第38話 アンネとレオナル
「アンネ、お付き合いしている
「ええ、でもあまり上手くいかなくて、さほど日も経たずにお別れしてしまったの。私、あんまり愛想がよくないでしょ、物足りなかったんだと思う」
驚いて声を上げてしまってから、私は慌てて口を手で覆う。
女性騎士たちの宿舎の一室を、作業場として五日目。休憩時間になってお茶をいただいている間、他愛もない話をしていたついでに、あれからレオナルさんとお出かけしたのかアンネに聞いてみたら、思ってもみなかったアンネの事情が知れたのだった。
私が宿舎に出張仕事をしている間にも、レオナルさんはアンネを外出に誘っていたみたい。けれどもアンネは了承の返事を返せていないというのだ。
その理由が、アンネの男性に対する不安。
きっと仕事以外で会っても、何を話していいやら分からない。そうしてやっぱりつまらないと思わせてしまうならば、誘いは断ったほうがいいのだと言う。
「アンネが愛想が悪いなんてこと、絶対にないよ。エマのように、笑いを振りまくタイプとは確かに違うけれど、いつもそっと気を利かせてくれて、優しく微笑んでいてくれるでしょう、私はそんなアンネにいつも温かい気持ちにさせてもらっているわ」
「ありがとう、リズ。でもレオナル様も、軽い気持ちで言い出したことを、今更訂正できないかもしれないわ。私の方から今日は断ろうと思う」
「休みはもう明日だものね……」
「うん、ちょうど弟が新しい本を買いたいって言っていたから、そっちにつきあおうかなって」
アンネは明るく笑顔をつくってそう言った。
もうそう決めてしまったのなら、私にはどうにもできず。「そうなんだ」としか返せなかった。
ちょうどそのタイミングで、外部の仕事の打ち合わせに出ていたヒルデさんが戻ってきた。私たちの様子を一目見て「どうかしたの?」と尋ねながら、お茶を自ら注いでから隣に座る。
「いいえ、なにも。それより、思ったよりも早く戻って来られましたね、ヒルデさん」
「ええ、注文があった貴族の方から、いったん注文を保留にされてしまったの」
「確か、幼いご子息が魔力酔いを起こされるから、護符の注文でしたよね。大丈夫なんですか?」
「うん……それなんだけどね」
ヒルデさんは少し考えこみ、言葉を濁す。
するとそのヒルデさんの様子を見て、アンネが思わぬことを口にした。
「護符が必要ないと思えるほど、症状が改善されたということでしょうか」
「改善? 症状が良くなったから、護符がいらなくなったってことですか?」
私は療養に訪れたラルフか、父さんの薬をもらいに来る近隣の患者さんしか知らない。ラルフの様子を参考にするならば、魔力酔いは体質によるもの。そう簡単に改善するものという認識はなかった。それが本当ならば、素晴らしいことだ。
「それなのよねえ。私の立場からじゃ何も言えないんだけれど……」
「何か、心配になることが?」
「そのお屋敷から、僧侶の格好をした人間が出ていくのを見たのよね」
「僧侶……?」
「最近、寺院でも魔力酔いに対処できる、護符のようなものを配っているって、噂があるのよね」
「ああ、つまり先手を奪われたってことですか」
アンネの言葉に、ようやく私はそういうことなのかと思い至る。だが私たちのものだろうと、寺院のものだろうと、選ぶのはお客様だし仕方がないのかな。
「元々寺院も、聖域で魔素除けのまじないや儀式をしているけれど、個々の人間に護符を与えるという話は聞いたことはないわ。それに確認したわけじゃないから、あくまでも私の勘違いかもしれない。それに、魔素が減ってきているという情報もあるから、改善したというのも嘘ではないかもしれない」
魔素が減る。確か、ゾルゲ団長が、再び魔素がリントヴルムに収斂しはじめていると言っていた。その結果、他の地域で元の状態に戻るならば、良いことなのではないだろうか。
「まあ、正直ほっとしてるのもあるの」
ヒルデさんは両手でカップを持ち、お茶を飲み干した。
「あのお客様は、それなりに我がままな方でね……今は騎士団の仕事を優先させているから、他の仕事はかなり絞っているでしょう? そこを強引に押し込んできた人だから。今回のことがなくても、いずれは何かしらのトラブルがあったかもしれないわ」
「ああ……そうですねぇ」
アンネまで、苦笑して同意するとは。
