第29話 想い
コンファーロさんの紡績工場では、ジエロだけではなく綿の糸も扱っていた。
というかむしろ、綿の方が多いくらい。庶民には綿布がもっとも手頃な素材なのは、こちらの世界も同じこと。この国は肥沃な山と比較的乾燥した平野がある。綿の栽培にはとても適している。
学校で習ったところによると、綿花の輸出もしているらしい。
「見てごらんなさいな、リズ。ここの綿の選別を、お祖父様から初めて任された私の仕事ですのよ」
コンファーロさんは工場の人に呼ばれ、少しの間仕事を片付けに行っている。
その間にとクリスチーナさんが私を案内してくれたのが、綿花の栽培所と分別作業場。ジエロの保管室からさらに敷地の奥、より取水所に近い場所にあった。平屋の可愛らしい建物は工場らしさはなく、まるでメルヘンな山小屋。
一歩中へ入れば、淡い茜色の壁紙の部屋に、白い綿毛が山になっていた。
天井にいくほどに壁は青くなり、まるで雲の上にいるかのようだった。
「なんだか、可愛らしいお部屋ですね。ここで仕事をしたら楽しそう」
「五歳の頃だったの、小さな幼児がじっと部屋にこもるには工場はとても殺風景だからって」
「……そんな幼い頃から?」
「もちろん、毎日じゃないわよ。試しに遊びながら、色分けをしていたわ。私は特に目が良かったから」
そういえば、感触で特別な糸を感じとるコンファーロさんに比べたら、光って見えるというクリスチーナさんの方が効率はいいかもしれない。
苦痛に思わなかったのだろうか。そう思って彼女を見ても、綿の山を見る目はいつも通り生き生きと輝いている。
「ジエロの繭は分かりやすいけれど、綿は見た目は同じ白なのよね。でも私の目には、同じじゃない。ほんのりと色がついて光っているの。だからそうね、宝探ししてるくらいの気持ちでいるわ。選別できるとお祖父様に誉められますもの」
「……そうだったんですね」
コンファーロさんが孫娘であるクリスチーナさんを見る目は、ずっと優しげだった。だからその光景が目に浮かぶようだ。
「お祖父様はこう言ってくれるのです、『おまえが選んだ綿が、ラルフェルト様をお守りするのだ。それがコンンファーロに生まれた者の役目だから』って。それが何よりも嬉しかったわ」
正面から、私を見つめるクリスチーナお嬢さん。
彼女の顔に浮かぶのは、誇りと喜び。
「でもお祖父様に言われたからじゃなく、私自身が、ラルフェルト様のお役に立ちたいと心から願っているわ」
言葉だけではないことは、この綿花を積まれた可愛らしい部屋がそれを証明していた。
だからこその自負。
「あなたも、試してみる?」
にっこりと微笑みながらクリスチーナさんが渡してきたのは、木の皮を編んだ可愛らしいバスケット。
彼女も同じものを持ち、綿の山のなかに押し入っていく。
収穫されたままの綿には、まだ種や葉がついていて、彼女の綺麗な衣装についてしまうだろうけれど、本人はまったく気にした様子もない。
クリスチーナさんは山の一角に手を入れ、綿を掻き分けるようにして、そのなかの幾つかをバスケットに入れていく。
「ここの敷地内のものであれば、収穫時に選り分けるのですけれど、この山は別の町から届いたものなの。試しにリズも選んでみて?」
「……はい」
自分に選り分けられるかしら……
白い固まりにしか見えない山を目の前に、ため息が出そうだった。
「ラルフェルト様には、赤い綿。レオナル様には緑、ゾルゲ様には金、レギオン様には青を……ふふ、今日はレオナル様色がたくさん」
「……色?」
「ええ、魔法には属性があるのは知っているでしょう? 綿花もそれなりに相性があるみたいなの。きっと育った環境に左右されるのだと思うわ。だからたまに、それだけを選り分けて作られる、特別な中の特別な糸を作ることもあるわ」
「特別な中の特別……」
「一つは王族のための献上品、それ以外にはレイブラッド家、つまりラルフェルト様のために」
手が止まっている私のバスケットを覗き込み、クリスチーナさんが苦笑い。
「難しいかしら?」
「はい、さすがに綿そのままでは、分かりません」
「ふふ、お祖父様も難しいっておっしゃっていたわ。だからこそ私はコンファーロの申し子だと、誉めてくださるの」
「……なら、どうして」
マルガレーテで針子として働こうだなんて? そう疑問を口にしようとして、言葉を切る。
だけどクリスチーナさんにはお見通しだった。
「はっきり聞いてくださってもよろしいのよ? なぜ針子までしたがるのかと」
「……ラルフのため、ですか?」
「私は欲張りだから、確証が欲しいのです。お祖父様の言うとおり、本当にラルフェルト様のお役に立っているという、もっと確かな手応えが」
