第19話 約束
最後に会ったのは、ほんの二週間ほど前だったのに、その間にいろいろな事があったせいか、ずいぶん日が経ったような気がする。
空いていた私たちの隣の席に、その大きな体を収めると、ルードさんは矢継ぎ早に聞いてきた。
「リズ、いったいどこでどうしてたんだよ、仕事は? もしかしてまた別の宿に泊まっているのか?」
「あのですね……仕事は見つかって住み込みをさせてもらってます」
「本当? ちゃんとした店か?」
そこで割って入ってきたのは、私の隣でルードさんに興味津々な様子のエマだった。
「ねえ、知り合い?」
水を差すように聞いてくるエマに、ルードさんは一瞬怪訝な表情だったけれど、私たちを見比べて、どちらがぶしつけだったか気づいたようだ。
「ごめん、つい驚いてしまって。きみはリズの同僚かい? 俺はこの街の宿でリズと知り合いになった、ルード・クルシュマンっていうんだ。エンデ防壁の補修工事のために、三ヶ月前からこの街に来てる」
「……私はエマ。リズと同じ『マルガレーテ』で働いているわ、よろしくね」
その言葉に、ルードさんはひどく驚き、そして破顔する。
「すごいじゃないかリズ、やっぱり俺の言った通りだ、良かったな!」
「はい、ありがとうございます、ルードさん」
「そうか、オヤジどもみんな心配してたんだ、聞いたら絶対喜ぶぞ」
「心配かけてすみませんでした。突然だったし、仕事に慣れるのに精一杯で報告も忘れてて……」
そんなに心配してくれてたなんて思わなかったから、申し訳なくなって頭を下げれば、ルードさんは慌てて首を振って言う。
「そんなことない、謝るなよ! 勝手にお節介しただけなんだから。ほら言ったろう? 俺にも妹がいてリズと同じ年だからさ」
「そうでしたね、ありがとうございます。……もしかして今、仕事帰りですか?」
「ああ、さすがに明日からは休みで、早めに切り上げたんだ。リズは風見鶏広場での市を知ってるか?」
「はい、私たちのお店もバザーに出品するので、今日はその手伝いだったんです」
出発時間になり、停車場を出た馬車にゆられながら、ルードさんに簡単にだけれど、新しい仕事が順調で、とても楽しいと伝える。すると「良かった」と相づちのように何度も繰り返しながら、喜んで聞いてくれるルードさん。本人の言う通り、まるで兄のようだ。
「そうだ、リズも一緒に市を回らないか? せっかく休みだから、故郷の妹に何か買ってあげようかと思って見に行くつもりでいたんだ。……あ、そっちは仕事あるのか?」
「いいえ、マルガレーテも休みです。でもエマと約束が……」
エマと風見鶏広場を見て回るつもりだったが、そもそもまだ時間を決めていなかった。どうしたものかとエマの方をうかがえば。
「私との約束はまた後日でいいわよ、三日目の片づけにも一緒に行くんだし。ね、せっかく誘ってもらったんなら行ってきなよ。休みは明日の一日だけじゃないし、私に遠慮せず楽しんできてよ」
「エマ、ありがとう」
「すまない、助かるよ。女の子の好むものって、よく分からなくってさ」
照れた様子のルードさん。
そうだよね、妹とはいえ女性用の物を見て回るのって、男性には勇気がいるかもしれない。グラナートに一人やってきて心細かった私に、最初に手を差しのべてくれた彼へ、少しでも恩返しができる機会になるかもしれない。
「そういうことなら、任せてください」
そうして私は、ルードさんと思いがけない再会を果たした。
彼が利用する宿はマルガレーテと広場の途中にあるので、待ち合わせは宿になった。ルードさんからの素敵な提案で、ついでに日雇いのおじさんたちにも、元気な顔を見せたらどうかって……。そんな素敵なことをどうして断れるというのだろう。
南部の宿に近い停車場でルードさんと別れ、ダグラス通りまで来ると、そこは巡回馬車の終点近く。私とエマはようやくマルガレーテに帰りついた。
「ずいぶん、ゆっくりしてきたんだね」
「ただいま、ミロスラフさん。お役目はちゃんと済ませてきましたよ?」
エマと私は、出迎えてくれたミロスラフさんに空になった篭を見せながら、店内に入る。その後ろで、ミロスラフさんが笑顔を見せながら、店内の明かりが漏れないよう、窓のカーテンを引いていく。
「一通り広場を見てきたんだよねリズ、大きな市だったろう?」
「はい、明日からが楽しみです。お土産を買って来ますよ、何か欲しいものとかありますか?」
