五章 邪魔者は誰
第34話 不遜な自己紹介
マルガレーテに向かう馬車の中、ラルフと二人きりで話し合う時間を持てたことに、私は安堵していた。
正確に言うと二人きりではなく、リントヴルムの山の
ヤタが口にしたのは、この世界にない私だけがもつという『記憶』。つまり前世に関わる記憶が、リントヴルムを襲った災害に、関わっているというのだ。
私が生まれる前、別の人生の記憶。しかもこことは異なる世界で生きた記憶を、私が持っていることを知るのは、唯一ラルフのみ。ヤタは前世の記憶とはっきり言葉にしたわけではなかったけれど、この世界にないものと言われれば、それしかないだろう。
だから私はあのとき、ラルフに従っていったん口を噤むことを選択したのだ。
今この馬車のなかでは、私たちと鴉のヤタ以外には聞いていないのは確かなのだろうか。
「ねえラルフ、もうレオナルさんの風の魔法は、使われていないのよね?」
「ああ、あいつは先に団長とともにマルガレーテに向かった。誰も聞いていない」
そう言いつつ、馬車の箱を隔てた外、御者台の方をチラリと見るラルフ。手をのばして御者との間を仕切る小窓が閉まっているのを確認したラルフに、私は改めて向き合った。
「マルガレーテに戻る前に、ラルフと相談したかったの、記憶のことを正直に話したほうがいいのかどうか……」
この後すぐにマルガレーテにて、ヒルデさんを交えてゾルゲ団長主導で、現状の確認と今後のことについて、話し合いがもたれることになっている。
正直なところ、『前世』だなんて私の妄想と言われてしまっても、反論しようがない事柄だ。
「リントヴルムの主がリズの記憶の中から、変化後の姿を決めたということだが、その姿について、リズは思い当たるものはあるのか?」
「変化後の姿?」
ラルフからの唐突な質問で、返答に困っていると、ラルフはもう一度私に分かるように言った。
「ヤタからの話を聞いた限りでは、リントヴルム山の主は、羽化……虚ろな魔素の塊からアバタールに変化しようとしていたのだろう。リントヴルムの主に限らず、アバタールたちが変化する時には、取り込んだ魔素の性質や、側にあったものの姿を借りるそうだ。以前、ミロスラフがそう言っていたことがある」
「ミロスラフさんが?」
ほんの一瞬だけど、本当の姿を見せてくれたことがあるミロスラフさん。彼は蛙が本性で、もう一人の同僚ベリエスさんはワニだ。ということは、彼らが誕生した場所が、水辺だったということなのだろうか。
「でも私の記憶の中から、何かしらの姿を写し取ろうとしたのが本当だとしても、どの記憶から何を取り込んだかなんて、まったく見当つかないわ。リントヴルムの主になんて、会ったことないし」
『それは違う、リズは主に会っている』
「ヤタはそう言うけれど、私は何も覚えてはいないわ。真っ黒な煙に巻き込まれ、悲鳴と怒号のなか命からがら逃げ出せたことしか……」
ラルフは私の肩に乗っているヤタに、聞き返す。
「リントヴルムの主は、邪魔が入ったが途中までは羽化したと言っていたな。おい、詳しく教えろ。今はどんな姿になっている?」
『主は羽化しかかったまま、不安定な形を保っている。その姿はとても大きい。手と足がある。黒く大きな体には硬い皮膚、背中には薄い膜があるが、長く垂れ下がり先端は霧散している。口は大きく裂けて、頭頂には何本もの突起を持つ』
「それは生き物なのか? まあいい、リズ、思い当たるものは?」
私は首を横に振る。ヤタの言葉を聞きながら、一つ一つ頭のなかで組み立てようとしたのだけれど、背中の膜で早くも路頭に迷った気分だ。
動物なのか虫なのか……手足があるって、そんなレベルじゃどうにも。それはラルフも同感なのか、小さく「そうなのか」と呟いた。
「姿が分かったら、なにか今後の対策のための助けになったのよね? 役に立たなくて、ごめんなさい」
「いや、リズが危険なリントヴルムに戻るのを、回避する要因になればいいと考えたんだ。また別の方法を探せばいい。リズは謝る必要なんてない」
「ううん、そうじゃなくて。私は役に立てることがあれば、嬉しいよ。ただ……あの記憶を信じてもらえるのかなって、少しだけ不安に思ってて」
