第47話 不穏な空気
騎士団に向かったラルフを見送った後、メイドさんが用意してくれた氷嚢で腫れた目を冷やした。子供のように泣いてすっきりした気もするけれど、同時に恥ずかしさがこみ上げてくる。ラルフを前にすると、どうも感情を取り繕うのが難しくなってしまう。彼を信頼し、頼りにしてしまっているせいだろうか。
それからしばらくすると、マルガレータからたくさんの道具を抱えて、エマがやってきた。知らせを受けて応接間まで出迎えに行くと、彼女はいつもの出張用のものと私の鞄を両脇に抱えていた。私の姿を認めると、荷物を置くのも忘れて駆けてきた。
そんなに慌てなくてもいいのに。そう思いながらも駆けだしているのは私も同じで、結局二人で互いを抱きしめ合った。
「もうっ、心配したんだからね!」
エマが結局放り出した荷物を手分けして拾い、エマを部屋に招き入れる。すると部屋で退屈を持て余していたヤタがエマの肩に飛び乗る。
「元気そうね、あなたも」
そのままエマはヤタを連れたまま、豪華な寝台とふかふかのソファ、いつでもお茶が淹れられるようにセットされた茶器などや当面の必需品が入った大きなクローゼット、それから間続きのレストルームなどを見て回る。そして今朝入ったばかりで違和感のある大きな作業机を前にして、肩をすくめたのだった。
「なんというか、完璧にラルフェルト様に囲われたわね。この作業机がまた……リズのこと分かってるというか」
「囲われただなんて、人聞きが悪いわ。守ってもらってばかりで、何も返すものがないのに。それに、この机は私が頼んで用意してもらったのよ、ここで何もしないでいるなんて、肩身が狭くてせめて仕事くらいしないと、申し訳なさで消えてしまいたくなるわ」
「やめてよ、リズが消えたら大変! マルガレーテ一番の口うるさい顧客の相手を、またクジで決めなくちゃならないもの」
「え、ラルフの担当ってクジで決めてたの?」
「あ、ご本人には内緒にしておいてよ?」
思わず口を押さえるエマに、不機嫌そうなラルフの顔を思い出してつい吹き出してしまう。
「でもさ、せっかく至れり尽くせりなのに仕事したいだなんて、リズらしいよね。じゃあ作業しながら話そうか」
エマはそう言ってヤタに持ってきたおやつのクッキーを渡して、彼を止まり木に戻す。そしてようやく、持参した重い鞄を開けて道具を取り出していく。
それらは女性騎士向けの新しい制服に取り付ける、護符の刺繍だ。先日の仮縫いの時までに数を用意してあったのだが、いくつか足りないものが出てきた。そこで私がここで作り足すことになった。店では護符が縫い付け作業が進み、仕上げにかかっている。
私は図案と材料を受け取って、すぐ針に糸を通す。そして細かい図案の確認を済ませると、エマは店に戻るために荷物をまとめていた。
「じゃあ、名残惜しいけれど戻るわ。リズの元気な顔を見れてよかった」
「うん、ヒルデさんが来るって聞いていたけど、エマに会えてうれしかったわ」
そう言うと、エマは少しだけ困った顔をして微笑む。
「……なにか、あったの?」
「少し対応に追われて、私が代わりに来ることになったの」
「対応って?」
「うん、私も詳しくは聞かされてないんだけれど……町の様子が少しおかしくて」
「町? 最近は魔素が収まってきて、アバタールたちも落ち着いているって」
「そうなんだけどね、どこから話が漏れたのか、
でもミロスラフさんたちは、もう長くマルガレーテで働いているのだから、今さらではないのだろうか。それとも、ベリエスさんの事件が原因?
