第3話:告げられた真実
「もう……あなたを落ち着かせるために用意したのに。しょうがない子ね」
言葉とは裏腹に。魔王エーデルワイスは微笑みながらハンカチでアスタの頬を伝う涙を優しくぬぐい取った。アスタはカップを両手でぎゅぅと持っているので、されるがままにそれを受け入れた。目と鼻の先にいるエーデルワイスからは爽やかな香りが漂い、絵画から飛び出してきたような美しい容姿と相まってアスタの心臓が早鐘を打ち始める。
「あら……涙は止まったと思ったら今度は頬が紅くなって……もしかて、照れているのかしら? 可愛いわね」
「からかわないでください! というか、魔王のあなたがどうして勇者である僕を殺さずにホットミルクを飲ませてくれているんですか!? そもそもここはどこなんですか!?」
「ここは私の家よ。そして。あなたを殺さない理由は君に興味が湧いたからよ、アスタ君」
そっとエーデルワイスはアスタの頬に手をやり、顎をくいっと持ち上げる。深い常闇のように昏く、しかし宝石のように美しい瞳から目が離せない。このまま吸い込まれてしまうのではないかと錯覚する恐怖すら覚える魅力。ごくりとアストは息を飲む。
「もう永い間……それこそ人の記憶から忘れ去れるほど。私は表の世界に干渉していない。ねぇ、アスタ君。この世界に存在すると言われている魔王の名前は全員知っているわよね?」
「え……えぇ、もちろんです。魔王は【銀狼族のゼフィランサス】、【鬼人族のラヴァナ】、【竜人族のフリージア】、【長耳族のユーグランス】の四人です。あれ……それじゃ、あなたは一体……?」
そこでアスタは違和感に気が付いた。四大魔王の名前とその存在は広く世界に知れ渡っており、勇者でなくても普通に生活していてもその名を知らぬ者はいない。それくらいこの
アスタはエーデルワイスと対峙してすぐさま彼女が魔王ということに気が付いた。そうとしか思えない程の威圧を感じた。だがそんな名の魔王は聞いたことがなかった。
「もちろん、私も魔王よ。ただし……
舌なめずりをして妖しく微笑むエーデルワイス。心臓を鷲掴みにされたような、死が形を成しているような、そんな得体の知れない恐怖がアスタの身体を蝕んでいく。
「―――私からすれば四大魔王なんてまだまだ子供同然。そういう意味では……フフッ。アスタ君と大差ないわね」
「そんな……ならあなたは……四大魔王の誰よりも強いと……そうおっしゃるのですか?」
「当然ね。4対1でも、種族対1でも、私一人の方が戦力としては上。そんな魔王様に可愛い勇者のアスタ君は捕らえられてしまったのでした」
ガクガクと小さな身体が小刻みに震え出す。四大魔王すら遙かにしのぐ力を持っているという魔王が目の前にいる。彼女の言葉が決して嘘ではないことは身をもって体験した。なぜ彼女が隠居しているか不明だがもしそれを辞めたとしたら。人族は一瞬で終わりだ。
だがアスタは絶望しておらず、むしろこの魔王の存在をなんとしてでもサイネリア王国に伝えなければならないと勇者としての使命に燃えていた。そんな彼の姿を見て、エーデルワイスはどこか悲しそうな表情を浮かべた。
「アスタ君。あなたは勇者として。私の存在を国に報せようとしているのは目を見ればわかるわ。でも尋ねたわよね? あなたに帰る場所はあるのかって」
背中に強烈な一撃を食らい、痛みに耐えているアスタにエーデルワイスから唐突に投げかけられた問いかけ。その時は咄嗟に応えることが出来なかったが今は違う。アスタは彼女の目を見てはっきりとした口調で言い切る。
「あ、あります! サイネリア王国が……生まれ育ったあの国が僕の還る場所であり護りたいものです!」
「そう……あなたは本当にどこまでも……心の在り方さえも勇者なのね。自分が殺されることが本当の役目にも関わらず他人のために戦おうとする……眩しいわね。そしてやっぱり懐かしい……」
エーデルワイスはどこか遠くを、在りし日の過去を思い出しているかのように瞑目した。その姿さえも一枚の絵画のように美しく、アスタは目を奪われた。
