第10話 ラルフェルト

「じゃあ私はこれ片付けてくるから、あなたはラルフェルト様のお相手をおねがいね、リズ」

「え? 片付けなら私が……ヒルデさん?」

「さっきの仕事の打ち合わせもあるから、すぐ戻るからそれまでよろしくね!」


 ラルフへの対応を丸投げしたヒルデさんは、私の持ってきた鞄をひょいと持ち上げ、さっさと二階の作業場に行ってしまった。私はどうしたらいいのか分からず、でも彼をそのままにはできないと一応頭を下げる。


「あの、いらっしゃいませラルフ……あ、ラルフェルト様。どうぞこちらへ」


 ヒルデさんの真似そのままで、奥のスペースに手招きしてみる。一応従業員だし、他のみんなも彼をそう呼ぶから、私も仕事中は馴れ馴れしすぎるのもどうなのかな、って考えたすえの対応だったのに。

 どう見ても、不機嫌な顔がさらに増したのは、なんでなの?

 だが不機嫌そうな顔をしつつも、ラルフはなにも言わずに奥のスペースに進み、どさりとソファに座った。

 ええと、この対応で良かったということなのだろうか。私は慌てて彼の向かいに収まる。


「今日はどうしましたか、なにか注文ですか?」

「リズ」

「はい?」

「ラルフでいい」

「……でも、お客様ですし」

「リズ、それ以外認めない」


 ラルフは豪華な織りの生地を使ったソファに深く座り、長い足を組んでいた。不機嫌そうだといつもより美人に見える顔を右手の甲で支え、肘は深い茶の塗りが艶やかな肘掛けにのせられている。

 まるで一枚の芸術品のような姿で、私に求めたことはまるで……。

 小さなラルフもそういえば、同じようなことを最初に言ったような覚えがある。ただし、もっと可愛らしく頬をふくらませて、だったけれども。


「なにがおかしい?」

「昔を、小さかったラルフを思い出して、つい」


 私が笑ったのが面白くなかったようだ。

 だけどもう怖くない。ラルフは昔と同じように、照れているとしか見えないから。

 彼はおもむろに上着を脱ぐと、私に渡してきた。


「直してくれ」


 よく見ると、袖口にあるボタンが外れかけている。その周囲の折り返し部分に縫い付けてある飾り紐が、何かに擦れたのか、損傷している。

 ……また、なにかあったのだろうか。

 私はすぐそばにある、裁縫道具の入った引き出しを開ける。そこには簡単な修繕ができる程度の糸や針、その他の道具が用意されているのだ。

 それから自分のエプロンのポケットから小さな箱を取りだし、中に入れてある髪留めで邪魔なサイドをとめ、指ぬきをつけた。


「もうラルフは、お仕事を再開してるの?」

「忙しいからな」


 膝に彼の制服を置き、痛んだ飾り紐を外すために袖下から手を入れ押さえると、ほんのりと残るラルフの体温を指に感じる。

 今ここで脱いだのだから当たり前なのだけれど、どうしてか緊張してしまう。

 糸を用意しながら、話をふってみようかしらと考えたら、これしか思い浮かばなかった。


「体調はどう?」


 ヒルデさんの二番煎じだけど、気になることで。


「リズが心配するほどヤワじゃない」

「……吐血しといてよく言うわ、心配したんだから」

「いや、あれは……別に」


 むっとして強く言えば、ラルフが怯んだ。ということは図星で、あまり良くない状況だったのだろう。


「すごくビックリしたんだから。もう気を付けてね、ラルフ」

「……分かっている、しつこい」


 ふと手元からラルフへ視線を上げると、彼は口許をおさえてそっぽ向いていた。

 その姿に、ちょっと慣れなれしすぎだったかもしれないと反省。いくら幼い頃に遊んだ仲とはいえ、たった数日、しかも十年も前のことだし。

 でも、ラルフは私をここに導いてくれた。それは私の夢だったのだから、本当に感謝している。口調はくだけたままでも、一定の礼儀は弁えねばと心にとめる。


「ねえ、ラルフ。どうしてこのお店に紹介してくれようとしたの? 私が針子の仕事を探しているって知らなかったよね?」

「なに言ってる。昔俺に、針子になる予定だと言っていた」

「……そうだっけ?」

「ああ、それに将来の夢は、いろいろな服を作って着てもらうとか、お姫様の格好がしたいから自分で作るとか、歌って踊れる衣装で舞台に……」

「わーわーわーっ! それ以上はやめてええぇ!」


 私は針を放り出してラルフの口を塞ぐべく、叫んでいた。

 お、思い出した。

 そういえばラルフに、将来はコスプレーヤーを目指してるとしか思えない妄想を、熱く語ったような……

 ああ、今すぐラルフをなんとかして記憶喪失にしたいくらいだ。なんて妄想を垂れ流したの、幼いリズ! ああ、まだ前世の記憶を呼び覚ましていないにもかかわらず、私は確かに私だった、ということか。

 冷や汗をかきながら、私は必死に話題を変える。


「じゃ、じゃあ、私がリズだっていつ気づいたの? 手紙を読んだとしても、私がこの街に来たことは書いてないはずよ?」

「いや、おまえが縫ったこれを着たとき、すぐにリズだったと分かった」

「……え?」


 ラルフが指差すのは、いま縫っている袖口ではなく、私の膝上に置かれた肩部分だった。

 これを着ただけでって、どういうことだろう。

 するとラルフは私を驚かせるようなことを口にした。


「匂いでわかった」

「におい……!」


 それは、今日イリーナさんから聞いたのとまったく同じ表現。

 さすがに、それが言葉そのままの意味ではないことは分かっている。でもラルフの肩を修繕したのは、単なる縫い合わせで護符じゃない。

 ラルフは胸のメダリオンを片手で押さえ、私をじっと見ながら重ねて言う。


「これと同じ匂いだった。いつも肌身離さずいる、間違うはずはない」

「肌身って……」


 いやいや、単にハンカチの端切れを、メダリオンに入れて首にかけてるだけ。私はなにを赤くなっているの。

 目を細めて呟くラルフが憂いたっぷりだったので、思わず焦ってしまった。だけどそんなことよりも、今こそ聞きたい。


「教えてラルフ、そのメダリオンの中に入ってる刺繍。それがあなたの魔力酔いに効いたって言っていたけど、それ本当?」

「ああ、間違いない」

「どうして? 私は魔法使いじゃないよ、それも母さんに教わって刺したものだし。だいいち護符にするなら、もっと正確に縫う必要があるって、ここで教わったわ……でもそれは違う」

「リズが、俺のためを想って作ったからだろう?」

「な……それは」

「違うのか?」


 いや、そうだけど。ここにきて何なの、その精神論的な理由は。そんなので効果があれば『マルガレーテ』は苦労しないのでは。

 まだ聞きたいことはある。


「イリーナさんも、私の刺繍を同じ匂いって言ってたのよね。魔法使いって、動物的嗅覚でものを例えるものなの?」

「……だれ?」

「え? イリーナさんは今しがた会ってきたお客さん……だけど?」


 ふいに穏やかだった表情が、すっと失せてしまったラルフ。


「どこに行った、リズ?」

「え、と。ヒルデさんの鞄持ちでミルヴェーデン家に……」

「へえ、エリザベートがおまえを呼んだんだな、わざわざ」


 ラルフの薄笑いが怖い。なんでいきなり不機嫌に戻ってしまうのだろうか。いつものことだけど、理由がさっぱり分からないよラルフ。


「わあラルフ、これ金でできてるのかなあ、重いのねぇ」


 余計なことを言ってしまったのだろう、私は話題を変えるべく、糸で縫おうとしていたボタンを持ち上げてみせた。

 恐らく彫金が得意なミロスラフさんが作ったボタンなのだろう。細かい凹凸で、魔法騎士団の紋章を彫り上げてある。ずっしりと手に重みを感じるのは……あれ?

 もしかしたらこれって本当に金でできているのかしら。さっきとは違う意味で手に汗をかく。

 しかしせっかくの話題そらしも無駄だったようで。


「リズにちょっかい出すとは、余計なことをする……」

「純粋な仕事だから……舌打ちは下品よ、ラルフ」


 音こそ聞こえなかったけれど、図星だったようでラルフからの反論はなかった。

 でもラルフとエリザベートさんは知り合いだったようだ。エリザベートさんが広場で彼に微笑みかけていたから、なんとなくそんな気はしていた。


「彼女は仕事の関係上、顔を会わせることがある。娘のイリーナも知っている」

「そうだ、イリーナさんって、なんだか辛そうだった。それで新しい服に、私の刺した刺繍を使わせてもらうことになったの。まだ勉強中なのに初仕事よ?」

「リズ……いまやっているそれは?」

「あ……」

 ラルフが指差すのは、ボタンを縫い付けている最中の私の手元。そうでした、仕事に大きいも小さいもないよね。しっかり仕上げますとラルフに宣言。

 ラルフから「ふうん」と疑い深い返事が返ってくると、みんながラルフのことを、厄介なお客さんと称していたのを思い出す。

 せっかくの王子さまのような容姿なのだから、もったいない。態度もレオナルさんみたいに紳士的で、いつも笑顔を振り撒いていたら完璧なのに。


「イリーナはどうしておまえに護符を依頼した?」


 針仕事を再開した私に、ラルフは話を戻す。

 ボタンの始末を終えてから、外した飾り紐を同じ色の糸で合わせて補強する。それから再び紺色の生地へ縫い付けながら報告する。


「ええと、前に広場で会ったときにシャルが持っていたぬいぐるみを、私が直してあげたの。それと今日持っていった護符の試作品を見て、同じ匂いがするって、あなたと同じことを言ったわ」

「……そういうことか。それでその護符の試作品とやらは? 見せてみろ」

「それが、イリーナさんに渡してきて今はありません」


 今度はあからさまに舌打ちをしたラルフ。


「エリザベートに利用されたな」

「利用って、気に入ってくれたから渡したんじゃないかと思う」

「だからだ。エリザベートは研究をしている」

「研究? 学者をしているというのは、ご本人から聞いてるわ。なにを研究されているのかしら」


 ちょうどそこへ、お茶を持ってミロスラフさんがやってきて、ラルフの代わりに答えをくれた。


「彼女は魔法化身アバタール発生のしくみを学術的に研究している第一人者なんだよ、彼女はとても良心的でいい人間だろう、リズ? お茶をどうぞお二人とも」

「はい、とっても優しい方でした……それで、その魔法化身アバタールの研究と、なにが関係あるの?」

「魔力酔いを防ぐ方法を知りたいんだよ、かわいい娘のためにね。そのために僕も以前、解剖されるんじゃないかってくらい、調べられちゃったのね」


 ミロスラフさんが怖いことを口にしながら、にんまりと笑う。

 丸い幼な顔の口が大きく弧を描き、頬が少し膨らんだ。大きな瞳が、いつもより大きく、そして濡れて見えたのは、気のせいだろうか。


「リズを脅かすな」

「おお、こわ。ベリエスのように僕は頑丈じゃありませんから、殴るのはやめてくださいねラルフェルト様」

「暴れなければな」


 二人の会話の意味が分からず、私がきょとんとしていると。


「こいつも魔法化身アバタールだ、リズ。知らなかったのか?」


 ラルフが驚きの事実をなにげなく告げるものだから、私はなおさらそれを理解するのに、しばらくの時間を要した。

 ミロスラフさんがアバタール…………えええ?!

 にんまりと笑いながらミロスラフさんは、ほんの一瞬だけ本当の姿を私に見せてくれた。


「蛙……」

「ふふふ。じゃあ、あんまり邪魔すると僕も殴られそうだから、そういうことで」


 にこにこしながら、ミロスラフさんはさっさと盆を持って帰ってしまう。

 私は結局、ラルフに聞くしかない。


「その、こういうのってグラナートでは普通なの?」

「そんなわけない。ここが普通じゃない」

「……そう」


 なんだか凄いところに就職しちゃったなと思いながら、私は最後の糸を始末した。裏表を確認し、持ち上げて糸屑を念入りに払う。シワもなく仕上がったし、我ながらなかなかの出来栄えだ。

 立ち上がったラルフに、肩口を持って着せる。


「……どうかな?」

「いい」


 短いけれど良い返事をもらえたみたいで、私も満足だった。

 だけど気になることが。


「ねえラルフ? それはもっとちゃんと直した方がいいと思うよ」


 先日破れた肩の部分が、私の繕いそのままになっているのが、気になって仕方がなかったのだ。

 さすがに生地が破れたので、すぐにでも袖を付け替えるかなにかして、すっかり直っているとばかり思っていた。だけど、今日もまだ縫い合わせたまま。まさか替えの制服がないわけでもあるまいに。

 仮留めだって告げたはず。


「いい、このままにしておく」

「だめよ、だって縫い目も見えるのよ?」

「大丈夫だ、これがある」


 ラルフは片側の腕だけを通す、特殊な騎士団のマントを纏う。けれど全く隠れてしまうわけではなくて……。

 彼はどんなに作り直すようすすめても、私が気にしているのが不思議と言わんばかり。


「リズの匂いがせっかく濃くなったのに、どうして変えなくちゃいけない?」

「だから、その匂いって、もっと違う表現ないの?」

 

 私の言い分がようやく理解できたのか、しばらくラルフが何かを思案するそぶりを見せてくれた。

 それならとラルフが提案したことに、私は絶句する。


「なら、これから毎日ここに来る。少しずつリズのものに護符を変えていこう。そうして全てが入れ替わったら、この袖を替えてもいい」

「…………は?」


 毎日?

 ラルフは今日つけ直した袖を口許に寄せる。

 それはそれは妖艶な笑みで、私が縫った糸に唇を寄せた。まるで私に見せつけるように。


「じゃあまた、明日な、リズ」


 顔を真っ赤に染める私を残し、ラルフは店を去っていった。

 前言撤回。

 だめ、だと思う。ラルフの容姿で微笑みは、凶器だと分かった。


「あら、もうお帰りになったの?」


 ちょうどそこへヒルデさんが階段を降りてきた。

 私は熱くなった頬を手で冷やす。もちろんヒルデさんになるべく見えないようにしながら。


「あの……明日も来るそうです」

「あらまあ、大変」


 そしてヒルデさんは、にこやかな営業スマイルで、「じゃあ明日もよろしくねリズ」と付け加えたのだった。

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