第33話 おしゃべりな友人

 ラルフによって押さえつけられ羽をバタつかせる鴉。身体の三倍はあるだろう翼を広げると、内側に一枚、金色の羽が混ざっているのが、チラリと見えた。

 内側の毛が白い動物も多いし、そんなものかなと眺めていると、鴉はピイピイと悲鳴をあげながら、次第に大人しくなる。

 腹をシーツに押さえつけられながら、鴉はこちらに顔を向けて様子をうかがっていた。

 私はその間にいくつか深呼吸し、心を落ち着かせる。

 もう黒いアレはどこにもいない。そう言い聞かせつつも姿を思い浮かべそうになり、慌てて頭を振って誤魔化す。


「もうあの……虫の姿には戻らないでね、約束して?」


 喋る鴉となった黒い使い魔に問いかけると、つぶらな瞳を何度か瞬きさせてから、頷いてみせた。


「ラルフ、離してあげようよ」

『そうだそうだ、これでは話ができ……ギャ!』

「あぁ?」


 離すどころか更にきつく押さえはじめたラルフに、私は慌てて繋がれたままだった手を引っ張る。


「ラルフひどい!」


 私の非難に少しだけ舌打ちしてから、ラルフは鴉を拘束していた腕を緩めた。

 それでも這い出るまでに至らず、鴉はもがきながらも神妙な様子でラルフを上目使いでうかがっていた。


「リズに危害を加えるそぶりがあれば、おまえが何者であろうが容赦はしない」

『もちろんだ、彼女を護るためにここにいる』


 私を、護る?

 いったい誰から?


「いいだろう、話を聞こう」


 ラルフは鴉の言葉に疑問を抱かないのだろうか、そこは特に追及することなく鴉を解放した。

 鴉の方はというと、ラルフの手を警戒しながら、まずは乱れた羽を嘴で整えていた。

 そもそも正体は黒い霞のような魔素の塊だったはずなのに、なんというか、ずいぶんと鳥らしい振る舞いだ。

 そんな様子を見守りながら、ラルフは少しだけ私を自分の後ろに引き寄せた。


『やれやれ、とんだ目にあった。さてリーゼロッテ』


 ぶるりと一度羽を震わせて、鴉は改めて金色の目で私を見上げた。


『我はリントヴルム山のぬし様から命を受け、こうしてリーゼロッテと話をする機会をうかがっていた』

「リントヴルム山の主様って……?」


 脳裏をよぎったのは、懐かしい今は失われた緑深い山の尾根。


『リントヴルムの山の内で、千年の時をかけて蓄積された魔素から生まれたのが、我の主。大きく力強く、猛々しく繊細、万物の力を有する偉大な魔法生物アバタール


 謳うように主を称えた鴉に、遠い昔に聞かされた言葉が甦る。

 ──魔素は山へ。大気に漂うものも、植物が吐き出すものも、水とともに湧いて流れるものも、すべてが山へ帰る。だからここには魔素に影響されると弱ってしまうような珍しい薬草が、たくさん生息しているんだよ、リズ。

 いつだったか、父さんがそう教えてくれた。

 村に伝わる唄でも、同じことを伝えていた。魔力が使えない不便さはあるけれど、魔素の取り込みすぎで体を壊すことなく、皆が長生きで幸せな村。噂を聞きつけて、たくさんの人々が療養に訪れ、元気になって街に帰る。


『主は長い時を待ち、ついに形を得る時がきた。だがその大事な羽化の時に、邪魔が入ったのだ』

「……邪魔?」


 私が聞き返すと同時に、握られたままだったラルフの手が強張った。


「やはり……事故がおきてたのか。おまえは誰が邪魔をしたのか、分かっているのか?」

『いいや、主にもそれは分からない。羽化の激変のさなかでは、さすがの主も気を配る余裕はない』


 話についていけてない私は、慌ててラルフの袖を引っ張る。


「どういうこと? 事故ってあれは……仕方なく起きた噴火じゃないの?」


 ラルフは少し眉を寄せ、言いよどむ。


「お願い教えて、ラルフ。私の村に起きたことは、どういうことなの? たくさんの人が死んだのよ、私の両親も、友だちも、みんなよ!」

「リズ……本来なら、あのような暴発は起きることはなかったと、俺たちは推測している」

「……そうなの? じゃあ、どうして」

「その原因を調べたくとも、凄まじい魔素の噴火で、誰一人山には近づけなかった。だが何もしないでいては、村以外にも被害は広がるばかり」


 そうだった、母さんを含めて死んだ村の人たちもまだ、中に残されたまま……


「だから研究所と協力して、魔素を遮る護符の開発を急くことになった。探索用と、一般市民用だ。ここ数日間は急速に魔素が収まりつつあると報告を受けていたところだ。だがそれでも俺たちには厳しい状況に変わりはない」

