第24話 告白?
大きな鼠を前にしたレギオン先生の指には、鋭い針のように尖った氷が次々と現れた。それをレギオン先生は投げて、鼠をとり囲むように、地面に突き刺していく。あっという間に氷柱が隙間なく並び、鼠を囲んで円を描くと、それぞれの氷柱が大きくなり、ただ一方だけを開いたまま、ぐるりと輪をつくった。
レギオン先生は左手を目の前の黒い大きな鼠にかざし牽制し、その一方で集まってきた鼠たちを市民へと向かわせないよう、一か所に閉じ込めようとしていた。
黒い小さな鼠たちが、氷の回廊に誘われて集まるのは、巨大な鼠の元。次第に大きくなって一つとなり、気づけばレギオン先生よりも頭ひとつ大きい。熊かというほどのサイズだ。
そうして市民からアバタールは引き離されたのだけれど、魔法を使うレギオン先生もまた、当然その氷の檻の中だった。
それがいかに危険であるか分かっていても、私とエマは抱き合いながら、ただ見守るしかなかった。
「先生!」
レギオン先生が連れてきていた子供たちが、取り残された彼に向かって泣きながら手を伸ばす。けれど同じ寺院の大人に抱きすくめられ、制止させられていた。
自然と周囲の人々の間から悲鳴とともに発せられるのは、魔法騎士団はまだなのかという言葉。
ラルフ……私もまた広場の人だかりのなかでハニーブロンドを求めて見渡したとき、それは起こった。
「リズ、上!」
エマの声に空を見上げると、何かが降ってくるのが見えた。小さかった点が一瞬のうちに大きくなり、すぐにそれが赤く燃え盛る火の玉であると悟った。しかも、数えきれないほどの量が、音もなく落ちてきたのだ。
「レギオン先生!」
目の前が一面、金色に染まった。
一塊となっていた鼠が火だるまとなり、体を構成していた一部が崩れて、小さな鼠に戻って逃げ惑う。しかしそんな獲物を、次々降り注ぐ小さな火の玉は逃さなかった。狙い定め、容赦なく火だるまにしていく。
そうして鼠たちは、一瞬で焼かれて姿を崩す。煙のように霧散するのは、実体を持つとはいえ魔素の集積であるアバタールである証拠なのだろう。
しかし中には焼け焦げ、異臭を放ちながら熱さにのたうち回る鼠が混ざっていた。
広場の中央にぽっかりと空いた空間を、狙って降る火の雨。
その地獄のような光景のなかで、一人佇むレギオン先生が、子供たちに向かって微笑みかけた。
「私は大丈夫だから、そこで待っているように」
いよいよ逃げ出そうとしているのか、レギオン先生の前に集まっていた本体の大きな鼠が、形を失おうとしていた。
そこにひときわ大きな炎が降り注ぎ、レギオン先生を含め、氷の柱で囲われた一帯全てが光に包まれてしまう。
「レギオン先生?!」
悲鳴のような呼び声が上がるなか、人ごみをかき分けて紺の制服を着た者たちが現れた。
「心配はない、あいつは無事だから」
「ラルフ!」
魔法騎士団たちの先頭にいたのは、片手に金の炎にかざしたラルフだった。
私の声が聞こえたのだろうか、ラルフは私を一度だけ見てから、掲げていた手を振り払った。するとあれだけ勢いよく輝き燃え盛っていた炎が、瞬時に消えてなくなった。
火の気の失せた先に、片膝をついてうずくまる人影。
「レギオン先生!」
その名を呼んだのは、私だけではなかった。彼を慕う子供たち、それから寺院のローブを纏った人々、それから居合わせた人々のなかからも。きっと、彼はみんなに慕われているのだ。こうしてアバタールの襲来にも身を呈して対応するくらいなのだから。
彼を案じる人々が身を乗り出したとき──
「まだ近づくな!」
厳しい口調で人々を制止したのは、ラルフだった。
固唾をのむ大勢の前で、レギオン先生に近づき、様子をうかがうラルフ。しばらくうつむいていたレギオン先生が、ゆっくりと顔を上げる。