再び綿花を選り分けはじめるクリスチーナさんの横顔は、どこか寂しげだった。
私は自分で選ぶことをあきらめ、彼女の避けた綿花を取り分けたりと手伝いに徹することに決めた。
「彼に、もっと近づきたかったのですわ、私。幼い頃からお祖父様に連れられて、レイブラッド家に訪れてはいたけれど……いいえ、同じ年頃のなかでは、誰よりもラルフェルト様とお会いする機会があったからこそ、分かりますのよ。彼の心にはもう一人の幼馴染みが、住んでいらしたのは」
「……クリスチーナさん」
「それでも、良かったのです。私の想いを妨げるものはありませんもの、あなたは遠く、互いに会うこともできない距離だったから」
「私は……そんなんじゃ」
何について否定しているのか、自分でもよく分からなかった。
たぶん、目を背けたかったのだ。だって私はまだ、ラルフの幼馴染みでいてもいいって、そんなスタートラインに立てたばかり。
だから……
「あなたを責めたいのではなくってよ、私は私の勝手で、宣言しておきたかったのですもの。私はラルフェルト様をお慕いしているわ、初恋なの」
私よりずっと前を行くクリスチーナさんは、とても眩しかった。
頬を染めながらも、しっかりと胸を張って言えるその強さは、私にはないものばかり。
「ずっと思い描いていたライバルに、宣戦布告なのですわ。ぼやぼやしていて、私に奪われてしまってもいいのかしら……そう、言ってあげようとずっと思っていたのに。どうして私よりあなたの方が、自信なさげなのかしら!」
「……あ、あるわけないです、そんな
「だからどうして? あなたもラルフェルト様が好きなのではないの?」
私は臆病で、ずるい。
エマには言えた言葉を、彼女を前にしては口にできなかった。
ラルフと私はただの幼馴染み。だから私に遠慮なんていらない。そう言うべきだと思うのに、そうしてしまったら、グラナートに来てからの彼との時間が、リーゼロッテの記憶のように自分のものでなくなるような気がしてしまう。
彼が信頼できると思ったからこそ、勇気を出して秘密を喋った。彼は迷惑ではないと言ってくれたけれど、両親とリントブルムを失ってしまった私にとって、記憶を共有できる彼は唯一の人。だからって彼に頼ってばかりでいいのだろうか。
だから彼の負担にはなりたくないと、とりあえず蓋をした気持ち。それをクリスチーナお嬢さんは容赦なく、開けてしまう。
仏頂面で乱暴な物言いをするラルフが、ほんのわずかに垣間見せてくれる彼らしい繊細さを知るたびに、胸がドキドキする。初めてここグラナートで出会ったときだって、どんなに舌打ちしてても、結局は守ってくれた。
でも、ふとしたときに思い出すのは、あのレイブラッド家の長い長い塀。
私とお嬢さんでは、立場が違うもの。
でもそれを彼女に言っても、どうにもならないことだ。
「……どうやら私は、あなたを困らせてしまったようね、ごめんなさいリズ」
しばらく続いた無言に音を上げたのは、クリスチーナさんの方だった。
「いいえ、謝らないでください。私の方こそ……」
「リズ、いいのよ。ラルフェルト様をお守りしたいって気持ちは、同じでしょう? だから伝えておきたかっただけなの。ラルフェルト様が好き、彼に振り向いてもらいたいから、あなたとはライバルだと思ってる。でもだからこそ、あなたの護符に感謝してるわ。彼が傷つかず済むことが、私の喜びだから」
クリスチーナお嬢さんは、とてもすっきりとした笑顔でそう言った。
「いつかでいいわ、あなたの気持ちも聞かせて。遠慮なんか無しでよ?」
私がおずおずと頷いたのを見て、クリスチーナさんが満足そうに頷き返した時だった。
彼女は急に真剣な顔つきに変わり、私のちょうど真後ろにあった窓へ、走り寄る。
「リズ、あなたはそこにいらして」
窓を開け放ち、クリスチーナさんは畑からこちらに走ってくる人たちに叫んだ。
「何があったの?」
「お嬢さん、アバタールが!」
血相を変えて走って来る従業員の様子から、何かあったとは思ったけれど、まさかという気持ちが勝った。
クリスチーナさんは冷静だった。
「リズ、玄関を内側から閉めてきてちょうだい。鍵もよ、急いで!」
私は窓とは反対側にある玄関まで向かう。
その後ろで開け放った窓から、最初の男性従業員を迎え入れるクリスチーナさん。
「どこで出たの?」
「はあ、はあ……それが、栽培用のため池の中に潜んでいたようです。水汲みの作業に入ったら、突然水が噴き上がって……一人が反対側に逃げざるをえず、取り残されてるんです」
「分かったわ。すぐに救援を呼びましょう、あなたはサイレンを鳴らして」
「はい」
次にやってきたのは、女性従業員を庇うようにして連れて来た男性。
