第23話 鼠
翌朝、ろくに寝れなかった私の顔を見て、開口一番エマが言った。
「今日世界が終わるって言われて絶望した後で、騙されたと知って呆然としてる。みたいな顔してる」
「なにその具体的なのに、よく分からない例え」
酷い顔だと言いたいのは分かるけど、おかしいよエマ。
私は桶に手を突っ込み、水をすくって顔を洗う。今朝の朝食係りは私とエマだ。いくらお店が休みとはいえ、これ以上みんなを待たせるわけにはいかないので厨房に急いだ。
先に支度を整えたエマは上機嫌に、パンを切り分けている。
私も厨房の調理台の片隅、かごの中から卵を人数分取り出してから、火の準備をすることにした。
竈の熱源は炭だけど、火種は火の魔法を込めた魔石というのがこの世界の常識。だけど私の故郷リントヴルムでは、他の地域よりも魔素不足だったためか、火起こしでついつい出てしまう癖がある。
「またやってる、リズったら」
それは火種の魔石を打ち合わせて、火を起こすこと。
火の気をはらんだ魔石は、打ち合わせると火花が散る。その火花は魔力そのもので、火をおこすのに都合がいいのだ。
だけどここグラナートでは、違う。魔石を打ち合わせることなどしない。噴火以前からも元々魔素は豊富にあるため、魔石にほんの少し自分の魔力を流すだけで、誰もが簡単に火が起こせてしまう。私はこの町に来てから、その違いにとても驚いたものだ。
フライパンに油を入れて温めている間に、もうひとつの受け口で湯を沸かした。
薄切りの干し肉と卵を用意。本当はベーコンを敷いた目玉焼きといきたいところだけれど、卵の鮮度は前の世界ほどでなはいので、干し肉の塩味を効かせたスクランブルエッグにする。これはマルガレーテのみんなにも好評で、今朝もリクエストを受けてのことだった。
私が人数分の卵を焼いている間に、エマが手早くお皿やカップ、野菜の付け合わせを並べて完成。エプロンを外しているうちに、良い香りに呼ばれてきたのか早速ベリエスさんが席についている。
「やあ、おはようリズ、エマ。美味しそうだね」
「おはようございます、ベリエスさん。紅茶でよかったですよね」
「ああ、自分でやるよ」
「私も紅茶にするので一緒に……あ、ミロスラフさんおはようございます」
ちょうど大きなあくびをしながら食堂に入ってきたのは、ミロスラフさんと、続いてヒルデさん。
「あらいい匂い! 私リズの卵料理、大好きなのよね」
ヒルデさんが嬉しそうにそう言って席につく。その間にミロスラフさんは、私の顔をのぞきこんでにんまり。
「かわいそうに、隈ができてるよリズ?」
「え、と。そんなに目立つかな?」
「眠れなかったんだねえ、僕もだよ」
「……ミロスラフさんまで?」
どうしたのだろうと彼の返事を待っていると、横からエマが割って入る。
「やっぱり昨夜はラルフェルト様となにかあったのねリズ」
「ち、違うってばエマ……今はミロスラフさんの話をしてたのに」
「うん、寝不足ね、僕が言いたかったのは、もっと深夜のことだよ。ちょっと煩くて目が覚めてしまったのさ」
「深夜?」
クスリと笑うミロスラフさんの言わんとする意味を考えるけれど、私にはさっぱりだった。
「最近おかしな気配がするからさ、きみもそうなのかと思ってた。ねえベリエス?」
「ええと、リズは……というより人間はそういうのには鈍感そうだから、エマもヒルデも気づいてないんじゃないかな」
「なんのこと?」
ヒルデさんの問いに、ミロスラフさんとベリエスさんは口を濁す。というより、どう言い表せばいいのかと悩んでいるという。
「魔素の気配がね、店の中でも少し偏りがあって不思議なんだ。まあそれはよくあることなんだけど……何もなければ、問題はないと思うよ。それよりリズ、エマ。今日は二人でエンデに行くんだろう?」
「そうよ、二人ともお土産はなにがいい?」
「エマ、お土産はいいから、少し気を付けて行っておいで。特にリズは不馴れだからね」
「……うん、ミロスラフがそう言うなら」
二人のアバタールたちの注意を胸に、私たちは朝食を終えた。
その注意がいったい何なのかはわからないのだけれど……と、マルガレーテを出てエンデ行きの馬車に乗ってから、それをエマに聞く。
「たぶん、また魔素によるアバタールの暴走があるかも……てことだと思う」
「……ええ、本当なの?!」
「静かに、回りに聞こえたらまずいじゃないの」
「でもっ」
エマが人差し指を立て、二つの停留所をすぎて混みはじめた車内に目をむける。
「言ったでしょ、アバタールという存在と普通に生活している、マルガレーテの方が特殊なんだって」
「あ、うん」
「ミロスラフが言うくらいだから聞いといた方がいいと思う。まあ気を付けるって言っても、騒ぎに参加しないとか、迷子になって人気のないスラムには近寄らないとかそのくらいだけどね。でもそういう可能性も考えて、コンファーロさんも騎士団に見回りを頼んでるのだから。きっと大丈夫よ」
