第21話 やきもち

 ルードさんが呼びにいってくれたはずの少女の手を引いてやってきたのは、レギオンという教師の男性だった。

 優しい笑みを浮かべながら、彼は少女を促す。するともじもじとしつつも、少女が私に小さな握りこぶしを差し出したのだ。


「お姉ちゃん、これお礼」


 さらに差し出される手を支えるように自らの手を伸ばせば、小さな拳の中から、さらに小さなキャンディの包みが一つ現れた。きっとバザーの一角で子供達に配られたものだろう。昨日エマと回ったときに、見かけている。だけどそれは数が少なく、一つずつしか貰えないはずだ。


「え、あの、いいのよお礼なんて」

「いいえ、それは優しさではありませんよ」


 私の言葉を遮るようにして、そばにいた男性が口を挟んだ。

 見上げる私に男性が微笑む。


「はじめまして、私はレギオン・アイゼンシュタットと申します、針子のお嬢さん。教え子がお世話になったようで」

「あ、いえ、大したことはしていないです」


 そう言いながら、少女に修繕したベストを着させる。ボタンを着けるのを手伝い、きつくなってないのを確認して、ほっとする。


「ありがとうお姉ちゃん、これ気に入ってたの」

「どういたしまして」

「だからはい、これお代金」

「……え、あ」


 私はレギオンさんとルードさん、それから笑顔で飴をよこす少女を見比べてから、受け取った。


「ありがとう」


 他の子供たちに手を引かれ、遊びの輪に戻っていった少女とルードさんを見送りながら、レギオンさんが言う。


「あなたの思いやりは尊いものですが、貧しくても、対価を払うことは大事です」

「はい。教えていただき、ありがとうございます」


 にこやかに「いいえ」と答える男性は、穏やかで、そして凛とした人物だった。バザーでの収益なども、現金で直接渡すのではなく、子供たちの利用する施設の補修や、教材の購入、教師の給料などに回されることになっているのだそう。どんなに貧しくても、子供が仕事よりも学校を優先できるよう、レギオンさんたちが親の説得に回っているのだと語る。

 先生と呼ばれて、皆が慕っているのには当然ながら、理由があったようだ。


「些細なことですが、彼らが大人になったとき、自分の足で立つための手伝いを、していきたいのです。その考えに賛同してバザーを提案してくださったのが、幼い頃のクリスチーナ嬢でした」

「……そう、だったんですか」


 人垣の向こうにまだ残っているクリスチーナさんを目で追う。もちろん隣に揺れるハニーブロンドにも。


「会ったことが?」

「はい、ちょうど昨日、縫製協会のバザーテントで」

「一見するととても破天荒な方でしょう?」


 レギオン先生が柔和に笑う。そこにどれほどの信頼が込められているのかを悟り、私は頷きながらも、もやもやしたものが胸に去来することに自分でも困惑する。


「まっすぐで裏表がない、とても素直な方ですので、人を魅了してしまうのです。危なっかしいところもありますが、コンファーロ翁も可愛がっているようです」


 レギオン先生もまた、クリスチーナさんを好ましく思っているのだなということが、よく分かる。彼女はとても素敵な女性。

 どうしてか塞いでいく気持ちを切り替えようと、何か話題を……なんて思ったところではたと気づく。


「……あの、すみません私、自己紹介していませんでした」

「リズさん、とおっしゃるのでしょう?」

「え、あ、はい、リーゼロッテ・エフェウスです。どうして知って……」

「ああ、失礼。ルードが昨日聞かせてくれたんですよ……ですがその名、どこかで」


 慌てて立ってから会釈をすると、レギオン先生は少しだけ難しい顔をしていた。


「エフェウス……グラナートの出身ですか、もしかして」

「え、いいえ」

「そうですか。昔の知人に、その名の薬術師がいたのですが、思い違いのようです」


 薬術師……その言葉にもしかしたら父さんのことを知っているのかと、聞き返そうとしたとき。


「リズ!」


 鋭い声で呼ばれた先を見れば、そこに立っていたのはラルフだった。

 どこか怒ったような顔のラルフに、どう答えればいいのか分からず、彼が大股で近づいてくるのを見守っていれば、その間を遮ったのはレギオン先生だった。


「そのような恐ろしい表情で、女性を呼びつけるものではありませんよ」

「……どうしてここに?」


 ラルフのその問いかけは、私ではなくレギオン先生に向けられていた。

 どうやらこちらも顔見知りみたい。私は二人の会話を邪魔しないよう、黙って様子を見たほうがいいのかな。そう考えていたのだけれど。


「子供達を引率して、バザーで買い物です。あなたこそ、勤務中ではないのですか?」

「そうじゃない、どうしてリズと一緒にいるんだ」

「ああ、彼女は私の生徒に、好意で繕いものをしてくれたのです。私はそのお礼を」

「……本当か、こいつに何かされなかったかリズ?」


 何かって何?