「遠慮なく放ちましたね、ラルフェルト」
「……しおらしいふりをするな、なんともないくせに」
ラルフの言う通り、さほど痛手を負っている様子もなく、すっと立ちあがったレギオン先生を見て、子供たちに笑顔が戻る。
レギオン先生が煤を払っていると、大人たちの腕をすり抜けて、少女が一人飛び出した。
あ、と思ったときには、人々を誘導しようとしていた騎士団の間をすり抜け、背を向けていたラルフの脇を通り、レギオン先生に手を伸ばしていた。
だけどレギオン先生の背後から、少女に向かって小さな黒い影が襲いかかった……
「きゃああ!」
「やはりまだ残っていたか……」
咄嗟に振り上げられたラルフの腕には、魔法の軌跡。だけどそのまま振り下ろしたら、真っ先に触れるのは少女の背中だった。躊躇したラルフの目の前で、飛びかかった黒い鼠が、少女の腹部に鋭い牙を突き立てていた。
上がる悲鳴に、私は思わず顔を覆う。
だけどその声は少女のものにしては、ひどくかすれて喉を潰したかのよう。なにが起きたのかと再び顔を上げれば、少女は尻餅をついて呆然としていた。
彼女の横で転がる鼠だったものが、徐々に黒い霧となって消えていく。
いったい何が起きたのか分からなかったけれど、とにかく少女は無事だったようだ。レギオン先生が泣き出す少女を抱え、なだめながら寺院の僧侶に引き渡したのを見届けて、私とエマは胸を撫で下ろした。
「おや、また割けてしまったようだね」
レギオン先生がそう言いながら、優しい表情で僧侶の腕のなかの少女を撫でる。それを聞いた私は、エマを引きずるようにして彼らのもとへ近づいた。
「あの、私でよければまた縫いますよ」
「……リズさん」
混乱収まらない中の突然の申し出に、レギオン先生と少女とともにキョトンとしてから、柔らかく微笑む。
「ぜひ、そうしてあげてください、リズさん」
「はい」
それから安全の確認をするために封鎖された中央の一角を避けて、眺めの良い場所へ私たちは移動した。
ラルフたちは慌ただしくしていて、声もかけることすらできなかったけれど、仕方ないことだろう。そんなことを考えながら、私たちは針を動かす。
そう、私たち。
クスリと笑いながら、子供に手元をのぞきこまれて苦笑いを浮かべるエマを見る。
「もう、順番だってば。そんなに顔を出すと一緒に縫っちゃうぞ!」
エマのそんな文句に、子供たちが笑い出す。どうやらエマは子供うけが良いみたい。すっかり馴染んで、子供たちがエマを離さない。
私は再びほつれてしまったベストを繕い、エマは他の男の子の膝の破れをつくろったりしてあげていた。
「……なんだか迷惑をかけてしまいましたね」
「そんなことありません、レギオン先生こそお怪我はされていませんか?」
「私も、あの子もなんともありません、リズさんのおかげです」
「私、ですか?」
レギオン先生が何を言っているのか分からず、手元から顔を上げると、そこにはじっと私を見つめる彼の瞳とかちあった。
「あの子を襲った最後のアバタールは、確かにあの子の脇腹に歯を立てました。その破れがいい証拠でしょう。なのにあの子は傷ひとつ負うことはなかった……つまり、あなたの護符の効果だったのですね」
「……え、あの、そんなことあるんでしょうか?」
護符などつけた覚えはない。繕いものはしたが、それだけなのだ。
困惑している私とちがって、レギオン先生はなぜか確信があるような口ぶりで続けた。
「私はこの目で見ました。アバタールの牙は護符に触れて崩壊したのです。ラルフェルトもあのとき、何かに気づいて攻撃を止めた……あなたの護符に気づいたのではないでしょうか」
レギオン先生が言うように、私の繕いが彼女を助けることに役立ったのなら嬉しい。でも……本当に?
