第36話 小さな予感
ラルフの上着の直しを終えて、まだ仕事に戻るというラルフを見送るのに店の玄関へと向かうと、そこにレオナルさんが待っていた。
いや、待っていたというのは正解ではなかった。レオナルさんの大きな背の向こうに見え隠れするのは、アンネだ。どうやら二人でなにか話しているようだった。アンネが楽しそうに笑っている。
私の視線に先に気づいたのは、レオナルさんと向かい合っていたアンネの方。驚いたような顔をした後、ほんのりと頬を染める。その様子に、レオナルさんが気づいて、私たちの方に振り返った。
「終わったんだ?」
「ああ、寄りたいところがある、急ぐぞ」
待たせておいたラルフの方が、そんな風に言っても、レオナルさんは慣れっこなのか「はいはい」と動じた様子もなく、アンネの肩に手をかけた。
「じゃあ、また。良い返事を待ってるから」
怪訝な顔をするラルフにせかされるようにして、それだけを言うと二人そろって店を出た。
「またの起こしをお待ちしてます」
アンネとともにそう告げて、ラルフとレオナルさんに頭を下げて見送る。私はそっと隣のアンネの様子を伺うが、彼女はもういつも通りの微笑みを浮かべている。
「レオナルさんと仲が良かったんだね」
そう聞いてから、彼も騎士団でラルフと組んで仕事をしているのだから、顔なじみなのは当たり前かと、思い直した。
しまったと思ったのが顔に出ていたのか、アンネは苦笑いをしつつも、「そうでもないのよ」と言う。
「私は人見知りだし、奥にいることが多いから、あんなに話したのは今日が初めてよ」
「そうだったのね、でもレオナルさんってすごく気を使ってくれる方だから、話しやすいよね。アンネがとっても楽しそうに笑ってたから、さすがレオナルさんって思っちゃった」
「見られていたなんて、恥ずかしいわ。実は私も家族とエンデの市に遊びに行ったの、その様子を彼に見られてしまっていたらしくて」
「そういえば、初日に回るって言ってたよね、楽しめた?」
「ええ、でも久しぶりに弟とは一緒の外出だったから、帰りにすごくごねて泣き出しちゃったのね。それを抱っこしてあやしてたのを見られてて」
「ええと、そんなに年が離れてたっけ?」
「それが今年で十二歳なのよ、もう本当に恥ずかしくて。うちは母親が早くに亡くなってしまって、弟は私を母親代わりに育ってるせいか、すごく甘えん坊で」
アンネは照れたように言うけれど、弟のことを話すときには、いつも優しい顔つきになる。
「レオナル様には、お姉さまがいらしたんですって」
「そうなんだ……」
過去形を使った言葉の裏には、複雑な事情があるのだろうか。いつも気を使ってくれる明るいレオナルさんのことを、実は何も知らないのだと今更ながら気づいた。
「うちと同じくらい年が離れていたみたい。懐かしいって笑ってらして。弟の気持ちが分かるって言ってくれたのよ。それで私が弟の世話ばかりで、買い物ひとつできなかったんじゃないかって聞かれて」
「……できなかったの?」
「まあ、いつものことよ。弟のために行ったから私は構わないわ。そう言ったら、自分もラルフェルト様のお守ばかりだから、市を楽しめなかったんだ同じだねって。思わず笑ってしまって……そうしたら、今度ぜひ中央市場に一緒に買い物に行かないかって誘ってくれたのよ」
「レオナルさんらしい気遣いかも」
「そうね。本当に、お話してて楽しかったわ」
夕刻が近づいてきているので、私たちはそんな話をしながら、店の玄関を締め、カーテンを引いていた。すると後ろからエマの声がかかる。
「ねえねえ、二人とも。お茶にしないかってヒルデさんが言ってるわよ。ケーキまであるのよ、早く締めて上においでよ!」
「分かったわ、今いくからとっておいてね」
アンネが階段の踊り場から身を乗り出すエマに、そう笑いながら返事をする。そして機嫌よく引き返していくエマの後ろ姿を見送りながら、アンネは私に耳打ちする。
