四章 使い魔

第26話 寛容

 この世界にリーゼロッテとして生まれた私が抱える二つの記憶は、幼馴染ラルフとを隔てる壁にはならなかった。

 一人悶々と秘密を抱えていただけに、拍子抜けというか、そんなに簡単に受け入れてしまえるものかと思うほどだった。そんなラルフの寛容さに、感謝するばかり。

 そんな彼のためにも、ここでできることをしていこう。次にレギオン先生に会うことがあれば、私は大丈夫。そう伝えようと決めた。


「おっはよう、リズ!」


 いつもよりも一段と元気でテンション高めのエマに、食堂であいさつを交わす。


「おはよう、エマ。昨日は一人にしてしまってごめんなさい、大丈夫だった?」

「気にしなくていいわよ。それより……ラルフェルト様とゆっくり話し合ったんだって?」

「え? ……あ、うん」


 さすがに彼に話した内容を、エマに伝える勇気はまだない。

 それだけでなく、騎士団長に保護させてほしいと言われたことだって、どこまで話していいのだろう。そもそもマルガレーテで働けなくなるってことなのかな。

 そんな不安がよぎるのだけれど、どうやらエマの聞きたいことはそこではないみたい。

 目を輝かせて、私の次の言葉を待っている、ような……?


「もう、焦らさないでよ! ついに告白されたんでしょ?」

「え? なに言ってるのよエマ」


 ──リズの特別が俺だけだって、思うのは自惚れなのか?

 言葉とともに降りてきた熱い唇の感触が、思い出されてしまう。

 幼い頃から両親にたくさんしてもらった、信愛のキス。もう誰にもしてもらえることはないと思っていただけに、ドキドキするくらいすごく嬉しかった。だから余計に、子供のように舞い上がってしまうのは仕方ないよね。

 頬に集まる熱を隠そうと両手で包む仕草が、まるで自ら肯定してるように見えたのか、エマの追求が止まらない。


「へえ……リズってば可愛い。そうかそうか、そんなに熱く愛を囁かれたのね」

「違うってば。私……自信がなかったの。数日一緒にいただけで、ラルフのこと特別に想ってもいいのかなって」

「そんなの関係ないじゃない、会ってその日に恋に落ちる人だってごまんといるんだから」

「恋? 違うよ、幼馴染みと名乗れる自信がなかったの。でもずっと不安だったことをラルフに話してみたら、過去の私も今の私も受け入れてもらえたの、これでちゃんと彼を心配してもいいなだなって、親しい者として、幼馴染みとして」

「…………え?」

「ん?」

「幼馴染みとして、想う?」

「うん、そうよ。十年も会ってなかったもの」

「好きなんじゃなかったの?」

「もちろんよ、ぶっきらぼうだけど芯の部分では、相変わらず優しいもの」


 その後のエマがすごく面白かった。目をひんむいて私を見ていたかと思えば、眉を下げて塩でも舐めたような顔。そして大きくため息をついて肩を落としたかと思えば、眉尻を上げて怒ったようになにかを呟く。

 すごい百面相。


「こんなところで、どうしたの?」


 廊下で立ち話となってしまった私たちの後ろから、ミロスラフさんが階段を降りてきたところだった。

 するとエマが、ミロスラフさんのよくアイロンをかけられたシャツの袖を捕まえて、引きずっていってしまう。


「……なんだったんだろう」


 一人取り残されて、まあいいかと食堂に向かう。

 だいたい、ラルフが私に対して抱く感情は、エマの考えるようなものではないと思う。幼い頃の幸せな記憶を、大切に思ってくれているという事実だけで、私には勿体ないくらい。

 家族がいなくなってしまった今、私にとって家族に代わるほどの神聖なもの。それがラルフの存在なんだと思う。ラルフにここで再会できて本当に良かった。だからもう失わないように、大事にしていかないと。

 食堂に入ると、ヒルデさんが既に食事を終えたところのようで、食器を片付けている後ろ姿を見つけた。

 いつものように挨拶をすると私に気づいたヒルデさん。


「おはよう、リズ。ちょうどよかったわ、話があるから、食事が終わってから私の部屋まで来てもらえる?」


 ヒルデさんはとても心配してくれていたのだから、昨日のことは報告すべきだと私も思っていたところだ。

 急いで朝食を取り、遅れてきたエマの追求から逃げるように、ヒルデさんを追った。

 彼女の仕事部屋から返事があり入れば、正面の大きなテーブルに広がる深い紺色の生地。それから何枚ものデザイン画と数字がびっしり書かれたノートの山。

 ヒルデさんはその山の向こうで帳簿に目を通していたようだった。私が入ると、その帳簿から顔を上げていつもの笑顔を見せてくれる。


「早かったのね、ちゃんと食べたの?」

「はい、急ぎましたけれどいつも通りいただきました」

「そう、ならいいわ」



 ヒルデさんが奥の机まで手招きをし、椅子を差し出してくれた。


「話というのは、昨日、ゾルゲ隊長がおっしゃっていたことでしょうか?」

「……まあ、そうね。たぶん不安になってるんじゃないかと思って。ゾルゲ団長は広い視野を持つ良心的な方だけど、あまり言葉を飾る人ではないから、誤解を招きやすいのよね……まあそれに関してはラルフェルト様ほどではないけれど」