マルガレーテでラルフたち騎士団に施すような護符を縫い付けたわけではないのに。いいえ、そんな護符だって、アバタールに作用するような効果なんて聞いたことがない。
何を答えたらいいのか分からない私の腕を、レギオン先生はエマに見えないようにして掴んだ。
「……レギオン先生?」
「あなたは、何者ですか。ただの針子、いや魔法紡ぎですらないのか?」
「へ? いえあの私は……」
魔法紡ぎですらない? いったい何を言われているのか分からず、ただレギオン先生を見上げる。
「私たち寺院はね、ラルフェルトたち騎士団と同じ魔法を扱いながらも、少しその方向性を違えているのです。魔法は人々に平等に恩恵を与えるよう、神の意思をもって使われるべきものです。決して動物たちに姿を借りたアバタールのためにあるのではない」
「……はあ」
「人が魔力を使いこなしてこそ、世界の均衡は保たれる。そのために、私たち寺院は魔素について日々研究をしているのです。リズさん……」
「はい」
「あなたのその力を、私たちに託していただきたい」
「ええ?」
まさかそのようなことを言われるなんて思ってもみなくて、私はただ狼狽えるばかり。
エマ、助けて。どういうことなのか翻訳してよと振り向けば、いたはずのエマは子供たちに引っ張られて、おいかけっこ遊びに興じている。
「あなたは辺境の出身でしょう?」
「ええ、まあ……」
「ならば分かるはずです、ラルフェルト・レイブラッドでは、エンデを救えません。魔法使いであることを誇りにするあまり、アバタールを容認するくらいなのですから。それは彼がこの国でも最上級にあたる身分に生まれたものの優越感からくるものでしょう。だが私たち寺院は、あなたと同じ立場で共に生きることができるのです。ぜひ私たちにあなたを支える役目をさせてください」
「っ……レギオン先生、私はべつに……」
「ルードからあなたがどんなに苦労したか、聞かされていますよ」
「でも今は、マルガレーテで親切にしてもらっていて」
「本当にそうでしょうか?」
「…………え?」
たじろいで後ずさりしようにも、捕まれた腕はびくともしなくて……
真剣な表情は、私のことを心配してくれているのだろうと理解できる。びくつく私をまっすぐ見ながら、ふっと取り戻した優しい笑顔に、どきっとしてしまう。
「すみません、怖がらせるつもりはなかったのです。あなたがあまりにも無防備なようで、心配になりました。マルガレーテは、騎士団のための店です。待遇は悪くはないかもしれませんが、あくまでも騎士団の役に立つからです。ですが私たちはいつでも、あなた方が好きに生きられるよう、門戸を開いてます。困ったことがあれば、すぐに相談にのってさしあげられることを、どうか覚えておいてください」
「はい、ありがとうございます」
レギオン先生の手から解放されて、ほっとしたのもつかの間。さらにビクッと体を震わせるほどの怒声が、頭の上から降ってきた。
「リズになにをしている」
そろりと仰ぎ向くと、怖い顔をして仁王立ちするラルフ。
ずかずかと私たちに近づいて、私とレギオン先生を割り、彼を押し離した。
「ラルフ、なにするの?」
「リズは少し黙ってろ」
な、横暴な!
そんな反論もする暇なくラルフは私の膝に置かれていた、縫いかけのベストを奪った。そして子供たちと遊んでいたエマが現れたラルフの様子をうかがっているのに気づくと。
「エマ、代われ」
「……はいはい、ちょっと待ってくださいな」
エマはまとわりつく子供たちの手を優しくほどくと、ラルフの突然の命令に少しも驚くことなく、ベストを受け取った。
ええと、あと少しで縫い終わるよ? そう視線でエマに訴えているし、見ればそんなこと分かるはず。だけどエマには無視されてしまう。
おろおろしていると、突然ふわりと地面がゆらぐ。
えええ?
「先に帰る、後は頼んだぞエマ」
「はーい」
「え? えええ? エマちょっと! ラルフやだ下ろして!」
いくら私が小柄だからって、そんな簡単にラルフに抱え上げられるとは思っていなかった。いえ、そこじゃない、そこじゃないよ問題は。
真っ赤になってラルフの肩に担がれた私に、エマは満面の笑みで手を振る。
なんでよ、止めてよエマ!