「……うん、わかった。エマとはぐれないようにするわ」
エマが言うには、町中に漂う魔素も自然のものだから、風の吹き溜まるような場所には、枯れ葉と同じように、魔素も溜まりやすいのだそう。だから人気のない場所は危険だと教わった。なら人混みは安全ではないかと言えば、そうでもないらしい。ほかの動物などより魔力が強く、群れて周囲に影響を及ぼしやすい人間が、魔素をかきまぜることになるから、それもまた違う意味で危険だったりするのだそう。
「ところでリズ、あなたが寝不足な原因はやっぱりラルフェルト様が関係してるんでしょう? 昨日は何があったのか、後で聞かせてもらうからね」
「……うん」
そうエマから強引に約束させられた頃、私たちの乗る馬車が、エンデ地区に着いた。
彼女が行きたいと希望していた香水や装飾店を回り、私も一緒に楽しむ。エマのお気に入りの店は、普段はエンデ地区ではなく、市街を隔てて反対側の温室広場のある地区からの出店だそう。滅多に行けないだけに、エマの目がいつも以上に輝いていた。
「ああ、買うものを絞ることが一番苦労するわ。できることなら全部買いたい!」
そう言いながらも、悩んだ末に選んだのは櫛の形をした髪留めだ。長い髪を結い、まとめて上げていることが多い彼女には、必需品である。飾り部分には、明るい性格の彼女によく似合う金木犀の花があしらわれている。
ついつい私も見ているうちに、欲しくなって予定外のものを購入してしまったけれど、二人とも満足のいく買い物ができた。
「けっこう長居しちゃったわね、少し早いけれどなにか食べようよリズ、お腹すいたあ」
エマに促されて軽食を買い休憩に訪れたのは、昨日子供たちに会った場所だった。
ベンチを確保し、私が温かいソーセージを挟んだパンにかぶりついたところで、エマは唐突に切り出してくる。
「で、いったい何を悩んでいるのよリズ?」
「……忘れてなかったんだ」
「当たり前じゃないの」
何を言ったらいいのか分からなかった。
昨日、私が感じたことを告げれば、きっとラルフは驚くに違いない。彼が幼い頃に受けたという恩を、素直に受けとれない理由が、私の中にはあるのだ。
「……ラルフは、どうして私なんか気にかけてくれるのかなぁって、思って」
「なに言ってるのよ、幼馴染みだからでしょう?」
「でも数日一緒に過ごしただけだって言ったじゃない」
「あのねリズ、あなたは知らないだろうけど……」
エマが教えてくれたのは、私がまだグラナートに来る前のことだ。ラルフがどんなに胸に下げたメダリオンを大事にして誰にも触らせなかったかを、彼女の目線で見たままを語ってくれた。それだけじゃなく今以上に人間嫌いで、マルガレーテの従業員にすらにらみをきかせて口数も少なく、どんなに怖かったかとか。
「リズを雇えって、紹介してきたのもラルフェルト様だったって話よ。ミロスラフがそりゃあ笑いながら言っていたもの、本当なんだと思う」
「やっぱりラルフの差し金だったのね、私を雇えだなんて」
「違う違う、きっかけはそうかもしれないけど、ヒルデさんはメダリオンの中身を見てたらしいから、ちゃんと考えて決めたって聞いてるし、そこは安心して」
「……そう?」
「ははん、さては告白でもされたのね?」
「ち、違うよ!」
「そう?」
エマの言葉に驚いて否定したものの、後ろから腕に囲われたときのことが頭をよぎり、私は真っ赤になる。
そんな私に、エマはにやりと笑う。
「そういうとこ、ミロスラフさんに似てきたわよエマ」
「やだ一緒にしないでよ。そんなことより、リズもラルフェルト様を特別に思ってるんじゃないの?」
「…………わ、私は」
言葉につまるのは、記憶のこととか複雑で言えないせい。でもエマにはきっと、私が肯定しているようにしか見えないのだろう。
「そうかそうか、リズってばようやく」
「だから違うって……それ以前の問題よ。ラルフは私のことを誤解してるのよ。過去を美化しすぎてるし、私は彼に話してないこともいっぱいある……」
エマにもだ。
そもそも、私は本当に……リーゼロッテなのだろうか。
突如沸き上がる不安に囚われてると。エマがぷっと吹き出したかと思えば、肩を揺らして笑いだした。
「なにがおかしいのよエマ」
「だって……当たり前じゃない、分からないから一緒にいて、もっと知りたいと思うんじゃないの」
「そう、なの?」
「分かりあってから好きになるの? それじゃお婆ちゃんになっちゃうよ! ああ、私にもいい人現れないかなぁ」
エマの言うことは正論だと分かるのだけれど、自分の中にある罪悪感は拭いきれなかった。
だいいち、なんでラルフがエマの槍玉に上がっているのかも疑問だ。彼は魔法騎士団のエリートで、しかも立派な位を持つ貴族の生まれなのに。
