第44話 二つの再会と父の素性
ヒルデさんとアンネがやってきたのは、ひとえに私の無事を確認するためとのことだった。アンネが現場で見ていた限りでは、恐らくラルフが面会を許さないのではと考えたらしく、ダメ元での来訪でもあったそう。
だから私の顔を見るなり、二人とも感極まってしまったらしく。加えて私と違い、出るところは出ている二人に挟まれたゆえの、結果なのだけれど。
そうして再会した私たちは、とりあえず近況を報告しあう。私からは、ラルフと話し合ってヤタとともにしばらくここで過ごすのを決めたことを伝える。
ヒルデさんからは、仕事は中断してもかまわないこと、それからマルガレーテの皆が心配していること、あとは市場の状況を。騎士団からヒルデさんが聞きだした話では、襲撃者以外の怪我人はほとんどいないとのことだった。でも数人が、瓦礫でかすり傷を負った人がいるらしい。破壊されてしまった店や商品は、事件として処理されれば、保証がいくらか出るそう。
それでも被害を受けてしまった人がいることに私が気落ちしていると、その場にいたクヌートさんが教えてくれた。
「侯爵家からも見舞金を送ることが決まりましたので、ご安心ください」
「え……じゃあ私もお給料を、少ないかもしれないけれど」
「いいえ、それには及びません。おそらく損害はすべて補填できましょう」
そんな、ラルフのお家に迷惑をかけるなんて。そう困惑してラルフに相談しなきゃと思うものの、そういえば彼の姿がない。するとクヌートさんが。
「ラルフェルト様は、お屋敷本館の方に行かれております。しばらくしたらお戻りになられます」
「離れても、結界が維持できるなんてさすがというか、やっぱりというか」
ヒルデさんが窓の外を仰ぎ見ながら呟く。
「ある程度は維持できなければ、意味がありません。それなりの準備をしてきたということです」
クヌートさんの言葉に、ヒルデさんが苦笑いを浮かべる。
「じゃあリズは、しばらくここに居るということでいいのね?」
「はい。それが一番、みなさんの為になるなら、そうしたいと思います。マルガレーテのみんなには、ご迷惑をおかけ……」
「あー、やめやめ、謝らないの!」
ヒルデさんが私の口を塞ぎ、それを見たアンネも笑みを浮かべる。
「ヒルデさんの言う通りよ、リズ。私たちはね、リズの力になりたいと思っても、迷惑だなんて感じたことないから。そうだ、これをエマから預かってきたの」
「エマから?」
アンネから渡されたのは、店でも使っている出張用の裁縫道具の大きな鞄。それを開けると、いつも入っている糸や針などと一緒に、私の道具が収められていた。お気に入りの指ぬきや、リントヴルムから持ってきた刺繍布、それから母さんから貰った糸も。
「足りないものがあったら、言ってね。届けるから」
「エマが言うには、どこに居ても手慰みがないと悪い方に考えるから、リズは責任感が強いから絶対そう。いい機会だから、新しい図案の練習をしておいてって」
アンネのセリフに、鞄をもう一度確認すると、ちゃっかり分厚い図案書が差し込まれていた。エマらしい励ましに、思わず涙がこみ上げてくる。
でもそんな湿り気は、彼女なら嫌がるだろう。
私は笑顔で「ありがとう。忙しくなりそう」と答えた。
「ところで、リズ。ずっと聞きたかったんだけど」
「なあに、アンネ?」
「どうしてあなたとラルフェルト様が、あの市場通りに二人でいたの?」
「……ええと、それは」
まさか出歯亀しに行ったなんて、言いづらい。ヒルデさんの方に助け舟を乞うと、彼女もそのあたりの経緯をミロスラフさんから聞いているのか、複雑な表情をしている。
「ええと、ラルフがね、気になったみたいなの。レオナルさんのこと……それで」
「もしかして、ずっと見てた、の?」
アンネの頬が赤みを帯びる。
「ご、ごめんなさい。私はよした方がいいって言ったんだけど」
「まあまあ、それでリズはラルフェルト様と一緒にいる時だったから、危険を回避できたわけだし、それはアンネたちのおかげでもあるってことで」
ヒルデさんが取りなしてくれて、アンネも一応許してくれた。
「それに、アンネだって悪いことばかりではなかったでしょう?」
え、それって……まさか。
見る間に真っ赤になっていくアンネの様子に、私は二人の関係が一歩進んだことを悟り、嬉しくなってしまい笑みがこぼれた。恋愛経験のない私が言うのもどうかと思うけれど、レオナルさんならきっとアンネのペースに合わせて、関係を築いていってくれると思う。
「マルガレーテに戻れたら、また詳しく聞かせてね」
アンネは、はにかみつつも頷いてくれた。
そうしてヒルデさんは、直接顔を見れてよかったと、辞することをクヌートさんに告げた。仕事の続きをしたいという願いは聞き入れられ、いくつか作りかけのものを明日、届けてもらえることになった。
そうして二人を見送り、豪華なお屋敷に取り残され、少々寂しさを感じていた私に、クヌートさんから申し出があった。
「お疲れのところに申し訳ありません、もしよろしければ、ご案内したい場所があるのですが」
これまでラルフに対してもさほど表情を崩すことのなかったクヌートさんが、本当に申し訳ないという表情で、そう切り出したのだ。どうしたのだろうかと不思議に思う。
「実は、ラルフェルト様には内密にご案内しろと」
ラルフに内緒に?