「じゃあ後でねリズ」
「ちがーう、下ろしてよ!」
「嫌がっているではありませんか、ラルフェルト」
にやにやと笑うエマに代わって、ラルフの横暴をとがめてくれたのは、しばらく黙って見ていたレギオン先生だった。
「うるさい、二度とリズに手を出すな」
「手を? まさか、話をしていただけなのに」
どこの子供なのというくらい失礼な返事を返すラルフに、肩をすくめて笑うレギオン先生。
「そのような乱暴な扱いでは女性に嫌われますよ」
「リズに触れるな。余計なことも吹き込むな。リズのことは俺がすべて請け負う」
その言葉に黄色い悲鳴で反応したのは、手を振っていたエマだった。
やめてよエマ、そう言おうとしたのに、ラルフが急に歩きだしたせいで私の腹筋は力を失い、声を絞り出すことができなくなった。
騒ぎがあったせいで人混みは一時よりも少なくなったとはいえ、衆目にさらされている。しかもラルフは嫌でも目立つのだ。そんな彼に俵担ぎで運ばれていく私。
私がいったい何をしたっていうのよ……思わず顔を隠して恥ずかしさに耐えていたのだけれど。
しばらく歩いた先で、ラルフはようやく私を地面に下ろす気になったようだ。
「こっちだ」
だけど彼はなにも説明してくれる気はないみたい。私の手を取り、今度は駅馬車の停留所とは反対方向へ連れていかれる。
「どこに行くのラルフ、どうして……」
「後で話す、いいからついてこい」
「もう、ラルフってば!」
足早に生け垣の間の小道を降りる。狭く滑りやすい階段を降りた先には、整地された広場と馬車が数台。駅馬車のようなものではなく、どうやら騎士団のもののよう。
黒塗りの馬車と、立派な馬が二頭立て。周囲には紺の制服を着た人たちが大勢いた。その中から、見知った顔を見つけて、私は少しだけ胸を撫で下ろす。
「来たか、用意できてるよラルフェルト、リズ」
「すぐに出してくれレオナル」
まるで荷物のように馬車に押し込められ、さすがの私も不満から頬を膨らませたところで、馬車が走り出す。その勢いで背もたれに押し付けられて、再び黙るはめになり、それでもとラルフを睨み付ければ。
「……
「なにって、あの子が無事だったことと、それから……」
私は言葉に詰まる。
だってレギオン先生の言葉はあまりにも唐突で、私にも整理がつかない。ただ言えることは……
「困ったことがあれば相談にのるって」
それだけは理解できた。なのにラルフは眉を寄せて、いかにも信用できないと言いたげな表情をした。
「そもそもなんであいつと一緒にいるんだ、気にくわない」
出てきた言葉が場違いなように思えるのは、気のせいだろうか。
つまりレギオン先生のことが気にくわないから、私はそんな彼の意地に巻き込まれたってこと?
そんな風に思うと、なんだか私だって腹が立ってくる。
「そんな理由? 子供の服の繕いすら最後までしてあげられなかったのよ? それにレギオン先生のおかげで、誰にも怪我がなくて済んだのにどうしてそんな態度が……え、ぎゃあ!」
長い腕が伸びてきて、私を背もたれと壁に押し込めながら、身動きが取れないよう囲われてしまう。
あまりに美しい顔が目の前にあれば、悲鳴のひとつも出るのは仕方ないと思う。思うけれど当のラルフはそういうこと、ちっとも自覚がないみたい。
長いまつげを伏せ目がちにしながら、綺麗に結んでいた口を開き、とんでもないことを言った。
「リズは誰にも渡さない」
…………へ?
ええええ?!
「ど、どどど、どういう、それ……!」
心臓が口まで出てくるのを押さえなきゃ。そんな風に酷い動悸と震えをこらえながら、ラルフに問えば。
帰ってきた答えもまた、百八十度……いやまったくの予想外なものだった。
「あの子供からリズの護符の匂いがした。あいつ、ルードとかいう男からもだ! リズは俺が良いと言うまで、節操なく護符をばら蒔くな、分かったか!」
ラルフの大事なメダリオンを思い出し、ラルフが私の何に執着していたのかを、ここにきて思い知った。
だけど。自分でも驚くほどの早さで振り上げた手を止めることができたのは、すでに彼の頬を思いきりひっぱたいた後で……。
赤く染まってゆく彼の頬を見ながら、私は途方にくれる。
ああ、やってしまった。
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