第18話 心配
「なんてこと、最悪です」と、そう繰り返しながら、縫製協会の会長孫娘のクリスチーナお嬢さんの関心は、すっかり私のことに移ってしまったようだった。
お嬢さんは、私を隅々まで舐めるように観察する。いったい何を言われるのだろうと身構えていた私に、彼女は思いもかけないことを言い出した。
「改めて自己紹介するわ、私はクリスチーナ・コンファーロよ、リーゼロッテ? リズって呼べばいいのかしら?」
「え、ええ。リーゼロッテ・エフェウスです、リズと呼んでください」
「そう、これからよろしくねリズ、私も近いうちにマルガレーテで働く予定だから!」
「ええ? ……そうなんですか」
突き出される手に答えるように出した手を鷲掴みにされ、強引に握手。
私はきっと、鳩が豆鉄砲食らっているような顔をしているに違いない。生き生きとして、でもコロコロと変わる表情と澄んだ声音に、彼女をどんな人物として捉えたらいいのか、さっぱり分からなかったのだから。
「だから、店主のヒルデさんに断られたんでしょ、諦めましょうよクリスチーナ嬢。前向きすぎるにも程があるでしょう」
突如降ってきた声に振り返れば、そこにいたのはラルフの同僚である魔法騎士のレオナルさんだった。
「ほら、リーゼロッテちゃんが困ってるでしょうに」
「まあレオナル様、お久しぶりです!」
「うん、そうだね」
にっこりと微笑むレオナルさんは、相変わらず柔らかい物腰で、クリスチーナさんの手から私を解放してくれた。それで私はエマの後ろに逃げる。
「なにも取って食おうなどというつもりではないわよ」
「クリスチーナ嬢がそう思っていても、人によっては違うんじゃないかな」
やんわりと庇ってくれるレオナルに感謝を込めて、エマの後ろから二つほどうなずいて見せる。
「それより、こんなところでどうしたの?」
「マルガレーテが彼女を雇ったと聞いたので、少し憤慨してしまいました。人手が足りてるって話で断られましたのに」
「ははは、大人には社交辞令というものがあるからね、色々と事情があったんじゃないかな」
何か訳を知っているのか、レオナルさんはお嬢さんではなく、マルガレーテの肩を持つかのように取りなそうとした。もちろん目の前の利発なお嬢さんが、素直にうなずくはずもなく。
「事情? マルガレーテにですか、それとも彼女に?」
少しだけドキッと心臓が跳ねた。
ラルフの紹介で入れたようなものだから、彼女の不満も尤もなような気がしたからだ。
「違います、お嬢さんの事情ですよ」
二人の会話に割って入ったのは、しばらく無言で成り行きを見守っていたエマだった。
「お嬢さんの実力が足りないせいです、それはご自身も分かってるはずでしょうに」
「そ、それは……でも、これからうんと努力しますわ」
「努力ですって? ……袖を縫わせたら身ごろと繋げてしまうのはどなたですか?」
「え、あ、そうだったかしら」
お嬢さんの顔色が白くなったような……
「柊の葉の刺繍を頼んだのに、まるでフキの葉のように丸くて大きくなったり」
「そ、それは直しているうちに大きくなって……でも、少しは上達したのよ、これでも」
え? どういうこと?
エマを見れば、呆れたというよりも、仕方ないなあといった風に眉を下げていた。
自信満々だったお嬢さんの顔は、ほんのりと桃色に染まる。
「だ、だって仕方ないじゃない、不器用はお母様譲りなんですもの」
「それに、動機だって不純です。針子は遊びじゃないんですから、ラルフェルト様のお役に立ちたいというだけでは、他のお客様に失礼ですよ」
「……さ、最悪ですっ……お祖父様と同じことを言われてしまいました」
しゅんとしぼみ、悲しそうに呟くお嬢さん。その口癖は、どうやら思っていたよりも多彩な使われ方をするみたい。
居丈高だと思っていたけれど、決してそうではない。エマの言うことに、逐一素直に反応するところなど、なんというか、可愛い生き物に思えてきたような……。
「それにお嬢さんの言葉は、乱暴すぎますよ。リズが誤解するじゃないですか、彼女はもう立派に仕事をこなす従業員で、見習いではありません」
その言葉に驚いたのは、お嬢さんではなく、どちらかというと私の方だった。
そんな私を見て、エマが笑う。
「なんでリズが意外そうな顔するのよ、慣れという意味ではまだまだだけど、先日だってイリーナ様の依頼をちゃんとこなしたでしょう?」
「……うん、そうだけど皆と一緒だから」
「ばかね、仕事は皆でするものなのよ」
嬉しくていたたまれなくなり、さらにエマの後ろに隠れたくなる。そんな私に、お嬢さんは謝ってくれた。
「あの、ごめんなさいね、あなたのことを馬鹿にしようなどと思ってなかったのよ、羨ましくてつい」
「い、いいえ、謝ってもらうようなことはありませんから」
「本当? ああ、良かった」
大きくてきつめの目を細めて笑うと、がらりと印象が変わる。クリスチーナお嬢さんは、とても愛らしい人だった。
よく見れば、縫製協会のテントにいた周囲の人たちも、私たちの様子をうかがってはいたようだけど、それだけだ。いえ、どちらかというと……生暖かい目?
