第25話 二人の秘密
「あ~あ、なにやってるんだよおまえさぁ……」
手のひらの痺れと動悸は止む気配すらない。
ごめんなさいの言葉すら紡げないままに固まる私の緊張を解いたのは、いつも通りの柔らかい声の主、レオナルさんだった。
いつの間にか停車した馬車の扉を開きのぞかせた顔には、呆れというより憐れみの色を含む表情。それはもっぱらラルフに向けられていて……
「うるさい」
「着いたよ、続きは中でしようか。リズが怖がってるじゃないの」
「……馴れ馴れしい、リズを馴れ馴れしく呼ぶな、触るな」
「はいはい」
そんな風に怒りながら馬車を降りるラルフを追って馬車の端に寄れば、レオナルさんが手を差し出してくれた。
「二人にしなければよかった。あいつがまさか、あんな馬鹿だとは思わなくて……」
「そんなこと。レオナルさんが謝ることじゃないですよ……それに私が悪いの」
レオナルさんの手を借りることにしてステップに足をかけたところで、ごつんと鈍い音が耳に入る。
見れば背が高くがっしりとした体格の男性が、先に降りたラルフを待ち構えていたらしく、彼の頭上に拳を振り降ろしていた。
「……え?」
「……っつぅ、団長?!」
「魔法騎士団たるもの紳士であれと教えたはずだ、ラルフェルト」
その男性は大きな声で、ラルフを叱り飛ばしていた。黒い髪が特徴的なその男性は、とても魔法使いには見えない筋骨隆々とした人だった。
「彼は僕たちの魔法騎士団を束ねる、アロイス・ゾルゲ団長だよ。ああ見えて繊細な魔法を得意とする人で、とても信頼できるんだ」
「ゾルゲ団長……」
ラルフを怖い顔で見下ろす団長がその後どうするのだろうと不思議に思っていると、お店の中からヒルデさんが現れた。すると団長さんが急に慌てだし、ヒルデさんに挨拶を交わす。あんなに大きな体をしているのに、力関係ではヒルデさんが最強なのかしらと思うとおかしくて、心が少しだけ軽くなったような気がした。
そんな彼女に引きずられるようにして、私たちは「マルガレーテ」の中へ。
私たちを応接用の個室に押し込めておいて、ヒルデさんはミロスラフさんへお茶の用意を頼む。そんなことは私がしますと申し出たけれど、ヒルデさんにのらりくらりと丸め込まれ、私はなぜかラルフと隣り合わせに座っている。
気まずい。それ以外何があるというのだろう。
だってちらりと横を見れば……そっぽ向いている彼の頬はほんのり赤いまま。
謝るなら今しかないのだろう。でも、前を向けばにこにこと穏やかな様子で座るレオナルさん、それからヒルデさんから嬉しそうにカップを受け取り、立ったまま口をつける熊のような団長さん。一人用の椅子に座りミロスラフさんへお礼を言うヒルデさんがいる。
……ああ、そこに空気を読まず話を切り出せるほど、私は無神経でななかった。
結局なにも言い出せないままでいると、口火を切ったのはやはりヒルデさんだった。
「ゾルゲ団長から知らせを受けて待っていたのだけれど、リズの様子から何かしらあったのは確かなようね、ちゃんと説明してもらえるかしら?」
一同、言葉を詰まらせるのは、私とは違う意味で言いづらいことがあったからかもしれない。事実、それを聞かされることになった。
状況を説明したのはまず、レオナルさんだった。彼がヒルデさんに聞かせたのは、もちろん風見鶏広場で鼠のアバタールが出現した一件について。そこで怪我こそなかったものの、私が巻き込まれたことを知ると、ヒルデさんの顔色が変わる。
「人垣ができてしまったんだ、対処が遅れたことはすまなかったと思う」
「いいえ、怪我人が出なくてほっとしました。レギオン先生にもお礼を……」
私がそう言えば、少しだけ険しい顔つきに戻った団長さんが問いかけてきた。
「先ほどはラルフェルトが失礼なことを言ったが、どうか許してほしい」
「……え、あの、どうして? 馬車にいたのはレオナルさんだけでは」
「ああ、実は君たちの会話を俺が御者台で聞いていて、こっちに先回りしていた団長に魔法で聞かせてたんだ、ごめんね」
「魔法で? レオナルさんが?」
「うん、風魔法はそういうの得意なんだ」
私は会話を聞かれた恥ずかしさよりも、そんなことができるのかと感心の方が強かった。でもラルフは違ったみたいで。
「聞いていない、勝手なことをするな」
「指示した通りにできるはずがないと思ったからだ、事実そうだったろうが!」
「……どういうことなの、説明して」
ラルフと団長さんの会話を遮り、ヒルデさんが問いただせば、団長さんはレオナルさんの隣に腰を落とす。
「彼女……リーゼロッテ嬢の特殊な力を公にならないよう、騎士団で保護したいと考えている」
「リズの特殊な、力?」
「……そうだ。今日の一件で明らかになったが、彼女の護符の力は異常だ。彼女の手による繕いは、型通りの護符ではないはずのものにまで同様の作用を見せた。鼠に食いちぎられるはずだった少女が無事で済んだのは、単なる偶然でもなければ、あのレギオン・アイゼンシュタットの魔法などでもない、リーゼロッテ嬢の護符の効果だ。アバタールの魔法どころか物理的にも作用する。そんな護符を編む針子など聞いたことはない」
……団長の言っていることが、よく理解できなかった。
「前々から、話題にはなっていたのを知っているはずだ、ヒルデ。ラルフェルトが持ち、彼を何年も救ってきた護符のことを」
「……スミレの刺繍のハンカチのこと?」
私はラルフを見る。彼はメダリオンを取り出して、大事そうにそれを両手で握りしめた。
それが彼を救ったと何度言われても、私の預かり知らないことなのに?
「リズを保護してどうするつもり?」
「どうもこうもするつもりはない、ヒルデ。ただ力の仕組みを解明できるまでは、彼女の仕事を限定して欲しい」
ヒルデさんの問いに団長はそう答えながらも、私を視線で捉えたままだ。彼の武骨な容姿と真摯な表情は迫力満点だった。
「リーゼロッテ嬢、我々を信用してもらいたい。ラルフェルトはこんな無粋な男だが、君の支えにはなれるはずだ」
「……答えになってないわ、アロイス!」
私に向かってぐっと身を乗り出すゾルゲ団長に、ヒルデさんが割って入る。声を荒げた彼女を、私は初めて見たかもしれない。
それほどに、ヒルデさんにとっても不可解な話なのだろう。
「……今のところ言えることはひとつ、リントヴルムの異変はまだ終わっていない。それがきみの力と何か関係があるのではないかと考えている」
「……!」
故郷の名を聞かされ、私の体は自然と緊張で固まる。
「リーゼロッテ嬢には、いずれ事故のあった時の状況を詳しく話してもらいたいと考えている。あれほどの惨事があったにもかかわらず、我々はいまだ調査すらままならないのだ。異変を解明して、この過剰魔素の現状を打開する。それまでは、誰にもきみを傷つけさせるわけにはいかない」
「そんなのリズじゃなくても聞けるでしょう? 他にも村人は……」
「ヒルデ、あのとき助かったのは、所用で村を離れていた者たちばかりなんだ。だからリーゼロッテ嬢だけが、あの魔素の洪水の中、無傷で生き残った唯一の人間だ。それもまた、彼女の力に原因があるのかもしれない……これからも多くの人を救うため、我々は知らねばならない」
ゾルゲ団長のその言葉で、全てが腑に落ちた気がした。
『リズは誰にも渡さない』
そんな風に言われて舞い上がって、勝手に失望した。
でも私の裁縫が、ラルフたちの助けになるかもしれないなら……大勢の人のために……。
なんでだろう、すごく素晴らしいことだと思うのに、悲しくて、何も考えられない。
笑って良かったと言わなくちゃ。でも、涙が出そうだった。
「……リズ?」
呼ばれてラルフを見上げれば、驚いた顔。
次の瞬間、彼に引き寄せられて目の前が紺色でいっぱいになった。そしていやに彼の声が頭に響くのは、彼の胸にぎゅっと押し付けられるようにしていたせいだった。
「辛いことを思い出させたくなかった、だから無理に言わなくていい。俺はリズが生きているだけで……」
うまく出ない声の代わりに、押し付けられる頭を必死に振る。だって違うもの。ラルフの想い描くリズは、両親と村を思って涙を流しているのだろうけれど……
「リズが変わらず、あの頃のように笑って暮らせるよう、俺が守る」
ああ。
彼は、ラルフは変わらず優しい。変わってしまったのは、私の方。
なんで私自身を大事にされてるって誤解しちゃったんだろう。そんな資格ないのに。
言わなきゃ。
ちゃんと彼には言わなくちゃいけない。話して嫌われても、黙っていて彼を裏切りたくない。
「ラルフ……二人で話したいことがあります」
「リズ? 無理はしなくても」
「違うの、ラルフに話しておかないと……そうしないと私」
私の思い詰めた様子を察してくれたのか、ゾルゲ団長はまた日を改めて話をしようと申し出てくれた。
彼とレオナルさんは、ラルフを残して帰っていった。
それからラルフを部屋に招待する。
心配するヒルデさんが同席を申し出てくれたけれど、私はそれを丁重にお断りした。
決して狭いわけではないけれど、自分の部屋にラルフを招いたことは、あまり上手い方法ではなかったと思う。だけど彼以外に、秘密を告げる勇気はまだない。
文机の上に広げられていたノートを眺めているラルフに、慌てて質素な木の手すりがついただけの椅子を勧めた。そして下手くそなデザイン画を晒していたノートを、急いで閉じる。
「あの、最初に謝っておくね。ごめんなさい、叩いて……」
「それは……! 謝らなくていい、俺の方こそ……すまない。誤解しているようだが、俺は決して護符のためだけに言ったんじゃなくて、リズをまた失いたくなくて」
頭を下げるラルフの様子に、びっくりしてしまったけれど、私たちは互いに謝ってそれまでとした。彼の頬を今さらだったけれど、濡れたハンカチで冷やしてみる。
自分の貧相なハンカチを彼の頬に当てるのは、なかなか勇気のいることだったけれど、それでも何もしないよりはずっとマシだと思ったのに……
すぐにハンカチを奪われ、逆に私の目元に押し付けられてしまった。
「泣かせるつもりじゃなかった、団長にも謝らせようか」
「…………ふふ」
笑いだした私に、怪訝そうな顔を見せたラルフだったけれど、何も言わずに収まるのをまっていてくれた。
そんなところも、彼の優しさなのだと改めて気づく。
「あのね、ラルフ……あなたに話さなくちゃいけないことがあるの私……」
「リズ」
ラルフが私の言葉を止めさせた。
「それは話すべきことなのか、それとも本当は話したくないことなのではないか?」
「え?」
「団長が言っていた通り、今でなくてもいい」
「違うの、話すべきことなの……ラルフのためにも」
少し考えた後に、ラルフは部屋の周囲をぐるりと見回してから。
「今度は聞かれてない、安心していい」
彼の言葉を合図に、私は勇気を出して言葉を紡ぐ。
「私は、ラルフの知っているリズじゃないわ。事故の拍子に、思い出したの。リーゼロッテとして生まれる以前の記憶を、鮮明に。そのせいでこれまで生きてきたはずのリーゼロッテの記憶を薄れさせてしまっていて、あの日の……ラルフと初めて出会った日のことすら、ただのおぼろげな記録としてしか私の中には残っていない」
「少し待ってくれリズ……生まれる以前の、記憶?」
「そう、前世の記憶」
ラルフが困惑するのも当然だろう。この世界で前世と言う概念を私は知らない。いえ、あるのかもしれないけれど、少なくとも知らずに育った。とするなら、一般的ではないのだと思う。
「そこは、この世界じゃなくて、魔法のない世界だったわ」
「魔法がない? 魔力が満ちていないから使えない、リントヴルムのようなものか?」
「違うの、魔法というか魔力なんてものは夢物語の世界の産物だったわ。もちろんアバタールだっていない。でも代わりに科学が進歩していて、今のここより便利で速く遠くまで行けたし、どこにいても誰とでも話ができたり」
「まて、リズ……言っている意味がわからない」
「うん、ごめんね。私は、前世の記憶の方が強くなってしまったの、だからあなたの知るリーゼロッテとは、少し違うかもしれないんだ。明るくてなんにでも前向きだったリズは、もうひとつの私が押し潰してしまったのかもしれない。だからね、ラルフ。無理しないで」
「無理?」
ラルフの表情が険しくなるのは当然だろう。幼馴染みだと思っていた相手が、どこの馬の骨ともわからない人間にとってかわってしまったようなものだもの。