彼は確か、ラルフの執事だと言っていた。その彼の主であるラルフに内緒で、クヌートさんに指示できる人物って……。
私は慌てて、頷いた。
「こちらです」
私が承知すると、クヌートさんは扉を開けて、来た方とは逆の廊下へと指し示した。
「結界内ですので、ご安心ください」
そう告げられ、扉の外で待機していたメイドからランプを受け取ったクヌートさんの後を、私は黙ってついていった。
鏡のように磨かれた大理石の回廊に、私たちの足音だけが響く。雨はいつの間にか止み、すっかり暗くなった空には灰色の雲とまばらな星。
「面会はすぐに済むと思いますので、そう緊張なさらなくても大丈夫ですよ」
「はあ」
そうは言われても、クヌートさんが手を触れた扉の向こうには、きっと侯爵家の誰かしらがいらっしゃると思われるわけで。自分の意思ではなかったにせよ、ここでお世話になると決めたからにはご挨拶をきちんとしておかなくては。
ああ、そうだ。ラルフの呼び名にも気を付けなくちゃ、だよね。
そんなことをぐるぐると考えている間に、扉は開かれる。そしてラルフの部屋と同じような造りではあるけれど、深い色目の家具に囲まれた落ち着いた空間に足を踏み入れていた。
「大旦那様、リーゼロッテ様をお連れしました」
私の後ろで、クヌートさんが頭を下げた気配がした。
大旦那様という言葉にはっとして、顔を上げる。すると正面のソファに深く座る老人が、手にした杖に体重を乗せて立とうとしていたのが見える。
私は考えるより前に手を伸ばして、ふらつくその体を支えていた。
「前にも同じように、手を借りたことがあったな」
支える手から、その体が見た目よりも細く肉がそぎ落とされているのが分かる。だが聞こえる声は、ゆっくりとしているけれど、芯が通っていて力強く響いた。
「ご、ご無沙汰しております、おじ……侯爵様」
「はは、以前のように、おじいさんと呼んではもらえないか」
支えながら見上げる先には、ラルフと同じアンバーの瞳があった。
そうして鮮明に思い出されるのは、十年前のあの日。ラルフの手を引いて、リントヴルムの村の私の家にやってきた老人。両親にラルフの治療を頼んだあと、同じ深く優しい瞳で、私に言ったのだ。
『お嬢ちゃん。孫のラルフは長い間、床に伏してばかりで友人もいない子だ。お嬢ちゃんが、初めての友だちになってくれるかい?』
──もちろんよ、まかせておじいさん。
「どうか私にかまわず、お座りになってください」
驚きつつなんとかそう言うと、クヌートさんが侯爵様に手を貸して座ってもらうと、続いてもう一脚の椅子を用意してくれた。
そこに促されて私が座ると、ラルフの祖父である前侯爵がひとつ頷いた。
「急な呼び出しで驚かせたろう、リーゼロッテ」
「……はい、あ、いいえ」
どっちの方が失礼がないのか分からなくなり、挙動不審になってしまった。けれども前侯爵様は優しく笑って許してくれた。
かつて灰色だった髪はすっかり白く塗り替わり、笑い皺もずっと深く刻まれているけれど、記憶の中のまま優しい。
顔立ちはラルフと似ているから、彼の性格のとがった部分が取れたら、もっと似てくるのではないだろうか。
「こうして見ると、やはりベアトに似ているな。幼い頃は、母親似かと思ったが」
「侯爵様は父を……ええと、何とお呼びしたらいいでしょうか」
「侯爵の地位は、婿殿に渡したので、隠居の身だからな。そうだな、やはりおじいさまとでも呼んでもらえると嬉しいが」
「え……でも」
「大旦那様、それではリーゼロッテ様を困らせます。先代様と、他の方と同じように呼んでいただきましょう」
ナイスフォロー、クヌートさん!
