第20話 すれ違い
四ヶ月に一度の、風見鶏広場の市。それが今回に限って八ヶ月ぶりに開かれることになったのは、深い訳があった。
それをルードさんが詳しく教えてくれた。
「下等
「……そうだったんだ」
坂から見下ろす景色は、確かに古く小さな家々が並ぶものだけど、それはそれで情緒たっぷりなのに……
そもそも私がそんな風にしか感じなかったのは、他人事だからなのだ。
エンデの路地は狭くて、階段と坂ばかり。庭のあるような家などほとんどなく、ひしめいて暮らす生活。マルガレーテのあるダグラス通りは憩いの広場も各所に造られ街路樹まであるというのに、公共の水場すらあまり多くなさそう。さぞかし暮らしには不便さを感じることだろう。
「でもさ、仕事で入ってみて分かったんだけど、貧しいけれど大勢が何とか暮らしてて、それなりに活気はあるんだ。子供も多いし……」
「両親が働いていて、その昼間に子供を預けるための小規模の学校が、たくさんあるってマルガレーテで教わりました。今回はそういう施設に寄付をするのだと、縫製協会から聞いています」
「へえ、それはいいかもしれない。焼け出された人たちが、教会や学校に身を寄せてて、何かと不便をしているみたいだからね」
「……焼け出された?」
「ああ、知らないよな……」
広場についた馬車から降りて、ルードさんに見晴らしのよいあの崖の上へ連れてこられた。
彼が示す先をよく見れば、他とは違った煤けた壁の家がちらほらある。それは街の先端がもっとも色濃く、蜘蛛の巣を伸ばしたかのように、徐々に中の方へ広がってまばらになっていた。
昨日は気づかなかった微妙な色の違いが、まさか燃えた痕跡だとは……
「森から現れ、河を渡り、防壁を破ったのは鼠の姿をしたアバタールだったんだ。一匹はたいした大きさではないけれど、狭い路地を埋めるほどの大群は、恐怖でしかなかったって、工事の親方が言ってた」
「そんな大群を、どうやって駆除したの?」
「燃やしたんだよ、魔法の炎で」
魔法の炎。
その言葉ですぐさま思い浮かんだのは、金色の炎に包まれたラルフの姿。
「一匹逃せばそこからまた増殖する。仕方がないとはいえ、騎士団の連中は容赦なかった……そう皆が言ってる」
「……知らなかった」
「いや、騎士団を責めてる訳じゃないんだ。ただその事件以来、生活に困っている人たちも多いから、大変なんだ」
「うん分かってる……教えてくれてありがとう」
「いいや、リズはまだ来たばかりだもんな、仕方ないよ。それもこれも、あの半年前の噴火が元凶だからさ」
そろそろ行こう、そう言って市の並ぶ賑やかな人だかりへと向ルードさん。
私の足が止まっているのに気づき、振り返って笑みを浮かべながら、手招きをしてくれる。けれど……
ううん。悪気があるわけじゃない。知らないだけ。
だって、言っていないのだもの。私がその元凶の村から来たなんてこと。
「どうした、あんまり人混みがすぎて酔った?」
「うん、そうかも。でも平気よ、行こう! アクセサリーがいいかな、それとも可愛い小物にでもしましょうか? そうだ、エマが今年は香水を買いたいって言ってたの、そういうのはどう?」
足早に人の波に合流しながら、私が聞けば。
ルードさんが顔をしかめながら、妹さんを思い出したみたい。つい前まで何をするにも後ろについてきてた妹が香水しているなんて、想像できないって。兄の複雑すぎる心境を察し、つい笑ってしまう。
私たちはそうして、立ち並ぶお店を巡ることにした。
バザーの店の前はとっても混んでいて、油断するとルードさんからはぐれてしまいそうだった。
だけど小柄なのが珍しく役に立ったみたい。間をすり抜けるようにして店にたどり着けば、ゆっくり品物を見ることができた。
話を聞いていると、ルードさんの妹はとても無邪気な娘さんのよう。くわえて掃除がとくいなきれい好きで、いつもルードさんは世話を焼かれてしまうのだとか。麦わら帽子をいつも被っていて、働き者な自慢の妹さん。
特に花を育てるのが大好きというので、帽子に飾ったら素敵な、花のコサージュはどうかと差し出してみた。
「それとも、もっと背伸びをして大人の女性らしく、ピアスとかにしますか?」
「……い、いや、そんなの買ったら、自分よりも違う人に贈れと叱られそうだ」
照れたようにルードさんはそう言い、コサージュの方を選んだ。
それから妹さんの容姿と好みを確認しあって、ルードさんは買い物を終えた。
「ありがとう、リズ。本当に助かったよ、お礼に何かおごるよ、そろそろ腹も減ったろ?」
「そんな、気を使わないでください、私の方こそ今日こそは、色々と親切にしてもらったお返しにと思ったんです。またおごられてしまったら、返しようがありませんよ!」
いつまでたっても親切に甘えてばかりではいけない。そんな気持ちを分かってもらえたみたい。
