第35話 期限は瞬き二つ
応接室ではじまった話し合いは、まず情報の整理からだった。
ラルフからも聞いていた通り、コンファーロさんの製糸工場でのやり取りはすべて共有されていた。ゾルゲ団長は、申し訳なさそうにそれを説明しながら「のぞき見のような行為であることは承知している。女性には精神的にあまり受け入れ難い行為ではないと承知しているが、許可なく行使したことを許してほしい」と深く頭を下げて謝られ、私の方が恐縮してしまった。
「非常事態ですし仕方がないと思っています。いつも助けてもらっているのは私の方なので、どうか頭を上げてください」
「そう言ってもらえると、助かる」
ほっとしたようなゾルゲ団長だったが、そのまま間髪を入れず本題に入る。
「まず、こちらで知りえる状況は知らせておこうと思う。きみの故郷、リントヴルム村が今どういう状態になっているか、だが……それはラルフェルトからは?」
「いいえ、詳しくはまだ聞いていません。ただ、今も近づくことができない、とだけは」
そうだったよね、と隣に座るラルフを伺うと、彼は小さく頷いた。
「間違いではないが、監視をしている団員から、ここ数日は実は変化があったと報告を受けている」
「変化、ですか?」
「以前は噴火で吹き上げられた魔素の多くがリントヴルム山周辺に滞留し、そこから風雨によって周辺のみならず国中に拡散されていたのだが、再び魔素が
「それって、良いことですか?」
元々、地下に魔素をため込んでいたために、村に魔素が不足していたのなら、再び集まるのはいいことなのでは?
だがそんな期待を、ゾルゲ団長は否定する。
「ヤタの言いぶりだと、リントヴルムの主は早急な羽化のやり直しを望んでいる。だがそれがうまくいくならいいが、再び失敗となれば被害は前回の比ではないだろう」
私の後ろ、ミロスラフさんが持ってきてくれた帽子掛けを止まり木としたヤタが、甲高い声で鳴く。
「リーゼロッテがいれば、失敗などしない」
「甘いな、再び妨害者が現れたらどうするつもりなんだ? リズを失ってもいいというのか?」
ヤタの言葉に反論したのは、ラルフだった。そしてヤタは、さっきまでの元気をなくし、言葉に詰まったのを誤魔化すように、羽をばたつかせた。
「ねえ、アロイス。その妨害者ってのは、目星がついているのかしら? リズを危険な目に合わせずにリントヴルムを何とかするには、そもそも最初に誰が何をしでかしたのかを知る必要があると思うの。その部分については、当事者でもあるリズには知らされないの?」
「ヒルデの言うことは、もっともだ。だが、今はまだ調査が始まったばかりで……だが必ず尻尾を掴むことを約束する。騎士団の名にかけて」
「でも証拠がそろってからじゃ、警戒しようがないじゃない。あなたがそこまで口を割らないってことは、そんなに不味い相手なのかしら」
「ヒルデ……気持ちは分かるが、もう少し待ってくれないか」
辛辣ではあるけれど、ヒルデさんが私のことを心配して言ってくれているのは分かる。けれども、それならばいつまで待てるのだろうか。私は振り返ってヤタに手を伸ばす。するとヤタはまるで私の意思をくみ取ってくれたかのように、軽やかに腕に飛び移ってきた。
「ねえ、ヤタ? リントヴルム山の主様は、このままどれくらいの時間、待てそう?」
「待つ? リズが来るまでってことか?」
「そうよ。今すぐ行くのは無理だけど、邪魔が入らないように準備が必要みたいなの」
「なるべく早く。主様が瞬き二つするよりも早く、リズをお呼びだ」
瞬き二つ。それはどれほど厳しい要求だろうか。
困惑している私の横で、ラルフが何かに気づいたようだ。
「リズ、村で歌っていた数え歌、覚えてないか?」
「数え歌って……あ」
村の子供が数と季節と作物の収穫や狩りの時期を覚えるために、教わる数え歌があった。私も小さなころは、毬をついたり、友達とお手玉をしながら歌ったっけ。
一の月、ハリスの花が咲き、小鹿が生まれる。二の月、ケーレの皮をはぎ、男たちが氷を運ぶ。三の月、タラスの芽を探し、山羊の子を捧げると春の神が一つ瞬きをする。一年、十二月の数え歌になっている。そして……
「瞬きの言葉は、季節の神とともに四回現れる。つまり、瞬き二つとは、季節が二つ過ぎる、半年ってこと?」
ヤタが黒くてつやのある頭を、私の腕に撫でつけて目を細めた。
「なるほど、半年以内にか……」
ゾルゲ団長が、唸るように言う。ということは、かなり厳しい状況なのだろうかと、不安になる。