「クリスチーナ、もう話は済んだ?」
準備が整った協会のテントからメンガー女史が顔を出し、絶妙なタイミングでお嬢さんに声をかけてきた。どうやら彼女の仕事も終わったようで、お嬢さんと協会長のところへ戻るつもりらしい。
「もう少し待っててくださいな、レオナル様にお聞きしたいことがあったの」
「僕に?」
「はい、レオナル様がいらっしゃるということは、ラルフ様も近くにおいでなのですか?」
辺りを見回すお嬢さんに、レオナルさんが笑って答える。
「ラルフも今日明日と、広場の警備にあたる予定なんだけど、今ごろはきみのお祖父様に挨拶に伺っているはずだけど……会わなかったかい?」
「ええ? それは本当ですか、ありがとうございます、確かめてきます!」
レオナルさんの言葉を聞いて、とたんに明るい表情をみせるお嬢さん。
「じゃあ、また会いましょうエマ、リズ。近いうちにマルガレーテに寄らせてもらうわ」
「はい、お客様としてならいつでも歓迎しますよ」
エマが苦笑いでお嬢さんに手を振り、私はちょこんと頭を下げて見送った。どうやらよほど気が急いているらしく、メンガー女史を引きずるほどの勢いだ。
私たちとともにお嬢さんを見送ったレオナルさんも、エマと同じ顔で見送る。
「破天荒だけど、どこか憎めないだろう? コンファーロ翁が可愛がる気持ちが分かる」
「はい……レオナルさ……レオナル様は彼女と親しいんですね」
お嬢さんでさえ彼をそう呼んでいたのだ。あまり馴れ馴れしいのは失礼と思ったから改めたのに、彼はひどく顔を悲しそうにしかめてみせた。
「いや、ラルフェルトの側にいれば、よく彼女とも会うことになるからね。それだけだよ……それより、僕のことは様つけしないでくれよ、リズ?」
「え、でも……お店のみなさんがそう呼んでいるのに、私だけ慣れ慣れしくは……」
「だって、ラルフェルトのことを愛称で呼んでいるでしょ。僕の方が庶民の出なのに、彼とは逆に様つけなんてされたら、逆に肩身が狭いよ」
「……わかりました。失礼でないのでしたら、お店以外ではレオナルさんと呼ばせてください」
「もちろん、そうしてくれると僕も嬉しいよ」
うわあ、と思わず赤面してしまいそうな爽やか笑顔のレオナルさん。
レオナルさんは、本当にイケメンの鏡だ。こちらを気遣うことを忘れず、柔らかく笑って安心させてくれるのだから、絶対モテるに違いない。改めてそう確信する。
「ところで、それだけ?」
「……なにがですか?」
「ラルフェルトとクリスチーナのこと、気にならないの?」
「ええと、お知り合いなんですねぇ」
ラルフと親しいことは、彼女の言葉からすぐに分かった。だから思ったままに言葉を返したのに、なぜかレオナルさんは不思議そうに首を捻っている。
「どうかしました?」
「いや、いいよなんでもない。それより、久しぶりに会えて嬉しいよ、元気だった? しばらくグラナートを留守にしていて、今朝帰ってきたばかりなんだ」
「……そう、だったんですか」
「もしかして、ラルフェルト様も街を出てらっしゃったんですか?」
エマからの問いに、レオナルさんは頷いた。
「先日のレナーテに刺青を施した魔法使いの消息を追って、近隣の村を回っていたんだ」
「……見つかったんですか、その魔法使いは」
「わずかばかり手がかりは得られたが……残念ながら捕まえることはできなかった」
私とエマは顔を見合わせて、残念な情報にため息をつく。
まだ年若い彼女に、言葉巧みに誘いかけ、あんな酷い作用の刺青を施したのだ。もし対応が遅れていたなら、レナーテさんは死んでいたかもしれない……そう考えると、私たちにとっても到底許せる相手ではない。
「そんな大変なお仕事から帰ったばかりなのに、もう別のお仕事だなんて大丈夫ですか?」