「そう、幼馴染みで父さんに頼まれたからって、こんなにしてくれなくてもいいの。だってもうあなたの幼馴染みはいないんですもの」
今度こそ、本当に驚いたような顔をしたラルフ。
「いない? そんなの違うだろう!」
「違わないよ、こんな話は突拍子もないことだって分かってるから。信じられないかもしれないけれど、私は昔とはもう違ってしまったのは本当で」
「だから違う、リズの言葉を信じられないと言っているのではなくて、これを」
驚く私にラルフは、文机からノートを引き寄せ、私の前につき出してきた。
何が言いたいのか分からず、彼と彼の開いたページを見比べる。それは迷いながら書いた線で、いつか作ってみたい服が並んでいるばかり。
「何も変わってなんかいない。リズはリズのままだ」
「どうしてそんなことが言えるの? 一緒にいたのって数日だけよ。それから十年経ったのに」
「リズは忘れてしまったのだろうが、俺は覚えている。リズが目を輝かせて語った夢は、今のリズが描いたこの絵そのものだった。リズは最初から、今のままリズだ」
「そんなの誰にでも書けるよ」
「これが? こんな風変わりな服装はあまり見たことがない。その世界のものを思い出していたのかもな。そうだ服を見せる為だけのショーの衣装を作るって言っていたのを思い出した。そういうのも俺は見たことはないが、リズが生きていた異世界とやらではあったのか?」
「……へ?」
「リズはそう言って、俺が口を挟む隙間もないくらい、話してきかせてくれていたが」
思わず赤面してしまうほどの、幼いころの私。確かに、いつかランウェイで自分の服が見れたら、そんな夢をみていたのは、元はといえば前世の私だ。
「忘れているのは、今と変わらなかった自分がいたことじゃないのか?」
「ラルフがそう思いたいだけよ、だって父さんと母さんのことだって、もうなにかを隔てたように遠いの、こんな薄情な娘があなたの守りたいリズのわけないじゃない」
ラルフが、小さく舌打ちしたような気がした。
再び紺の色に囲まれて、苦しいくらいに抱き締められた。
「いいかげん認めろよ。リズの匂いが変わらない。護符から流れてくるリズの想いが、俺のなかで暴れる魔力をひとつに撚って紡いでくれる。その力はリズの魂の波紋なんだ。ずっとそれにすがってきた俺が間違えるはずがない」
「……そんなこと言われても、魔法使いじゃないから分からないよ」
「リズのそういう変に意固地すぎるくらい真面目なところも、なにもかも難しく考える癖も変わらない。だから今のリズでいいんだ」
その言葉に、私の不安が全て解消するわけではなかったけれど。ゆるく解かれた腕の中で、私は素直に嬉しかった。
そしてラルフは、着ている制服の繕い箇所を指さす。
「ここにも、そしてこっちにも……リズの想いが詰まっている。昨日の釦からは『二度とリントヴルムの力が俺に及ばないように』と、そうささやく声が聞こえた」
「……っや、やだ、うそ。そんなことまで?!」
私を見下ろすラルフが、息を飲むくらいに美しく微笑んでいた。
頬に集まる熱が、恥ずかしさとともに全身に広がっていく。
そう願ったのは、事実。だけどまさかラルフに届いていただなんて思ってもみなくて……
「あ、あの、それはだって……」
「リズがそう願う特別が俺だけだって、思うのは自惚れなのか?」
「……そんなこと、ない。でもっ」
ラルフの指が私の髪をすく。
「なら、俺の特別もリズだけだ」
降ってきたラルフの息が額にかかり、ぎゅっと目を閉じたとき頬に触れたのは、柔らかいぬくもりだった。
真っ赤になった私と、容姿王子をもってしてもさすがに照れた様子のラルフ。
その後は寄り添うようにして並び、話をする。
私の記憶が訴える短くて儚い人生に、ラルフは耳を傾けてくれた。
制約のなかで短い人生を終えたかつての私が、はじめてラルフと会ったかのような不思議な感覚。
小さなリズと弱く儚いラルフが出会った、あの日に重なるみたいで嬉しくて、温かかった。
一通り話終えるころ、それは私たち二人だけの、大切な秘密となった。
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