山から吹き出し続ける魔素のせいで、エンデ地区は被害を被り、それらに対処せねばならない魔法使いたちが、そもそも魔素のせいで魔力酔いをおこし、救済に支障をきたしている。その最たるものがラルフ自身。
だからリントヴルムの災害を鎮めるために、自分が協力できるなら喜んで何でもしたい。まさか隠していた前世の記憶が関わっていただなんて、すごく驚いたけれど、だからって協力したくないなんて絶対に思わない。
「私自身も、頭に溢れる記憶を信じられなくて、両親を亡くしてついにおかしくなっちゃったのかなって思ったわ。でも私の記憶のせいでこんな混乱が起きてるなら、何とかしたいよ」
「違う、リズは巻き込まれたんだ。何も悪くない」
『そうだぞ、邪魔をした者が責を負うべきだ。主はとても怒っておられる』
「ラルフ、ヤタ……」
真剣な面持ちのラルフと、嘴を高く持ち上げて胸を張るヤタを見比べて、私は小さく「ありがとう」と返事をする。
「リズは無理はしなくていい。気持ちの整理がつくまで、言いたくなければ黙っていたって問題はない」
「本当に?」
ラルフは、頷く。
「まだ調べなければならないことが山積みだ。その結果次第で、リズが協力しなくても済む方法が、見つかる可能性だってある」
『それはならない、主の羽化を促すには、やはりリズと直接接触しなくては!』
ヤタが慌てたように、甲高い声で鳴いた。
遠からずリントヴルム村に帰ることになるのは、ヤタのなかでは確定しているみたい。しかしラルフはヤタの言葉を否定する。
「リズ、こいつに急かされて戻る必要はないからな」
「でも……」
「もちろん、リズに多少なりとも協力してもらうのは、避けられないことだと思う。だが、リズもまた被害者で、なおかつ協力者だ。俺たちが万全の準備をして、リズに危険がない方法を考える。例え騎士団が違う選択をしたとしても、俺は必ずリズを守ると誓う」
「ありがとう……でもラルフ、私のことを考えてくれるのなら、同じようにあなたの安全も考えてね。そうでなかったら、私は何のためにマルガレーテで仕事をしているのか分からないもの」
護符は魔法使いを守るため。私はそう思って針を刺してきたつもりだ。私たちの護符で魔力酔いを防ぐのは、さらに大きな魔法を使わせたり、ラルフに無謀なことをさせるためじゃない。
「ああ、分かってる。だがリズも約束してくれ」
「約束?」
ラルフは私の肩でキョロキョロしていたヤタを、再び睨む。
「リズは、この鳥が口にする願いに、安請け合いしないよう注意してくれ。精霊たちは強かだ、己の望みを叶えるためにことあるごとに同意を求めてくるだろう」
「……それって、どういう?」
ヤタを見れば、鳥らしく首をかしげて、肯定も否定もせず黙って私を見上ている。
「そいつは隙あらば、リズを帰郷させようと、唆してくるだろうと言っているんだ。違うか、ヤタ?」
『そんなことは……あるかもしれないが、我は無理強いはしない』
「リズが名前を与えて契約したから、嘘をついて騙したり無理強いはしないだろうが、行動に移すための同意は求めてくる。あくまでもヤタは山の主と繋がっている、人間の都合を優先するとは限らない。だから約束してくれリズ、勢いや同情で了承しないように」
「わ、わかった、約束する」
ラルフの気迫に押され、私は彼の約束を受け入れる。それこそ相手が変わっただけで、私の押しの弱さを表している気がして、なんとも複雑ではあるけれども。
一方ヤタはというと、抗議するかのようにバタバタと翼を動かして、私の肩から座席のクッションに降りる。
『おいおまえ、余計なことを。時間がないのを分かってないのか?』
「時間?」
私が聞き返せば、ヤタは恐る恐るラルフをうかがう。しかしラルフは不機嫌そうな表情で舌打ちをして言った。
「それは後で聞く。着いたようだ」
馬車はいつの間にか城南の幹線路ダグラス通りに入っていて、窓からはすぐ近くにマルガレーテの建物が見えた。
するとほどなく馬車が停車し、御者台の扉から到着の合図のノックが。
それから間髪をいれず扉が開いたかと思えば、なんとヒルデさんが私を待ち構えていた。
