第27話 世間知らず
エンデの祭りの最終日だったはずのこの日、私たちの元にやってきたのはクリスチーナお嬢さんと、その祖父であるガレリオ・コンファーロさんだ。
お嬢さんだけならばいつものことだけど……と言うのはヒルデさん。
クリスチーナさんは度々店を訪ねてくるけれど、なにかと忙しいコンファーロさんの方は、滅多に顔を見せることはないのだそう。
ヒルデさんは私を連れて、一階の応接室に向かった。
先に来てお客さんを迎えていたベリエスさんが、二階へ戻るところだったようで、階段ですれ違う。
「ありがとう、べりエス」
「どういたしまして。応接間を勧めたのですが」
階下では、緑地に赤や青の刺繍が目にも鮮やかな衣装に身を包んだ白髪のご老人が、エマに連れられて店を見て回っていた。
彼こそがこの国最大手の製糸会社の代表であり、縫製協会の重鎮であるガリレオ・コンファーロ氏。その後ろには孫娘のクリスチーナお嬢さんも一緒だった。
「いいわ、大丈夫よ。私からもちょうどコンファーロさんと直接話したいことがあるから……ミロスラフにはお茶を出したら、エマを連れて席を外してくれるよう言ってもらえるかしら」
「了解しました」
ヒルデさんが軽やかに階段を降りると、コンファーロさんが気づき笑顔を浮かべる。
「こんな朝早くからすまないね、ヒルデガルド。工場へ戻るついでに寄らせてもらった」
「お気になさらず、歓迎いたします。昨日はせっかくの市があんなことになり、お見舞い申し上げます」
「いや、怪我人がいなくて幸いした。騎士団には私から礼を尽くすつもりだよ」
最終日は市を中止し、片付けのみとなったそう。その片付けも調査が入るので、協会内部の者だけですることになると伝えられた。
ひとしきりそんなやり取りをした後で、私を手招きするヒルデさん。
私は慌ててそばに行って、にこやかに立つコンファーロさんへお辞儀をする。
「この子が、うちの新しい従業員、リーゼロッテです」
「ああ、クリスチーナから話は聞いているよ、メンガーからも」
ちらりとご老人が視線を向けるのは、孫のクリスチーナさん。
「はじめまして、リーゼロッテ・エフェウスです」
彼は杖を持ち、そこにいくらかの体重を預けているようだった。ヒルデさんが客人である二人を椅子へと導く。
ご老人にしては大きな体をそこに沈めると、手にしていた杖を置く。彼の手でおおわれていた部分には、こちらの世界でいう蚕、ジエロを模した、美しい紋章が彫られている。それが製糸工業で財を成したコンファーロの家紋。彼らが売る商品のパッケージによく使われているので、知らない者はいないだろう。
「今日はこれから工場へ寄って、そのままアラッガの街へ発つつもりでいる。それで早くにすまないとは思ったんだが、寄らせてもらったよ。昨日の詳細は、聞いているねヒルデ?」
「もちろんです、リズを店まで送ってくれたのはアロイス……ゾルゲ団長ですもの」
「そうか……昨日は災難だったね、リーゼロッテ」
コンファーロさんは、エンデに多くの寄付を施していることもあり、立て続けに理性を欠いたアバタールからの襲撃に心を痛めている。昨日のごたごたのせいで、せっかく活気が戻りつつあった
「私はなんともありませんでしたから……けが人が出なくて本当に良かったと思っています」
自分を含め、けが人が出てしまえば町の治安への不安、それからラルフたち警護を任されていた魔法騎士団にも影響が出ていたと思う。ラルフたちに迷惑をかけなくて良かった。今更だけど、心からそう思う。
「そうだな、それが一番の救いだった……ゾルゲ団長も、あなたの大切な従業員ならば、護衛に関しても慎重になってくれるだろう。ああ、ありがとうミロスラフ。きみも調子はどうだい? ここのところ不自由しているだろう」
ミロスラフさんがお茶を淹れてコンファーロさんたちの前に置くと、彼にとても気さくに話しかけるコンファーロさん。
「とんでもない、リズが来てからというもの、毎日とても楽しいんだ、それに僕の心配はいらないよガリレオ」
「そうか、相変わらずだな」