そんなやりとりをしながらソーセージサンドを食べ終わった頃、私たちに向かって手を振る人物がやってきた。
「エマとリズじゃないの、二人とも買い物帰りかしら?」
声をかけてきたのは、縫製協会のバザーテントで知り合った、メンガー女史だ。
彼女は大きな鍋を持ち、荷物をかかえた手伝いの女性たちを大勢連れていた。私とエマを見下ろして、女史は微笑む。
「話の邪魔をしちゃったかしら」
「そんなことありませんよ、女史はこれから炊き出しでもするんですか、すごい荷物ですけれど?」
彼女たちの大荷物を見て、エマが聞く。
「そうなのよ、本当はもっと遅い時間に始めるつもりだったんだけど、どの店もバザーの売れ行きが良くてね。早めに店を閉めることになったから、お客が帰らないうちに始めようかと思って」
「大変そうですね、手伝いますか?」
私とエマがそう申し出れば、メンガー女史は大喜びしてくれた。
「そうしてくれると助かるよ、寺院と協力してやるつもりだったんだけど、予定を早めたからまだ来てなくて。最初の準備だけでかまわないからさ、頼むよ」
そうして私とエマは、メンガー女史とともに市の立つ広場の中へ戻ることになった。
市の立つ中央にも少し空いたスペースがあり、そこで簡易竈を設置してあった。私たちが野菜を切る手伝いを始めて三十分もしないうちに、準備は終わる。
「悪いけど、リズ、火を入れておいてくれないかな」
「はい」
一番端っこで手伝いをしてたせいか、メンガー女史から新たな指示をうける。
三つ用意された竈で、順番に魔石を打ちならして炭に火をつけていると、そこへ寺院のローブをまとった人々が、子供達をつれてやってきた。
「手伝いに間に合わず、申し訳ない……おや、あなたはリズさん?」
「レギオン先生、こんにちは」
昨日会ったときには纏っていなかった白い刺繍の入った立派なローブを羽織っていて、最初は誰かと思った。
準備ができた大鍋が竈をふさぎ、邪魔にならないよう火元を離れれば、レギオン先生が私の手にあった二つの魔石を、まじまじと見ていた。
「あなたは、グラナート近辺の出身ではないと言ってましたよね……」
「……はい?」
咄嗟に石を握りしめ、つい後ろ手に隠してしまった。
じっと彼に無言で見つめられて、居心地が悪い。だけどまさかこんなことくらいで、私がリントヴルムの出身だと分かるわけない。
そう思ったとき。少し離れた調理台の方から、小さな悲鳴があがった。
レギオン先生の鋭い視線を追って私も振り返れば、手伝いの縫製協会の女性たちの足元から、黒く小さな影が地を這いながら飛び出てきた。
それが一つ二つ、いや、いくつも集まって走り回る。
広場は、一瞬にして騒然となった。
「鼠だ……アバタールだ!」
どこからともなく上がったその声がきっかけで、周囲が悲鳴に包まれた。
レギオン先生が子供達を集めろと叫び、他の大人たちはパニックになりながら、騎士団を呼んでくれと逃げ惑う。
私も逃げなくちゃ……そう思う前に、地面を走り回る黒い鼠の速さに、足がすくんでしまっていた。
「リズ! はやくこっち!」
「エマ……きゃあ!」
走り出そうとしたところで、黒い鼠が一匹、自分のスカートにめがけて飛びつこうしてきた。
逃げ切れないと察した私は、片手に乗せても余るだろう大きな鼠に、噛みつかれることまで覚悟した。
しかし次の瞬間、私めがけて迫った一匹の鼠が、黒いもやに包まれる。なにが起こったのか考える間もなく、その鼠が甲高い鳴き声をあげながら、地面に叩きつけられた。
私の足先からわずか三十センチかそこらに落ちた鼠には、黒いもやは消えていて、氷柱のような鋭い針が刺さっている。
「今のうちです、逃げてくださいリズ」
「……レギオン先生」
どうやらレギオン先生が、魔法で助けてくれたようだった。彼の指からは、魔法の残照なのか、白い冷気が漂っている。
私は彼の指示通り、慌ててエマの待つ方へと駆け出した。
しかし、ただでさえ大人数が集まった市の中。我先に逃げる人々が人垣をつくり、なかなか広場の外へ出られない状況になっているようだった。その人々の流れに押されつつも、エマが私に手を差し出してくれている。
その手をめがけ走るのだけれど……辺りを縦横無尽に走り回る鼠たちが、少しずつ数を増やしてきている気がした。
あと少し。
エマの手をぎゅっと掴み、安心したところでふと気づく。
私を助けてくれたレギオン先生がいない。てっきり私とともに逃げて来てるとばかり思っていたのに。
「エマ、レギオン先生はどこ?」
「……うそ、なにあれ……」
真っ青になってそのまま言葉を失うエマ。
エマの視線を追うように振り返れば、竈のそばに一人残されたレギオン先生が、黒くて大きな鼠と向き合っていた。
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