エマが心配して聞けば、レオナルさんは大袈裟に両手を広げて「心配ないよ」と笑う。
「コンファーロ翁から風見鶏広場の警護を依頼された都合上、ちょっと挨拶で寄っただけで、今日はもう帰るんだ。だからあいつも……きっと、今晩にでも行くつもりじゃないかな、きみのところへ」
クスリと笑い、最後に私を見たレオナルさんは、「それじゃまたね」と去っていく。
あいつ、というのがラルフのことだと気づき、少しだけホッとした。店に来なくなったのは、以前のように体調を崩して寝込んでいるのでは……。そんな風に心配していたから。
「じゃあリズ、邪魔が入ったけど、私たちも行こうよ」
「うん、楽しみだよね」
私とエマは、ようやく広場を散策することになった。
風見鶏の広場と呼ばれるここは、とても広い高台の上にある。その中央には小さな石組の塔があり、頂きには風見鶏がある。風を受けてクルクルと回る鳥は、広場だけでなく、エンデという地区のシンボルでもあるのだそう。
その風見鶏を中心にして、二重の輪を描くようにバザーや露天が準備されていた。
「ねえ明日と明後日、どっちで遊びに来ようか? 欲しいものがあれば明日のほうがいいし、でも炊き出しなんかがあるのは二日目よね。それとも二日とも来る?」
「え、いいの?」
「もちろんよ、三日目の午後はまた片付けで手伝わなくちゃいけないけど、売り子の当番から今回は外れてるし、選び放題よ」
「そうだね……どうしよっか」
いくつか大きな仕事が続いていたマルガレーテは、丁度いいということで、風見鶏広場の市の初日と二日目を、お休みにしてくれたのだ。帰るあてのない私とエマ、それからアバタールである二人は、市で遊ぶくらいしかないけれど、残りのアンネとクーニさんは家族とのんびり休暇をすごすみたい。そしてヒルデさんは相変わらず忙しいのか、ここのところあまり姿を見ていない。
準備が整いつつある広場を歩いていると、つい気もそぞろとなり、並び始めた商品に目がいってしまう。
それはエマも一緒だったみたいで、きれいな石の並ぶ宝飾の前で足が止まっていた。
「ねえ、こういうの素敵……いいなあ」
「買うの?」
「馬鹿ねえ、自分で買ってどうするのよ」
エマが思い描いているのは、あくまでも目の前の細工ものの指輪をしている自分ではなく、素敵な男性にそれを贈られる自分ということらしい。
「リズは装飾品をあまりつけないよね、興味ないの? お化粧品も持ってないよね」
「私は……まだそういうのは、あんまり。それよりも珍しいビーズや糸、それに本もいいかな」
「やだ、それ本気で言ってるの?」
この賑やかな市で、あわよくば素敵な出会いに巡り会うことを思い描くエマ。自分もエマと一つしか歳が違わない十六才、当然、同じように恋に憧れているはずと思っているようだ。
だけど田舎育ちなせいか、自分にはそういった話題にはどうも慣れない。こればかりは前世と合わせても経験値ゼロなのだから、仕方ないよね?
この世界でも、えてして田舎者というのは、
それから一通り出店の偵察を終え、日が傾いてきたので、二人帰路につく。
明日からの休日に思いを馳せながら、乗り合い馬車の席についたところで、ふと声をかけられたのだった。
「リズ……リズじゃないか?」
五列ほどの固いベンチが並ぶ、先頭から背の高い男性がこちらを振り返り、私に大手を振っていた。
「……ルードさん?」
「ああ、やっぱりリズだ。元気だったか? 雇ってもらえたはずの店に行ってみたら、そこにいないって聞かされて心配していたんだ」
まだ走り出さない馬車の中、その大きな体を縮こませながら私の席までやってきた彼は、宿で最初に知り合った出稼ぎのルードさんだった。
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