 私がびっくりして首を横に振っていると、レギオン先生は「人聞きが悪い」と言いながら苦笑いを浮かべていた。


「あら、あなたは確か……リズ!」


 するとラルフを追いかけてきたのだろうか、クリスチーナさんまでもがこちらに来てしまう。


「こ、こんにちは、クリスチーナさん」

「ごきげんよう、今日も手伝いしてるの? ……なんですのラルフェルト様、そのように不機嫌になられて」


 なんだか賑やかくなってしまった私の周辺。すらりと長身で壮年の美を感じさせるレギオン先生、それから相変わらず白馬に乗った王子さまにしか見えないラルフ、華やかさではピカ一、皆の知るお嬢様クリスチーナさん。当然ながら、注目集めまくって私はおたおたするばかり。

 そこへラルフが私の腕を引き寄せた。すると、黄色い悲鳴が人だかりの向こうから飛んでくる。

 見れば、遠巻きに集まってラルフを眺めていた、街の女性たち。その何人かの鋭い視線と目があってしまった。


「リズ、店は?」

「え、あ、おやすみですよ。風見鶏広場のバザーに協力するので……」

「エマと来たのか?」


 周囲を見回すラルフは、エマを探しているのだろうか。


「違います、今日はルードさんと買い物に……」

「誰だ、それは」

「おーい、リズ!」


 待っていたように声をかけて、手を振ってくれるルードさんがいた。子供たちとともに、遠巻きの群衆にまぎれこちらの様子をうかがっているようだった。

 そこへレギオン先生が、ラルフに向かって小言をくれた。


「あの子たちのうち何人かは、きみが怖いのだよラルフェルト。そう威嚇するものではない」

「威嚇などしていない」


 舌打ちを……しようとしたのか、私の顔を見てからあきらめて、ラルフはそっぽを向いた。

 とっさに考えが及んだのは、ルードさんの話。ラルフたち魔法騎士団が、エンデの市街地を守るために炎で覆った。

 騎士団に喜んで駆けていった子達もいた。だけど、アバタールを焼き尽くす様子を間近で見ていた子がいたとしたなら。

 でもラルフたちは街を守ろうとして──

 私の考えがまとまらないうちに、周囲を囲む雑踏が、さらに増してきていた。そこにレオナルさんがひょっこり現れて、人垣の向こうからラルフに声をかけた。


「おいラルフェルト、混雑も限界だ、そろそろ行くぞ!」


 彼はまだ、仕事中なのだ。ここにラルフが居続ければ、混雑はもっと増していきそう。怪我人やトラブルの心配もあるのだろう。

 仕方ない、そんな風にラルフが小さく吐息を吐いた。


「ラルフ、私はもう用は済んだから帰ります」

「ああ、そうだったわ、お爺様のところへご一緒する途中でしたわね、私たちも行きましょうラルフェルト様」


 腕を掴んだままだったラルフへ、私は営業スマイル。


「また、お店へのお越しをおまちしてます」

「……リズ?」

「それではクリスチーナさん、レギオン先生、私は失礼します」

「ああ、またぜひエンデに遊びに来てください、リズさん」

「私も近いうちにマルガレーテに行くと、ヒルデに伝えてもらえるかしら、リズ?」


 するりとラルフの視界から抜け出すようにして、私は待っていてくれたルードさんの元へ。


「もういいの?」

「はい、見かけたのでご挨拶に来てくれたみたい……それだけですから」

「それならいいけど、リズは買い物していかなくていいのか?」

「はい、エマとまた来る約束もありますし、今日はもう」

「それならいいけど。じゃあ、行こうか」

「はい」


 ルードさんが子供たちにまた明日と手を振り、別れを告げ、私たちは風見鶏広場を後にした。

 帰りの馬車のなかで、ぼうっとして外を眺めていると、すぐにルードさんの降りる馬車駅が近づく。今日のバザーに誘ってくれたお礼を言えば、ルードさんは少しだけ顔を歪めていた。


「もうこれきり、ってこと、ないよな?」

「……え?」

「あいつはリズのとこに出入りしてるんだろう、俺にはとても行けない、店に」

「そうだけど……でもそれはマルガレーテが騎士団の衣装を手掛けてるからで」

「分かってるよ。でも……ああ、たぶん妬いてるんだ、俺」


 狭い馬車の座席、隣に背中を丸めて座るルードさんの頬が赤く見えるのは、窓から入る傾いた日差しのせい?


