで燃え続けることだろう。


「――――――」


 しかしこの二人は臆することなく痛みに呻きを上げることもせず無言でその炎の中を突き進み、エルスに剣を向ける。それらをかいくぐるように大きく後方に飛び退く。抵抗しているがじりじりとその身を焦がす旭光の騎士達に憐れみの視線を向けるエルス。一人戦況を見つめる隊長らしき男は満足げに語り出す。


「この二人は能力値こそ上がった成功体だが、実験の過程で自我を失ってしまってね。身体が燃えようが手足を斬られようが、その命が尽きるまで敵を追い続ける亡者だよ」

「……どれだけ時間が経とうとも、人間の本質は変わらない。度し難いほどに醜悪で外道な生き物ね」


 高笑いをする隊長に対してエルスは吐き捨てるように言葉を返す。今の彼女は普段アスタに見せる優しい微笑みはなく、ただ汚物を見るように歪んでおり、正しく人に恐怖を与える魔王然とした。


「自我がないというのなら、せめて慈悲をかけましょう。苦しまずに……命を絶つ」


 わずかに腰を落とし、彼女に似合わぬ咆哮と共に跳ぶ。大地を揺るがすその踏み込みによる突撃は音速の壁を突き破る。エルスの膂力もさることながら、これを為すには足裏に集めた魔力を瞬間的に大量に放出することで爆発的な推進力を得る【魔力放出】と言う技だ。


 これは鬼ごっこの際にアスタが見せた、魔力による足場を作りそれを蹴って空中を移動するものと原理は同じ。足場のようにその場に固めるか噴射するかの違い。


「まずは―――一人目」


 尋常ならざる速度で左の騎士に接近し、無慈悲な処刑人の如く黒赫の長剣を振り下ろす。上質な白銀の鎧をその肉体ごとまるで撫でるように一切の抵抗なく斬り裂いた。鮮血をまき散らしながらずるりと崩れ落ちるからだには目もくれず、エルスは振り向きざまに剣を振りぬく。


「――――」


 鋼鉄同士が激突し、激しい金属音が静寂な森に響き渡る。右にいた騎士が旭光と赫炎の二つを身に纏いながら無言でエルスの背後に忍び寄っていた。ふぅと小さく息を吐き、再びエルスが動く。


 愚直に正面突撃。しかし何度も通用する手ではない。八相の構えから最小限の動作で剣を振り下ろす。勇者因子を身体に取り込み、さらに身体強化魔法を使っているのだろう―――旭光がその証拠―――が、それらを抜きにしてもこの判断力、反応速度、そして剣速は一流の領域に足を踏み入れている。内心で賛辞の言葉を述べながら、エルスは【魔力放出】によって高速旋回。無防備な背後を取り、必死の斬撃を刻みつける。


「――――」


 泣かず叫ばず、ただ静かに前のめりに倒れる騎士。これで二人。残すは腕を組み、依然として笑みを絶やさない隊長の男ただ一人。剣を払い、刃に着いた血を飛ばしながらエルスは悠然とした足取りで近づいていく。


「ふむ……さすがは最古にして最強の魔王。出来損ないとはいえ勇者因子を与えられた人造勇者二人をこうも容易く斬り伏せるとは。お見事」

「減らず口を……すぐにあなたも同じように―――と言いたいところだけどあなたにかける慈悲はない。色々聞きたいことがあるから簡単には殺さないわ」


 エルスの瀑布のような殺気を一身に浴びてなお、隊長の男は揺るがない。その胆力にアスタは感嘆すると同時に違和感を覚えた。何が彼をそうさせているのか。どうして自信満々の態度を崩さないのか。理由が絶対あるはずだ。アスタは窓から懸命にその要因を探す。


 ほんの一瞬。エルスが斬った二人の騎士の身体がピクリと動いた。


「―――まさか!?」


 アスタはベッドから飛び降りる。エルスのように一瞬で着替えることが出来ないので着の身着のまま―――エルスが用意してくれた手製の寝間着―――で玄関から飛び出した。


 魔王と騎士の距離は互いの間合い一歩手前。剣をだらりと構えているエルスに対し、騎士は腰の剣に触れてすらいない。だが彼は勝ち誇った笑みを浮かべて声高らかに謡う。


「我ら人族を見下す傲慢な態度。万死に値する。―――魔王を捉えよ!」

「―――!?」


 倒したと思った二人の騎士が息を吹き返してエルスにしがみつくように飛びついた。さすがのエルスも動揺こそしないが若干戸惑いつつその顔を見て、瞠目する。騎士たちの瞳に光はなく、そこに生気はない。つまり彼らは間違いなくエルスの【メドラウト】によって絶命している。それでもなお生前のように動き、万力で拘束してくるということはすなわち―――


「死霊の魔法……死して発動する下法の魔法か……この屑が」

「ふん。減らず口もそこまでだ。身動きの取れなくなった貴様など赤子の首を斬るのも同然よ。まずは心臓、そして首だ」


 隊長はシャラリと剣を抜く。エルスは抜け出すために振り解こうと抵抗を試みるが、二人がかりでがっちりと掴まれており全く動かすことが出来ない。だが焦りはない。話を聴けなくなるのは惜しいが、隊長もろとも魔法で消し飛ばせばいいだけのこと。


「死ね、魔王エーデルワイスゥゥゥゥゥッ――――――!」


 心臓に迫る白銀剣。エルスが冷静に魔法を発動しようとしたその時、


「エルスさぁぁぁぁぁぁぁぁん―――!!」


 聞き慣れた少年の叫びを聞きながら、蒼光が凶刃とエルスの前に割り込んだ。肉を貫く鈍い音。短躯に貫かれて鮮やかな赤色の血を舞い散り、エルスの白磁の頬を濡らす。生暖かい感触は生きている証。


「アスタ――――――!」


 力なく手足を垂らし、騎士隊長の剣にくし刺しにされたアスタ。


 エルスの絶叫が迸る。


「死人の分際でこれ以上私に触れるな! 【月光亡き真正の闇ルーナロア】」

 

 魔王の身体より出は純黒の闇。それは死をもたらす破滅の波動。エルスの意思一つで触れたものを消滅させることも、意識を奪う若しくは仮死状態に留めることも可能な魔法ではあるが、今回は違う。際限なく滅却する絶望の闇。


「―――クソッ!!」


 乱暴にアスタの身体から剣を抜き、大急ぎで退避する騎士隊長。だがエルスの灼眼は男の逃亡を許さない。


「―――死ね、雑種」

「そ、そんな―――馬鹿なあぁぁぁぁぁっ!!」


 汚い悲鳴を上げながら騎士隊長は黒き波動に飲み込まれ、影も形も残さずこの世界から文字通り消滅した。だがエルスにそんなことはどうでもよかった。自らの血で作った海に溺れているアスタに駆け寄り抱きしめる。


「アスタ君! アスタ君! 目を開けて! どうして飛び出して来たの!? 大人しくしててって言ったじゃない!」


 必死に叫ぶエルスの声に、しかし少年は反応しない。左胸にぽっかり空いた穴。止めどなく溢れてくる血。治癒の魔法、【陽光照らす慈愛の光エレオスルナムール】を施すことで穴は塞がり血も止まるが、アスタの目は閉じられたまま。もう彼の命が尽きているためだ。


「……このまま死ぬなんて赦さないわ。私の言いつけを破ったアスタ君には説教をしないと。でも、私のことは赦さないでいいからね」


 魔王エーデルワイスは涙を流しながら。勇者アスタの細い首筋に優しく噛みついた。



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