「面白くはないが、しかたない」
どうやらお許しが出たようで、私はほっとする。なんだか思っていたよりもお茶目な方のようなので、気が変わらぬうちにと私はさきほどの問いをあらためてしてみる。
「先代様は、父のことをよくご存知だったのでしょうか」
「ベアト=エフェウスは、ここグラナートで生まれ育ったのだ。聞かされていないかね?」
「リントヴルムの者ではないことだけは両親から聞いていましたが、
「ラルフェルトからも?」
「はい」
なぜラルフからと問われるのかは分からないが、両親の出自などはさっぱり聞かされていないのは確かだ。分かっているのは、父さんは両親とはあまりそりが合わず勘当同然で、母さんは両親ともに死別しているとだけ。「祖父母がいなくてごめんね」悲しそうに言う母さんに、それ以上は聞けなかった。
「ベアトは優秀な薬術師だったが、そこに至るまでには相当な苦労があった。一般的には薬術師は、家系で受け継ぐ者が多い。薬の効能は組み合わせによって相違がある。百の種類を覚えればそれでいいわけではない。そういった知識の積み重ねを、他に漏らすことを良しとしない」
「でもそれでは、治療を望む患者には不利益です」
つい口を挟んでしまい、私は咳払いとともに「すみません、つい」と謝る。
「よい、懐かしい口癖を聞かせてもらった」
先代様が、目を細めて私を見る。私を通して父さんを見ているのだと分かり、誇らしい気持ちが胸に満ちる。
「師事した薬術師の受け売りだと言っていたが、ベアトの生きざまそのものだった」
「はい」
父さんの元に来る患者さんは、近隣の貧しい人たちが多かったけれど、誰にでも渡す薬の説明をこと細かくしていた。そこに秘密などなにもなくて、ただ皆が幸せになれるようにと尽くしていたと思う。
私はそれが当たり前だと思っていたけれど、父さん以外はそうじゃなかったなんて。
「では父は、元々薬術師の家の生まれではなかったんですね」
「そうだ。エフェウスという家名は、私の旧知の友の家にある、分家筋……いわば貴族位を得られない親族に与えられる名。ベアトは私の友の息子だった」
私はその話の意味するところが、いまいち理解しきれないでいた。
父さんが、貴族の分家筋の生まれ? たしかに驚いてはいるけれど、位がないなら平民に違いない。と思ったのだけれど……
「友の名は、クラウディオ・オーベルス伯爵。ベアトはその次男坊だ」
は……伯爵?
「驚くのも無理はなかろう。ベアトもそうだが、クラウディオもまた頑固な男でな。勘当したからには一切の援助はせぬとまあ、貫き通しおった。だが奴も歳だ、後悔しておるのは目に見えている」
「は、はあ……」
口では相槌を打ってはいるけれど、正直いって、頭が真っ白になっている。
どういうことかな? 父さんの父さんが伯爵って……
混乱する私に、先代様はさらに続けた。
「そこでリーゼロッテに頼みがある。一目でもいい、クラウディオに会ってやって欲しい。リーゼロッテが、あいつの唯一の孫娘なのだ」
ちょ、ちょっと待って。
今日はもう次から次へと……どうなってるのよぉ。
私が返答どころか、空気を求めて口をぱくぱくさせていると、いきなり背後の扉が大きな音をたてた。
ビクリとして振り返ると、部屋の入口に舌打ちするラルフが立っていた。っていうか、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます