第16話 ありがとう

 緊張の面持ちをしたイリーナさんに対面したのは、建物に入ってすぐのことだった。

 彼女は騎士団の塔を訪れた私たちをわざわざ出迎えてくれて、個室に案内してくれる。そこで真新しい衣装を受け取ると、驚いたように呟いた。


「あたたかい……気がする」


 イリーナさんを支える力になりたいという、私たちの心。それだけじゃない、彼女を大事に思っている家族、彼女を助けようとするラルフたちみんなの思いを、そこから感じ取ってくれているのかな。


「ありがとう」


 私たちに届くよう、今度はしっかりと言葉を紡ぐ。


「……これが仕事ですから。さあ、どうぞ着てみてくださいな。ほんの少しのことではありますが、あなたの助力になれるよう、時間の許すかぎり調節いたしましょう」


 イリーナさんが頷き、ヒルデガルトさんは裁縫箱を開いて準備をする。

 私は服を脱いだ彼女を手伝い、すらりと長い腕に袖を通して、ボタンを留める。触れた肩、そして腕には緊張のせいか、ひどく力が入っているようだった。そうでなくとも、護符の細工を優先させたため、少々着付けに配慮が足りないせいで着づらいはず。

 だが危惧してたほどには、微調整が必要なかったようで、胸元の緩めだった一ヶ所をヒルデさんが縫いとめただけだった。

 最後に私がジャケット下に取り付けたレースを広げ、最後のホックをつけ終えたとき、それは起こった。


「……リカー?」


 リカー?

 思わず呟いた、そんな様子のイリーナさんに視線を上げれば……ほんのりと淡い光が、イリーナさんのまわりを囲んでいた。

 タンポポの綿毛のようなものが集まっては、ふわふわ飛び回わるそれ。不規則に動くそれらが次第に、イリーナさんの手元に集まり、いくつかのもこもこした球になって、漂っている。

 しかも、ほんのりと光ってる?


「な、なんですか、あれ?」

「……静かに」


 ヒルデガルトさんに助けを求めてみれば、彼女は人差し指を立てて唇にあてる。

 イリーナさんはというと、手のひらにのせた綿毛のような毬を、じっと見つめて続けている。どうしてかは分からないけれど、それを邪魔してはいけない。そう思って私は、イリーナさんから離れた。

 ヒルデさんの傍らで見守っていると、三つほどになった柔らかそうな綿毛は、ついにイリーナさんの手の上で一つになる。

 いったい何なのだろう……ドキドキしながら眺めていたのだけれど、彼女が突然、掌にあった綿毛を掴むと、霧散するかのように、その存在が見えなくなってしまった。

 まさか、潰しちゃったのだろうか?

 困惑している私に、ヒルデさんが小さな声で教えてくれました。


「あれは、使い魔ね」

「使い魔……って何ですか?」

「それはね……」


 ヒルデさんが教わろうとしたとき、部屋をノックする音。それから──


「イリーナ、支度はできたか?」


 ラルフの声だった。

 ヒルデさんが扉を開けようとするのを見ながら、私は慌ててイリーナさんの脱ぎ捨てた服を拾いあげる。

 すると入ってきたラルフがイリーナさんを見て、ほんの一瞬だけど視線を止めて驚いたような表情をしていた。だけど気を取り直してイリーナさんに告げる。


「そろそろ時間だ。行こう」

「はい」

「あ、あのイリーナさん!」


 私が言うべきなのか分からないけれど、彼女の力の入った肩を知ってしまったから、言わずにはおれなかった。

 答えるように振り返ってくれたイリーナさんに、気持ちをこめて。でも、残念なくらいありきたりな言葉しか思いつかない。


「が、頑張ってください」


 イリーナさんは頷いてくれた。

 友人のためとはいえ、その大切な人に傷を負わせなくてはならない。それを頑張ってなんて、どうなのかと自分でも思う。でもそれしか言葉がうかばなくて……

 だけどイリーナさんは、頷いてくれた。

 そしてラルフに促されるまま部屋を出る彼女を追って、裁縫箱を抱えながら後に続く。

 ラルフは聖堂のような天井の高い部屋に入ると、私とヒルデさんにはガラスで仕切られた片隅へ行くよう指示する。

 私たちは万が一の危険を避けるため、その小部屋で待機することに。

 聖堂にはラルフの他に、騎士団の人たちもいて、そのなかにレオナルさんもいた。

 そこへ両脇を女性騎士に抱えられるようにして連れられて来たのは、ぐったりとしたレナーテさん。その後ろにからは、イリーナさんの母親である、エリザベートさんの姿も。


「あの娘さんの様子からして、あまり良い状態ではなさそうね。きっと、今日が限界……」


 魔素を集める入れ墨のせいで、魔力が制御不能となったレナーテさん。それだけでなく、溜め込んだ魔力は彼女の身体と精神を蝕んでしまうのだ。一刻も早く、元凶の入れ墨を取り払わねばならない。

 その貯まりすぎる魔力を取り除くためなのか、レナーテさんの両腕には囚人のように大きな手枷がはめられていた。同じように首にも。両足は枷ではないものの、重そうなアンクレットが。どれにも大きく紋様が描かれていて、それらによってレナーテさんの魔法の力を封じているのだろう。だけど……分かってはいるものの、目を背けたくなるような、痛ましい姿……。

 ぐったりと落ちた頭。のぞき見ることはできないけれど、苦痛に歪められているのではないことを、祈るばかり。


「始まりそうよ」


 レナーテさんの纏っていた服を、両脇の女性騎士がはだけさせる。入れ墨のある背中だけを露にさせ、二人で抱えるようにして、支えた。

 その入れ墨の前に立つ、イリーナさんは厳しい表情を浮かべている。

 けれど決意は固いのだと思う。母親であるエリザベートさんに向け、一度だけ頷いて見せた後、イリーナさんは友人の背に手をかざした。

 イリーナさんの細い指先から、ゆっくりと絞り出したかのような、赤い光が滴となって現れる。

 それが光りながらレナーテさんの背中に落ちた。


「…………っ」


 耳を、塞ぎたくなるような悲鳴が、聖堂の高い高い天井に反射する。

 暴れる少女を必死に押さえる、女性騎士たち。それから唇をかみしめ、イリーナさんを見守るエリザベートさん、周囲を囲むラルフたちは、微動だにしない。

 そんななか震える腕を、必死に自ら押さえているイリーナさんは、辛そうに顔を歪めていて。

 肉の焦げる臭い。

 あまりの光景に、私はそれら全てから逃げ出したくなる。

 ただ見守ることが、こんなに辛いものだなんて思ってなかった。いつだって痛くて辛いのは自分で、ただ通りすぎるのを待つだけだったから。

 だけど今は、励ますことすら上手くは出来なくて……かえって辛い。

 どうにもならないもどかしさ。

 前世の両親も、こんな気持ちだったのだろうか……こんな辛い思いをさせていたのかな。

 ついに耐えられなくなった私は、目の前の光景から視線を逃してしまった。

 でも……目線を足元に落としたとたん見えた、ヒルデさんの白くなるまで握られた両手に、これじゃだめだと思い直した。なんのために、無理を言ってまでついてきたか分からない、そう奮い立たせる。

 だけど再び上げた視線の先で、不思議なことが起きていた。


「え? あ、あれは……」


 マグマのように燃える指先の赤い光で、レナーテさんの背にある入れ墨を焼きつづけるイリーナさん。その周囲を、またあのふわふわとした綿毛が飛び回っていたのだ。

 それらがどんどん集まり、大きくなる……しかも今度は毬のようなものから、蹄を持つスラリとした足が生え、走り出した。そしてあっという間に鹿の姿に。


「リカー……?」


 軽やかにイリーナさんの周囲を一周すると、雌鹿はレナーテさんの傍らに立つ。

 そして彼女の背に刻まれ、半分を焼かれた入れ墨を見ると、そこに鼻先を寄せた。

 すると驚いたことに、残りの入れ墨が一気に焼きただれ、その姿を消したように見えた。と同時に、レナーテさんから小さな綿毛のようなものが現れ、ふわふわと輝きながら雌鹿の体へと移っていった。

 とてものんびり優しいその光景は、今までの張り積めていた強ばりが溶けていくようで……。


「イリーナさん!」


 膝をつくイリーナさんだったが、近くにいたラルフが咄嗟に支えていた。それと同時に、白衣を着た人たちが現れ、酷い火傷を負ったレナーテさんの処置をはじめる。

 私はいてもたってもいられず、ガラス張りの部屋を抜け出し、イリーナさんの元へと駆け出す。


「ちょっと、待ちなさいリズ!」


 私を追いかけてきたヒルデさんに寸でのところで止められてしまったけれど、そこは既にイリーナさんのそば。

 イリーナさんは、騎士に支えられ治療を受けるレナーテさんの手を取り、懸命にその名を呼ぶ。


「レナーテ! ごめん、レナーテ……こんな救い方しかできなくて、ごめん」


 イリーナさんの頬には、幾筋もの涙。

 ずっと我慢して魔法を使いつづけていたのだろうか。

 その涙を、雌鹿がそっとなめて寄り添う。そして甲高くひとつ鳴くと、淡い球に戻ってイリーナさんの中へと再び消えていってしまった。

 使い魔とは、いったい何なのだろうか。そんな疑問が再びもたげるのだけど、私以外に驚いている者がいない。ということは私が知らないだけなのかも。

 それからイリーナさんは、意識のないレナーテさんの手を握りしめ、謝りつづける。その姿はとても高潔で、近寄りがたかった。

 多くが見守るなか、誰一人それを止めることはなかった。だけど……


「レナーテ?!」 


 驚いたように名を呼ぶイリーナさん。つられて様子をうかがえば、レナーテさんのまぶたが薄く開くところだった。

 土気色の顔色、落ちくぼんだその目に、涙が浮かんでいる。


「イリ……ナ」


 小さくかすれる声に、イリーナさんは耳を近づけ、その音を必死に拾う。そして唇を震わせながら首を横に振る。何度も、何度も。


「謝らないで……レナーテを失わずに済むなら、これくらい、どうってことない。何度だって、助けるから……」


 泣きながらだったけれど、イリーナさんはそう言って笑ってみせた。

 それが、彼女の覚悟だったのだと思う。

 ラルフと同じ、魔法使いの覚悟。


 それから、傷口を処置された後に担架で運ばれていくレナーテさんを見送り、私とヒルデガルトさんはその場を後にした。

 役目を終えたからには、もうここに居ては邪魔なだけ。ヒルデさんにそう言われ、用意されていた帰りの馬車に乗り込むまでは、あっという間だった。


「大丈夫?」


 馬車に揺られながら外を眺めている私に、ヒルデさんは声をかけてくる。……心配そうな顔で。


「はい……大丈夫です」

「そう、でも気負わないようにね。こんなシビアな仕事はそうそうないから」

「……レナーテさんは、助かるんですよね」


 運ばれていくときは再び意識を無くしていたレナーテさん。

 彼女が助かってはじめて、イリーナさんの心も救われる。そんな気がしたから。


「きっと良くなるわ、体の傷といっしょに、あの二人の関係も」


 そうだといいな。

 ヒルデさんの言葉を信じて、私は待とう。

 良い知らせが届くまで……たぶん、その知らせは、彼が持ってきてくれる。それを待っていようと思う。


 イリーナさんの依頼をこなし、疲れはててお店へ帰りつく前に馬車で寝てしまった。なんと気づいたのは翌朝で……というか、起こしてくれてもいいんじゃない?

 そうエマに泣きつけば、そっとしておくようにと店主であるヒルデさんからの配慮だったと聞かされた。

 恥ずかしくて、その日の朝は皆の顔がまっすぐ見られなかったのだけれど……そんな私に、全ての従業員たちが、初めての仕事を無事に終わらせたことを祝い、労ってくれた。

 それから二日後、小さなシャルを連れて、エリザベートさんが店に来ていろいろと報告をしてくれた。イリーナさんは学校に通えるようになり、辛い経験を胸に頑張っている様子。レナーテさんも傷が順調に癒え、魔力酔いの影響もなく、回復しつつあるそう。

 「ありがとう」そう繰り返すエリザベートさんに、私はくすぐったいけれど、嬉しくて。あらためてこの仕事を頑張ろうと思えたことが、なによりの収穫だったのかもしれない。


 ヒルデさんも言っていた通り、その後は地味な仕事が続いた。女性騎士団の制服も、発注先の都合でしばらくは止められることになり、一般向けの簡単な護符つきの小物を作っている。値段も手軽なハンカチから、ワッペン。それから大きくてもスカーフや帽子など。

 これなら私でもかなりの部分を、同僚の手を借りることなく作れる。意気込んで精を出すこと五日……糸を切らして針を置き、ふと考えるのは。

 あれから一度も店に来ないラルフのこと。


 どうしたのかな。

 毎日来るって言ったのに……


 四ヶ月に一度の市が立つ日を三日後に控え、町は賑やかさを増している。そんな景色を窓の外に眺めながら、私は再び針を手にしていた。

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