第32話 変化(へんげ)
ラルフの説明は、要約するとこんなところだった。
使い魔の色……黒は、とても強い力の象徴なのだ。だから正体と目的を確認しなければならない。私に危険が及ばないようにと……
そんな説明を聞きながら、思い出すのは故郷の山。皆がいなくなったあの日、山から吹き上がった漆黒の煙。光を遮り、視界を奪い、一瞬にして人と家畜たちが倒れていった。襲い迫る暗闇に、なすすべもなく呑み込まれた記憶。
あのとき私は立ち尽くして……
立ち尽くして、何を見たんだろう。
ふいに気分が悪くなり、目眩がした。
「リズ?」
「大丈夫、少し思い出しただけ」
「リントヴルムを、か?」
ラルフはやっぱり、いろんな事を分かってるんだと改めて思う。
黒は、リントヴルムの色なのだ。
今も人を寄せ付けないあの山は、黒い色の魔素を、きっと今でも噴き上げているのではないだろうか。
大丈夫だからと私が微かに頷くと、心配そうにうかがいながらも、ラルフは続けた。
「黒はどの属性にも当てはまらない……いや違うな逆だ。すべてを内在する力そのもの」
ラルフは火をまとう。レオナルさんは風。一つの属性の力しか使えないわけではないけれど、同時に異なる性質の魔法を作用させるには、並大抵ではない集中力を必要とするのだそう。
たくさんの色の魔力の糸を束ね、重なると、色は濁り黒となる。
「リントヴルムと、関係があるのかな」
「それも含めて確認したい。黒は強い力だが、混沌としている。さまざまな力が絡み合うかのように……そんな魔力を使いこなせる存在がいるのなら、正体を知りたい。リズにまとわりつく理由も」
ラルフは窓に歩みより、外に誰かいるのか、向かって手を振る。
「まってラルフ、危なくないの?」
「大丈夫だ、リズが寝ている間に応援を呼んである。騎士団の者たちがこの部屋に何重にも結界を張り、外に被害が出ないよう対処ができている」
「……結界? 今ここに?」
「ああ。だから悪いが、合図をした後には、レオナルを通じて団長たちへ会話は筒抜けになる」
「そうなの?」
私は馬車でのことを思い出し、キョロキョロと辺りを見回すのだけれど、当然ことながら魔法の痕跡など分かるはずもない。
ここにいない人にまで会話を聞かれるのは恥ずかしいけれど、今はそれも仕方ないと覚悟している。
だけど私の言いたかったことはそうじゃなくて。
「ラルフ、強い力ってことは、あなたに危険があるんじゃないの?」
「……ああ、心配するな。リズは何が起こっても、俺が守る」
「そうじゃないの、ラルフのことを言ってるの!」
こうして話しながらも、ラルフは護符で固められた騎士団のジャケットを脱ぎ始めていた。
ラルフにとって身を守るのに大事な護符が何重にも施されている制服を、ここで外す意味が分からない。
「俺のことは心配いらない、リズは俺に手を重ねて」
シャツ姿になったラルフに手を差し出され、私はおずおずと自分のものを重ねれば、大きな手に握りこまれた。
照れる私とは対照的に、目を伏せたラルフの表情はとても固い。
集中しているのか、黙ったまま。
緊張感とはうらはらに、包まれた手が、とても温かくて心地よい。
それがラルフの体温なのか、それとも彼のなにかしらの魔法のせいなのか。私にはそれを判別できないけれど、伝わる温度のせいか頬が赤くなっている自覚がある。
「リズ」
「ひゃっ、は、はい?」
突然呼ばれて、変な声が出てしまった。
「リズは魔力に対して鈍いから、俺を通して使い魔の気配を感じ取って、会話をするしかない」
「ラルフを、通す?」
「そう、目を閉じて集中して」
集中って、なにに? 場違いだと分かっていてもドキドキしてそれどころじゃ……
そんな動揺を口にする暇もなく、目を閉じたらすぐに、瞼の裏に色の洪水が襲ってきた。
瞼を閉じているにもかかわらず、私の腕に輝くような金の糸が絡んでいるのが見えた。その糸の先は、手を繋いでいるラルフへと繋がっている。
咄嗟に顔を上げれば、私はそのあまりにも美しい幻に息をのむ。
暗闇のなかに、色とりどりの輝く糸をまとう人型がそこに見えた。赤や黄色、青や緑の輝きが、波打つ金の糸の合間に揺れる。美しすぎて、言葉を失う。
まさかこれが、ラルフのなかに漂う魔力なの?
「そうだ、リズ」
え? 今、私声に出してた?