 クスリと笑いながらヒルデさんは、つけ加えた。

 ラルフにとってヒルデさんはよい理解者に違いない。彼の良いところも足りないところも、知った上で見守ってくれているのだろう。


「私の一番の不安は、これまで通りここでお仕事をさせてもらえるかどうか、です」

「それはもちろん! それがダメと言われたら、全面的に対決姿勢で望むつもりよ、うちとしても」


 握りこぶしをつくって口元を上げるヒルデさんは、楽しそう。

 いえ、対決姿勢は困ります。しかしヒルデさんも一般市民。冗談だろうとわかっていても気持ちは嬉しい。


「でも当面は、リズには魔法騎士団から発注されている新しい制服の製作にのみ、かかわってもらうわ。細かいものを作ってももちろんかまわないけれど、それらを一切外へ出さないことを条件に……というのが騎士団からの要請よ」

「それはもちろん、お仕事ですからかまいませんが……いいんでしょうか?」


 ヒルデさんは首をかしげて私の言葉の続きを待つ。


「私の力……本当に魔法紡ぎ以外の力なんてものがあるのかわかりませんが、そんな私が騎士団の制服を扱うのは、とても危険なのではないですか? かえって命をかけるお仕事をする皆さんに、もしものことがあったら……」


 昨夜、ラルフと別れてから少し考えたことだった。

 彼は私の思いを汲み取りながら、護符を使ってくれていた。それはとても恥ずかしいとはいえ、彼の役に立てたことがすごく嬉しかったのも事実。

 だからこそ、もし護符になんらかの不具合があったらと、不安でならない。

 私にも魔法が感じられたなら、こんなにも不安になんかならなかっただろう。なにも見えない、感じない。だから信じられない、そのループにすっかりはまってしまっている。

 今までは、私の繕い物なんて実用を兼ねた気休め程度だと思っていたから、気軽に繕うことができたのだ。


「大丈夫、そもそも騎士団は国の最高位の魔法使いたちですからね、一癖も二癖もある護符を使いこなしてなんぼ。それにまだ騎士団服は制作中で、支給は先になる予定なのよね。だから今のところ、実験体になるのはラルフェルト様だけだから」


 ……は?

 私の不安を違うものへと置き換える、ヒルデさんの言葉。

 相当、おかしな顔をしていたのだろう、ヒルデさんが笑いを堪えられないかのような顔をする。


「ラルフェルト様がね、独り占めしたいとわがままを言うからいけないのよ。まずリズには、彼のものだけに仕事をしてもらい、その効果を逐一報告させるってことで双方手を打ったらしいわ」

「ええ……と、なんで?」

「それはゾルゲ団長も聞いたらしいわ。そこまでこだわる理由を言わないと、許可できないって。そうしたらようやく口を割ったらしいわ。あなたの護符からは、あなたの意思が伝わるんだと。想いそのものが、魔法とともに紡がれるって」

「ええと、それは……」

「うん、独占欲」


 私は赤面するしかなかった。

 昨日ラルフから聞かされた内容は、私にとって予想外も甚だしい事態だったから。彼のために思ったというのは事実だけれど、伝わるにしたってもう少しソフトにぼかしてもいいではないかと。


「あ、あの。でもそれでいいのでしょうか。マルガレーテに居させてもらうのに、そんな仕事だけだなんて……」


 マルガレーテはただでさえ従業員に限りがある。忙しいなか、私の仕事が制限されると、みんなに負担がいってしまうのではないだろうか。早く仕事を任せてもらえるようここまで頑張ってきたのは、みんなの助けになりたいと思ったからなのに。

 するとヒルデさんは私に「大丈夫よ」と励ましながら、肩に手をかけて言った。

 

「店のことを心配してくれたのね、ありがとうリズ。そう思ってくれるなら、今は私たちを信じてちょうだい。必ずここマルガレーテで一緒に仕事ができるようにするから。だって、私たちはあなたの護符が魔法使いたちに良い結果を生み出すと、信じているのよ?」