「そんなに、なんですか?」
「まあ、貴族相手だとよくあることよ。ラルフェルト様の不愛想なんて、可愛いと思えることもあるくらい」
そうなんだ……。今後もマルガレーテで働かせてもらうなら、そういう事があると覚悟しなくてはならないのかもしれない。どうしても魔法使いは、高貴な身分の家に生まれる傾向があると聞く。
魔法使いの力が権力そのもので、素質が高い子供が跡継ぎに喜ばれた時代が、長く続いたせい。父さんからそう聞いたことがある。
「さあ、そろそろ仕事に戻りましょうか。リズはこの後、ラルフェルト様が待っているでしょうから、途中のものを仕上げたら、すぐに向かってくれる?」
「はい、わかりました」
そうして午後のお茶を終え、今日の仕事の仕上げにかかった。
アンネの細かい指定を見ながら、私は針を通す。
たくさんの護符の効果を持つ装飾品を縫い付けるのに、アンネの指示は絶対。彼女は組み合わせる護符を、打ち消しあうことなく絶妙に配置させることが得意なのだ。騎士のためにに合わせられる護符は、その効果が高いものばかり。しかも効果が相反するものを同時に使いこなす騎士も多く、その要望を叶えるためには、アンネの組紐を組むかのような繊細さが役に立つ。
ほんの少し気を抜いて角度を間違えると、大変なことになるのもあるみたいで、慣れない私は、逐一チェックをしてもらっている。
今作業しているのは、袖口の装飾。少し目を凝らさないと分からないほどの色違いの糸で、護符の効果が織り込まれている。持ち主となる騎士が、左右で違う魔法を使いこなす方なのだ。これは今日一番の、神経を使う作業となった。
最後に糸を留めて、ほっと息をつく。
この制服を着る騎士が、どうか正しく魔法を使いこなし、無事に任務から帰還されますように。
華やかで明るい女性騎士たちを思い出しながら、私はそう願いを込めて糸を切る。
「うん、上出来よリズ」
最後にアンネの合格を得て、私は今日の仕事を終えるのだった。
「お待たせヤタ、今日は人が来ないから退屈してたでしょう?」
『そんなことはない。リズの紡ぎは心地よい。頭を撫でられるように、眠りに誘われる』
「……そういえば、今日もうとうとと目を瞑っていたよね」
手を差し伸べると、止まり木からひょいと私の肩に飛び乗るヤタ。元はリントヴルムの主から派生したアバタール、魔素からできているせいか、見た目ほど重さはなく軽やかだった。
『これからまた、あの性悪に会いに行くのか?』
ははは……性悪って。
「喧嘩をしないように、大人しくしていてよね?」
『我は何もしていない、あの男がつまらない事でムキになるのが悪い』
「はいはい、じゃあ鳥かごに入ってね」
ヤタは素直にかごに収まってくれる。そんなヤタの入った鳥かごを抱え、私は一足先に女性宿舎を出る。
もう五日目なので、すっかり慣れた道を歩き、隣の棟に入る。そこは女性宿舎と一般立ち入りができる棟を結ぶ小さな建物だ。その一室で、いつもラルフが待っていてくれている。
渡り廊下で警護している人に、小さく頭を下げて部屋に入ると、今日はラルフだけじゃなくてレオナルさんも一緒にいた。
初日以外は忙しいのか、ラルフだけだった。もしかしたら、この後アンネに会うつもりでいるのかもしれない。だとしたらレオナルさんは本気でアンネのこと……なんて考えるとなんだか私の方がドキドキしてしまう。
でもそれがいけなかったのだろうか。
「リズ、早くしろ」
不機嫌そうなラルフの声がかかり、気づけば手を引かれてぐいぐいと奥に連れて行かれて、いつもの椅子にドサリと座らされてしまった。
びっくりしたヤタが羽をばたつかせていたので、抱えていた鳥かごをそっと台に置く。
「だ、大丈夫だったヤタ?」
『こらオマエ、リズに乱暴するな』
「うるさい、黙れ」
「ああもう、喧嘩はしないでってば二人とも」
「いいかげんにしろよラルフェルト。彼女を困らせるために、ここまで付き合わせているんじゃないだろうに」
私が困っていると、レオナルさんが仲介を買って出てくれた。彼が居てくれる時は、ラルフが素直に引いてくれるから本当に助かる。
口では文句を言いつつも、ラルフはレオナルさんを信頼しているのだろうな。
「お前なんて連れてくるんじゃなかった。いいから、早く用を済ませて行けよ」
え、レオナルさんいなくなるの?
