幕間【サイネリア王国】:アスタの死と召喚勇者

 勇者アスタが消息を絶った。この一報がサイネリア王国に届いたのは彼が出立してからおよそ一か月が経った頃だ。騎士団長のカトレアは国王より呼び出され、逸る気持ちを抑えながら王がいる執務室へと急いだ。アスタを失うわけにはいかない。


「遅くなり申し訳ございませんでした、陛下」

「よい。むしろ突然の招集によくぞ応じてくれた。礼を言うぞ、騎士団長」


 執務室には国王以外にもイベリス王妃、アマリリス第一王女、そして宰相のユダノギもいた。しかし彼らの顔に焦燥の様子は見られず、むしろ落ち着ているようにカトレアには見えた。それに違和感を覚えながら、カトレアは無礼を承知の上で声を荒げてノーゼンガズラに進言する。


「陛下! アスタの捜索に行かせてください! 彼はまだ生きているはず! アスタほどの戦士が簡単に死ぬとは思えません! どうか我々騎士団に捜索を―――!」

「カトレア騎士団長。そなたの気持ちはよくわかる。勇者因子を持つ子供達と一番長く接しているのは騎士団であり、その中でもアスタは時間制限付きとはいえ君と戦える唯一の戦士。生きていると信じたい気持ちを十分わかる。だが諦めよ。彼は死んでおる」


 表情は冷淡。口調は淡々。それはノーゼンガズラに限った話ではない。この部屋にいるカトレア以外は皆同じ。その異常な光景に彼女の背中に冷たい汗が流れる。


「カトレア様。勇者アスタには出立の直前にルドベキア鉱石を加工した首飾りを渡してあります。それには勇者アスタの身を護るための加護の魔法陣が刻まれていますが、その他にも彼の現在地を探知できるようにもなっていました」


 ノーゼンガズラの代わりに説明を始めたのは第一王女のアマリリス。彼女の曰く、アスタに授けた首飾りには彼の居場所を探る以外にも生存を確認することもできるようになっていたとのこと。


「その反応が昨日の夜、当然完全消滅しました。勇者アスタが魔王と戦ったことは確認できておりませんし、加護の魔法が発動した形跡もありません。何より、勇者アスタの居場所が最後に確認できた場所は【常闇の大森林】の近くです」

「【常闇の大森林】だと!? そんな馬鹿な……! あそこは朝でも陽の光が入らない真正の闇が支配している未開の地だぞ!? 魔王ですら近づかないと言われているあの森にどうしてアスタが……」


 常闇の大森林。そこは唯一、人族も魔族も立ち入ることを忌避する異郷の地。古くは罪人を生きたままその森に流刑地送りにするという罰もあり、誰も生きて外に出て来られた者はいないと言われている。そこに住まう魔物は勇者や魔王よりも強いとか、最深部には最強の魔王が封印されているとか眉唾物の伝承が残っているが真相は定かではない。


 そんな森に何故アスタが入っていったのか、カトレアには皆目見当がつかなかった。もちろんそれは彼女だけではなく、アマリリスも同様だ。


「その理由はわかりません。さらに不可解なことに日中に一度・・消えたのですが、夜になって再び確認できたかと思えばその直後にまた消えました」

「であれば! まだアスタが生存している可能性も―――!」

「騎士団長よ。確かにお主の言う通りもしかしたらまだ勇者アスタは生きているかもしれん。だが、だからと言って確証もないのに死地へと騎士団を派遣することなどできるはずがなかろう」


 カトレアの言葉を遮ったのは宰相のユダノギだ。反射的に思わず彼を殺気混じりの鋭い視線で睨みつける。だがユダノギはそれに一切動じることなく、アスタを侮蔑するような顔で汚い言葉を吐く。


「そもそも陛下。私は初めから反対だったのです。いくら勇者因子を持っていると言ってもまだ十歳の幼子。大方日々の鍛練が嫌になって魔王討伐を命じられたことをいいことに逃亡したに違いありません。彼を信じて貴重なルドベキア鉱石の首飾りを授けたというのに……」

「アスタは……! アスタはそのような奴ではない! 確かにまだまだ子供だが、彼なりに毎日懸命に剣を振っていた! 現に彼はただの・・・身体強化だけでも十分強かった! いずれは私なんて歯牙にもかけない程強くなる……アスタはそんな男の子だ! そしてみんなを護りたいと口癖のように言っていた優しい子だ……そんなあの子が逃げ出すはずがない!」


 ギリっと血が滲むほど唇を強く噛み締めて、仇を見るような目でユダノギを睨みつける。もしこれが王の前でなければ迷うことなく腰の剣を抜いてその首元に突きつけていたことだろう。自制心を最大限発揮させ、カトレアは柄に伸びる右手を抑え込んでいた。


「落ち着け、騎士団長! そなたの気持ちはわからなくもない。勇者アスタと長く接していたからこそそのような気持ちにもなるのも理解できる。しかし、彼が【常闇の大森林】に入り、そこで反応が途絶えたのは厳然たる事実。覆しようがない」

