第40話 髪飾りと邪魔をするもの
アンネのラルフに対する評価はちょっと横に置いておいて、私は二人の会話の続きを待っていた。つまり、すっかり私も出歯亀と化している。
でもレオナルさんの気持ちは、これではっきりしたのではないだろうか。アンネが気になって、意を決してこの外出を誘ったわけで。アンネも不安になったということは、逆に言えばレオナルさんを意識していたということでは。
これで二人が前向きにお付き合いすることになるなら、もう馬に蹴られてもいいとさえ思えてきたのだから不思議。
しかしラルフといい、レオナルさんといい、女性に対してどうしてそう素直に自分の気持ちを口にできるのだろうか。やっぱり騎士にまで上り詰めるだけの努力をしてきて、その地位を得たという確固たる自信があるからなのかな。
「アンネ、本当は断るために来たんだろう?」
レオナルさんがことさら優しい声で尋ねた。
「ごめんなさい」
「謝らなくてもいいよ、強引にリズを使って来させた自覚はあるって言ったろう? けれど、俺にもチャンスをくれないか。アンネのことをもっと知りたい、そして俺のことを見て欲しい。一時間でもいい、一緒にいてくれないだろうか」
「……レオナル様、あの、がっかりさせてしまうと思いますよ?」
「がっかり? 俺が、きみに?」
「私、気の利いた会話なんてできないですし、それで以前にも振られてしまったし。見た目も地味で、気づいたら弟の話とかばっかりしてしまうかもしれないです」
「いいじゃないか、俺も姉の話が久しぶりにできて嬉しかったんだ。だからどうか、遠慮なんて寂しいことはせず、本心をを聞かせてくれないか?」
まるで自分のことのように、ドキドキしてしまう。アンネは何と答えるのだろう。
「あの、今日はよろしくお願いします」
わあ、アンネが勇気を出した。
私は緊張をほどき、石像にもたれかかってほっと胸をなでおろす。
良かった。そんな嬉しい気持ちを共有したくなってラルフを振り返ると、彼は無表情のままだった。
……ええと、あなたはどういうつもりで後をつけて来たの? レオナルさんの心配をしていたと言っていたのに、もしかして本当に邪魔をするつもりだったとか?
まだ近くに二人がいるため、聞きたくとも声に出せない。だから私の顔には、疑問がいっぱい現れていたと思う。ラルフはそんな私の変な顔を見ると、また口の動きだけで「あとで」とだけ伝えてきたのだった。
それからすぐに二人は市場の方に向かった。少し離れたのを確認すると、ラルフがようやく隠れるのをやめるようだ。立ち上がって埃を払ってから、私にも手を貸してくれた。
「ついでだ、俺たちも後を追いながら、店を回ろうか」
「……まだあとをつけるの?」
「俺とでは嫌か?」
帽子を目深に被って、いつもとは違う恰好のラルフは、よく見ないと正体はバレない、よね?
「ううん、嫌なんてことない」
「じゃあ行くか」
ほっとしたような表情で、腕を差し出してくれたので、私はそこに手をかけて並んだ。
今日はひっつめお団子ではないし、少しだけオシャレをしている。それでも彼の横は、私なんかじゃ不足があるかもしれないけれど、きっと人ごみに入ってしまえばそれなりのカップルに見えるかもしれない。
いつもよりずっと心が軽くなったのに気づき、自分でも思っている以上に、彼の好意に甘えることに引け目を感じていたのだと自覚する。
もっと彼が王子様のような華やかさがなければ、もっと普通の身分だったなら、もっと……そう考えてしまう自分が少し嫌になる。自分に自信がないことの原因を、ラルフに見出す浅はかさ。つい先日、クリスチーナさんに言われたばかりなのに。私がそんなことを考えているなんてラルフに知られたら、きっと幻滅されてしまうに違いない。
「レオナルは恐らく、アンネにつきあって回ったあと、自分が使っている宝飾店に入るだろう。先回りしても時間が余るな……」
「アンネが弟の欲しがっていた本を買いたいって言ってたわ、そこに行くんじゃないかな」
「書店? なら市場通りから少し外れるな。ではその周辺の店を回るか」
「うん」
そうしてラルフに連れられて、市場通りに入った。ここは食料品だけでなく、日用雑貨から職人の作る細工ものまで揃っている。場所が城下すぐの貴族屋敷の一角に近く、元々は卸人が開いた市なので、エンデの町での市とはかなり様相が違う。整然と店が区画されて軒を連ねている。折りたたみの大きな日傘は、どこにも破れなど見当たらなくて、ラルフのような少し上流な紳士ともすれ違うような場所だ。
「ラルフ、あそこのお店を見ていってもいい?」
私が見つけたのは、市の端っこにある組紐細工のお店だった。
飾り紐から、子供用のかわいいリボンまで色々と置いてあって、すぐに目を引いた。なにより、手をかけて編み上げた紐は、どれも優しい雰囲気をもっていて、惹かれるものがある。それに、値段もお手頃そう。
お店に入って並べられた色とりどりの商品を眺める。
「このリボンはリズのか?」
ラルフは頬にかかる髪をまとめたリボンに、そっと触れながら尋ねてきた。
「先日のエンデの市で買ったの、だから今日が始めて使ったんだけど、似合わなかったかな」
「この色が好きなのか」
濃い深みのある赤は、かつての世界でいうならば
けれどもラルフは、聞いておいて返事を聞くつもりがなかったのか、商品棚に目を移している。そして鋭い目付きで何かを探しているかと思ったら、細いリボンを一つ手に取って戻ってきた。金糸のなかに銀糸が織り込まれた美しい組み紐だ。