「研究所って、イリーナさんのお母さんの?」

「ああ、エリザベート・ミリュヴェーデンはアバタールの生態の専門家だ。魔素をコントロールするための研究を応用して新たな護符の開発を任された」


 クリスチーナさんの言葉を思い出す。彼女がラルフを利用して実験をしていると。それが原因で体調を崩しているのではと心配していた……


「そのために実験に協力してたの? 血を吐いてまで? そんなの嬉しくないよ」


 一瞬驚いたような表情を浮かべるラルフ。どうしてそんなことを知っていると呟いたけれど、逡巡したのち何かを悟ったようだ。


「俺は、他の村人同様に、リズはもういないんだと思っていた。あの噴火のなかで、誰が助かって誰が死んだなんて調べることすら叶わなくて……生き残りを見つけ出すことも叶わなかった。もう、駄目だと思ったんだ。だから事態を早く収集するために、協力してくれと言われれば、俺に断る理由はない」

「そ、そんなの、意味わかんないよ! どうしてそんな風になげやりに……」

 

 怒りに任せてそう言えば、ラルフはふいと私から視線を外し、力なく言った。


「リズがこの世にいないなら、俺など生きながらえても意味はない」

「……ラルフ、そんな冗談笑えないよ」

「本気だった。リズに出会って魔法騎士になることを決めたのに、リズを守れなかったんだ、騎士でいる意味がないだろう? ならどうなってもかまわないと思ったんだ。魔力酔いで魔法使いとしては使い物にならなくとも、研究が完成すれば、最悪死なないだろう」


 驚きのあまり言葉が続かない。

 ならば私がリントヴルムからこのグラナートに出て来なかったら。あの噴水の前で途方にくれて、ベリエスさんの事件に巻き込まれなかったら……。

 最悪の事態を想像し、背筋に悪寒が走る。

 そうだ、その後で訪ねて来てくれたラルフは、盛大に吐血して倒れたのだ。

 ……クリスチーナさんの言ったことは真実だったんだ。


「もう嫌だよ、ラルフがまた血を吐いて倒れるなんて、絶対に」

「分かってる。もう無理はしない。ゾルゲ団長にも殴られたしな」


 殴られたんだ……

 ふてくされたようにゾルゲ団長の名を出されて、私はこの会話も全てレオナルさんを通じて聞かれていたことを思い出す。

 なんだか恥ずかしくなって、ドギマギしてしまう。ラルフだって……気にならないのかな。


「そんなことよりだ、使い魔。リズを追ってきた目的はなんだ?」

「そうだった、鴉さんどうして私を探してここに来たの? 他にも少ないけれど、リントヴルム村の生き残りはいるはずよ。しかもリントヴルムから近いスヴェルクの街に」

『リーゼロッテでないと意味がないからだ、主は羽化を終わらせたい。リーゼロッテ、それにはきみが必要なんだ』


 私とラルフは思ってもいなかった言葉に、驚き戸惑う。

 鴉は繰り返す。


『リーゼロッテ、主はきみの帰還を待っている』

「それは出来ない」


 答えたのは、ラルフだった。

 声の調子から、彼が酷く苛ついているのが分かる。


「リントヴルムは、周囲の調査が出来るようになったばかりだ。そんな危険な土地に、リズを送り返すことなど出来るわけがないだろう!」

『それでは主の暴走が止まらない』

「だから、なぜリズなんだ、リズがどうしてそんな責任を負わされる?」

『そんなの、記憶があるからに決まってるじゃないか』

「……記憶?」


 なんの?

 次の瞬間、鴉はこう告げた。


『主の姿をリーゼロッテの記憶のなかから形作ろうとしたのだ。それはこの世界中でただ一つの形、この世には存在しない初めての形だ。羽化はもう始まってしまったんだ、今さら代用はできないよ』


 この世に存在しない形──?