「リズ、事件を聞いて驚いたわ、怪我はない?!」
「だ、大丈夫です、なんとも……わ!」
引きずられるようにして馬車を降りると、ヘルガさんに抱き締められた。
「どうしてあなたばかり危ない目にあうのかしら、心配で気が気でないわ」
「あー、すまないがヒルデ、それは奥でやってくれないだろうか」
「なによ邪魔しないてちょうだい、ゾルゲ団長」
ゾルゲ騎士団長に文句を言いつつも、店の扉を開けて待っていてくれたミロスラフさんに促され、ヒルデさんは渋々歩き出す。
私はというと、ヒルデさんにしっかりと手を握られて連れていかれる……のはいいけれど、まるで子供扱いで少し恥ずかしい。にこにこと微笑むミロスラフさんと目が合い、少々いたたまれなかった。
そうしてマルガレーテに戻って来られたのは、昼をすっかり回った後。
ベリエスさんが私たちに軽食を用意してくれていて、温かいお茶とともに味わった。そうしてほっとひと心地ついた後、店の奥の応接室に集まり、話し合いが行われることに。
集まったのは私とラルフ、私の正面に座ったのがヒルデさん、その隣にはミロスラフさん。ラルフの隣にはゾルゲ団長。レオナルさんはなぜか少し離れた位置に。
まずはゾルゲ団長からの報告で、私が訪れていたコンファーロの紡績工場での事件の詳細を聞かされるヒルデさんたち。しかし話終えた後、ゾルゲ団長は私たちに、事件のことを口外することを禁じた。
結局のところ、今回被害にあったのは私と数人の作業員たちのみ。怪我人はおらず、原因であるハーディーがすぐに大人しく捕まったこと。それから先日のエンデでのネズミの件もあり、無事に終息させた後にわざわざ市民へ不安を広めることは避けたいという、政府の思惑もあったのだそう。そういうことで、箝口令が敷かれることになったみたい。
もちろん、マルガレーテ内で留めておくことを守れるのであれば、他の従業員に話してもかまわないと、ゾルゲ団長のお墨付きをいただいてある。
だって、隠しておくことなんて不可能だものね。
ヒルデさんは、再び私の肩に乗って上機嫌に首をキョロキョロさせている鳥を、まじまじと見つめている。
「それで、この黒い鳥が使い魔なのね」
「彼はヤタです、どうかお願いですヒルデさん、彼をここに一緒に置いてください。ヤタ、挨拶して?」
するとヤタは分かったと羽を広げてテーブルの真ん中に舞い降りて、甲高いけれど少々皺枯れた声で名乗る。
『我こそは、リントヴルムに棲まう
……なんて不遜な自己紹介。
怖いくらいに、しんと静まり返った応接室。
先に戻ったレオナルさんが、ヒルデさんに伝えてくれるとは言っていたものの、魔法なんて一つも使えない私が使い魔と契約しただなんて、きっと驚いていたに違いない。
じっと彼を観察する様子のヒルデさん。ヤタを受け入れてくれるだろうか……そんな不安もよぎる。
「あ、あの、私が名前を付けたので、一応私の使い魔、でもあるみたいです。すみません」
空気に耐えられなくなり、そうフォローもいれてみれば。
「おい、
私の向かいに座るラルフが、ヤタを鋭く睨み付けていた。
リントヴルムの
するとヒルデさんが苦笑いを浮かべながら、ヤタに声をかける。
「よろしくね、ヤタ。あなたを歓迎するわ。私はヒルデガルト。ヒルデって呼んでくれていいわ。うちには既に先住のアバタールがいるの、ここでは立派な従業員で、あなたは新入り。それだけは覚えておいてちょうだいね?」
するとヤタは首を傾げて、ヒルデさんとその隣のミロスラフさんを見る。
『そのひ弱な両生類より、我が下なのか?』
「ちょっと、ヤタ」
『だってリズ、あいつは……ぎゃー!』
反対側に座っていたラルフが、私の背中から手を伸ばし、ヤタの首ねっこを捕まえていた。
『は、離せー!』
「ラルフ?」
「リズ、躾は最初が肝心だ」
結局、ヤタはラルフの力業に根負けして、小さく頭を下げてこう言った。
『せ、世話になる、できればちょうどいい止まり木をくれ』
ああ、ヤタ。
あなたとは後で、じっくり話し合う必要がありそうよ。
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