第48話 失踪

 レイブラッド家の離れに保護されて五日目になった。限られた人しか出入りしない広い屋敷では、穏やかな空気が流れていた。外の様子がうかがうことができないせいで、つい町の様子も以前通りなのではないかと、勘違いしてしまいそうなくらい。

 それでも状況は刻一刻と変化していっているのは、私の元を訪れるマルガレーテの人々の様子で察していた。それも、悪い方向へ……


「ベリエスさんが? どうして……」


 アバタールとはいえマルガレーテの同僚でもある彼が、騎士団の保護下に置かれたことを、その日訪れたヒルデさんに知らされた。

 ベリエスさんは、アバタールだけれども長くマルガレーテの従業員として、仕事をこなしてきている。一度だけ魔素酔いで暴れたせいで、今までだってかなり行動制限を受けていたはず。それでも文句ひとつ言うことなく、彼は勤勉なマルガレーテの従業員として過ごしてきた。


「市民の不満の解消……見せしめという意味もあるのよ。彼は前科があるから」

「でも、あの事件での被害は器物破損で、誰も怪我をしていないはずです」

「だからよ。ベリエスが穏やかな性質だから、選ばれてしまったの」

「え? ……どういう、ことですかそれ」


 ヒルデさんは、深くため息をついた。


「本当に危ないアバタールを拘束すると、万が一が起きたときに政府の責任が問われるでしょうね。だから安全なベリエスが選ばれたのでしょう……ベリエスも、それを理解して大人しく従ったわ」

「酷いです……そんなことって」

「そうね。でも拒否して匿っていても、興奮した市民が押し寄せたら、かえって傷つくのはベリエスたちよ。でも安心して、保護されたアバタールたちは、騎士団と研究所が責任をもって監視することになっているの」

「研究所って、エリザベートさんのいる?」

「そう。彼女はかつて暴走したアバタールの封印などに成功しているから、政府からも信用があるの。大きな発言権を持つから、悪いようにはしないでくれるはず」


 アバタールの封印?

 なにか妙にひっかかる言葉に戸惑っていると、ヒルデさんは持参した鞄から、二着の制作途中のジャケットを取り出した。仮縫い状態のそこに、私が以前仕上げた護符刺繍がいく仮止めされている。私の作ったものだけではなく、注文のあった護符が全て揃った状態だ。


「というわけで、ベリエスのいなくなった穴は、リズにも埋めてもらいたいわけなのよ。アンネの指定が入っているから、その指示通りに組み合わせて仕上げてほしいの。それが済めば本縫いをして、装飾部品とボタンで完成なの」

「……私が、護符の統合をしていいんですか?」

「ええ、お願いするわ。リズだって今回のことで不安があるはずなのに、ここで作ってくれた護符の仕上がりがとても良かったわ、そろそろ次に進んでくれないとうちとしても困るの」


 ヒルデさんの言葉が嬉しくて、私は思わず笑みがこぼれた。

 こんな状況でも、私はマルガレーテのために役に立ててるんだ。その事実が嬉しい。

 でもベリエスさんのことを思うと、浮かれていていいはずがない。そう気づいて口を結ぶと。


「これはベリエスからの進言もあってのことよ、リズ」

「ベリエスさんが?」

「そう。リズの腕を見込んで、自分の留守のあいだは仕事を任せるからよろしく、だそうよ。自分が戻ったら、きちんとチェックさせてもらうから、とも言っていたわ」


 その言葉に涙が出そうになり、私はただ繰り返し頷くしかできなかった。

 そんな私に、ヒルデさんは優しく微笑んでくれる。どうして、こんなにも優しい人ばかりなのだろう。ここ、首都グラナートに来た時の心細さがあっただけに、それがどれほど得がたいものか。

 でもその優しさをもらうだけでは駄目だ。自分も返したい。返せるような強さが欲しい。心からそう思った。


「ベリエスさんの信頼を裏切らないよう、しっかり務めます」

「そうね、お願いするわ。でもリズ、これだけは忘れないようにしてもらいたいの」


 ふいにヒルデさんが真剣な表情をうかべた。


「これから少し、状況が見えない時間が訪れるかもしれないわ。誰を信じていいのか分からなくなったり、心を乱されるようなことが起きるかもしれない。だからそんな時は、無理をしてはいけないわ、針を置くの」


