第45話 お節介

 部屋にずかずかと入ってきたと思ったら、ラルフはいつも以上に不機嫌そうな表情をして、私と先代様との間に割って入ってきた。


「ずいぶん、早かったな」

「こんなこともあろうかと思っていたが、まさかいきなりその話を出すとは」


 自分に知らされぬままに、私がここに連れて来られたことが不機嫌の原因かと思っていたが、そればかりではないらしい。


「おまえがぼやぼやしておるせいで、しびれを切らしたのだ。リーゼロッテを守るとぬかしおったのに、いつまでたっても連れて来なかったではないか」

「リズはお年寄りの話し相手をしていられるほど、暇ではないことぐらいご存知では?」

「そんなことを言っておるのではない。身元の保証をなぜしてやらんのだ、クラウディオの孫娘として認められれば、どれほどの優遇が得られるか。市井の店などに預けずとも、我が家で堂々と保護できるのだ、ラルフェルトの将来の伴侶として。おまえも最初はそのつもりだったはずだろう? 」


 先代様の言葉に驚き、私は目の前の背中を見つめる。

 けれどもラルフはそのまま怒りに任せて、なんと先代様の胸ぐらを掴みかかった。


「……この糞爺くそじじい

「なになに、本当のことだろうが。リーゼロッテの生死不明の間、死人のような顔をしていたのが、生きていたと知ってその勢いで連れ帰るつもりが、できなかったとはおまえらしくない」


 背を向けたままで、ラルフの表情が見えない。けれども先代様の言葉に、戸惑っているのだけは分かる。そんなラルフを煽るように、先代様がさらに続けた。


「もしや、当人に会ってその気が失せたか? 十年拗らせた想いと現実は違ったか? それとも面倒事だけ片付けたら、放り出すつもりではあるまいな?」

「そんなわけないだろう!」


 なんだか明後日の方向に進む話に慌てて、私はラルフの袖を引いた。するとなぜかラルフは私に弁明を始める。


「リズ? 違う、爺の戯言を間にうけて誤解をするなよ。俺は……」

「大丈夫、分かっているから。ラルフはいつも、私の気持ちが追いつくのを待っていてくれたって、私ちゃんと気づいたから。ラルフの優しさは見えにくいだけで、昔からずっと変わらないよね」

「リズ……」

「だから、もう離してさしあげて?」


 ラルフは老人から手を放す。すると先代様が襟元を正しながら、満面の笑みをたたえた。


「なんだ、おまえのヘタレぶりを心配していたが、リーゼロッテの方がよほど大人だったか。いらぬ世話でなにより」


 飄々と述べる先代様と、明らかに不機嫌さ最高潮のラルフを見比べ、私は目を白黒させる。

 もしかして、もしかしなくとも、わざとあんなことを言ったの?

 

「大旦那様、あまり際どいご冗談はご勘弁ねがいます」


 クヌートさんが後ろから、そっと先代様に苦言を呈する。


「いやなに、拗らせた孫がかわいくて、ついな」

「さっさとくたばれ、糞爺」


 ラルフが舌打ちとともに再び悪態を呟くけれども、先代様はまったくこたえた様子はない。むしろ嬉しそうに見える。


「とにかく、私の要件はひとつのみ。リーゼロッテ、すぐに答えを出さずともよいが、面会の件を考えておいてくれるだろうか」

「え、あ……はい」


 そうだった、父方の祖父という親族の存在。幼い頃から肉親は親だけだと思って育っていたので、唐突な存在には困惑しかない。それでも、父さんを覚えていてくれる人がいるのは、嬉しい。ただ……まさか貴族の身分の人だとは思っていなかったから、漠然とした不安はある。


「詳細はラルフェルトから聞くように。すまないが、私は少々疲れたので、失礼させてもらうよ」


 先代様がそう告げると、クヌートさんが寄り添って手を貸して退出していった。

 その足取りはやはり重く、一歩がとても小さい。大丈夫だろうかと見守っていると、室外に車椅子を待機させているから大丈夫だと、先代様の姿が見えなくなってからラルフが教えてくれた。