「これを付けてみろ」
そう言って店員さんを呼びつけ、私を鏡の前に座らせる。そして店員さんに何か指示を出して、数歩下がってしまった。
心細くなった私に、女性の店員がにこりと微笑む。
「髪を触らせていただいてもよろしいですか?」
「え、はい。でも合わせてみるなら自分でも……」
「ご遠慮なさらず、これも通常のサービスですから」
店員さんの押しに負けて、大人しく前を向く。すると丁寧な手つきで私の髪をほどき、櫛を入れ始めた。同じ片側に髪を集めてまとめ、先ほどとは違って左耳の上で纏める。そうしてから、元から付けていた臙脂の幅広のリボンと金の組み紐を、重ねてリボン結びにした。それを結び目にコームで取り付け、長く伸びた組み紐をくねる髪にからませて流す。すると先ほどとは打って変わって、華やかさが際立つ。
深い赤に重ねることで私の髪も、金の組み紐も共に引き立てている。
金の輝くような組み紐が、より淡く輝くように見えて、まるでラルフのハニーブロンドのよう。
ほうっとため息をついてしまったのを、鏡の向こうで待つラルフに見られてしまった。
咄嗟に下を向いて、照れ隠しをしていると。
「じゃあ、それを貰う。そのまま着けて行くから」
「はい、ありがとうございます」
はっとして顔を上げると、どうやらラルフが会計を済ませてしまったみたい。
「ラルフ、私自分で買うから」
「気にするな、俺が選んだんだ。他にも気に入ったものがあれば買うが、どうする?」
「ラルフ……」
ニコニコした店員さんが傍にいるせいで、それ以上言い続けたら、ラルフの立場を悪くしてしまうかもしれないので、私は引くしかない。
「……ありがとう」
お店を出るところで、彼の腕を取って言うと。
「ああ、その色はすごく似合っている」
蕩けそうな甘い微笑みを向けられると、勘違いしてしまうから甘やかさないで。
ずっと、傍に居て欲しいと願ってしまう。
私にあなたの色を纏わせる意味を、聞きたくなってしまうよ。そして聞いてしまったら、傷を負うことを分かっていても引き返せなくなってしまいそうで怖い。
「どうした?」
「ううん、さあ次はどこに行くの?」
「ああ、宝飾店に向かう。あっちだ」
そうして再び、ラルフとともに並んで市場を歩く。
華やかな髪飾りを揺らしながら歩く私に、ラルフはようやく今回の件のことを話しはじめたのだった。
「レオナルは、リズと少し境遇が似ているんだ。家族をアバタールによって殺害されて、唯一生き残った姉も、魔力酔いによって衰弱して死んだ」
「……亡くなったって、アンネに話していたお姉さんが?」
「ああ、姉とレオナルの二人姉弟だ。親代わりになって育ててもらったらしいが、亡くなったのはあいつが十歳くらいだから、そのまま寺院の経営する孤児院に入ったらしい」
「それで、レギオン先生とも顔見知りだったんだね」
ラルフは少しの間をおいて、話を続けた。
「孤児院に入ると、魔法の素質がある者は大半は寺院に残るが、レギオンが見出して騎士団に連れてきたんだ」
「……騎士団に連れて来た?」
「レギオンは、元々魔法騎士団に所属していた魔法使いだ。レオナルの家族の事件に関わっていたはずだ、アバタール討伐の騎士団としてな。それなのに突如寺院に与した、裏切者だ」
過去に何かあったのだろうとは思っていたけれど、想像以上に複雑な事情があるようだった。
「今はレギオンの話はどうでもいい」
「あ、はい」
「死んだ姉の姿を追って、アンネゲルトにたどり着いたなら、どちらのためにもならない。邪魔をするつもりだ」
「どういうこと?」
「レオナルは、自分の中に誰も入れないから、誰に対しても同じように振舞える。それを優しさと認識され人は集まっても、レオナルは孤独のままだ。どの魔法使いにも言えることだが、レオナルは深い傷を負っている」
「でも、レオナルさん自身がアンネを誘ったんだよ、誰も入れない場所に、アンネを招いたってことじゃないの?」
「かつて姉がいた場所に、代わりを置くだけかもしれないだろう?」
「じゃあアンネの気持ちはどうなるの?」
「だから、それも含めて確かめると言ったろう。だいたいな、俺は約束したから仕方なく引き受けているだけだ。なんでレオナルのためにコソコソしながら、リズと市を巡らなくちゃならないんだ。俺がしたいのは堂々とリズを連れてだな……」
「だから、それはお断りですってば!」
捕まっていたラルフの腕を、思い切りつねってやった。
「それで、こんな人の恋路を邪魔するみたいなことを、いったい誰と約束したの?」
「それは……」
「それは?」
「あまり答えたくはない」
「えー、それってどういう意味? 恥ずかしいから?」
「俺が? そんなわけないだろう」
「だったら教えてくれてもいいじゃない、ここまで話しておいて」
「後でな」
「またそれ!」
なかなか口を割らないラルフと、歩きながら押し問答をしているときだった。
市場の中央あたりに向かっている私たちの後方から、大きな影が突如伸びてきた。幸せなひとときから一転、気づいた時には目の前が黒い闇に覆われていて。
──ラルフ。
そう名を呼べたかどうかも分からないうちに、私の意識は夢の中に落ちていたのだった。
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