第4話:魔王からの提案

 徐々に紅く発行していく宝石。このまま加護の魔法が発動するとアスタは確信していたが、紅玉が手では持っていられない程に燃えるように熱くなる。それはまるで小さな太陽のようで、アスタは思わず地面に落とした。


「―――アスタ君!」


 エーデルワイスは切迫した声を上げながらアスタを左手で掻き抱いて、空いた右手で紅玉を掴んで思い切り空高く投げ捨てる。そしてそのまま五指を開いてそっと呟く。


「【黒転世界を統べる魔窟の城ロベリアレーグヌム】」


 森全体を覆うほどの大規模な漆黒の天幕が一瞬で形成される。月も星も一切の光を通さない純黒の闇が世界を支配する。だが不思議なことにアスタの心に不安や焦燥はなく。むしろ力が湧いてくるような感覚すらあった。


 そして。静寂な暗黒世界を照らすような深紅の輝きは希望の光そのものであり、それを視たアスタは間違いなく加護の魔法だと確信した次の瞬間。


 臨界点に達した光が世界そのものを破壊するかのような大爆発を巻き起こした。その轟は地上にいるアスタ達にも届くほどの衝撃を齎した。


「対人……いいえ、この威力なら対軍魔法相当ね。この森そのものが吹き飛んでいたかもしれないくらいの威力と言ったところかしら。全く……ひどいものね」


 呆れたように呟くエーデルワイスに未だに抱きしめられたまま。しかしアスタは完全に言葉を失っていた。


 孤児だった自分に勇者因子があると告げられて厳しくて辛い鍛錬の必死にこなした日々。実力が認められて国王より国を、民を、人族を護ってほしいと願いを託された。王城様の切実な願いを言葉と共に託された紅玉に報いるためにも、なんとしてでも魔王を倒して生きて帰ると心に誓って旅に出た。


 そんなアスタの思いは見事に裏切られた。国王だけじゃない。誰もがアスタが窮地に立たされて紅玉に込められた加護の魔法を発動して、魔王もろとも死ぬことを望んでいた。足元が崩れそうになる。


「あなたの言っていたことが正しかったみたいですね、魔王エーデルワイス。あの宝石に込められていたのは加護ではなく破壊の魔法だったんですね……」

「そうね。私もあそこまで強力なものだとは思わなかったけれど。魔王を討伐するための道具としてアスタ君を使ったようね。本当に……どれだけ時間が経っても人間のすることは常軌を逸しているわ。大丈夫、アスタ君?」


 エーデルワイスの心配する声をアスタはどこか遠くに感じていた。護りたいと思っていた人たちに裏切られた。死を望まれていた。ならばいっそのこと、その望みどおりに自分を優しく抱きしめてくれている魔王を道連れにして死ねばよかった。


「ねぇ、アスタ君。魔王である私が言うのもおかしな話と思うかもしれないけれど。覚えておきなさい。誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて幻想よ。あなたが死んで、この紅玉で魔王を倒せることが証明されてしまったら、ここから先に待つのは地獄よ」

「地獄……? どうして……?」

「さっきの魔法の発動条件は魔力を込めること。ただそれだけ。この意味が分かる?」


 回らない頭でアスタは考える。勇者ではなくてもあれほどの大爆発―――魔王を倒せるほどの―――を引き起こせる魔法をわずかな魔力を込めるだけで発動できるとなれば、幼いアスタでも簡単に答えが導き出せる。


「みんなが……僕みたいに使われる……?」


 アスタは震えた声で恐る恐る答えた。エーデルワイスはそんな彼を優しくあやしながら頷いた。


「そういうこと。アスタ君みたいな勇者じゃなくても、誰にでも簡単に発動することができる破壊の魔法。四大魔王を滅ぼしたあとに人間同士による争い。それすらも容易に制することができるこの力があれば……フフッ。魔王が支配するより恐ろしい世界がきっと誕生するでしょうね」

「そ、それじゃぁ…………今よりもひどい世界になるってことですか?」

「きっとね。とは言っても、ルドベキア鉱石そのものが希少だからそんなに数は用意できないはずだから、今すぐにってことはないはずよ」


 最後はどこかおどけた口調でアスタの小さな頭に手を置きながらエーデルワイスは言った。勇者や騎士団、王家直轄の護衛部隊の装備の製造、修繕などに使われるルドベキア鉱石を、一回限りの使い捨てに加工出来るほど採掘量に余裕はない。さらに小さな紅玉に魔法陣を刻み込むとなると時間も手間もかかり、失敗の恐れもあるだろう。


 それ故に。規模や威力は脅威ではあるが警戒さえしていれば恐れることはない欠陥兵器。それが最古の魔王であるエーデルワイスの感想だ。他の四人の魔王にとっては知らないが。


「さて。国に裏切られてこの先どうしようかと悩んでいるアスタ少年に、魔王なお姉さんから一つ提案があります。私のモノになって、このままここで私と一緒に暮らさない?」

「……あなたと一緒に……ですか?」

「そうよ。そもそもアスタ君みたいな子供が剣をもって戦うこと自体が間違っているわ。子供は子供らしく。無邪気に楽しく思うがまま、毎日を過ごすのがいいと私は思うの」


 エーデルワイスは魔王ではなく、その対極に存在する女神のような慈愛に溢れた声音がアスタの耳朶をうち、心を蕩けさせていく。


「でも……もしアスタ君が勇者としての使命を忘れることが出来ないのなら…………特別に魔王の私があなたを鍛えてあげる。私の知っている最強の勇者に匹敵するくらい。四大魔王なんて歯牙にかけないくらいにあなたを強くしてあげる」


 ここで一度言葉を切って。エーデルワイスは静かに、どこか憂いの帯びた声でこう言った。


「そして……いつかその手で私を殺してね」


 思わず顔を上げてその意味を確かめるように彼女の顔を見た。魔王の顔には笑みがあり、星明りに照れされてとても美しかったがやはりどこか寂しげで、死を望んでいるかのようにアスタの目に映った。


 どうしてそんな顔をするだろう。どうして自らの死を望むだろう。アスタには魔王の考えていることがわからなかった。そもそも何故彼女はこんな森の中で、たった一人で暮らしているのか。そして何故自分は彼女がここにいるとわかったのか。わからないことだらけだ。


「すぐに答えを出すことはないわ。色々あって疲れたと思うから、今日はもう部屋に戻って一緒に寝ましょう。ほら、行くわよ」


 エーデルワイスに手を引かれてアスタは再び彼女だけの小さな居城に戻る。そして導かれるままにベッドに入り、温かくて柔らかい幸せな気持ちを覚えながら深い眠りについた。

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