第13話:襲撃

 魔王エーデルワイスの元で暮らし始めてもうすぐ一か月が経とうとしていた。


 夜。夕食を食べ終えたアスタは湯船に一人湯船に浸かりながら、倒さないといけない、倒すと宣言した相手でありながら自分を鍛えてくれるエルスのことを考えていた。


 森での鬼ごっこと言う名の【裏切りに死罪を告げる獣ルプスカルミア】によって生み出された獣たちとの殺し合いは継続している。最初は十分に一匹の追加だったが五分、三分と日を追うごとに短くなっていき、今では一分に一匹追加されるので森の中はあっという間に修羅と化す。


 森での戦闘で傷だらけになった身体を癒すのもまたエルスの―――【陽光照らす慈愛の光エレオスルナムール】と言う名前―――魔法だ。太陽を浴びて大地に恵みをもたらし花が芽吹き咲き誇るように、身体から活力があふみなぎり、アスタの傷は一切の跡も残さず瞬時に癒える。


『死んでさえいなければこの魔法で癒すことはできるわ。四肢が欠損していようとも元通り。でも無茶をしたらダメよ? アスタ君ってばここ一番でいつも無茶をするんだから視ていていつもハラハラするわ』


 おどけて解説していたが、これは文字通り規格外の能力だ。治癒と言うよりも時間の逆行とも言えるこの魔法がある以上、決死の覚悟でエルスに傷を与えても瞬時に回復してしまう。彼女を倒すにはその身体を一撃で消滅させるほかない。それには魔法を使うしかない。


 魔法。


 それは人の身でありながら人の領域を超越し、神にのみ許された事象・現象をこの世界に再現させる幻想の御業。


 当然のことながら誰もが使えるわけではない。生まれ以って会得しているような先天的な超越者か、もしくは限られた一部の才ある者が修練の果てに会得する。魔法とはそういった類の極技である。


「それにしても。エルスさんは一体いくつ魔法を使えるんだろう」


 天井を仰ぎながらアスタはひとつ。


 その魔法というものを、かの魔王はアスタが把握しているだけで3つも所持している。


 1匹から666匹の闇の獣を生み出す【裏切りに死罪を告げる獣ルプスカルミア】。


 漆黒の天幕を形成し、あらゆる攻撃を無空の果てに消し飛ばす【黒転世界を統べる魔窟の城ロベリアレーグヌム】。


 死んでさえいなければどんな傷でも瞬時に癒す【陽光照らす慈愛の光エレオスルナムール】。


 そして、それ以外にも初めて彼女と戦った時にアスタの身を包んだ純黒の靄。意識を断ち切るあれもまた、おそらく彼女の魔法のはずだ。さらに―――


「魔法だけじゃなくて剣技でも手も足も出ないなんて……あの剣、絶対魔剣の類だろうし。となるときっと……間違いなく武典解放も使えるんだろうなぁ……」


 ため息をつきながらじゃぼんと顔を湯舟に突っ伏した。魔法で獣の軍勢を呼び出し、如何なる攻撃も無力化して傷を癒す。覚悟を決めて斬り掛かっても圧倒的な剣術の前に為すすべなく伏せられる。そんな最強の魔王相手にどうすれば勝てるのか、アスタは必死に考える。


「やっぱり倒すなら速攻しかない。【聖光纏いて闇を断つホーリールークスオーバーレイ】を使って接近して、超近距離で聖剣の力を叩き込む。そうすればいくらエルスさんでも倒せるはず……だよね?」


 戦闘が長引けば長引くほどアスタが不利になる。一時間も獣を生み出し続けても顔色一つ変えずに癒しの魔法を使えるエルスの魔力保有量はアスタよりはるかに上。恐らく規格外の能力値だろう。そんな彼女相手に長期戦を挑むのは下の下。開幕早々に大技を放って短期決着を目指すのが現状取れる唯一の手だ。そのために必要なことは地力を鍛えること。


『アスタ君。今の君に根本的に足りないのは基の能力値よ。身体強化を使っても、それこそ魔法を使った肉体変容でも、基になる力が低ければ大した上昇にはならない』


 アスタの基本能力値は確かに低い。特に筋力・耐久・敏捷の基本三種は近接戦闘を主とする割には物足りず、エルスも足元にも呼ばない。訓練の際、鍔迫り合いに持ち込んでもいつも押し切られるのはこれが原因だ。


『能力値を上げるためにはね。死線を潜り抜けるしかないの。死を感じ、命を感じ、そして生き残ることで進化する。だから今は辛いと思うけど、一つずつ乗り越えていけば必ず強くなれるわ』


 頭を撫でられながら言われたこの言葉を信じて進むしかない。倒すと宣言した魔王の言葉を信じるのも変な話だし、それを言い出したら勇者を鍛える魔王の時点で狂っている。


「いつか私を殺してね、か」


 この言葉が耳から離れない。魔王として悠久の時を生きてきた不死者が今更何故死を望むのか。世界を手中に収めることが出来るだけの力がありながら何故この森でひっそりと暮らしているのか。アスタはまだ魔王エーデルワイスのことを何も知らない。