しかし私の疑問に、エマは首を横に振る。
「うちだけじゃないみたい。いつの間にか、市民のなかにアバタールに対して反感が募っていたらしくて、どうして追放しないのかと騎士団にもかなり批判が寄せられているそうよ。そっちは昨日の事件を受けてか、貴族からの苦情問い合わせが多いらしいわ」
「そんな、私のせいで騎士団が……」
ヤタが私を守るために、魔素を放出したせいだ。
「リズのせいなわけないじゃない! 責任があるっていうなら、リズを襲った人のせいよ!」
「だけど……怪我人が出ているんだもの、無関係なはずない」
『リズ、リズ、元気ないのか?』
するとヤタは窓際の止まり木から、落ち込み俯いた私の肩に飛び乗る。
「大丈夫よヤタ、心配しないで?」
「そうよ心配はいらないわヤタ、それにリズもよ。うちは商会からの問い合わせがあっただけで、今のところは顧客からは何もないわ。元々個別オーダーがほとんどで、顔を合わせて打ち合わせの上での商売なせいか、さほどの影響はまだ出てないの」
「それならいいけど……」
「うん、かえって心配させちゃったわね」
申し訳なさそうにするエマに、私は笑顔を返す。
「そんなことない、外の様子を知らずにいる方が辛いから。また、来てくれる?」
「もちろんよ! リズはマルガレーテの大事な戦力なんだから、ちゃんと仕事持ってくるわよ」
「うん、マルガレーテの名前を落とさないだけの護符になるよう、ちゃんと仕上げておく」
そう言うとエマは再び大きな道具鞄を抱え、マルガレーテに帰っていった。
私はエマの去った部屋の窓越しに、金色に光る炎を透かした空を見上げる。不安定な雨期の空は低い雲が漂い、ほのかに赤く染まりはじめていた。
二時間ほどで戻ると言っていたラルフは、その時間が過ぎても戻ってこない。きっとエマが言っていたことが関係して、足止めされているのだろう。騎士団が批判を浴びていると聞いて心配ではあるけれど、どこか安心した部分もあった。
ここの屋敷につれて来られる時の様子で、もしかしたらラルフは騎士団と袂を別つつもりなのかと心配していたからだ。もし自分のせいで、そんなことになったら……
そんな不安を募らせていると、ラルフが戻ってきたようだった。彼らしい性急なノックに扉を開けると、制服姿のまま立っていた。どこか疲れたような顔に気づいたけれど、問うことはせずに招き入れる。
「おかえりなさい、今日はエマが来てくれたのよ。それに道具が揃ったから、いつもの繕いもしてあげられるわ」
「ああ、頼む」
努めて明るくラルフに提案すると、彼もまたいつものように上着を脱いで私によこす。温かい彼の体温をのこしたそれを受け取り、長椅子の端に座る。何も言わずに隣にドサリと身を落とした振動を感じながら、私は彼のため針山から針を取る。
こうして繕いをはじめて、もう何度目だろう。最初に裂けた部分は補修されて目立たない状態ではないけれども、いつまでたっても新調してもらえないのには不満がある。けれども、それ以外は常に手をかけているせいか、しっかりと護符として機能を果たしているみたい。 だから今日もまたどこを繕うか悩みつつ、ほんの少し緩くなった裾の裏返し部分を整えることにした。
そうして糸を選んで針に通していると、疲れたように息をつく気配がする。
けれども、ラルフはいつもみたいに舌打ちするどころか、一言も発しない。今日エマが言っていた件で、きっと疲れているのだろう。
そんなラルフに対して私ができることといえば、こうして心を込めて繕いをしてあげることしかない。色々と気になることはあるけれど、糸と針を持ったこの時間だけは、それらのことを忘れて集中しよう。
黙々と針を動かしはじめて、どれくらい経った頃だろうか。
私の側で黙していたラルフが、口を開いた。
「レオナルから定期連絡があった」
「本当? 今はどこに?」
「……予定より早く三つ先の町、ガルドリアに着いたようだ。リズ、針を置いたらどうだ」
手元から目を離したのを心配しているというより、何か不服そうな口調のラルフ。
「大丈夫よ、慣れてるもの」
「そうじゃない。俺の制服にレオナル《あいつ》の要素を付加されるのはゴメンだ」
