第49話 夢

「最初から……って、どういうこと?」


 困惑していると、ラルフは私を引き寄せて腕の中に囲ってしまった。


「ラルフ、お願いだから教えて」

「レオナルは、一時期教会の孤児院にいた」

「うん、そう言っていたね。唯一の肉親のお姉さんを亡くして、仕方なくって……でもそれは不可抗力で、今は騎士団にいて……」

「アンネゲルトの元に、団長が向かった」


 その言葉に驚き、ラルフを仰ぎ見ようとするも、私の力では彼の腕を押しのけることすらできない。


「なんでアンネに……まさかアンネがレオナルさんと共謀しているとでも?」


 レオナルさんとアンネがデートしたのは、あの日が始めてで、しかもアンネは最初から渋っていて、でも私たちがアンネの背中を押したのだからそんなはずない。

 そう考えてハッとした。


「もしかしてラルフ……最初から何か疑っていて、二人を尾行したの?」

「……そうだ」


 もしかして面会に来てくれたアンネをこの部屋に入れなかったのも?

 酷い。そう言い募ろうとしたけれど、その言葉を飲み込んだ。

 だって、私を抱き寄せるラルフの手が、頬に微かに触れる息が、震えているから。


「レオナルに他意がなければいい、思い過ごしならいいと願ったが、結局レオナルは裏切ったんだ。マルガレーテの従業員に近づいたのは、誰かからの指示だろう。アンネに不審なものを渡されていないか、確認しなければならない」

「どうしてマルガレーテまで狙われて……まさか、それって私のせい?」


 あの日、私は命を狙われた。何もかもリントヴルムと私に繋がっているのだとしたら……


「リズとヤタをここに隔離したのは、正解だった」


 ヤタ。そうだ、ハーディが何者かに連れ去られたのなら、ヤタも危険だったかもしれないのだ。

 様々なことが幾重にも絡む事実に、言葉を失ってしまう。


「だから、リズはここに居てくれ。たのむ」


 頬に押しつけられたのは、ラルフの紺色の制服の肩。厚手で固い布は、魔法の衝撃だけでなく様々なものから幾度も彼を守ってくれたろう。ほんのりと香る彼の匂いに包まれながら、私は彼の背に手を回す。

 これまではただ漠然と、起こる出来事を受け止めていたのだ。命まで狙われるとは思わなかったけれど、いつかラルフがいい時期を見極めて、リントヴルムに行きさえすれば、すべてが丸く収まるのだろう。そんな風にまだ思っていた。

 どうしてそんなに甘く考えていたのだろうか。既にたくさんの人が亡くなり、大勢を巻き込んでしまっているのに。なんて馬鹿なのだろうか、私は。


「ラルフ、教えてほしい」


 ようやく腕が緩み、少し戸惑ったような表情の、ラルフの顔を見ることができた。

 私には見せないようにしていたのだろうけれど、疲れ切って落ちくぼんだ目には心配の色が見てとれて、初めて出会った頃と彼がなんら変わってないことを改めて実感する。

 彼への愛おしさが募り、こんな時だというのに笑みがこぼれた。


「教会がすべての元凶なのだとみているのよね? だとしたら、彼らはリントヴルムの主を利用したいって言ってたよね、どうして? 方法は?」

「リズ、それは……」

「今、ラルフたちが立てている予測でもいいの、知りたい」


 ラルフは言いよどんでいるようだった。だけど私ももう、遠慮していてはいけないと思った。


「ヤタも、こっちに来て?」


 私が右手を差し出すと、珍しくじっとしていたヤタが羽ばたき、肩に飛び乗ってきた。

 自然とラルフと離れるが、私は彼の手を取ってそのまま見上げる。


「教えて、ラルフ。教会はなぜ危険を冒してまでリントヴルムの主の羽化を邪魔して、騎士団と対立するの? 教会は孤児院を設けているのだし、民衆に寄り添っているんだとばかり思っていたわ」

「民衆のため……だからこそだと奴らは主張している。教会は魔法使いを特権として国が管理し、一般には最低限度の魔法しか使用させないことに、以前から異を唱えている」

「そりゃあ、自由に魔法が使えたら便利で生活水準も向上するかもしれないわ。でも、どこまで使いこなせるかは、生まれ持った才能が大きいってまえに言ってたよね? それに私みたいに魔法を使えない人、得意じゃない人もいっぱいいるよ?」」