「エマにはまだ内緒よ?」
「……言わないけど、きっとすぐバレると思う」
「そうかもしれないけど、まだお誘いをどうするか決めてないから」
そう言いつつも照れたようなアンネの様子に、きっと二人は一緒に買い物に行くことになるのではと予感がした。そしてそうなったらいいなと思いつつ、私は笑顔で了承するのだった。
♢ ♢ ♢
翌日から、私はヒルデさんに連れられて魔法騎士団の宿舎に通うことになった。
馬車で向かう先は、グラナート市街地の南方にある、騎士団本部の中の女性隊員寄宿舎。そこは男性立ち入り禁止区域だそう。
初日だけは、実はミロスラフさんも一緒。たくさんのサンプルと布、裁縫のための道具やらも運ばなければならないので荷物持ち兼、型決めのための助手。ただ、外出するためには、少々制約が必要とのことで……
「本当にそれ、大丈夫なんですか?」
揺れる馬車の中で、つい聞いてしまうのは、ミロスラフさんの首に嵌められた護符てんこもりの首輪のせい。
肌にしっかりと密着させなくてはならないらしく、襟元を広げて首輪の上から、スカーフを巻いている。
「ベリエスでなかっただけ、幸いじゃないかな。こういうの、彼は似合わないからねえ」
スカーフを巻いているスタイルは、どこか幼い少年のような雰囲気になる。確かに童顔なミロスラフさんはそう不自然ではない。でも私が言いたかったのは、そういうことじゃないんだけどな。
そんな不穏な状況のなかでも、本人は気にした様子もなく、久しぶりの外の景色を大いに楽しんでいるようだった。
確かに、馬車の窓から入る空気はほんのり暖かくなり、そのなかに湿気を感じられる。それはもうすぐ、彼の本性に最も適した季節がやってくるということを意味する。木々の葉はより青く茂り、道端の草は気を抜けばどんどん背を伸ばす。空はぼってりとしたメレンゲのような白い雲が、低く漂うことが増えて、そしてふいに集まっては雨を降らせる。
グラナートの町に、短い雨季がやってくるのだ。
「ミロスラフより、彼の方が心配よ。大丈夫かしら」
ヒルデさんが苦笑いを浮かべながら視線を向けるのは、私の横に置かれた鳥かごだ。蔦を編んで作られた軽い鳥かごには、布が掛けられているが、その中にはヤタがいる。
私を守るのが使命だと訴えるヤタだったが、彼もまた紛れもないアバタール。鳥かごに護符を施して、ようやく同伴を許されたのだ。羽も広げられない鳥かごの中は可哀そうではあるけれど、騎士団宿舎は建物自体が魔素を排除するよう作られているので、仕事場に着けば解放してあげられることになっている。
「もう少しだけ、辛抱してねヤタ。移動中くらい大人しくしてくれないと、次からは一緒には来れなくなっちゃうからね?」
『べつに狭くなどない、だから置いていくなリズ』
「僕らとは違って、使い魔はあまり肉体の形に左右されない。心配はいらないと思うよ」
ミロスラフさんが私たちを安心させるようにそう言った。
ヤタは形こそ鴉だけれども、使い魔。本物の鳥と違い、羽を広げて飛ぶ必要もあえてないみたい。いまだにアバタールと使い魔の違いが分からないけれど、彼らが言うには、厳密には違うとのことだった。
そうして私たちの乗る馬車は、騎士団本部のなかにある目的地に到着したようだった。馬車の扉が開くと、真っ先にヒルデさんが降りて、騎士団員の女性と言葉を交わしている。続いてミロスラフさんが大きな道具箱を抱えて降りて、私はヤタの鳥かごを手に続く。
ステップに足を下ろすと、到着を待ち構えていた人の中に、ラルフを見つけた。すぐに視線が合うと、彼はますぐ私の方に向かてやってきて、手を貸してくれる。
その動作があまりにも流れるように自然で、考える間もなく手を取ってしまった。まるで舞踏会にやってきたお姫様のワンシーンのようだけれど、私は針子。降り立ったところでふと我に返り、恥ずかしさが募る。