そういえば、護符に私の心が残りラルフにはそれを感じ取れるんだった。口を尖らせる子供のような言い方に、彼なりの焼きもちなんだと悟り、それを伝えられた時の恥じらいが蘇る。私は照れながらラルフの希望通り、いったん針を置く。
「レ、レオナルさんたちは無事だったのね、安心したわ。それで外の町の様子は、どうだったのかな」
「お世辞にも、良いとは言えない状況のようだ」
報告によると、王都を出た先では魔素の影響による、アバタールの暴走が各所で起きていた跡があるようだった。これまでラルフたちが派遣されて討伐に出てはいたけれど、とても騎士団だけで全てを網羅できるわけがなく、小さな村、王都から離れるに従って、その被害は大きかった。各地の領兵たちが健闘していたので、人的被害は少ないものの、畑や建物の被害は防ぎきれなかったようで……
「あと三月、収穫の季節までは厳しい状況が続きそうだ。それでかなり行政にも支障が出てきている。ただ……」
珍しく言葉を濁すラルフ。
「ただ?」
「いつの間にか、寺院がかなり手を入れているようだった」
災いのある時には、拠り所が必要になる。それはいつの時代、この世界であっても同じなのだろう。優しい笑みをたたえて子供を見守っていた、レギオン先生を思い出す。
けれどもラルフの思いは違ったようだった。
「報告に受けていない動きだ。従来では神殿がない村に簡易祈祷所を増やし、人をかなり増やしている……おかしい」
「おかしいって、でも困窮する人たちを受け入れるのは、元々していたじゃない?」
「そうじゃない、準備が良すぎるんだ。以前、討伐や調査で訪れた時には、そんな動きはなかった。それがたった二ヶ月あまりのうちに、ガルドリア周辺だけで三カ所ほぼ同時に、だ」
寺院の人材や財政状況がどうなのかは分からない私には、それがどういう状況なのかはよく分からない。どちらにせよこの国はひとつの教えしかないから、争いはない。そのせいか、一部の寺院は政府よりも潤沢な資金を持っているという噂を聞いたことがある。
「……雨風を防ぐ天幕などの資材、食料や衣料品、人材など。そう簡単に用意できる状況なら、領兵とて後手に回ることはなかった」
「そう、だね。リントヴルムの惨事があったのはもう一年近く前だもの、あの時ならまだしも、
最初こそ、影響は微々たるものだった魔素の流出。けれども時が経つにつれて、アバタールたちが大量発生したり、魔素に影響を受けやすい作物に被害が出て収穫が落ちていると聞く。それだけじゃない。小さなアバタールたちに襲撃される事件が多発し、物資の流通量が減っている。もちろん王様や政府が食料などが足りなくならないよう、街道を守るために護衛をつけている。でも命に直結しないものは、手に入りにくくなっている。例えば、特別な糸も……。
もし、ラルフたちに提供できる糸が不足したら、彼らは無防備になってしまう。それを想像しただけで、胸の奥が冷える。コンファーロさんの工場で見た、護衛つきの荷馬車。それが全てを表しているのでは。
やっぱり、早くなんとかしなければならないんじゃ?
私にできることがあるのなら……
そこまで考えたところで、ラルフの視線とかち合う。
「リズ、焦らなくてもいい」
見透かされたその言葉とともに、固く握りしめていた手を取られる。
「リズにとっては歯がゆいだろうが、このままにしておくつもりはない。本意ではないが、今回の事態を収めるためにはリズの協力が必要だ。だがそのためには、リントヴルムの安全を確保する必要がある。調査の結果を待つんだ」
「うん、レオナルさんたちみんなが、危険ななか頑張ってくれてるんだよね」
「予定では、あと三日ほどかかる。レオナルの交信では半日のタイムラグがあるが、三日後の夜には何かしら分かることがあるだろう」
待つことしかできない私は、ラルフの言葉に頷く。
大勢の人たちが動いてくれている。ラルフを、レオナルさんたち騎士団の人たちを信じて、自分にできることをして過ごすしかなかった。
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