「だってどう転んだって騎士団員の、しかも貴族の、あんな美形の男に俺がかなうわけないもんな。だけど分かってても悔しいって思うのは……そういうことだからさ」

「……悔しい?」


 ルードさんが自分をラルフと比べて、悔しい。それって……

 さっきまでの私とそっくり。


「妬んでるんじゃないけど、足元にも及ばないっていうのは、悔しい。だけどリズ」

「え、あ、はい」

「また、買い物とかその、誘ってもいいか?」

「もちろんです、お役にたてるなら、光栄です」


 ルードさんの表情が曇る。いえ、断ってないよね、どうしてそんなにがっかりした顔をしているの?


「……いや、分かった……うん、大丈夫。手紙送るから」

「はい、またお休みが合ったらぜひ」

「ああ、絶対だから」


 そのとき、ちょうど馬車が停車した。

 ルードさんに改めて今日、誘ってくれたお礼を言う。またね、そう返してくれることに、嬉しさを感じながら、いつまでも手を振ってくれるルードさんを、馬車の中から見送った。

 それから私の降りる、ダグラス通りまではほんの少し。だけど私は、ルードさんの言っていた言葉に、囚われていた。

 悔しい。その気持ちが、すごく胸にストンとはまったような気がして。

 そう、私はクリスチーナさんに、嫉妬していたのかもしれない。私に持っていない、でも、いつだって欲しいと思っていたものを持っているように思えたから。

 なんだ、そうだったんだ。

 だからあの胸のもやもやが、クリスチーナさんを見るたびに沸き上がったのだろう。ただの憧れも、過ぎるとこんな風になるんだなと、なんだか目から鱗。でもこれは私の勝手な主観。クリスチーナさんにはなんだか悪いことしちゃった……

 そんな反省をしつつ、私は目的の地で、馬車を降りたのだった。




「しっっんじられない!」


 エマの雄叫びこそ、信じられないよ。

 大袈裟に両手を広げ、目を鬼のように見開いたエマが、私の土産話で興奮していた。その向こうでは、のんびりと食事をとっていたミロスラフさんが、驚いた拍子にむせている。


「行儀悪いわよ、エマ」

「だってえ! 聞いてましたよね、リズってば極悪だと思いませんかヒルデさん!」


 ヒルデさんは細い眉を八の字にして、その隣のベリエスさんはいつものにこにこ顔のまま。


「まあまあ、人には得手不得手があるのよ。いつも獲物を狙ってるようなエマとは違うの」

「そうそう、案外そういう風な子が、一番早くに相手をみつけるものだよ」

「あ、ひどいベリエスさん、それって私が当分嫁の貰い手がないって意味でしょ!」

「そういうわけじゃ……」


 最初はなんのことを言い合っているのか分からなかった。だけど皆の様子を見ているうちに、ようやく思い当たる……いや、ルードさんの言ってくれたことをちゃんと聞いてれば、いくら鈍い私にだって分かったはずなのに。


「あ、リズ真っ赤」

「え、エマ、どうしよう、私すっかり考え事に夢中で……い、今きづいた、かも」


 恥ずかしさのあまり私は手にもっていた夕食のパンを落とす。

 いくら田舎娘といえど、彼と私のような年頃の者同士が、次に会う約束をするというのは、そういうことで……。


「まあまあ、よくあることよ、気にしない気にしない。そんなリズが可愛いし」

「それはヒルデさんの気持ちでしょ」


 頭を撫でて慰めてくれるヒルデさん。だけど余計に自分のイタイ子ぶりに拍車がかかる気がする。

 だいたいこういう事にかけては、前の人生経験が全く役に立たない。だって経験する暇もなく病で死んでしまったのだもの。


「リズ、大丈夫だよ。その青年がまたデートに誘ってくるようなら、またその時考えればいいんじゃないかな」

「ミロスラフさん、適当な」

「いやいやだって、その人もリズを困らせたいわけじゃないから、あえて誤解させたままで引いたんだろうしね。いい青年じゃないの」


 咳き込みが収まったミロスラフさんは、いいことを言うなあ、なんて見直したときだった。

 ……おや?

 そんな風に首をかしげたミロスラフさんが、蛙の目をぎょろりと輝かせてから、にやりと笑った。


「考える暇を与えない人が来たよ……ふふ」


 ミロスラフさんが食堂の窓へ行き、外を覗き見てもう一度笑う。

 二階の食堂からは、ちょうど店の入り口の屋根が見えるはず。いったい何が来たのだろうと私もつられるようにして覗く。

 すると屋根の下からハニーブロンドの頭がひょっこり出てきて、こちらを仰ぎ見たのだ。

 すっかり暗くなった通りに灯る街灯に照らされ、よく見えるその口が、はっきりと動いていた。


『あ、け、ろ!』


 確かに、お待ちしておりますとは言ったけれど。

 私は大慌てで食器を片付け、ラルフを招き入れるために、階段をかけ降りたのだった。

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