「それってもしかして、ぜん……むぐ!」


 前世、と言うつもりだった。

 だけど言い切らぬうちに、繋がれた手で引き寄せられ、ラルフの手が私の口元を覆った。近づきすぎる彼の青い眼差しが私を捕えたまま、厳しく否と訴えている。

 そうだった、前世のことは彼と私だけの秘密。

 まだ他の人に知られる、心の準備などできていない。


「リズを必要と考えているのは、とりあえず分かった。だからといって、すぐに応えられることではない。リズは一般人だ、弱く傷つきやすい。リズに危険が及ぶのは、おまえの主の望むところではないだろう?」

『それはもちろん!』


 鴉は羽を広げてバランスをとりながら、可愛らしい頭を何度も上下させる。


『だから、リーゼロッテが主の元に帰りつくその日まで、我が守るよう仰せつかった!』


 胸を張る鴉を、ラルフは冷たい目で見返している。


「……ナマズのアバタールをけしかけて、リズを危険な目にあわせたお前がか?」

『それは誤解だ! あれは仕方がない、リーゼロッテに気づいてもらえないと、我は力が出せない、だから』

「私が気づかないと?」


 どういうことだろうと聞き返してみれば、明確な答えもなく斜め上な返事が返ってきた。


『名前をもらえば、もっともっと力を得る』

「名前って、あなたの? 私につけろって言ってるの?」

『そう、名前くれっ』


 ご機嫌にカァーと鳴きながら、名前をねだる鴉。

 どうしたらいいのと、ラルフに助けを乞う。


「……こればかりは俺にはどうにもできないな。リズの使い魔として名前を与えるか、それともふらふらと不安定なままそばに居座らせるか、リズの好きにしたらいい」

「ちょっと待って、それってどちらにしても私のそばに居るってこと?」

『もちろん! 元々ずっとそばにいたけどな!』

「ええ~……」


 魔法と無縁に暮らしてきた私に、使い魔って。

 魔法やアバタールについてはさっぱりな私に、ラルフが憐れんで助け舟を出してくれていた。


「念のため、こいつが姿を形づくったときに俺の魔力を混ぜておいた。万が一のときには少ないが干渉できる、安心しろ」


 ラルフの言葉に憤慨したのは鴉。


『やっぱりそうか、我の美しい色に安っぽい色が混ざったのは!』

「だれが安っぽい色だって?」


 片方の羽を広げて、内側に入る羽を引き抜こうと咥えながら叫ぶ鴉を、ラルフが再び容赦なく片手で押さえつける。

 ピイピイと悲鳴を上げる鴉を、結局私が助け出すはめになり、この先こんなやり取りが続くのだろうか。そう思うと違う意味で、前途多難な気がしてきた。

 結局、私は鴉を使い魔として得ることになった。

 名前はどうしよう。催促されながら、大急ぎで悩んで、決めた。


「ヤタ……てのはどう?」

『ヤタ、ヤタ。うん我はヤタ』


 どうやら喜んでくれたみたい。


「私は魔法使いじゃないから、ヤタのために何をしてあげたらいいのか分からない」

『……リーゼロッテ?』

「私のことはリズって呼んで、ヤタ」

『リズ。リズは、まだ何もしなくていい』

「……それであなたの主は許してくれる?」

『来るべき日に、帰還してくれればいい』

「そう、分かった」


 私たちのやり取りを見守っていた、ラルフはようやく繋いでいた手を離した。


「契約が成立したのなら、通訳はもう必要ないはずだ。これでリズはヤタを使役する繋がりを得た」

「……ああ、そういうこと」


 私は冷えた空気に触れる手の平を、少しだけ恥ずかしくなりながら握りしめる。


「ありがとう、ラルフ」


 別に、と呟くラルフ。

 それから鴉のヤタにも。


「これからよろしくね、ヤタ。私は使役ってどうすればいいか分からないから、友だちとして仲良くできたらいいなって思う」

『友だち……友だちって何するものだ?』

「そうねえ。一緒に出かけたり、お喋りしたり、かな」

『分かった、それなら得意だ』


 得意、という言葉に一抹の不安を覚えつつも、こうして私は鴉を連れ帰ることになった。


「深刻に考えるより、なんなら家畜だと思えばいい。鳥だしな」


 それくらい軽い気持ちでいいと、ラルフが悪い笑顔を浮かべながら言うと、ヤタが憤慨して倍ほどの言葉で反論する。

 迷惑をかけたクリスチーナさんとコンファーロさんに挨拶をし、ラルフとともに馬車へ乗り込んだとたんに再開されたお喋り。それを私はいま、後悔とともにひたすら聞き流している。


『あの縫製店は居心地がいい、ところで丁度いい止まり木はあったかな? いや巣の位置をどこに決めようか。リズ、リズ?』

「煩い、黙れ」

『ビイィィ』


 ラルフに背中を掴まれるのは、何度目だろう。

 どうやら本当に、喋るのが得意らしい。

 本当に、ヤタをマルガレーテに連れ帰っていいのかしら……。

 唄うようにしゃべり続ける鴉の今後を杞憂しつつ、私は馬車に揺られるのだった。

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