 そうしてラルフに導かれながら部屋に戻る道すがら、私は彼に言いそびれていたことを思い出した。


「ありがとう、私の気持ちを優先してくれて。仕事が見つからず、マルガレーテで過ごさずにここに来ていたら、私もっとへこたれてたと思うの」


 ラルフは驚いたように、私を振り向く。けれども照れているのか、それとも違う理由なのか、すぐに顔を引き締めて「だから、祖父の言葉は真に受けるな」と言いながら前を向き、足を止めていた私の手を引いて歩き出した。


「先代様に言われたからじゃないよ。私はグラナートに来てからずっと、自信を失ってたの。それ以前からも、両親も故郷も失って、生き残ったのが罪のように感じてて。やり直そうって思って出てきたのに、どこにも受け入れてもらえなかったから。だからこそ、記憶を取り戻す前と今の自分を、分けて考えることで自分を保ってたのかもしれない。けれどマルガレーテに居られるようになり魔法紡ぎのことを知って、自分でも役に立てるんだと分かって嬉しかったの。でもこれって、ラルフがヒルデさんに声をかけてくれたおかげだよ」

「俺が話を通さなくとも、リズはいずれたどり着いただろう」

「そうかもしれないけど、あの切羽詰まった時に助けてもらえたのは大きいもわ。だからね、ラルフ、私を見つけてくれてありがとう」


 ようやく本心からそう言えたのが、ちょうど私に用意された部屋の前。一人すっきりして笑顔をラルフに向けたのと同時に、視界がぐるりと向きを変えた。

 気づいたら扉を背に、ラルフが伸ばした両腕のなかにすっぽりと収められている?


「あの……ラルフ?」


 私を覗き込むようなラルフの仕草につられて見上げると、すでに近い位置に彼の顔があって。憂いを帯びたような表情と、伏せがちなアンバーの瞳の艶っぽさに、心臓が跳ねた。

 そして成り行きとはいえ一度触れた唇の感触を思い出し、とにかく恥ずかしさから逃げ出すことしか頭になかった。だけど下がろうにも背後は扉。そして抵抗しようとして後手に触れたのが、ドアノブだったのがいけなかった。


「きゃあ」


 私が触れたせいで開いた扉とともに、バランスを崩しながら揃って部屋になだれ込んでしまった。

 私は尻餅をつき、ラルフは片膝をつきながらも、私が後ろに倒れて頭をぶたないよう片腕で支えてくれている。

 幸いにして部屋の豪華な絨毯のおかげで、お尻は無事。

 けれどもほっとしたのもつかの間、私たちの頭上に、黒い羽が広がった。


『またおまえか、リズをいじめるなと言ったろう!』


 ヤタが鋭い爪をラルフのハニーブロンドに入れて、羽をばたつかせながら嘴でつついている。


「おい、やめろ馬鹿鴉」

『馬鹿はおまえだ、バーカ!』


 小さくなってしまったヤタの攻撃は、ラルフの髪を乱すだけでちっとも効いてなさそうなのに、ラルフってば本気で嫌がって悪態をついている。そんな二人……一人と一羽のやりとりに、私はつい噴き出してしまった。


「あはは……ふふ、やめてよ二人とも」


 そして小さなヤタがラルフに握りつぶされる前に、引き寄せて手の内に収めた。


「ありがとう、ラルフ。それにヤタも。大丈夫、私はいじめられてなんかいないから」

『本当か?』

「うん、本当。ちょっとね、扉が開いた拍子に転んじゃっただけ」

『それならいい。あいつからリズを守ると約束をしたからな』

「うん? 約束って、いったい誰としたの?」


 元々、ラルフとは最初から水が合わない気がしていたけど、それだけじゃなかったみたい。

 だがヤタは小さな胸を張って、意外な答えを述べた。


『宿舎の騎士の若い女たちだ』


 思ってもみなかった相手に、私とラルフは顔を見合わせる。


『宿舎で我は人間について知見を広げたぞ。若い女たちから、あいつの危険性を教えてもらったのだ。強い魔力を持つ人間は、魔力を持たない者に惹かれるのだそうだな。その魅力は抗い難いものであり、特に人間の雄は理性を失うというではないか。リズがあいつに襲われることのないよう、見張りとしてより精進することを誓ったのだ。しかし人間がそのような造りとは、珍妙なものだな、さすがの主様でも知るまい』


