第39話 出歯亀な二人

 私はどうしてこんなことをしているのだろう。

 さっきからそんな疑問ばかりが、繰り返し頭の中を回っている。ラルフに手を引かれて広場を人目を避けるように早足で歩き、息をひそめて物陰に隠れるよう頭を抑えられている。


 事の起こりは、今日の朝だった。

 いつもと変わらない朝食をいただいた。新しい仕事の疲れもあって掃除がおろそかになっていた部屋を片付けて、すっきりしたところで開け放っていた窓を閉めようとした時。

 ばっちりと目が合ったのは、ちょうどマルガレーテに向かって歩いてくる、私服姿のラルフだった。

 どうして、ここに?

 今日はマルガレーテがお休みなことは、ラルフだって知っているはず。

 私は慌てて上着を羽織り、部屋を出た。階段を駆け下りて、通用口から外に出る。細い路地を通って表通りに出ると、ちょうどラルフが玄関を覗いているところだった。


「ラルフ?」

「リズ、ちょうど良かった」


 ラルフは私を見つけると、そのまま路地に入って通用口の方に向かう。


「あの、どうしたの?」

「見つからないように裏から入らせてもらう」

「見つからないって誰に? 今日はお休みだよ?」

「店に用があって来たわけじゃない。ところで、アンネゲルトにはレオナルの言葉を伝えたのか?」

「それは、もちろん。でもあまり良い反応ではなかったわ」

「そうか。とにかく俺たちも行くから、早く支度をしろリズ」

「は……行くって、どこに?」

「レオナルとアンネゲルトの密会場所に決まっているだろう」


 ええええ? 

 驚きで空いた口が塞がらない私に業を煮やし、腕を取って建物に入ってしまう。

 それよりも、密会ってなに? 買い物デートってせめて言ってよ。というか、なんでラルフが出歯亀しに行くのよ、そもそもアンネが本当に行くかも分からないのに!


「いったい、何の騒ぎ?」


 通用口はそのまま、食堂に通じる廊下にある。私の質問の嵐を聞きつけ、片付け担当になっていたミロスラフさんが洗い場から顔を出し、それにつられるようにして階段の踊り場からエマとヒルデさんがこちらを伺っていた。


「あらまあ、休日なのに熱心なお客様だこと」


 ヒルデさんの声は楽しそうだけれども、たぶん嫌みなのだと思う。

 皆が集まってくると同時に、部屋にいたはずのヤタまで舞い降りてきて、私の肩にとまる。


「ヒルデ、リズを借りる」

「それはご本人に言われるとよろしいかと。今日はお休みですからね……どうするのリズ?」

「え、あ、あの……」

「町を回るだけだ、もうそのままでいい」

「あ、だ、ダメよ」


 私は差し出された手を取れずに、困ってラルフを伺う。彼はいつもの凛々しい騎士団の制服ではなく、町の人のような恰好をしている。確かに形こそ地味だけれども、生地の艶やかさと仕立ての良さが分かり、気後れしてしまう。

 そんな私の気持ちが分かってくれるのは、やっぱりエマで。


「ラルフェルト様、ちょっと待っていてください、リズを支度させますから」


 そう言ってラルフの前から私を浚うように引っ張り、背中を押す。


「さあ、行くよリズ」


 そうして部屋に押し込まれて、着替えさせられた。といっても大した着替えがあるわけではないので、仕事ではあまり履かない明るい色のスカートとブラウスに、エマが自分の編み上げベストを貸してくれた。いつもはひっつめてお団子にまとめている髪を、ふわりと横に束ねて、そこに先日買ったばかりのリボンをつけてくれた。そしてエマのとっておきという、リップクリームを塗られたところで、どうやら完成。


「うん、可愛くできた。完璧にデート仕様だよ、リズ。」

「デ……デートじゃないし」

「若い男女が二人きりで出かけたら、全部デートよ。観念して楽しんでおいで」


 さあさあと再び背中を押され、ラルフの前まで戻されてしまった。

 そのころにはミロスラフさんもヒルデさんも居なくなっていて、ラルフとヤタが相変わらず何か言い合っている。


「おまたせ、ラルフェルト様」

「ああ、準備はよさそうだな」


 照れて視線を上げられない私に、ラルフは微笑んでいた。


『リズ、リズ、我を連れていけ』

「……ヤタ、それは無理よ。今はまだアバタールの外出は、制限されているの。いつもの騎士団への出張とはわけが違うわ」

『やっぱり、そうなのか?』


 しゅんとしたヤタが可哀そうにも思えたが、すぐに彼は復活する。そして黒い翼を思い切り広げ、嘴で羽を抜いた。

 そうして黒く艶やかな羽を、私に差し出す。


『これを持っていけ。何かあればこれを媒介に、駆けつけられる』

「うん、ありがとうヤタ」


 受け取った羽は、軽くて手の上で浮いてしまうのではと思えるほど。それを大事にハンカチで包み、スカートのポケットに入れた。


「じゃあ、行ってくるね、ヤタ、エマ」


 そうしてマルガレーテをラルフとともに出た。来た時と同じ通用口を出て、ラルフはダグラス通りを南へ向かう。その背を追って歩くと、すぐに馬車が一台現れた。

 路線馬車よりもずっと小柄のその馬車は、シンプルで騎士団のものに近い。でも騎士団の印は入っていないし、個人所有の馬車によく見られる、家紋エンブレムもついてなさそう。