 針を置く──たった今、抱いた決意が宙ぶらりんになった気がした。そんな酷い状況になる、予兆があるのだろうか。

 驚く私を諭すように、ヒルデさんが続けた。


「優先順位を、間違えて欲しくないの。自分を大事にしてね、リズより大事なものなんてないわ。リズだけじゃなく、エマやアンネたちだってそう。私にとって大事なマルガレーテは、あなたたち従業員がいなければ、なんの価値もない。だからリズは、ラルフェルト様の言うことだけを信じて、とにかく自分の安全と安心を守って。仕事はその次、いいわね?」

「はい、分かりました」

「うん、よろしい」


 私の素直な返事に気を良くしたヒルデさんだったが、帰り際に少しだけ表情を曇らせながら、外の状況を知らせてくれた。

 魔素の感度が薄い一般市民にも分かるくらい、グラナートでは魔素が薄くなっているらしい。これが自然に減少していったのならば、安堵すべき事態なのだが、そうでないというのが大方の人々の見方となっている。突然の魔素増大があった後の数々の災害は、いまだ記憶に生々しい。急激な変化は恐怖を呷るばかりなのだという。そういった不安から、治安がかなり悪化しており、完成間近だった防御壁の修復工事も、逃げ出す者もいてかなり遅延しているらしい。

 その話を聞き、ルードさんや宿で知り合ったおじさんたちの顔を思い出す。

 治安の悪化も深刻だろうけれど、災害が再び訪れるかもしれないと恐怖にかられたら、故郷の家族を心配するあまり、帰りたいと願う人が出てもおかしくない。

 そういった市民の不安を和らげるために、教会では毎日説法会を開き、人々が押し寄せている。もちろん政府も手を打っていないわけではなく、兵士の巡回を増やしているという。けれどもそれが更に重々しい雰囲気を醸し出しているから、またやっかいなのだとヒルデさんはため息でしめくくった。

 そうしてヒルデさんはマルガレーテへ戻っていった。

 私は窓辺へ身を寄せる。外の景色は金色の炎によってゆらめき、形がはっきりとしない。かろうじて分かるのは、炎の燃え尽きる先、見上げる空の色くらい。

 まあそうでなくとも、ここは公爵家の敷地の奥。町を眺められることはないのだけれど……


『リズ、どうした?』


 ぼうっと外を眺める私の肩に、ヤタが飛び乗る。

 のぞき込むヤタの頭を指で撫でると、ヤタは気持ちよさそうに目を細めてされるがままだ。すっかり鳥の姿に馴染んでいる。


「なんでもないよ。あ、そうだ……」

『ん? どうした?』

「そういえばハーディは元気かしら。研究所で保護してもらってたはずだけど、どうしてるのかな」


 リントヴルムの沼の主ハーディは、かなり力を削がれてしまって、用意してもらった水槽で大人しく過ごしていると聞いた。

 ヤタに聞いても仕方がないことだろうとは思ったが、つい口をついて出た。だからヤタからは『わからない』そう答えが返ってくるはずだった。

 けれども、ヤタはひとつ首を傾げた後、こう叫んだ。


『いない、どこにも。おかしい』


 耳に入った言葉の意味を、理解するのに時間を要した。


「いない……? それって、どういうことなのヤタ」

『繋がらない、おかしい、おかしい』


 ヤタが私の肩で、黒い翼をばたつかせる。


「どうしたの、落ち着いてヤタ」

『たいへんだ、いなくなった』

「まって、ヤタはハーディを感じられていたの? 小さくなってしまったのに?」

『あれも主様の漏れ出た魔素で、長く生き長らえてきた滴のようなもの』

「じゃあ居なくなったって……死んだってこと?」


 悪い想像をして血の気が引く。

 けれどもヤタは『違う』と首を横に振った。そして急に大人しくなったかと思えば、漆黒の瞳を、窓の向こう、はるか遠くを見る。


「……ヤタ?」

『消滅はしていない、だがいつの間にか近くに居なくなった』

「移動したってこと?」


 何かあって逃げてしまったのだろうか。彼はリントヴルムから川を下り、水路を伝ってグラナートの街に入ってきた。

 けれども、私の憶測を否定する声がした。


「違う、何者かに持ち去られたとみていい」


 振り返ると、ラルフが厳しい表情で立っていた。


「ラルフ、おかえりなさい。持ち去られたって、ハーディのこと?」

「ああ、だが悪い知らせはそれだけではない」


 ラルフはそう言って入ってきた扉を閉め、窓辺を背にする私の元まで歩み寄る。

 なんだかラルフの様子から、とても良くないことが起きている、そう感じられて固唾をのむ。


「レオナルが姿を消した」


 思いもかけない言葉に、理解が追いつかなかった。

 聞き間違いではないかとラルフを見上げるが、冗談を告げるような雰囲気など微塵も感じられなくて……


「調査隊の一行がリントヴルムに着く前の最後の野営地に到着した晩、つまり昨夜のことだが、野営の番をしていた者が襲われた。二名に大きな怪我はなかったものの、意識を失ったために発見が遅れ、交代の時間になって襲撃が判明。だが他の者が襲われた様子はなく、ただレオナルだけが行方不明だ」