私は息を切らして、なかばパニックを起こしている女性従業員を、落ち着かせるように部屋の一番奥に連れて行き、座らせる。
その間に最初の従業員が、どこかから出したか筒を持って再び外に出る。そしてその筒を地面に埋めると、指を鳴らして魔法で火を着けた。するとその筒は花火だったようで、大きな音を鳴らしながら勢いよく空へ上がった。
「早く!」
クリスチーナさんが急かすと、彼は戻ってきて窓を閉めた。
もう一人が、慣れた手つきで扉や窓に目張りをしていて、私は震える女性従業員とともに、それらを見守るばかり。
「大丈夫、騎士団の駐在所にはこれで連絡がついたはずですわ。きっとすぐにでも助けが来てくれる……同時にお祖父様や、近くの従業員たちも避難を始めるはず」
そう言うクリスチーナさんだったけれど、視線は窓の外。
取り残された従業員のことが、心配になってくる。
「もし、逃げ延びた人が来たら? 一箇所は開けておいた方がよくないですか?」
「駄目よ、リズ。ここに来るのは、従業員じゃなくてアバタールだから」
「え?」
驚く私を振り返り、クリスチーナさんが眉を下げる。
「黙っていてごめんなさいね、リズ。あのサイレンは、救難信号でもあるけれど、同時におとりでもあるの。サイレンはアバタールに場所を教えるようなもの。だからこの作業小屋は、万が一のときのために護符で守られているわ。この中なら少しの間だったら持ちこたえられる」
「お嬢さん、来ました、あれです!」
窓の外に広がる畑。その向こうから近づいてくるのは、人のような形をした何か。
ぐにゃぐにゃと形が崩れたと思ったら、また盛り上がっては人型をつくる。透明で、光を反射するそれが、水そのものであることに気づくのはすぐだった。
「……せめて、綿花の収穫後でよかったわ」
「お、落ち着いている場合ですか、お嬢さん」
「だって、救援を待つ以外、他にしようがないもの」
笑ってはいるけれど、彼女が窓に添えた手は、かすかに震えている。
もうすぐそこまで迫るアバタールらしきモノが、窓を隔ててこちらを見たような気がした。
「クリスチーナさん、離れて」
水のなかのアバタールは、すばしっこい。
そんなことが頭をよぎったのは、幼い頃にラルフを一瞬で引き込んだ、沼のを思い出したから。
私の悪い予感は当たり、窓をめがけて水が襲いかかる。
「きゃあ!」
その衝撃はすさまじく、家を揺らすほどのものだったけれど、護符で守られている小屋を破壊するまでには至らなかった。
そして驚きで尻餅をついたクリスチーナさんを、積み上げられた大量の綿花が守ってくれていた。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
「ええ、綿花のおかげでなんともないわ」
ほっとしたところに、震えていた女性従業員が悲鳴をあげる。
どうしたのかと見れば、恐怖にひきつりながら窓を指さしている。
彼女の差す方から、水音が響き、振り返った私は青ざめるしかなかった。
「みんな、上に逃げて」
窓の目張りだけでなく、玄関からも少しずつ水が侵入してきていたのだ。
小屋は確か、高めの土台の上に作られていた。それを逆らって登ってくるなんて、生ける魔法、アバタールだからこそだ。
私たちは恐怖で腰を抜かす女性従業員を支えながら、高いところへ避難する。
とはいえ、平屋造りの小屋では、場所は限られている。
テーブルを伝い、棚に足をかけて梁に登る。
その間にも、床は水が満ちていき、綿花が押し流されていく。
「はやく……」
男性従業員に支えられながら、祈るように呟くクリスチーナさんが、私を見て驚いたような顔だ。
「まさか鞄を抱えてらっしゃるなんて、驚きの余裕ですわねリズ」
「まさか、でも……田舎育ちなので、木登りだけは得意ですから」
乾いた笑いを湛えるクリスチーナさんの前で、私は両手を離して梁に立ちあがる。
「あ、危ないわよ、リズ!」
「これ、少しくらいなら役に立つと思います」
鞄にあったいくつかの刺繍見本を取り出し、一人一人に手渡す。
護符なんてものを意識していない時、リンドブルムで刺したものばかりだ。けれど母に教わった図柄はどれも、マルガレーテの図録では護符として使われているものばかりだって、今は知っている。
病気平癒とか、安産祈願だとかだったことは、深く考えたらダメなような気もするけれど、無いよりはましに違いない。
私は、魔法紡ぎだった母の刺繍を握りしめる。
私たちは祈りながら、床に満ちていった水が、再び中央で集まり出すのを見守るしか術はなかった。
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