ミロスラフさんはコンファーロさんとやけに親し気だった。そういえば、ミロスラフさんは見た目が青年だからつい忘れてしまうけれど、ここでは最年長だと聞かされている。きっとご老人とは長い付き合いなのだろう。私はそんな彼らの親交が気になるものの、ミロスラフさんの持ってきていたポットなどを片付ける。挨拶は終わったわけだし、控えていたエマとともに退室した方がいいだろう。そう思い、席を立とうとしたところで、それまで黙っていたクリスチーナお嬢さんから声をかけられた。
「まって、あなたもここに居てちょうだい、リズ」
どうして私? 疑問に思って返事が一呼吸遅れただけなのに、矢継ぎ早に会話が交わされる。しかも私を飛び越えるようにして。
「ちょっと、どういうことですかお嬢さん、リズは仕事があるんですが」
「エマに言ってないわよ、少し彼女に用件があるの」
「用ってなんですか?」
「エーマ!」
素通りしていく会話を眺めていると、止めたのはヒルデさん。
とはいえこの気安さはいつも通りなのか、クリスチーナ嬢さんは気を悪くした様子などなく、カップに口をつけている。エマもまたヒルデさんには悪いと思ったのか、小さく「すみません、つい」と謝っている。そんなエマを眺めていたミロスラフさんが、「行っておいで」と微笑みながら私の持つ盆を奪っていった。
仕方がないのでお嬢さんとコンファーロさんにお辞儀してから、ヒルデさんの隣に座り直す。
するとお嬢さんが笑いだした。
「エマは先輩風を吹かしているんだと思っていたけど、違ったみたい。まるで親鳥だわ」
クリスチーナお嬢さんの感想は少々言い過ぎではあるけれど、方向性は否定できない。
だけどそれには理由がある。
「田舎者だし、仕事のこと以外でも知らないことだらけだから、きっと私がそうさせてしまっているんです」
「……へえ、そうなの?」
お嬢さんは私をじっと食い入るように見つめてくる。
好奇心いっぱいなとても強い瞳は、なんでも見透かしてしまいそう。そんな彼女に私がたじろいでいるのも、きっと不思議に思っているのかもしれない。
しかしそんな私に声をかけたのは、クリスチーナお嬢さんではなく、コンファーロさんだった。
「では、ちょうど良かった。このあと工場に向かうと言ったろう、一緒に来てみるかね?」
「……私が、ですか?」
突然のことに驚いていると、ヒルデさんがそれに賛同してみせた。
「リズ、コンファーロさんには、いずれお願いしようと思っていたところなの。ちょうどいいし、ぜひ彼の製糸工場に見学に行かせてもらったらどうかしら?」
「い、今からですか?」
「そうよ」
ヒルデさんからの勧めに驚くばかりの私。だって、まだマルガレーテに雇われたばかり。エマは戦力として期待してるって言ってくれたものの、その言葉に甘えてばかりではいけないのは分かっている。
「おじい様、とても良い提案だわ。リズ、ぜひ一緒に工場へ行きましょう」
「ああ、急で悪いがこれからすぐで良ければ、一緒にどうか」
「は、はい、それはもちろん、魅力的なお誘いですが……いいんでしょうかヒルデさん」
「もちろんよ、良かったじゃないのリズ、仕事の方も制限がある今、ちょうど良い勉強の機会だと思ったらいいわ。マルガレーテにとって、コンファーロの糸は無くてはならないものよ。それにリズが特別というわけではないの。マルガレーテに来た従業員は、これまでも勉強に行っているわよ、エマもアンネも、クーンも、私だって」
「……そうなんですか?」
ヒルデさんではなく、クリスチーナお嬢さんが私の問いに答えた。しかも最初は口を尖らせながら。
「ヒルデの言う通りよ、リズ。それともうちに来ると取って喰われるとでも思っていたの? 祖父の事業は、魔法騎士たちやヒルデたちの助力もあって大きくなったの、これはいわば助け合いよ。たとえあなたが突然現れて私の立ちたかった場所を取ったとしても、それとこれとは別。コンファーロの人間として、マルガレーテのお針子であるあなたを、心から歓迎するわ」
表情豊かにそう告げるクリスチーナお嬢さん。口角をあげて胸を張り、そして得意気になったかと思えば、まっすぐ私を見て頷きながら言い切った。
私にとって、眩しすぎるクリスチーナお嬢さん。彼女は昔、小さな病室で憧れた主人公そのもの。
そんな彼女が私の工場見学に付き合ってくれると聞いて、とても嬉しい反面、緊張してしまいそうだった。