 ラルフはは御者に目配せすると、扉を開けて私を乗せる。


「ねえ、この馬車って……」

「我が家で使用人が使っているものを借りてきた。乗り心地はさほど悪くないはずだ」


 いえ、そんな贅沢を言いたいわけじゃなくってね?


「侯爵家のを使わせてもらうなんて、申し訳ないよ。でもそんなに遠くに行くの?」

「いや、すぐだ。馬車は気にしなくていい、俺もよく使う。これは目立たなくて便利だからな」


 言われてみれば、ラルフが歩いているだけで、黄色い声が上がるのは常だった。馬車での移動は、安全かもしれない。最近はラルフに目の色を変えることがない、騎士団の女性たちと接していたので、そんなこと忘れていたけれど。

 そうして向かった先は、レオナルさんがアンネとの待ち合わせに指定した、ブルンネン広場だった。

 馬車は広場から少し奥まった、人目のつかない場所に停車した。御者の男性が扉を開けると、ラルフは用意してあった帽子を目深にかぶり、降り立った。

 彼の目立つハニーブロンドの髪を隠しただけで、ぐっと地味になるのだから不思議。


「さあ、行こう。レオナルも来る頃だ」

「ええと、本当に出歯亀するつもりだったの?」


 だから今までそう言ってたろう。そう言いたげに、じっと見下ろされる。


「なんで? そっとしておいてあげたほうがいいと思うよ? それにラルフ、そんなキャラと違うでしょ」

「キャラとはなんだ?」

「あ、いや、それはその……こんなのラルフらしくないって言ってるの。訳を聞かせてよ」


 言い換えられないので、つい前世のままの言葉を使ってしまった。

 でもラルフは私の問いに答えるつもりはないのか、そのまま私の手を握ったまま歩き出した。ブルンネン広場に向かうかと思ったら、近くのカフェに入るようだ。そして店員さんに「予約の席を」と告げて、二階に案内されてしまった。

 広い個室の席につくと、そこからの景色に驚く。広場のほとんどを視界に収めることができる。なんて用意がいいの。

 そうして驚いているうちに、店員さんが手際よくティーセットを用意してくれたのだった。

 そうしてラルフは平然と苦い珈琲を口に含んでから、ようやく話す気になったみたい。


「レオナルの様子が気になった。杞憂ならいいが」

「レオナルさんの様子?」


 いつも爽やかで笑顔を絶やさないレオナルさん。昨日のように照れた様子は初めて見たけれども、心配になるようなことあったっけ?

 私が首をひねっていると、ラルフが珍しく笑った。


「リズを連れ出す口実も、半分ある」

「……私?」

「明日から、しばらくまた会えないだろう、まさか忘れてたのか?」

「あ、そうでした」


 リントヴルムの隣町スヴェルクまで、彼らは調査に行くんだった。忘れていたわけではないけれど……ラルフの視線が痛い。


「レオナルが、珍しく殊勝なことを言う。会いたい者には後悔しないよう会っておきたい。誰かに渡ってしまうのを、指を加えて見るのはもう十分だと」

「それって、アンネのこと?」

「そうでもあるが、それだけではないのだろう。レオナルは既に失っている。今更だ」

「今更って、そんな言い方……」

「もう十二分に分かっているはずのことを、今あえて口にする意味が知りたい。何かあったのかもしれない」


 ラルフは、そう言って眼下に広がる人の流れを目で追っていた。


「来た」

「え? どこ?」


 ラルフの言葉に、思わず窓に張り付こうとして、止められた。


「あいつの目と耳じゃ、身を乗り出したらバレるじゃないか。座ってろリズ」

「あ、はい、ごめんなさい」


 ラルフに倣って、椅子に座ったまま横目で様子を伺う。するとレオナルさんらしき長身の男性が、広場の噴水のあたりをぐるりと一周している。

 誰かを探している、そんな様子だ。

 時刻は、レオナルさんの指定した時間よりも、まだかなり早い。


「間違えて伝えちゃったかしら、十一時って言ってたよね?」

「アンネゲルトは来るとしたら、必ず早めに到着するような性格だろう。それを見越しているだけだ」

「ああ、確かに……って、それらしい会話してるけど。絶対、こんなの止めたほうがいいって。ラルフだって、見られたくないでしょ!」

「俺が?」


 そうそう、初めて外出に誘われて、それを誰かにこっそり見られてるなんて分かったら、死にたくなるよ。


「いいや、むしろ見せつけてやりたい。リズが俺のだと分かればどこに行っても邪魔されなくていいだろう」


 はい?