「……真面目だなあ、リズは。分かったよ、でも昼飯は一緒に食べてくれるんだろう? せっかく露店がいっぱい出てるんだからさ」
「それは、もちろんです」
私たちは昼食を買って店の立ってない、広場中心にある風見鶏の塔の下にやってきた。
ここは子供たちが大勢遊んでいたり、私たちと同じように買い物のに来た客たちが、多く休憩している。
そして私たちが食事を終える頃、数人の子供がやってきた。
「ああ、ルードだ、もしかしてデート?」
「お兄ちゃんも買い物?」
「あああー、美味そう!」
私たちは、口々にルードさんに話しかける子供たちに囲まれた。
なんでも仕事場の近くに住む子供たちで、休憩時間などに遊んだりして親しくなった子たちだとか。
残っていたパンを大口に突っ込んだあと、大急ぎで飲み込んだルードさんが答える。
「そんなんじゃないよ、彼女に失礼だろう? なんだよ、おまえたちも買い物か、ちゃんと親に行き先言ってきたろうな?」
「大丈夫だって、先生にちゃんと連れてきてもらったから!」
「そうか、先生が一緒なら安心だな」
ルードさんがキョロキョロと見渡していたかと思えば、休憩スペースの端に座っていた男性に気づいたように視線を止めた。すると背筋を伸ばして、頭を少しだけ下げるルードさん。
見れば、相手の男性も柔らかく微笑みながら会釈を返す。
その様子を黙って見ていると、子供たちのうちの一人の女の子が、喋りたくて仕方ないといった風に教えてくれる。
「レギオン先生はね、とおっても優しくて偉いんだよ、寺院から来てお勉強を教えてくれるの」
「……レギオン、先生?」
私はもう一度、その男性に視線を向ける。
学校の先生というと、リントヴルム村では白髪のおじいちゃん先生だった。けれどそのレギオン先生は、まだ四十代くらいだろうか……しかしスラリとした高身長で、寺院の聖職者らしく長髪を片方でまとめていた。
「あの人は貧しい人たちに無償で力を貸してくれて、このあたりでは皆に慕われているんだ。俺たち工事の人間も何度か世話になったんだよ、な?」
「そうそう、お兄ちゃんは怪我を見てもらったんだよね」
「あ、それは言うなよな」
「……怪我? それ本当なのルードさん」
「大した怪我じゃないよ、ちょっとドジって足を捻ったんだよ、もう直ったし」
慌てて心配いらないと説明してくれたルードさん。このグラナートに出てくるまでは、家の農業と家畜の世話くらいしかしたことがなかった。それで慣れない仕事中に、つい足を滑らせてしまったという。
「そんなことが……でも、大したことがなかったなら良かった」
「今はほら、ずいぶん補修も進んできたから、危険な箇所は減ったんだよ。前のようにまたアバタールに襲われないよう、護符も入っていることだし」
そんな話をしていて、目の前にいるおしゃまな少女の、ベストの裾がほつれていることに気づく。
「どうしたの、どこかに引っかけたのかな?」
「え、あ! ほんとだ」
本人も気づいていなかったみたい。ママに叱られる、そう顔を歪ませるので、私から提案してみる。
「私でよければ直してあげる、道具が揃ってないから、仮縫いだけど……それでもいい?」
「ほんとう?」
少女が目を輝かせるので、少しだけ苦笑いをしつつ、付け加える。
「でも仮縫いだからね、後でちゃんとお母さんにごめんなさいしてね?」
「……うん」
「おい、大丈夫なのかリズ?」
なぜか心配そうにするルードさんに、お財布を入れていた袋から、更に小さな巾着を取り出して見せた。その中には、小さく巻き取った三種類の糸と針、折り畳んだ薄い布が入っているのだ。
驚きながら、準備がいいんだなと感心するルードさん。
「これでも一応、針子ですから。さあ、ベスト脱いでね、すぐ終わるからみんなと遊んで待ってて?」
「ありがとうお姉ちゃん!」
そうして少女のベストをつくろい始める。
「ごめんねルードさん、少しだけ待たせちゃうけど」
「いやいいよ……だけどそういうのは、あんまりやりすぎない方がいいと思う。たぶんだけど」
「……そうかな」
それからルードさんは、近くの子供達に誘われるようにして、遊びの輪に連れられていった。どうやら子供たちには大人気のようで、彼もまんざらではない、いい笑顔。
預かったベストは、脇の縫い合わせ部分から割けるようにしてほつれていた。きっと成長してサイズが合わなくなってきたのだろう。布はずいぶん古く擦れた跡があるから、きっと兄弟からのお下がりで、これからもさらに下の子たちに引き継がれるんじゃないのかな。それは私の村でもあったことだ。
ほつれた糸を始末して、中綿がはみ出さないようにしっかり合わせて縫い始めると、ふいに広場が騒がしくなったような……
少しだけ針を通して、手元から視線をあげる。
すると風見鶏の塔を挟んで向こう側に、人だかりができていた。そこの人影の間から見えるのは、見慣れた濃紺の制服が四、五人ほど。そのなかに、すぐに目につくハニーブロンドが一人。
……ラルフ?