「お、おはようラルフ。今日はお邪魔します……」
誤魔化すように俯き加減にそう言えば、ラルフは心配そうに私をのぞき込む。
「昨日の今日で、無理をしているのではないのか? 体調が悪いなら救護室に」
「ち、違うから! 大丈夫です、仕事をさせて?」
色々あったのは事実だけれど、ラルフはどうも私に対して過保護すぎる気がする。
「リズは、真面目すぎるんだ、ヒルデにこき使われすぎて倒れたらどうするんだ」
まだ言い募るラルフを止めるのは、いつも通りレオナルさんの仕事だった。
「はいはい、ラルフェルトは余計なことで話を混ぜ返さない。おはよう、リズ。今日はラルフと俺は別件で出るから、あいさつだけでもと思って待ってたんだ」
「おはようございます、レオナルさん。グラナートを出るんですか?」
「いいや、そこまでじゃないよ。寺院に聞き込みで回るつもりなんだ、ちょうど俺は寺院に顔がきくからね」
「そうなんですか?」
「ああ、俺は早くに家族を亡くして、寺院が経営していた養護院で育ったからね、昔なじみの多くが、そのまま寺院に残ってるんだ」
「養護院、ってレギオン先生が子供たちの面倒をみていたような?」
「そうそう。彼は俺の先生をしてくれていた時期があったよ。まあ、それはラルフェルトもだけど」
「レオナル、不愉快だ。あいつの話はするな」
傍にいたラルフが、いっそう不機嫌を募らせたようだった。
エンデの広場でも思ったのだけれど、ラルフはレギオン先生を嫌っている。そういえば、どうしてなんだろう。
「そういう言い方をすると、リズが不安になるだけだろうに」
「リズをあいつには近づけさせたくない」
レオナルさんは肩をすくめるが、はなからラルフの言い分は聞き流しながら、私に説明を続ける。
「レギオン、彼は元々は騎士団に所属していたんだよ。だから俺だけでなく、ラルフェルトやほかの団員にも、彼から指導を受けた者が何人もいるんだ」
そう教えられて、改めてレギオン先生の魔法──鼠のアバタールを封じようとした氷の魔法を思い出した。
「でも彼は氷の属性、ラルフェルトは火。文字通り真逆というか、性格もね。だから昔からそりが合わないんだよ。互いにね」
「違う、あいつが性悪なんだ」
「いやいや、おまえに言われたくはないだろう」
絶対に譲らないと言わんばかりのラルフ。性が合わないという事のほかに、何かあったのかしら。しかし私としては、今のところ寺院にあえて頼る理由もないので、そこは心配しないで欲しいとラルフをなだめておいた。
今日の滞在予定は午後の三時ころまで。それまでには、ラルフたちは宿舎に戻り、帰りの護衛を引き受けてくれるのだそう。
というか、護衛なんて本当に必要なのだろうか。そんな風に思っているのがなぜかバレているようで、絶対に自分が戻るのを待つようにと、念を押されて別れるところだった。
ヒルデさんに呼ばれて鳥かごを抱え直し、ラルフに背を向けようとしたところで引き寄せられた。そして気づいたときには、額に温かく柔らかいものが触れた後だった。
「……ラル、フ?」
え、なに? そう思たのと同時に、悲鳴のような声が聞こえる。
驚いて見上げると、不敵に微笑む王子様然としたラルフ。
「じゃあ、またあとでリズ」
そう言って、レオナルさんとともに背を向けて歩き出す。
呆然と振り返れば、眉を下げるヒルデさんと、いつも通りのにこやかな顔をしたミロスラフさん。そしてその横には、呆然と口を開けたまま、もしくは顔を赤らめる案内役の騎士さんたち。
そんな様々な面々を一通り見回してから、私は何が起こったのかを自覚したのだった。
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