「大丈夫だ、証拠はまだないが、内偵をすすめている。だからリズは心配をせず、日常を過ごしてくれていい」
「ラルフ、でも……」
「おい、勝手に話を終わらせるなラルフェルト」
ゾルゲ団長は苦笑いを浮かべながらラルフを諫めると、改まって私を真っすぐ見つめる。
「きみには、一つだけ協力してもらいたい。あの日、魔素の噴火が起きた日のことだ。リントヴルムの主とどんなやり取りをしたのか、どんな些細なことでもいい、思い出して聞かせて欲しい」
私に断る理由はなく、ゾルゲ団長に頷いてみせる。
このままじゃ二度と故郷の地を踏むことどころか、母さんを、リントヴルムに取り残された人たちを、永遠に弔うことすらできない。
「私はあの日、いつものように村の、家からすぐそばの薬草園にいました。そこは父が治療に使っている、薬草を育てていて、私もその世話を。よく晴れた日だったから、水を撒いていたと思います。父は治療のために、村のはずれにある家に行っていました。だから噴火で黒い煙が迫るなか、命からがら脱出することができたそうです。一方母は、家の中でいつものように縫物をしていたので、まずそちらに向かおうと」
「きみは、黒い煙に追われて逃げたのか?」
「いいえ。大きな音と地響きに驚いて、お山の方を振り向いた時には……一瞬のうちに真っ暗な中にいました。周囲の状況はさっぱり掴めず、でもただ事じゃないと思って、すぐ家に向かったんです。そしたら、母さんがドアのすぐ内側に倒れていて……一緒に逃げようとしたけれど、もうダメだからって」
すぐに意識を失ってしまった母さんを引きずってドアの外まで移動したけれど、それ以上はどうにもできなかった。
私はとにかく、父さんを呼びに行くことにした。
「それから母さんが持ち出そうとしていた鞄を抱えて、家を出ました。でも黒煙は濃くなるばかりで、とにかくがむしゃらに、勘を頼りに下へと移動しました」
「きみは、黒煙のなかで、すぐに倒れなかった?」
「はい。あ、でも私だけが平気だと思ってもなくて……周りから逃げ惑う村の人たちが子供を呼ぶ声や、悲鳴も聞こえてはいました。でも足元しか見えなくて、まずは煙から逃れて人を呼ぼうと思い、村を下りていきました。私の家と薬草園は、村の中でもお山に近い高台にあったので、村を突っ切るように道をまっすぐ駆け下りました。そうしたら、村を外れたところにある作業小屋のあたりで、ようやく煙から逃れることができて、そこで父と再会しました。でも父も、他に逃れた人たちもみんな……」
血を吐き、全身の痛みを訴えながら、次々と倒れていった。あの日のラルフのように……あれが魔力酔いの極限状態なんだと、今ならば理解できる。魔力酔いの患者さんは何人も見ていたけれど、そこまでになるなんて想像もしていなかった。だから最初は、私がいた場所とは違う毒かなにかが流れてきて、父さんたちはそれにあてられたのかなと思った。
右往左往する私に、同じように倒れながらも父さんが薬を指示してくれて、息つく暇もなくただ看病するしかなかった。まともに動けるのは私しかいなかったから、やるしかなかった。そうしているうちに、翌朝には用事で隣村に行っていて難を逃れた村人たちが、様子を見に戻ってきてくれた。彼らを見て、私は初めて泣き崩れた。
だけど村は相変わらず黒い煙に覆われて、中がどうなっているか分からないまま。それなのに、はるか高いお山のてっぺんからは、黒いものが空に向かって噴き上げ続けている。いずれここも飲み込まれる。そう思うと絶望しかなかった。
どうやって父さんたち重体の大人を、安全な場所まで運んだらいいのだろう。そんな悩みに苦しんだのもつかの間だった。
噴火から二日ほどで、次々にみな息を引き取っていった。父さんも、最後まで私を心配しながら、動かなくなった。
それからはあまりよく覚えていない。合流していた村人たちに、引きずられるようにして、隣村に連れて行かれたのだそう。でも影響はリントヴルム村だけではなく、隣村の人たちも体調を崩し、騒然としていた。ぼうっとした頭で、分かったことは二つ。
私たちほかに、村から逃れて来れた人は、一人もいなかったという事実。そして、
だから私は、父さんが最後に示してくれた通り、グラナートの都に行くことにしたのだ。
淡々と、それらを話し終えたあとも、応接室に沈黙が続く。
都に出ると、そう決めるまでの間、私は毎晩夢を見た。かつてこことは違う世界で生きていた記憶が、少しずつだけれど鮮明になっていったのはその頃。