「魔法騎士団だ、見に行こうぜ!」
ルードさんたちと遊んでいた子供たちが一斉に駆け出す。
置いていかれたようなルードさんが、頭を掻きながら戻ってきて笑う。
「ちえっ、あの人気には勝てないよなぁ」
「ふふ、そんなことないですよ、すぐに戻ってきますよ。ルードさんはみんなのお兄さんですから」
「……リズも、見に行かなくていいのか?」
「どうして、ですか」
ルードさんは私の横に座り、人だかりの方へ視線を移した。
移動中の騎士団たちは、人を掻き分けるようにして移動していくみたい。その中央にラルフの横顔が見えたのだが……すごく機嫌が悪そう。
顔色はいいみたいだけどね。
「ほら、気になるくせに。昔の知り合いって言ってたろう?」
「うん、でも……お仕事中だから。市の警護をするって聞いたし」
なんて言ったそばから、黄色い声でラルフの名を呼ぶ女性たちが見えた。
前にエマが言っていたけれど、ラルフはあの王子さまのような容姿と、騎士団という立場から、女性たちの憧れの存在なのだとか。
まあ容姿については納得だけど、誰がどう見ても不機嫌な顔なのに? そんな風に聞き返さずにはおれなかったのだけれど、そのクールで人を寄せ付けない雰囲気が特に、人気なのだそう。
うん、わからない。
「栄誉ある魔法使いの騎士で、あの容姿。いつも女の子に追いかけられて……しかも高貴な家柄。ほんと別世界の人だよなぁ」
ルードさんの何気ない呟きに、再び動かし始めていた針が止まる。
グラナートに来て、必死に歩いたあのどこまでも続く壁を思い出した。あのはてしなく長い壁、高い門を、どうして私は忘れてしまっていたのだろう。
「でもああいうお嬢さんたちなら、釣り合いが取れてるのかな」
ルードさんの言葉に誘われるようにして顔を上げれば、ラルフが誰かに呼び止められたのか、一人残っていた。その相手は後ろを向いていてよく見えないのだけれど、ラルフは少しだけ笑ったように見えた。
「あれって有名なコンファーロの孫娘だよな、知ってるリズ?」
「あ、え、クリスチーナさん?」
「そうそう、そんな名前。縫製工場のコンファーロさんが、よくエンデにも寄付するらしくって何度か見かけたことある。あの爺さん凄い服が派手でさ、面白いんだぜ。だから子供達にも人気なんだ………って、どうした?」
ルードさんの言葉の、半分も頭に入っていなかったかもしれない。
ラルフの袖に手をかけて、あのお嬢さんらしく一生懸命に、彼に何かを訴えている。それに表情から険しさを無くしたラルフが、何度か頷いていて……
どうしてか分からないけれど、エマの言葉が頭にこだまする。
──クリスチーナお嬢さんは、親同士の交流があったから、幼い頃からラルフェルト様とは遊び相手になってもらったって。そういうのも、幼馴染みっていうよね──
「もう少しで、出来そうなの。あの子を呼んであげてくれる?」
そうルードさんに頼んで糸を縛る。
黙って言うとおりにしてくれるルードさんの後ろ姿を見ながら、どうしてだろうと自分の心に問いかけてみる。
どうして、胸が重苦しいのだろうかと。
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