「じゃあ、コンファーロさんと少し込み入った話があるから、その間にリズは出かける支度をしてらっしゃいな」
「はい、そうさせてもらいます」
私が席を立つと、なぜか正面に座っていたクリスチーナお嬢さんまで立ち上がる。
私が首をかしげると……
「私もついていっていいかしら、あなたたち従業員の部屋って入ったことないの。あと、作業場も」
「え? 私の部屋ですか?」
「ダメかしら」
「いえ、ダメじゃないですけど」
「本当? よかった」
招待するのがいったいどちらか分からなくなりそうな勢いで、私を引っ張るお嬢さん。
「ま、待ってください、慌てなくても、ちゃんと案内しますから」
そう言って手を離してもらったのは、すでに階段を半分ほど上ったあたり。
騒がしさを聞きつけたのか、二階からエマが顔を出してこちらの様子をうかがっていた。
「ちょっと、なんでお嬢さんがこっちに来てるのよ」
「エマ、これからコンファーロさんの工場へ行くことになったの、支度をするついでにクリスチーナお嬢さんを部屋にお招きしたの」
「ごめんなさい、つい嬉しくってはしゃいでしまいましたの」
強引なのに、非があれば素直に謝るクリスチーナさんに、私とエマは毒気を抜かれて笑いあった。
それからエマを加えて三人で、私の部屋へ。
さして珍しいものがあるわけではないのに、クリスチーナさんは興味津々のようだった。私は自分の裁縫箱からいくつか道具を取り出す。大きな箱はきっと邪魔になるだろうから、最低限のものだけを持っていくことにした。
小さめの鞄に入れたのは、針と糸、それから小さな糸切りハサミと、お気に入りの指ぬき。それらを村にいたときに刺繍をさした大きめのハンカチで包む。
「エマ、他には何を持っていったらいいのかしら」
「大丈夫、本当は特になにも必要ないんだから」
「……そうなの?」
寝台に腰を下ろし、その弾力を確かめていたクリスチーナさんが、私たちの話を聞いて笑う。
「きっとヒルデはお祖父様と込み入った話があったのよ、その口実ね」
「……あ」
そういえばミロスラフさんに、エマと一緒に部屋を出るように告げていたことを、思い出した。
「ほら、エンデでの市はうちが仕切っていたのですもの。復興してきたエンデの人々にとって、昨日のあれは最悪ですわ」
「そういえば、お嬢さん。メンガー女史は今日は一緒ではないんですか」
「ええ、彼女は市の後始末などで当面はエンデに残ってもらっているの。寺院との繋ぎも必要でしょうし……って、リズそれあなたが刺したのかしら?」
私の手元にある包みを、食い入るように見るクリスチーナお嬢さん。
「ええ、そうですよ。かなり前ですけど」
「素敵……この花はなに? すごく珍しい形よね」
「……え、あ、そうかも」
私は戸惑う。
風呂敷のように道具を包み、落ちないように結んだ先に刺繍が出るようにしてあるのだけれど、その花はあじさい。まだ前世を思い出す前だというのに、無意識にデザインしていたらしいのだ。
紫に染まる小花が集まり、塊で大きな花を形成している。生地は薄い水色に染めてあり、四隅にいくほど濃い青となる。それはまるで水溜まりと雨上がりの空みたいで、少ない私物のなかでもお気に入りのひとつだった。
しかしそんな私の刺繍を見て、がっくりと項垂れるクリスチーナさん。
「最悪です……ここまでの差があるとは」
苦笑いのエマがこっそり耳打ちしてくれるのは、お嬢さんの気持ち。
「お嬢さんの刺繍はある意味独創的だから、きっと現実にうちのめされてるのよ。そっとしておきましょ」
そういえば、以前にもそんなことを聞かされたっけ。いつかクリスチーナお嬢さんの刺繍が見られるときがくるのだろうか。そのときが楽しみのような、怖いような……
とにかく、クリスチーナさんの様子から察するに、あまり追及してはいけないのだろうと悟る。リントヴルム村でも、繕い物がどうしても苦手な子はいたのだから、おかしなことでなはい。誰にでも得手不得手はある。だから例えどんなものを見ても驚かないよう、心構えだけはしておこう、うん。
それからさほどの時を待たず、私はコンファーロさんたちの馬車に乗り込み、製糸工場へ向かった。