「リズは違うのか?」


 ちょっと待って。なに言ってるのこの人。


「今日はレオナルに見つからないよう移動しなくてはならなかったが、本当はあの広場だろうが、町中でリズを連れて歩き、おまえが誰にも手出しされないよう牽制したいくらいだ。そうしたら……」


 私は今、優雅なティーセット越しに手を伸ばし、必死にラルフの口を押えている。

 しかも真っ赤になりながら。


「ホントもう……そういう歯の浮くようなこと、どうして平気で言えるのよ!」


 するとラルフは簡単に私の手を掴んで口元から外してしまう。


「本心だから、そのまま口にした。それのどこに不都合があるっていうんだ?」

「や、だから……」

「そんなことは後だ、リズ。アンネゲルトが来たようだぞ」

「え、どこ?」


 窓から見下ろそうとした私を制止し、ラルフは立ち上がる。


「行くぞ、リズ」

「え、広場に?」

「もちろんだ、ここでは会話が聞き取れないだろう?」


 本当に盗み聞きまでするの?

 驚く私の手を引いて、ラルフは個室を出る。まだお茶が残っているのに……

 けれどもラルフはカフェの店員に「時間まではそのままにしておいてくれ」と告げてさっさと店を出てしまった。お会計をしなきゃと言うと、初めから支払って時間で貸し切ってあるから心配ないとのこと。なんて用意周到なの。

 そうして目深に帽子をかぶったラルフとともに、広場の外縁を伝ってレオナルさんがいた噴水傍まで、そっと近づいた。

 近くに市場があるせいで、多くの人が行きかうブルンネン広場。タイルで花の模様がはいった石畳は、日当たりの良さと相まって、明るい印象がある。そのせいか子供連れの家族もいて、ベンチはほとんど埋まっていた。その一つに座り、レオナルさんはアンネを待っていたようだった。

 ちょうど花壇の合間に置かれた石造の前だったのをいいことに、ラルフと私はその石造を背に隠れながら、レオナルさんの様子を伺うことにした。距離にして三メートルほど。これってすぐにバレるんじゃないだろうか。

 ラルフは人差し指を口の前に立てて、私に喋らないようにと指示を出した。レオナルさんは風の魔法使い。きっと声を出したらバレてしまうだろう。

 すると、レオナルさんの姿をようやく見つけたアンネが、彼に走り寄って来る。そんな様子を見ていた私の頭を、ラルフが押えて石像と花の影に隠した。

 なにするのと振り向けば、ラルフの口が「見つかるだろう」と動いていた。

 

「レオナル様、リズからの伝言を伺ってきました」

「アンネ、来てくれて嬉しいよ。強引に約束を押し付けたから、さすがのきみでも怒って来てくれないかもとびくびくしていたんだ」

「怒ってはいませんけど……少し、驚いてはいます。本当は、お誘いを断るつもりでいたから」

「そうだと思った」

「あの、ごめんなさい。お買い物をご一緒するくらいで、こんなに悩んで、重たくて……がっかりしたでしょう?」

「そんなことない、嬉しい。ずっとアンネと話してみたくて気になってたけど、俺じゃなくてラルフェルトの方がいいと思ていたから」

「ラルフェルト様? どうして」

「きみも、彼を目で追っていたろう、俺にだってそれくらい分かる。好きな子は目で追ってしまうものだ」

「や、やだ、違います。あれは……」


 言葉を濁したアンネに、レオナルさんは隣に座るよう促したようだった。

 人の恋路に、自分が絡んでいたなんてラルフ自身はどう思っているんだろうか。耳を澄ませつつもちらりと様子を伺うと、彼の顔に何ひとつ表情のゆらぎもない。うん、分かってた。あなたはそういう所あるよね。


「ラルフェルト様は……弟に似てるんです。わがままで、癇癪持ちで、執着が強くて手を焼いていて。あの方を見てると、将来の弟もこうなるのかなと心配になってつい……」

「ええと、きみの弟ってたしか、十歳くらいだったような」

「はい。…………あ、すみません、失礼なことを。外見は全然違うし、弟は内弁慶だから、外で不遜な態度はできないんですけど」


 アンネ、謝ってても一切フォローになってないよそれ。


「いや、本人はいないし、黙ってるから大丈、夫」


 レオナルさんが笑いを堪えている。私はもう一度、ラルフの顔を伺いたい衝動にかられつつも、止めておいた。

 おそらく、眉間に皺を刻みながら、舌打ちを堪えているに違いない。

 ところで、この盗み聞きはいつまで続けるつもりなんだろうか。 

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