「私が経験したのは、それだけです。だから主様とは、いつ会ったのかは分からないんです」
ヒルデさんが黙って私の隣に移動してきて座り、そっと抱きしめてくれた。彼女が優しくなでてくれる手に甘えて、肩に頭を寄せ目を伏せる。
「リーゼロッテと山の主が会ったとしたら、暴走する前としか考えられない。薬草畑に行く前に、不審な人物に会ってないだろうか。例えば、日ごろ来る商人以外の、新顔がよく来るようになったとか」
ゾルゲ団長の問いに、しばし考えるが、その日は朝から両親としか会っていない。だが、ふとあることを思い出す。
「そういえば、村の古くなった寺院の建て替えが、ようやく実現することになったんです。それで……寺院の人が何度か来たことはありました」
「寺院?」
聞き返された声に目を開けると、問い返したゾルゲ団長以外からも注目を浴びていることに気づき、姿勢を正す。
離れた位置から話を聞いていたレオナルさん、そばに来たヒルデさん、そしてラルフはまた眉を寄せて厳しい表情だ。
「リズ、その寺院関係者に、会ったことは?」
「ないわ。父さんから話を聞いただけよ。ただ、リントヴルム村は貧しいから、建て替えの話がきたときに、村長さんが渋ったことが噂になっていたの。けれど寺院から村の負担金は免除してもらえることになって、それで話が進んだみたい。もうずっと僧侶は不在のまま、必要な時には隣村から来てもらってたのよね」
「隣って、スヴェルクだったか?」
「それは隣町よ。スヴェックとリントヴルムの間に小さな村があって、私が避難したのもそこで、ラダックという村よ。リントヴルム村よりも人が少ないけれど、そこにとてもお年を召した元僧侶の方がいらして、いつも荷馬車で迎えに行って、葬儀や結婚式を執り行ってもらっていたわ。でもラダック村もかなり影響を受けていたから、みんな無事だといいけれど……」
するとゾルゲ団長は、レオナルさんに調べるよう指示を出す。人の出入りも含めて、確認を取るつもりらしい。
「ありがとう、リーゼロッテ。今日はここまでにしよう。だがもし他に何か思い出したらラルフェルトにでもいいから、すぐに報告をしてくれ。こちらはリントヴルム調査のための護符の開発と、不審者の洗い出しを急ぐ」
「それじゃ、リズはこのまま、昨日の決定通りマルガレーテで仕事をしてもらっていいのね?」
「ああ、ヒルデ。護衛をつけさせるし、なんなら騎士団の宿舎で仕事をしてもらってもかまわない」
針子の仕事を、騎士団宿舎で? 何を言い出すのだろうかと思っていたら、ヒルデさんが「あ、それいい案だわ」ですって。
どういうことかと思ったら、ちょうど女性騎士団用の制服の、採寸を始めなければならないところだったらしい。試作品の品評が終わり、正式に受注が決まったそう。
「じゃあ採寸のついでに、ラルフェルト様の方の繕いもやってしまったらいいわね」
ラルフも文句はないようで、結局それが決定事項となったようだった。
とりあえず話し合いはいったんそこで終了となった。もっとこう、ラルフのようにとまではいかないが、ヤタを尋問でもするのではと思っていただけに、ほっとする。
膝に乗ったままのヤタの頭をなでていると、ラルフがヤタを掴んで宙に放り投げた。もうヤタの方も慣れたのか、そのまま羽をばたつかせながら、元の帽子かけの柄に飛び移っている。
その様子を横目に見ながら、ラルフが上着を脱いで私に差し出してくる。
「え、今から?」
ばさりと降ってきた上着を受け取りながら、帰ろうと席を立ったゾルゲ団長、それを見送るヒルデさん、それから苦笑いを浮かべたレオナルさんを見比べていると。
「二人とも、夕刻の報告には遅れるなよ?」
そう言ってゾルゲ団長はヒルデさんとともに玄関に行ってしまった。
いいの?
そう言いたげに残ったレオナルさんを伺う。
「終わったら声かけて、その辺うろついてるから」
そう言って応接室を出ていってしまった。
仕方なしに、私はいつもの通りに、引き出しから道具一式を取り出す。
「どこから直すか希望はある? なければ前から気になっていた、裾の裏側の護符を付け替えたいけど……?」
「それでいい」
そう言ってラルフは、私の隣に座り直して足を組む。
嵐がやってきたようなその日、私とラルフ、ヤタしかいない応接室に、ようやく心地よい沈黙が下りたのだった。
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