彼らアバタールは、今は人混みは避けるよう注意を受けている。人が大勢いれば、それだけ魔力が刺激されるのだとか。私にはその理屈がいまだによくわからないのだけれど……
「ありがとう、だけどそんな気を使う必要はないよ、リズは真面目な子だね」
目を細めて笑うミロスラフさん。彼はそう言うけれど、せっかくのバザーすら楽しめないミロスラフさんとベリエスさんのために、断られてもなにか買って帰ろうと決めていた。
最後に玄関の鍵を施錠するミロスラフさんを眺めていると、エマが何かに気づいたようだった。
「ちょっと待って、ラルフェルト様が来るんじゃないかって、レオナル様が言ってたわよ、閉めない方がいいんじゃない?」
「ああ……いいんだよ、彼はもう来たからね」
「え、ラルフ……来たの? いつ?」
首を傾げて考えすしぐさをするミロスラフさん。
「ええと……午後一番くらいかな?」
「本当? じゃあすっかり行き違いになったのね、だってコンファーロさんに挨拶してるって言っていたから、あのとき広場にはいたのよ。ねえリズ?」
「うん、そうだったね」
エマが言う通りだった。私たちは昼前にマルガレーテを出て、風見鶏広場に直行したのだから。
「へえ、会えなかったんだ。そりゃあ怒ってるだろうねぇ」
「お、怒ってるって言われても、行き違いになったのなんて私たちのせいじゃないよ……そう思うよね、エマ?」
「普通ならね」
ラルフの不機嫌な顔を思い出し、少しだけ焦ってしまう。
だけど他人事だと思っているのだろう、エマは肩をすくませて、ミロスラフさんがのんきに笑うだけだ。
「……じゃあ、僕はもう休ませてもらうから、きみたちも疲れたろう? 食事も出来てるし早くもらっておいで?」
「あ、はい。お疲れさまでした」
エマと私はそうして今日あったことを話しながら、食事を取る。
ここで出される昼食と夕食は、さすがに従業員だけではまかなう暇がないので、ヒルデさんの知り合いという老夫妻が作りに来てくれている。昔はお店を持っていたそうで、とっても美味しくてついつい食べ過ぎてしまいそう。
「ところで、あのルードって人、前に言っていた宿で繕い物してあげてた人のことでしょ?」
「うん、そうなの。いい人でしょ?」
エマが好物のウサギ肉のシチューをおかわりしながら、そう切り出してきた。
「リズの話し方から、もっと年上の人かと思ってた……二十歳くらい?」
「どうかな、聞いたことないかも」
「リズらしい。でも明日は二人きりなんでしょ、いいの?」
「大丈夫よ、ルードさんの職場が近くだって言ってたでしょう、迷ったりしないわ」
「……そうじゃなくてさぁ」
エマが眉を八の字にするので、ついおかしくて笑ってしまった。
「何を心配してるの? ルードさんが悪い人だったら、宿で親切になんてしてくれないよ」
「いや、まあ、そうなんだけど……あのさ、リズはラルフェルト様のこと、どう思ってるの?」
「ええ? 今度はなんで急にラルフの話になるのよ」
「いいから!」
「……どうって、ええと、幼馴染み……みたいなもの? でもよく分からないよ、ずっと会ってなかったんだから」
ほんの数日過ごしただけなので、疑問もあるけれど、一番それが近いような気がする。
だけどエマは私の返事を聞いて、八の字のまま苦笑い。って、あんまり器用だから、私も見ているうちに、同じような顔をしていたら、顔がつりそうになった。
「あのね、リズ。今日会ったクリスチーナお嬢さんは、親同士の交流があったから、幼い頃からラルフェルト様とは遊び相手になってもらったって。そういうのも、幼馴染みっていうよね」
「う、うん、そうだね」
「あのさ、リズ……」
「……うん?」
エマは言葉を濁したまま、おかわりしたシチューを食べ始めた。何か難しいことを考えているのか、眉間にはついにシワが寄ってしまってる。
「おかしなエマ、何が言いたいのよ」
「……やっぱりいいわ、リズがその調子ならかえって安心かも。うん。……それよりラルフェルト様、また明日から来るんだろうね」
最後のスープを口に含み、なんだか自己完結した様子のエマ。
「そうだね……でも店はお休みだけどね」
「あ、そっか」
私たちは笑いあった。なんで勝手に閉まってるんだと、怒るラルフを想像しながら。
明日、風見鶏広場で会ったなら、ちゃんとこう伝えておこう。
おかえりなさい。でも、マルガレーテは本日より臨時休業です、またのご来店をお待ちしておりますと……