そんな心の声が顔に現れていたのだろうか。ラルフが私を見て、舌打ちをしようとした。
「はいはい、本当におまえ
「うるさいって」
レオナルさんが呆れたように言うので、彼とラルフを見比べて、まさかやきもちだなんてと笑う。けれどもそっぽ向いたラルフの耳が、ほんのり赤くなっているように見えて、私の方が赤面してしまった。
「あ、あの、レオナルさんは私に用があって?」
「ああ、そうなんだ。伝言を頼みたくて待ってたんだ」
「伝言?」
レオナルさんが、見惚れそうになるくらい、はにかんで笑った。
「ああ、アンネに」
「……あ」
「もしかして、彼女から何か聞いてる?」
まるで盗み聞きしたかのような居心地の悪さを感じ、私は小さくなりながら「少しだけ」と答える。
するとレオナルさんは照れたように、咳払いをした。
「あのさ、彼女に伝えて欲しいんだ。明日、十一時にブルンネン広場で待ってるって」
「あ、あの、アンネは隣の宿舎に来てるんです、直接会って言ってあげてください」
きっと喜ぶ。断るって言ってたけど、こんな風に照れた様子でレオナルさんに誘われたら、気が変わるかもしれない。
だけど私のお節介は、彼には必要なかったようで……
「会ったら、断られるんじゃないかな。だからリズを利用して、逃げられないように、ね?」
「そんな、こと……」
ないって言えなかった。
レオナルさんは、アンネの不安をくみ取っているのかな。
「きみは責任を感じる必要はないよ。今の伝言だけ伝えてくれるかな。アンネの責任感に漬け込んでるんだ、振られても仕方ない。でもまた誘うから。これでも俺、けっこう打たれ強いんだ」
「レオナルさん……分かりました。アンネには必ず伝えます」
「ありがとう、じゃあ俺は別件の仕事があるから行くよ」
そう言って、レオナルさんは帰って行ってしまった。
珍しく、黙ってそのやり取りを見ていたラルフに、疑問を投げかけてみる。
「いつも組んで仕事をしてるのに、ここのところ一緒じゃないのね」
「あいつは教会の方を重点的に調べている。明後日には、一度スヴェルクの町にレオナルは向かう。リズと接触した隣村の老人が、まだそこに居るらしい」
「もしかして、それってラルフも一緒に?」
「ああ。今回は他の団員とともに、調査団として向かう」
「……危なくないの? まだスヴェルクも魔素の影響が強いなら、魔法使いには厳しいんじゃ?」
「護符の研究も進んでいるから、心配はいらない。先に入っている団員からの連絡では、魔素の収斂は本当のようだ。それより、仕事だろリズ」
「あ、うん」
ラルフが脱いだ制服の上着を受け取りながら、ヒルデさんから聞いた話を思い出す。ラルフが倒れないほどに、魔素が薄まっていてくれたらいいな。
襟部分の飾り紐のほつれを直しながら、私は波立つ心を必死に抑えた。
いくつもの破れやすり減りが、これまでラルフが経験してきた危険だと思うと、胸が締め付けられる。このたかが布の服が、鎧のように頑丈ならいいのに。そう願わずにおれない。
「俺はこの後、非番になる。マルガレーテまで送っていく」
大きなソファにもたれかかりながら、目を伏せてしまったラルフに、私は頷きながら「うん」とだけ返事をした。
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