一芸多芸に通ず ☆
武装することを義務化されたこの世の中、必然、人々はある程度護身術などに関心を持っていた。公園で運動不足解消にお散歩感覚で練習する人も多い。中国の公園で演武を行う姿が見られるが、それは今や中国特有の風景ではなくなっていた。この日もそんな日本のどこかの公園で武術に励む少年が居た。歳は高校生になりたて、といったところだろうか。木刀を地面に置き、体操や踊りを兼ねたかのような軽い動きを繰り返している。少年は周囲を見渡す。
かなり規模が大きく、整備された公園には植物、花、木、見ればどこにでも緑が溢れており、ベンチにはハートを振り撒くカップル。遊具周辺では子供達の冒険が繰り広げられ、大人の腰の高さの植物の間を縫う迷路のようなランニングコースをこの日はカメラ付きらしいラジコンカーの集団が先頭を競っている。少年が居るのは石畳の広場だ。近くには水場、壁のない木製の屋根小屋の中に入れば石の椅子に木の机、屋根を支える柱には蔦が伝い珍しい花が咲く。風景を眺める家族、球技を行う学生の集まり。まだ余るスペースに武術サークル数十人も活動していた。少年は公園でこのサークルの活動を目撃して以来、遠目に眺めて参考にする事が休日の日課になっていた。
形稽古と思われる動き、一人で行うそれや二人組以上で行う約束組手や組太刀はほとんど暗記してしまった少年、最近はサークルが時々防具を着装して行う練習試合に期待を寄せていた。なんとこの広場の中央には結構な広さの円形の台があり、しかも角を丸めてあるのでやや安全で、さながら闘技場を連想するデザインになっている。公園の設計者は何をやっているのか、よくやったと内心で叱りながら少年は試合を待つ。
「あ、あの人は」
少年はその女性を見つけるなり、設計者をよくやったと叱る矛盾を忘れる。聞かれれば確かに美人ではあるが少年にとってそれは関係なくなっていた。そのサークルに時々現れては多くの指導を行う姿は明らかに熟練者だったからだ。少年が形を飽きずに暗記できたのは彼女の語る内容によるところが大きい。
それは突然だった。女性が手招きをしてきた。少年は戸惑いながらサークルに近付いていく。思えば無断無料で見学を長期間続けていた行いはひょっとしてまずかったのではないか、少年はその間に急いで反省点を考えていた。
「少年!参加しよう!さっそく試合ね、男の子だしそういうの好きでしょ」(笑)
「好きです!」
「告白されたんだけど!」
不意打ちの冗談と周囲の悪乗りに一本取られた少年は早速借りた防具を体感覚に馴染ませる。
「さ、いくよ」
鬼の気配を前に返事が出来ない少年は木刀を構える。同じく木刀を持った彼女がスラスラ歩いてくる。少年はひとまず中段の構えを取ると、構えの無かった彼女は中段で合わせてきた。剣先を読み切られてコツコツ弾かれ、構えを維持できず、あっという間に侵入された。とっさに距離を取ろうとする少年を彼女は見送る。
彼女は中段からサラリと下段気味に構えを下げながら一足一刀の間合いに浸透してきた。少年は形稽古に従って選択肢を考える。形にある理合いとしては、定石としては、下段構えのその手元の空間を剣先で攻め、潜らせず入らせず、正面と上方への動きを抑え、空間を取り返す動きを精緻に突き崩すのが有効とされる。だが彼女は完全な下段ではない。瞬間で剣先の勝負を仕掛けられれば再び崩される可能性がある。
少年は瞬時に下段で互角に構えることを決断した。剣先の勝負をもう一時避けながら、彼女の将来の踏み込み位置に剣先で牽制をかけて急接近を阻止し、彼女がセオリー通りに剣先を上げて手元の空間を逆に取りに来る瞬間を待ち構え、剣を被せてそのまま渡って突き込む。この決断を前に彼女は接近を続ける。
剣を被せに行く瞬間にむけて集中力を限界まで高めた少年が、彼女の体の動きが変わる瞬間を捉えた。少年は、彼女の、剣先が上昇する直前の体の動きを捕捉し完璧に機を合わせた。
僅差で先着し空間を制する瞬間の少年の木刀、その剣先に彼女の剣先がやさしく触れた。
カッシャ
上段に構える女性の前で、少年は立ち尽くす。少年の後方、木刀が場外に落ちた。木刀を木刀で手の内から引き抜かれた。
少年は再戦を申し込み、木刀を拾う。先を取るしかないと、少年は彼女に向け走り出した。左手に木刀を収めたまま構えを取らない彼女の膝の高さを片手一閃で横なぎにする。
少年は後から知ったことであるが、フィギュアスケートのバタフライと呼ばれる技のような動きで瞬時に背後を取られ、その空中からの疑似抜刀で鍔を叩かれた。再び木刀を場外まで飛ばされてしまい少年は再戦を申し込めなかった。その代わりに疑問をぶつける。
「どちらも形の中に無い技ですよね」
「少年。習う、という行為の中にもね、技術があるの」
曰く、一を聞いて十を知り、十を知って百を察する。
「形にも色々あるのよ」
「その形が何を教えようとしているのかを知るところからね」
「解答を名乗る形もあれば、教科書を名乗る形もある」
「なぜそれが解答足り得るのか、考えた事はある?」
「まさか教科書にある公式をそのまま解答欄には書かないでしょ?」
「形を模倣するのは始まりに過ぎなくて、そこから色々なことを発掘するの」
「その動きを生み出した体感覚、その動きの何が有効なのか、有効と考える根拠」
「お勉強とはそもそも何なのか、まで考えが及ぶと世界が変わるようなものね」
「形稽古はゲーム風に言えば召喚術よ、何人も召喚できる、本を読むのと同じ」
「召喚して、代わりに戦ってもらうのとは違うの、ただ一緒に考えてくれるのかな」
「形稽古は壺の欠片繋ぎよ、壺には空間があるでしょ、実際に使うのはその空間」
「形に全ては残せない、でも考え方が分かれば、形に無い空間を得られるの」
「どんな難問も受け止める空間を目指して壺の完成度を高めていく楽しいパズルよ」
後日、少年は学校の成績が上がり教師や親から褒められ、友人にも一目置かれたそうだ。以来少年は日常の多くに好奇心を持ち、楽しんだ。文武両道という言葉がある。少年はあの女性の話から空間を得てこう考えた。
文武同道
有難迷惑な善意で人を困らせる方も居る。しかし彼女は、学校の勉強から休日だけでも目を逸らしたがる少年に洞察に基づいて適切な善意を施した。優しさこそ本当の強さだと、武術の世界で囁かれる噂を聞いたことがあるだろうか?あながち間違いではないのかもしれないと少年は青年になる頃に気付き始めた。動けばそれ即武というどころではない。彼女の日常の在り方がすでに武を超えていたのかもしれないとさえ青年は思う。それは言い過ぎだろうかとも。ただ彼女が楽しそうに、静かに語る姿を青年は今も胸に秘める。
常在日常
その原型を青年が心に描き始めたのもその頃であった。
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