「……ヒルデさん」

「だってあなたの護符の力は、十年前から発揮されているもの、ラルフェルト様のもとで」

「それも、最近知らされたばかりで、私には実感がありません。それにイリーナさんに作った服は?」

「あれは使用制限を既にかけてあるそうよ、護符については専門家のエリザベートもついてるし、心配いらないわ」


 それよりも、と話を続ける。


「でも……そうね。私たちだけじゃなく、多くの人があなたの護符に期待をもっているのも事実なのよ。ベリエスが暴走したときのこと、覚えているわね?」

「はい、もちろん」

「魔素はどこにでも存在してる。食べ物の中や、水、大気などあらゆる場所に。生き物はそれらを体に取り込み、魔力に編みあげて魔法を具現化するの。取り込める力の大きさは人それぞれ。体の中に血がまんべんなく行き渡るのとは違い、魔力は雑然と吹き荒れる嵐のようと表現する者もいるわ。大きな嵐から必要な分だけを拠りあわせて、まるで糸を紡ぐようにして方向性を与える。そうして具現化したものが魔法。魔法使いたちの中で方向性の手助けをするのが、私たち針子の護符。ただし効果は本当に僅か……その力及ばないことに、幾度も悔しいと思ったことか」


 私は噛み砕くようにヒルデさんの言葉を頭に入れる。

 簡単な理屈だけは、亡くなった父から教わってはいるものの、深く理解するつもりなどなかった。リントヴルムにはそもそも魔素が欠けていたため、私だけでなく、村人たちもほとんど魔法を使うことがなかった。


「リズの護符は、多すぎる魔素の嵐を鎮め、魔力の糸を紡ぐのを助けてくれるみたいなの。少なくとも、ラルフェルト様が持っていたハンカチには、ずっとその効果が働いていたんだと思う」

「でも、再会してすぐに、魔力過剰で吐血してました。効果としては薄いんじゃ?」

「リントヴルムの噴火が起きるまでは、彼は任務で魔法を酷使しないかぎり、そうそう倒れる人じゃなかったわよ?」


 しゅんとしてしまった私を慰めるように、ヒルデさんの優しい笑顔が向けられた。


「そう責任を感じることではないわ。噴火はリズのせいではないもの。それとも、あなたに止められた?」


 私は慌てて首を横に振る。

 たとえ数分でも止められたなら、もっと多くの人が生き残れたろう。


「ごめんなさいね、辛いことを思い出させて」

「いいえ、分かっています。偏見を持たれても仕方がないほどの被害を出しているんですから……そんななかでも雇ってもらって居場所を与えてくださったんです。マルガレーテのみなさんに、今もすごく救われています」

「それは気にしないでいいのよ、みんな同じようなものだから」


 ヒルデさんの微笑みが、どこか悲しげに見えた。

 私には計り知れない、苦労をしてきているのだろうか。


「とにかく、ゾルゲ団長からリズへの要望は二つ。一つは騎士団の……ラルフェルト様限定の制服修繕と新規女性騎士団向けの制服の作成助手。あとはリントヴルムの調査に協力をして欲しいということ。大丈夫?」

「……はい。少し不安だったけれど、昨日ラルフとも話せたので、大丈夫です」

「そう、よかったわ」


 従業員にもその旨を報告すると告げて、ヒルデさんは立ち上がった。私を誘導し、扉に手をかけたところでそういえばと振り返った。


「ラルフェルト様は強引だから振り回されないようにね、リズ。あなたが考えて、行動を決めなくちゃダメよ? もしあなたの言うことを聞いてくれず暴走するようだったら、私がゾルゲ団長に言って絞めさせるからね?」

「暴走って……ラルフは優しいので大丈夫ですよ、ヒルデさん」


 あの舌打ちと乱暴は態度は、最初こそ驚いたけれど、彼は相変わらず繊細なのだと思う。だから心配はいらないのだとそう答えたつもりだったのだが、ヒルデさんは驚いたような顔をしてから、クスクスと笑う。


「彼はすっかりあなたの信頼を得てしまったのね、それならかえって心配は要らないかも」


 そんな風に話ながらろうかに出たところで、こちらに歩いてくるベリエスさんにでくわした。


「ヒルデさん、大変ですよ。朝から嵐が来ました」


 嵐?

 眉をいつも以上に下げたベリエスさんは、視線で階下の店の方を指し示すと、ヒルデさんにはその意味がわかったみたい。

 額に手をあてて、苦笑いを浮かべていた。


「クリスチーナお嬢さん?」

「はい、しかも今日は縫製協会ドンのおまけ付きです」


 にわかに騒がしくなる階下の物音。

 今日から営業再開の予定……だとしてもまだ早朝。お客様を迎える準備どころではないのだ。

 きっとエマが文句を言いながら応接にかけた布を剥がしに走り、窓を開けて換気をし、ミロスラフさんがティーセットを用意しているに違いない。

 私も手伝いに行かないと。

 そう動き出したところでヒルデさんに止められた。


「リズは私と一緒に。ベリエス、応接室にお連れして、お茶を用意してさしあげて?」

「了解です。お茶はミロスラフが向かいました」


 ベリエスさんを見送ったヒルデさんが、にんまりとしながら私を見下ろした。

 あ、なんか企んでます?

 そんな風に感じるのは、このマルガレーテに私もいよいよ馴染んだのかしら。

 ちょっとだけそう思ったのだった。

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