「どうして……いったい何が」

「意識を取り戻した者の証言で、襲撃者がかなりの使い手の魔法使いであることが分かった。その者の腕に、禁呪の紋が刻まれていたのを見張り番をしていた一人が見たそうだ」

「禁呪の紋……それってまさか」

「イリーナを襲ったレナーテが施されていた、魔素を強制的に吸収して魔力を増幅させる、あれと同種のものだと思われる」

「じゃあ、レナーテさんに接触した人たちが?」


 ここにきてそのような人たちが係わってくるとは思わなかった。驚くべき事実が次々と突きつけられて、混乱してしまいそうだ。

 けれども、ラルフはしばし押し黙ってしまった。


「……ラルフ?」

「これはリズに告げるつもりはなかったのだが……レナーテの証言をもとに禁呪の紋を施した者を追って、捜査は続けられていた。一度は見失ったが、いくつかの小さな証拠から、禁呪には教会が係わっているのではないかという疑念が持ち上がったんだ」

「教会、が?」

「ああ、禁呪の紋の出所は教会が管理している、古い魔法書にある。一般には公開されていないもので、普通ならば外に出ることがないんだ。特に研究がなされているわけでもなく、危険なために知られないよう奥にしまわれ、そのまま放置された古い知識。その数ある禁呪のうちの一つにすぎないものだった」

「じゃあ、教会の関係者が外に持ち出したってこと?」

「その詳細を教会に問い合わせたのだが、我々の調査は受け入れないと返事があったと聞く」

「……どうして?」


 犯罪に使われて不名誉を被るよりも、お互いに協力した方がいいのではないかしら。


「まあそれについては予想通りだったからいい」

「え、いいの?」

「教会と騎士団は、あまり良い関係ではないからな。むしろ邪魔をしてくるだろうと、それで人を使って探らせることにしたんだが……」

「探るって、密偵みたいなこと? そういえば、レオナルさんが教会に知り合いが多いからって、通っていたときがあったよね。もしかして、それ?」

「まあ、な。禁呪の件についてはあまり進展がなかったが、今となっては怪しいことがいくつか出てきた。例えば、今回の調査で報告があったような、各地へ物資と人の供給ができるほど、表面上では何も見えなかったことだ」


 ラルフの言いたいことが、私にはいまいちピンとこない。どういうことだろう。


「リズ、二人目の見張り番は、襲われた後に声を聞いたそうだ。詰めが甘い、命令通り気絶させろ。そう言って風の魔法で二人目の意識を奪った」

「声って、手がかりになる?」

「……ああ。その声がレオナルだったのだからな」

「え……え?」

「空気を操り、意識を奪うのはレオナルが得意とする風魔法だ」

「ちょ、ちょっと待って、レオナルさんはその暴漢にさらわれたんじゃ……」


 ラルフは久しぶりに舌打ちをしてからため息を落とし、首を横に振った。


「あいつの荷物だけが、ひとつ残らずなかったそうだ。浚われるのに、丁寧に荷物をまとめる暇があるかよ」


 で、でもまさか、レオナルさんが。とても信じられない状況に、なにか事情があったのではと考えを巡らせる。


「レオナルが裏切ったのなら、教会の情報が現状と齟齬があったのは辻褄があう」


 裏切る? まさか!

 冗談でもそんなこと、ありえるはずがない。そう言いつのろうとしたのだが、一瞬、遠くを見たラルフの瞳が揺れたのに気づき、出かけた言葉をぐっと堪える。

 知らされたこの事実に誰よりも驚き、言葉を失い、困惑し、疑いと信頼の間で揺れているのは私ではなくラルフだ。

 私に向かい合いながらも、心を遠くに馳せるラルフの腕に、手を添える。するとハッとして、顔を歪ませた。


「いいや、違うな。あいつは裏切ってなんかいない」


 そうよ、きっと事情があるはず。柔らかく微笑むレオナルさんと、不機嫌そうながらも一緒に仕事を組むラルフ。いつもの見慣れた風景を思い出す。

 だがラルフは、苦しげにこう続けた。


「レオナルは、最初から、こうするつもりだったんだ。内通者は、あいつだったんだ」

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