「魔素の制御方法は、常に研究されてきている。魔法使いでなくとも、危険を顧みなければ、大きな魔法を発動することは可能なんだ」

「危険を顧みなければって……」


 それじゃ本末転倒じゃないか。ラルフが真っ青になって倒れた時のことを思い起こして、思わず首を横に振る。


「教会──全てがそうだとは思いたくないが、少なくともレギオンなどの極端な思想を持つ者たちは、魔素は人間が適切に管理すべきだと主張している。そのためにアバタールを使えと」

「管理だなんて、いったいどうやってするっていうの? 魔素から生まれたアバタールだって、その魔素で正気を失うことだってあるのに」

「ああ、だから奴らは魔素の塊であるアバタールを、道具として扱うべきで、人と同等とすることを忌み嫌う」

「魔素の、塊? 道具って、そんなモノみたいな言い方、すごく嫌よ」


 思わず眉を寄せてしまう私に、ラルフは頷く。


「リントヴルムに干渉をしたのも、そういう思想の元からだろう。教会がすべての魔法の管理をするための道具として、リントヴルムは象徴とするにふさわしい。そのためのあの入墨を実験していた」

『愚かだな、数百年とため込まれた主様の力は、ヒトに扱える量ではない』

「ああ、ヤタの言う通りだ。その結果が暴発……魔素の噴火だろう」


 ならば、教会が皆を殺したのも同然。干渉しなければ、父さん母さんは……村の人たちも死なずに済んだのだから。


「どうしてそんな酷いことができるの……? リントヴルムには、大勢の人たちが住んでることを、教会なら知っていたはずなのに」

「大義があると信じているのかもな」

「命よりも大事なこと?」

「俺も理解できないが、そう考えているとしか思えない」

「そんな……」

「人命を凌駕できるものを正義とは呼ばせない。これ以上、好きにさせるつもりはない」


 憤りを感じているのは私だけではなかった。だがそうは言ってもこの事態に、私には何をどうしたらいいのか考えもつかない。


「ラルフたちは、これからどうするの? リントヴルムへの調査は中断することになるのかな」

「いや、残りの者たちでリントヴルムへの調査は続行する。同時に教会へ立ち入り調査のためにゾルゲ隊長と研究所が政府……できれば陛下に直接かけあうつもりのようだ」

「国王陛下に?」


 この国は貴族と平民からなる二院議会を有しているものの、国王の権限は限定的とはいえかなり強い。だからこそ貴族と国王との線引きは厳しく法で定められている。国の有事と判断される事態には、議会の決定より国王の勅命が優先されるという。それはまだこの世界には国同士の同盟よりも、戦争という手段が多く用いられるせいもある。

 そしてその権限はこの国に存在している限り、教会とて例外ではない。


「ただし陛下は公明正大な方だ。どこまで我々が説得できるかは、掴んだ証拠の内容次第だろう……」

「難しい、の?」


 ラルフの表情は厳しいままだった。実際、先日私を襲った者たちが教会に所属しているのは確かだったそうだけれど、だからといって国王陛下の勅命を下すほどの事柄ではない。リントヴルムに介入したことも、まだ確たる証拠は掴めていないし、そもそも教会はそのことについて見解すら述べていないのだそう。むしろ市民の救済と称して、孤児の引き取りや炊き出しに勤しんでいることはよく知られている。

 だから研究所の力を借りるのだとラルフは言う。


「魔素を取り込む入れ墨、あれをばらまいているのが教会関係者であることを突破口にするつもりだ。表ではアバタールの暴走の被害にあった者を助けつつ、裏では魔素の暴発を利用して研究を行っている。それは当初から計画されたことであり、リントヴルムへの干渉と繋がり災厄をもたらした。だが……そこまで認めさせるのは難しいかもしれない。ただし調査の勅命さえ出れば、奴らの次の手を阻止できる」