「繋がっているから、強い思考は聞こえる」
「えええ」
咄嗟に振りほどこうとした手を、逃がさないとばかりに更に強く握られていた。
「は、恥ずかしいよ!」
「今はそれどころじゃないだろ、気にするな、大まかなことしか聞こえない」
「そういう問題じゃ……」
「いいから、そのまま目を開けて周りを見ろ」
私は心のなかでぶつぶつ文句を言いつつ、目を開けた。
すると目を瞑ったままで見えていた糸が、現実のラルフと薄く重なって消えずにそこにあった。
変化はラルフの体だけではなく、私たちを取り巻く部屋のなかにも起きていた。
私が座る寝台の周囲に、薄い霞のようなものが漂う。蒸気のようなそれらがふわふわと漂い、私のほんの少しの動きに流されるように、床の隅に落ちた。それらがまるで秋の木の葉のごとく、ぐるぐると風に巻かれるようにして、角に貯まって落ち着いた。
ぽかんとしてラルフに視線を戻せば、彼は苦笑いを浮かべている。
首をかしげたまま視線を巡らせれば、今度はすぐそばにあったチェスト上の、ガラスの水差しに目を奪われる。
透明な水だったはずなのに、その中にもゆらゆらと小さなガラス片のような輝きが浮いている。
「魔素は見る側のイメージによるが、リズは単純というか、素直だな」
どういうこと?
この霞のようなものや、キラキラしたものが魔素というのなら、ラルフはまた違って見えているってこと?
「俺にとっては体に悪いものという意識が強すぎるからな。そんなことより、自分の体を見ろよ」
「自分の?」
促されて俯けば、お腹のあたりに黒いモヤが見えた。
「え?」
「出てこい、話をしたいんだろう?」
ラルフが呼びかければ、私のお腹あたりにあったモヤが、渦を巻きながら出てきて床一面に広がり、黒一色に染めた。
「な、なにこれ」
それらの現象におののきラルフの影に隠れる私とは対照的に、彼は黙って黒いものを凝視していた。
渦を巻きながら、寄り集まった塊が再び形を取ろうとしているように見える。
やっぱり、またアレと対面しなくちゃいけないのかな。
さっきまでとは違う意味で心臓がバクバクし始める。
「リズ、思い浮かべろ。黒い生き物で、ゴキブリとやらではない、他になにか別の形を」
「な、なに突然」
「言ったろう、使い魔は元々形などない。前の『アレ』とやらがリズの記憶に由来するものなら、今またリズの意思で変えられる」
「変えれるの? 本当?」
「ただし、色は黒だ」
黒、黒?
黒い生き物……
「口がきけそうなら尚よしだ」
喋れる生き物?
黒い……使い魔。
私の頭のなかに浮かんだのは、神様の使いと言われた生き物。
大きくて艶やかな漆黒の羽。精悍な顔立ちに、鋭いくちばしと、ずば抜けた知能。
鮮明に思い出した姿。触発されるように、私はその名を口にした。
「……
言葉が合図になったかのように、黒いモヤがすべて一点に集まり出す。
いびつな塊が次第に鳥の姿を形作り、思い描いていた通りの羽を伸ばし、鋭い爪の足が生える。嘴をもった頭を何度か振り、つぶらな瞳を開いたところで、私はあれ?と首をかしげる。
「目が、黄色い」
てっきり黒いとばかり思っていたのだけれど、黄色い、というか黄金色だ。
『媒介していた魔力の欠片か。だがこの姿はいい、気に入ったよ』
絞り出したような甲高い声に、ラルフが意外にもぎょっとしている。
そういえば、こちらの世界で喋る鳥って、見かけないかも。ペット文化もないし……いやでも、そもそも喋る生き物を思い浮かべるよう、指定したのラルフだよね?
「本当に喋る生き物がいると思わなかった」
「適当に言ってたの? 信じられない」
ラルフにとって私の前世が未知の異世界だからといって、どんなファンタジーを思い描いていたのだろうか。
しかしラルフの指示が行き当たりばったりとはいえ、喋る鳥はそれなりにいたのは事実。たしか鴉は喋る個体もいるって聞いたことがあるし、例のアレよりは百倍もマシだ。
鴉は羽をばたつかせて自分の体を確認していたかと思えば、気が済んだのか私の寝台に飛び乗ってきた。
『リーゼロッテ、これでようやく話せる。何度も接触を試みたのにいつまでたっても気づいてもらえず、ようやく近づけたと思えばあんな小さな形にされて、ほとほと困り果てていたんだ』
驚くほど流暢に話しはじめた鴉。
『さあ、行こうリーゼロッテ。主がお待ちかねだ』
つぶらな金の瞳が、私を見上げる。
『ぐずぐずしている暇はないぞ、世界が破滅してしまうからね』
……ちょっとまった。
なにその安っぽい冒険小説の、出だしみたいな台詞は。
『あれ、もしかして覚えていないの? きみの役目なのに。あのとき主と果たしそこねた約束を、履行してもらわないと。誰かが僕たちの邪魔をしようとしているんだ、あいつらより早く戻ろう!』
黙ったままの私に、次々と言葉を繰り出す鴉。
どうやら彼はせっかちなお喋りさんのようだ。いったいどんな誤解をしているのか、荒唐無稽なことばかり叫んでいる……
『遅れたら遅れた分だけ、影響が出てしまうよ、早くリントヴルムに』
「ちょっと……まって」
私が鴉の言葉を遮るよりも早く、ラルフの左手が鴉を上から押さえつけていた。
鴉のしわがれた本来の鳴き声をあげて、黒い翼をばたつかせる。
『おい、なにをする、無礼者!』
「うるさい、ベラベラ次から次へと。一度おまえは黙れ」
私もラルフに全力で賛同する。
一度に色々なことがありすぎてお腹いっぱい。
お願いだから、いったん整理させて。
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