馬車の中はコンファーロさんとクリスチーナさん。その向かいに私が座る。
乗り合い馬車とは違い、ビロードの布で覆われた座面は、石畳の揺れをずいぶんと和らげてくれていた。どこにも掴まらなくても座っていられるのはありがたいけれど、コンファーロ家の二人を目の前にして、かえってそわそわとかばんを抱えて居心地の悪さを誤魔化すはめになっていた。
「製糸工場は、グラナートの北の端にあるの。少し時間がかかるから、そう固くなっていると疲れてしまってよリズ?」
緊張していることはお見通しだったようで、私は恥ずかしさで頬を染める。
「あなたとは一度、ゆっくりお話がしてみたかったのよ、私」
「私と、ですか?」
「ええ、だってあなたがラルフェルト様の、大事なメダリオンの護符を作った人だったんでしょう?」
どこまで肯定していいのか分からないでいたら、コンファーロさんが身を乗り出す孫娘と私を見比べて言った。
「我が家とレイブラッド家は、先代から続く旧知の仲でな。儂はラルフェルト様が生まれたときから知っておるよ。彼が幼いころから常に身体を壊し、成長を危ぶまれておったこと、藁をもすがる気持ちでリントヴルムに行くことになった経緯も……」
「彼が元気になってくれたんですもの、あなたは恩人よ」
「……そんな、こと。役に立ってくれていたなんて、ここに来てから知りましたし」
「あなたは、すぐそうやって謙遜するのね。クセなの? だったらすぐに止めるべきだわ」
「クリスチーナ」
言葉を詰まらせる私を見て、お嬢さんをたしなめたのはコンファーロさん。
「だって、凄いことなのに! 私だってどんなにラルフェルト様のお役に立ちたかったか。でも魔法について私に出来ることがないのは事実だもの。それなら別のことでと、いつもお役に立てることを探しているわ。あなたもてっきり同じだと思っていたのよ?」
「私……は」
得意だった裁縫も、役に立つと思っていた。だけど今は魔法騎士団の団長さんから仕事を限定されていて……ラルフの役に立てていたとは聞いたものの、イマイチ実感がないというか、分からない。
「自信が、ないのね」
「私には分からないことばかりで、魔素のことや、魔力のことも。紡ぐってことすらマルガレーテに来て教わったばかりなんです」
「なら勉強したらいいのよ、あなたがこのまま立ち止まっていたら、ラルフェルト様はいずれ潰されてしまうわ」
「……潰されるって、どういうことですか?」
不穏な言葉にクリスチーナさんを見返せば、彼女は軽い気持ちで言ったのではないことを悟る。これまでずっと心のままを表情にのせて話す彼女が、今は真剣そのものだから。
「リントヴルムの一件以来……いえ、それ以前からかもしれない。ラルフェルト様は、魔法省の魔力制御研究所、主任研究員であるエリザベート・ミルヴェーデンの実験に利用されているの。護符の実験と称しているけど、ラルフェルト様のお体への負担は相当なものだと……。本当に、最悪なのですわ」
「エリザベートさんって……イリーナさんのお母さんですよね。まさか、彼女がそんなこと」
幼いシャルを連れて散歩を楽しむ姿が、私にとって初めて出会ったエリザベートさん。それにイリーナさんをとても心配して、優しいお母さんという印象しかなかった。
「ラルフェルト様は納得の上だとおっしゃいます。しかしたとえそうだとしても、何度も倒れるまで実験をやり通せるエリザベート・ミルヴェーデンは、本当に血の通った人だとは思えません」
「倒れる……まで」
以前に見た、血を吐きながら倒れるラルフの姿が、私の脳裏に甦る。
あれを、何度も?
「クリスチーナ、それ以上はよしなさい。彼女はなにひとつ悪くはないのだから。そして、問題はそう単純なものではない」
コンファーロさんの落ち着いた声が、腰を浮かし気味だったクリスチーナさんを諫めた。
眉を寄せてはいるものの、お嬢さんは再び椅子に座り、乱れたスカートの裾を払う。
「リーゼロッテ、きみはまず魔素と魔力について、学びなさい。それは世界の仕組みであり、力でもあるのだから」
世間知らずな私は、その言葉にただ頷くしかなかった。
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