「次の手?」

「恐らく、再びリントヴルムの主に」

『恐れ多くも再び主様に害をなすというのか!』


 肩に乗ったヤタが声を張り上げた。

 耳元で叫ばれて驚いていると、ラルフがすかさずヤタのくちばしを指で摘まむ。


「うるさい、叫ぶな」

「大丈夫よ、離してあげて。ちょっと驚いただけだから」


 ぴーぴーと鳴くヤタを、ラルフから救出する。もう、こんな時くらいは仲良くして欲しいな。


「二度目の暴発などさせない。そのためには使えるものは何だって使うつもりだ。これから祖父を連れて貴族院議会へ説明に行くつもりだ」

「先代様を……?」

「祖父は貴族院議会の議長を務めていたことがある。そして今の議長はオーベルス伯爵だ」

「オーベルスって……」


 父さんの生家……ハッとして見上げる私に、ラルフは頷く。


「伯爵もまた、真相を知りたいと願う者の一人だろう。議会には派閥がいくつかあり容易ではないだろうが、意見を取りまとめてくれる。だが問題は平民から構成される衆議院だ。主立った者たちはみな、金を持つ商人だ。教会には多額の寄付をしている者も多い。それがどのような関係から出された金か、正直なところ把握しきれていない」

「まさか、協力者がたくさんいるかもってこと?」

「すべてではないだろうが……そちらにはコンファーロ翁が引き受けてくれる手はずになっている」


 コンファーロさんが協力してくれると聞いてホッとする。彼は魔素と魔法使いたちのことを、充分すぎるほど理解しているのだから。


「だから、またリズを一人にしないといけないが、ここで待っていてくれ。クヌートには側を離れないようにさせる」

「うん、私は大丈夫よ。だからラルフも、どうか気をつけて」

「本当は何も知らせず、すべてが終わるまで守れていられればよかった」


 ラルフは皮肉めいた愚痴を口にする。

 でも彼は決して、そんなことをしないと分かっている。だから私は、笑顔で彼を見送った。

 ラルフと入れ替わりに現れたクヌートさんが「お疲れでしょう、休憩いたしましょう」と、ティーセットを用意してくれた。

 ヤタとともに甘いお菓子を口にして、だが温かいお茶で緊張がほぐれると、ついため息が出てしまう。


「なんだか大変なことになったわね、ヤタ」


 するとヤタはクッキーを一つ飲み込むと、私の前で首をかしげる。


「めまぐるしい状況に、どうしたらいいのか分からないわ。ベリエスさんが連れて行かれて、ハーディがいなくなり、レオナルさんが私たちを裏切っただなんて……」

『リズ、食うか? 元気だせ?』


 ヤタが食べようとしていたクッキーを、嘴で私に押しつける。

 

「ありがとう、でも大丈夫。ヤタが食べて」


 すると遠慮無く嘴を上げて塊のままクッキーを飲み込むヤタ。彼の相変わらずな空気を読んでいるのかいないのか分からないその仕草が、今はかえって救いだった。


『リズはいつも悩んでいる』

「そうかもしれないわ……よく見てるわよね。ヤタは悩みがなさそうで羨ましいわ」


 ヤタに悩みがないかどうかは分からないけれど、彼は珍しいものを見たら羽を広げて喜ぶし、あれは何かとよく聞いてくる。こうして自分と館に閉じ込められていても、さして不満を言うことはない。

 気にしているといえば、主様のことくらい。

 むしろヤタ自身のことや、どう感じているかはあまり喋らない。


「ねえヤタ、あなたはどう思っている?」

『どう? 何についてだ?』


 ヤタはいつものように首を傾げて、私の問いに反応する。


「例えば教会のことや、これからどうしたらいいかってこと?」


 自分で聞いておいて、かなり大雑把な問いになってしまった。けれどもヤタは悩むことはない様子だった。テーブルを伝って横歩きで近づいてくると、こう告げた。


『教会は知らない。会ったことがないぞ』

「うん、教会は人の名前じゃなくって、組織だから」

『そうなのか?』


 ヤタ、話を理解しきれてなかった?