 突拍子もないヤタの発言に、ラルフの反応を確認する。やはりというか、当然というか。私の手の中のヤタを、青筋が見えそうな怒りのこもった顔で見据えている。


「彼女たちの軽口を真に受けたのか、本当に馬鹿だなおまえは」


 あ、本格的に怒りだした。

 気になることを言ってた気がするけど、とりあえずこのままだと延々と喧嘩が続きそうなので、私はヤタを鳥かごに避難させる。

 この二人、もうそろそろ上手くつきあってほしいものだ。こういう時にレオナルさんがいてくれたなら、きっとスマートにラルフを止めてくれるのに。にこやかなラルフの相棒を思い出して、ふと気づく。


「そういえば、レオナルさんもラルフ同様に、グラナートに留まるの?」

「レオナル? なぜ突然そんなことを気にするんだ?」


 本来ならラルフとレオナルさんは、共にリントヴルムへ明日から調査に向かうはずだった。ラルフが私を保護する名目で残るのは聞いたけれど、レオナルさんはどうなのだろう。残るのなら、きっとアンネは喜ぶのではないかな。

 それに、本当にここでラルフと二人きりなのは、心臓にとても悪い気がする……とは、ラルフに正直に言えないけど。


『リズ、またいじめられたのか? 心拍数が増えて僅かだが熱量が上がった』

「やだ、なに言ってるのヤタ、そんなことない」


 私は照れを誤魔化すために、ヤタの鳥かごを抱えて窓際に逃げる。そしてかごの中に!そっと囁く。


「そういうこと言わないで、恥ずかしいんだから」

『そうなのか? ではリズが望むならそうするぞ』


 私はいったん、窓際に設置してもらったフックに鳥かごをかけて、ラルフの元に戻る。いくらか訝しんでいたラルフだったが、詳しいことを教えてくれた。


「レオナルは、そのまま明日の朝にはリントヴルム方面に出発する予定になっているそうだ。先ほど連絡があった」

「……そうなんだ」


 少しだけがっかりしていると、ラルフがその理由を知りたがったので、彼いなかった間に聞いたことを説明する。アンネが寂しがるのではという、私見も入れて。

 するとラルフも喜んでくれると思ったのに、反応はいまいちだった。なんで? わざわざ尾行までして見守ったのに。


「レオナルがここに来ることはないだろう。それより疲れたろう、食事の用意をさせてある。休んだほうがいい」


 あからさまに話題を変えられたような気がするけれど、休むといえば心配なのはラルフの方だ。


「私は大丈夫よ。ラルフこそ、体調はどう?」

「俺はいい、慣れている。だがリズはまだ緊張が続きすぎて、疲れが自覚できていないだけだ。まだ話さなければならないこともあるから、いったん休んで明日にしよう」

「そうなのかな平気なんだけど……でも話って大事なこと?」


 どの件のことだろうかと首を傾げていると。


「リズの両親のことだ。リズが望むなら、俺が知ることはすべて話す。だが今日はもう遅い」

「……そう、だね」


 窓の外はすっかり暗い。朝から本当に、色々なことがあった。

 言われた通り休むことを考えると、瞼が急に重く感じられるから不思議。そんな私の反応にラルフは小さく苦笑し、少しでもいいから食事を口にするよう言い聞かせ、出ていった。

 それから入れ替わりに二人のメイドさんがやってきて、食事の準備と着替えを渡していってくれた。私はヤタがいる鳥かごに布を被せてしまうと、マルガレーテの部屋よりもずと広い空間に、ぽつんと一人きり。

 そうして一人になってみてはじめて、ラルフの言った意味が分かった。

 なぜなら、豪華でおいしそうな食事を目の前にしているのに、どっと疲れが噴き出てきて、目が開けていられなくなってしまったから。せっかく用意してもらったのにと、せめてもとスープと柔らかいパンを頬張る。スプーンを持つだけなに、腕が重くて、まるで筋肉痛のよう。

 そして這う這うの体で着替えて顔を洗い、ふかふかのベッドに身を投げ出してしまうと、私の意識は一瞬で夢の中へと消えていってしまったのだった。

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