「でもそんなあなただからこそ……私は彼らが赦せない。永い時間が経っても人の心の在り方は変わらない。とても……醜い」
独り言ちるエーデルワイス。その言葉尻には人族に対する拭うことのできない嫌悪感が混じっていた。アスタは我に返り、意識を失う直前にかけられて、気になっていた言葉の真意を尋ねた。
「魔王エーデルワイス。あなたはこうも言っていました。僕の役目は魔王に殺されることだ。それは一体どういう意味なんですか?」
帰る場所はあるのか、その後に続いたこの言葉。勇者として魔王を倒すことが役目ではなく、殺されることが役目とは何を意味しているのか。アスタには見当がつかなかった。
「アスタ君。教えてあげてもいいけれど。これはあなたにとってとても辛いことよ。それでも聞く覚悟はあるかしら?」
「もちろんです。教えてください。僕は何をしなければいけないのか。何を求められているのか。あなたが何に気が付いたのか、教えてください。僕は何も知らない子供だから……」
「わかったわ。小さくても立派ね。アスタ君、これに見覚えはあるわよね? あなたが身に付けていたネックレスなのだけれど……」
エーデルワイスの手に黒い靄が現れてそこからシャリンと小さな音が鳴るとそこには見覚えのある紅玉。間違いない。旅立ちの日にアマリリスから託された加護の魔法が刻まれたネックレスだった。
「はい。それは魔王討伐に旅立つ僕に国王様から頂いたものです。それが何か関係があるんですか?」
「そう……やっぱり、餞別の贈り物だったのね……アスタ君はこの紅玉にどんな魔法が刻み込まれているか知っているかしら? これはね、決してあなたを護るような魔法じゃない。むしろその逆よ」
それはどういうことなのか。アスタにはさっぱりわからなかった。加護の魔法は代々サイネリア王国の女性王族だけが使える魔法だ。その効果はすさまじく、伝承によれば魔王が放つ強力な対軍魔法さえも無力化したこともあるという。それをアスタが僅かな魔力を紅玉に込めることで発動できるのだからこれ以上の加護はない。
「そうよね。そもそも魔法は一部例外もあるけれど基本的には一人一人固有のモノ。アスタ君は身体強化に特化しているから巧妙に偽装されたら気付けないのも無理はないわね。いい、よく聞いて。この石に込められている魔法は確かに加護だけど加護だけじゃない。同時に反転の魔法も刻まれているわ。その意味がわかるかしら?」
「反…………転?」
「あなたが加護の魔法を発動しようと魔力を石に流したその瞬間。反転魔法も起動して加護でなくあなたに天罰が下るわ。ルドベキア鉱石に王族の魔力も込められているから発動すればアスタ君の身体はもちろん然周囲にいる者、つまり魔王も巻き込むほどの大規模破壊魔法となるでしょう」
信じられないと言葉を失うアスタに。エーデルワイスはとどめの一撃を心臓に突き刺した。
「だからね。あなたが護りたいと思った国の王は、あなたが死ぬことで魔王を倒そうとしたのよ。そんな国をアスタ君は護りたい? そんな国に帰りたい?」
「そんな……嘘だ! 国王様や王女様が……そんなことするはずない! 全部あなたのでっち上げだ!」
「信じるか信じないかはアスタ君次第、と言いたいところだけれど、私もこの場所を失いたくないの」
そう言ってエーデルワイスはアスタの手を掴むとそのまま家の外へと誘導した。夜空に浮かぶ満天の星。人工的な明かりは一切なく、月明かりだけが世界を照らす導となっている幻想地帯。
「私の言っていることが本当かどうか。アスタ君自身の手で確かめてみなさい」
返却されたネックレス。違和感やエーデルワイスが事前に仕掛けを施していないか入念に調べるが変わった様子は感じられない。最初に貰った時と同じ状態だ。
「魔力を込めたらすぐに思い切り空に投げなさい。後は私が無力化してあげるから」
「……わかりました」
動揺を抑えきれぬまま。信じているはずなのに一度宿った疑念を振り払うことができず。アスタは言われるがままに紅玉に魔力を込め始めた。
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