 いつか話してくれる日が来るのだろうか。だが同時に怖くも思う。その話を聴いて自分は彼女を魔王としてたおすことが出来るのだろうか。剣筋が鈍ることはないだろうか。


 小さな棘を胸に残して、アスタは湯船から出る。自分が悩んでいる事なんて知らずに、エルスはきっとベッドで手ぐすね引いて待っている。



 *****



 アスタのことを抱きしめながら、心地良い眠りについていたエルスが目を覚ましたのはまだ月が支配している深夜帯。幸福を享受しながら快適な睡眠を妨げた存在にエルスの沸点は一瞬で臨界まで達していた。


「ん……んん……エルス……さん? どうしたんですかぁ?」


 起こさないように気を付けたのだが、アスタも起きてしまった。可愛らしくぱちくりとさせながら目をこすっている。くすりと笑いながらその頭を撫でながら今起きていることを端的に伝えた。


「敵が来たわ。しかも三人も。こんな夜更けに私達の愛の巣を訪問してくるなんて無粋な連中ね」

「敵? 三人? えっ? どういうことですか!?」


 がばっと布団を跳ね除けながらアスタが飛び起きる。


「タイミング的に考えて、おそらくアスア君の住んでいた国……サイネリア王国でしょうね。私が相手をしてくるからアスタ君はこのまま寝ていなさい」

「どうして!? 僕も行きます! 僕も一緒に戦います!」

「ダメよ。あの国ではきっとアスタ君は死んだことになっているはず。それが生きていて、私と一緒に暮らしていることが知られたら大変よ? だって君は勇者なんですから」


 悔しそうに顔を歪めるアスタをエルスはそっと抱きしめる。安心するように、自分は大丈夫だと伝えるように心を込める。


「すぐに終わらせてくるわ。私の力がどんなものか見せてあげる。アスタ君は大人しく、ここで応援していてね」

「……わかりました」


 まだ納得していなさそうな強情な少年勇者に苦笑いを浮かべる。ここで出ていけば自分と同じように・・・・・・・・裏切り者と罵声を浴びせられる辛い未来が待っているというのにしょうがない子。だがそれがまた可愛いと思うし、あの男によく似ている。


「もう。そんな顔しないの。私は大丈夫よ? なんて言っても最古の魔王なんですもの」


 言いながら、アスアのおでこに行ってきますのキスを落としてから、エルスは一瞬でいつも召している純黒のドレスに着替えて外に出た。一抹の不安を抱きながら、アスタはその背中を見送った。自分に出来ることは何もないのだろうか。自問自答するが答えは出ない。


「こんな夜更けに人の家を訪ねるなんて、非常識じゃないかしら?」


 玄関を出たエルスの視線の先に立つのは三つの銀。月光を浴びて煌めき輝くその鎧は一目で質の高いものだとわかる。


「魔王エーデルワイスだな? 貴様の首を獲りに来た」


 真ん中にいる騎士―――おそらく隊長―――が口を開いた。恐その言葉を聞いてエルスは眠り妨げられたことに対する怒りが吹き飛び呆れに変化して、思わず声を上げて嗤った。


「あなた達三人で私を殺すというのかしら? もしそれを冗談ではなく本気で言っているのなら―――愚かにもほどがある。身の程を知りなさい」


 ふわりとその手に黒赫こくかくの長剣を顕現させてその切っ先を三人に向ける。同時に魔力を身体から放出させて威嚇する。血のように赤黒い魔力の奔流がエルスを中心に巻き上がる。その様子を窓越しに見つめていたアスタはエルスが初めて見せる濃密な殺気に身体が震えていた。



「……さすがは最古の魔王。中々の魔力だ。だがこれなら―――勝てる」


 確信めいた口調で隊長が言った直後。三人の身体が太陽の思わせる旭光きょっこうに包まれる。アスタは驚愕して目を見開き、エルスはすぅと目を細めた。


「その魔力……あなた達、もしかして勇者か何かしら? 誰でもなれるものじゃないはずだけど、時代は変わったのかしら?」

「我らは人造勇者。魔王を倒すため、の純粋勇者の血を与えられ、覚醒した造られた勇者だ」


 騎士たちが抜剣ばっけんした。エルスは魔力による威嚇を止め、静かに地上に降り立った。彼女の纏う殺意の波動が一段階濃くなった。本気の怒りをアスタは感じた。


「お前達に勇者を名乗る資格はない。かかってきなさい、劣化品。最古の魔王の力をその身に刻み込んであげるわ」


 草木も眠る丑三つ時に最古の魔王エーデルワイスの灼眼が煌々と輝く。


 旭光の騎士達と黒赫の魔王が激突する。

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