「陛下…………」


 ノーゼンガズラの一喝の対象はカトレアだけ。そのことに彼女は驚いた。身勝手にも希望を押し付けて魔王討伐へと送り出した少年が消息を絶ったことについて、逃避したと侮蔑したユダノギを赦すような人ではない。少なくともカトレアはノーゼンガズラのことをそう言う人物だと認識していた。


「こんなことになるなら……初めからに頼むべきだったか……」

「―――彼? それは一体―――」


 誰のことを言っているのか、とカトレアが尋ねる前に。執務室の扉がゆっくりと開いた。


「遅いんだよ。いつまで待たせんだよ。このまま呼ばれないかと思ったぜ」


 開口一番、ここにいるのがこの国の王であるということを無視した無礼な物言いにカトレアは眉を顰めた。


 くすんだ金色の髪、身長はカトレアより頭一つ高いが特別鍛えているわけではない中肉の男。胴当て以外に目立った装備はなくその上から無駄に裾の長い外套を羽織っている。腰に挿している長剣はおそらくルドベキア鉱石から造られた聖剣の類か。


「お待たせして申し訳ありませんでした、フユヒコ様」

「おぅ、アマリリスじゃねぇか。ほら、こっちに来いよ」


 はい、と頬を赤らめながらアマリリスはフユヒコと呼ばれた得体の知れない男に近づくとつま先立ちになりながらその首に腕を回して口づけをした。だがそれは愛を確かめ合うというのではなく舌を絡めて貪り合う乱暴なキス。


「貴様―――!」


 カトレアの堪忍袋の緒が切れた。目の前で始まった痴態。それも第一王女であるアマリリスを毒牙にかけるその狼藉。この国に忠義を誓った騎士として到底許される行為ではない。問答無用でこの汚い金髪男を両断すべく剣を抜いて斬りかかる。しかし―――


「―――邪魔すんなよ。殺すぞ?」


 ダンスを踊るようにアマリリスの柔腰を左手で抱きしめながらくるりと回転。それと同時に右手で腰の剣を抜いてカトレアの一撃を軽々と受け止める。さすがのカトレアも驚愕を表情に刻むがすぐに後退して距離を取る。


「いい加減にせぬか、騎士団長! このお方は本来ならばお前が仕えなければならないお方だ!」

「しかし陛下……!」

「黙れ! このお方はフユヒコ・サトウ殿。異世界より召喚に応じて下さった勇者・・様だ。そしてアマリリスの婚約者でもある。すなわち私の義理の息子になる男だ。そんな彼に貴様は問答無用で斬りかかったのだ!」


 カトレアは言葉を失い、茫然自失となって剣を落としそうになる。それは一撃を軽々受け止められたことでも、それはこの男が第一王女の婚約者であることでも、国王の義理の息子になる男に斬りかかったことでもない。


「勇者召喚……そんな…………どうして……」


 このルピナス大陸において存在する勇者のパターンは二つある。

 一つは『純粋勇者』。勇者の力、すなわち勇者因子を持つこの世界の住人のことを指す。『純粋勇者』は成長の余地があり、最初は弱いが鍛えていけばいずれ最強へと至る可能性を秘めている。

 そしてもう一つがこのフユヒコのような『召喚勇者』である。

 これは異世界から呼び寄せた勇者因子を持つ者を指す。初めから高いステータスと強力な魔法を有している反面、成長することはない。また異世界は争いがないのか剣術など基礎的能力がないことから鍛えるのも苦労するのだが、それは『純粋勇者』にも同じことが言える。


 そもそも『純粋勇者』の誕生確率は非常に低く、それこそ十年に一人でも誕生すればいいくらい。だからこそ、最強に至る可能性を持つ『純粋勇者』の誕生を願うのではなく、異世界から召喚した方が――言い方は乱暴だが―――無駄な時間を待つ必要がない。


「フユヒコ殿を召喚したのは今から一年程前だ。極秘裏に行った故にこのことを知っておるのはほんの一握りだけだ。それにフユヒコ殿には召喚直後から王城ではなく城下町に住んでもらい、鍛錬も近衛隊と行っていたのでそなたが知らないのは当然だ」

「陛下! 私が聞きたいのはそんなことではありません。どうしてアスタやライラックのような『純粋勇者』である勇者因子を持つ者子供達が十人もいながら異世界から勇者を召喚したのかということです!」

「アスタという子供に魔王討伐を命じた際に言ったであろう。我々には時間がないと……騎士団長よ。これから言うことは決して他言してはならぬぞ。王家を除けば極一部にしか知られていない話故な」


 ノーゼンガズラはここで一度言葉を切り。目を閉じて深い深呼吸をする。まるで決死の覚悟で敵に挑む戦士のよう。ゆっくりと目を開くと、静かな声でこう告げた。


「この世界には五人目の魔王がいる。それも……四大魔王が束になっても敵わぬほどの最強の魔王が」



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