 私の苦笑いに何かを悟ったのか、ヤタは慌てたように首を伸ばして続けた。


『リズのやるべきことは決まっているぞ。いつも言っている、リズは主様の羽化を手伝え』


 何度目か知れないほど聞いた、彼らの主張。


「それは分かってるわよ。でも今はここを一人で動けないでしょ、それ以外できることを聞きたかったのに。今すぐここを出てもヤタだって狙われてるかもしれないのよ? ハーディみたいに」

『じゃあせめて、主様がどんな姿に羽化しようとしていたのかを思い出せ』

「それが出来れば苦労しないわよ」


 霧がかかったようで思い出せないけれど、あの日感じた気配はとても大きくて、足がすくむほど怖いような、でも温かいような存在だったことは覚えてる。だけど、私の持つ過去の記憶の何かに羽化しようとしていたって言われても……。

 結局考えても唸っても思い当たることはなく、日は暮れていった。やりかけの仕事も集中できそうもなくて、手をつけることができなかった。

 そうしていつしか、うたた寝をしてしまったらしい。

 懐かしい夢を見ていた。強い記憶として頭を支配している前世ではなく、この世界に産まれてリーゼロッテとして過ごした記憶だった。


 ──リズの絵は、母さんどれも好きよ。あら、これは素敵な服ね。え? 女の子の服なの?


 七歳になり手習いに通い始めてから買ってもらったノート。決して安くはないノートに勉強半分、服のデザイン半分で使っていたから、父さんにはよく叱られたっけ。でも母さんはいつも上手だよって褒めてくれた。

 服の絵は下手くそで、でもラルフが言っていた通り前世の影響が大きいのが分かる。スカートは膝丈だったし、女の子でもパンツ姿で描いてある。この世界の流儀をまだ知らない私にとって、それがどれほど革新的なのかなんて自覚がなかった。けれども母さんはそれを分かっていたはずなのに、何も言わずに好きに描かせてくれていたんだ。今になって母さんの優しさが分かる。

 そんな不思議な絵は服だけじゃなかった。デザイン画の余白には、馴染み深い動物や町並みの絵があった。


 ──リズ、これはなあに? 馬にしてはずいぶん首が長いわね。

 ──きりんよ。


 いや、「きりん」って母さん分からないはずなのに、「へえそうなの」って頷いている。手元の刺繍を刺しながら。


 ──じゃあこっちはなあに? もしかして母さんの裁縫箱かしら?

 ──びるよ、お金持ちの人のおうちなの。

 ──びる? お家なのね……変わってて素敵ね。でも屋根がないと雨の日はこまっちゃうわよ。


 自信満々で答える幼い自分に、夢を見ながら冷や汗が出そうだった。


 ──あ、こっちはハーディかしら? でもお顔は人間っぽいのね。

 ──ちがうよ、おひめさま。髪が長いでしょ。


 ああ、ごめんなさい母さん。今なら分かる、それは母さんが困っているときの笑顔よ。

 母さんがハーディだと思った絵は、魚の下半身を持つ人魚姫を描いたものだった。幼くて下手だから手はヒレみたいだし、顔もかろうじて人間っぽい。そのハーディの髭としか見えないのは、髪の毛にはとても見えない。

 すっかり忘れていたけれど、私ってけっこう無自覚に前世の記憶を披露していたみたい。それに自覚がなかったのは、あの閉ざされた村で、両親とばかり過ごしていたせいかもしれない。グラナートのような街で暮らしていたら、きっとおかしな事を指摘されて気づいていただろう。

 そう考えながらも、私はどこか夢の続きを映画でも見るかのように楽しんでいた。


 ──あら、これは素敵ね。まるで王様のように威厳があるわ。


 ノートをめくると、刺繍を仕上げていた母さんの手が止まる。

 幼い私は「どれ?」ってノートをのぞき込むと、母さんが指を差す。

 それはやっぱりノートの片隅にあった落書きで。


 ──そうなの母さん、かっこいいでしょ。これはね王様の……


 その続きは聞こえなかった。

 まって、なんて言ったの? そのノート、よく見せて。思い出せないけど、大切な気がする。



「リーゼロッテ様」


 ハッとして目を開けると、目の前にクヌートさんがいた。


「大丈夫ですか、リーゼロッテ様?」


 長椅子でうたた寝していたらしく、クヌートさんに支えられるようにして起き上がる。


「眉間に皺を寄せながら唸ってらしたので、お声がけを……」

「……大丈夫です、夢を、みてたようで」


 クヌートさんは心配そうな顔で、長椅子の前で膝を折って私の様子を伺っている。 そしてヤタもまた、長椅子の手すりから私を見上げている。

 そうだ、夢。

 あれは……とても大事な。

 私は目の前のクヌートさんに、再び向き合った。


「クヌートさん、お願いを聞いてもらえますか?」


 確かめないといけない。そんな思いに、私は突き動かされていた。


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