食事を終えた後にエマと別れ、私は自分の部屋に戻った。
明日の準備を終えてから、寝台に横になる。ほどよい疲れに体が重く感じられて、気だるさに身をまかせていると、すぐにも睡魔にのまれていった。
……のはずだったけれど。
ふと目が覚めたのは、何かが動く気配がしたから。
明かりのない真っ暗な部屋で目覚め、カサカサと何かが動く音に、びくりとして跳ね起きた。シーツを掴んで辺りを見渡すのだけれど、まだ目が慣れていなくてよく見えない。
勇気を出して手を伸ばし、少し離れた場所にあるランプを取る。そして慌てて明かりをつければ、黄色い光があたりを照らした。
「……なに?」
再びカサカサと音が聞こえ、そちらにランプを向ければ、一瞬だけど視界をかすめて黒いものが、チェストの下に逃げたようにも見えた。しかしその姿は、ずっと昔に見たアレと似ていたような……
「まさか、ゴキブリ?」
この世界で見たことはないけれど、咄嗟に思うのは、あの黒光りした恐ろしい生き物。
こういう記憶こそ、置き忘れてきてもいいのに……そんなふうに思いながらも、怖々チェストに近づき、その足元を照らしてみる。
だけどそこには何も見当たらず、掃除の行き届いた絨毯が、支柱の下まで延びていただけだった。
「見間違い、かな。もしかしたら音は、ネズミとかかもしれないし……」
とにかく、あの黒くて小さな生き物でさえなければいいや。そんな気持ちになるのも、前世の記憶のせい。
自分を納得させてランプを消し、再び寝台に潜り込む。
ああ、そうだった。ここは商品を置いてあるお店だし、ネズミだけはダメだったんだっけ。明日、起きたら相談してみよう。そんなことを思いながら、あっという間に夢の中へ沈んだのだった。
翌朝、すっきり目覚めた私は、いつも通り部屋の掃除をしたのだけれど、どこにもネズミにかじられたような跡もない。
一応、朝食を取るついでにミロスラフさんに報告し、早々にマルガレーテを出た。
エンデ地区行きの馬車に飛び乗り、南部地区の停車場まで行く。そこで馬車を降りて、通りから一本路地に入ったところにある、小さな宿の前まで来た。
古くなってペンキが落ちかけた看板を見上げ、二週間前のあの日を思い出す。
不安ばかりだった日々に別れをつげ、ようやく見つけた仕事先に断られ、絶望で途方にくれたあの日を。
「リズ、来てたなら入ってくればいいのに。おいで、みんな待ってる」
感傷に浸る間もなく、ルードさんに招き入れられた先で待っていてくれたのは、日に焼けた武骨な面々。
おじさんたちの陽気な笑顔が、これまでの困難と不安に固まっていた心を溶かしてくれたように、今度は私が安心させる番だった。
「みんな、喜んでたよな」
「うん、会えて良かった」
予定よりも一本馬車を逃したけれど、私とルードさんはエンデ地区行きの馬車に乗り込んだ。
今日から三日間、市が開かれるのは皆が知るところで、当然ながらとても混雑していた。普段は朝晩の決まった時間以外では、滅多にないことだけど、馬車の外につかまって乗る者まででてる始末。危なくないのだろうかと、本当にドキドキしてしまう。
余分に乗り込んだ乗客は、途中の停車場で、御者のおじさんに下ろされていた。
それはまあそうだよね、これから広場まではけっこうな坂道を登らなくちゃならないのだから。電車じゃないんだから、馬が動けなくなってしまう。
ゆっくりと坂を登る外の景色に目を奪われていると、ルードさんが遠くに見える茶色い壁を指差した。
「ほら、あそこ。あの場所が今の仕事場なんだ」
「あんな高い場所で?」
驚く私に、ルードさんが色々と教えてくれた。
「この端っこ、終点の地区という意味の名前を持つエンデ地区は、とても貧しい人たちが暮らしているんだ。だから、元々防壁の補修なんて後回しにされてて……それで四ヶ月前に、あの悲劇が起こったんだ」
エンデが貧しい地区だというのは、聞かされていた。だからこうして市が立つときには、縫製協会だけでなくさまざまな人たちが、バザーで得た収益で寄付をする習慣ができたのだと。
でも、四ヶ月前の不幸……通称エンデの悲劇というものについて、私は詳しくない。ルードさんもまた当事者ではないので、聞きかじったことだけど……そう前置きしてから、話してくれた。
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