第5話 王子の正体

「あの、ご、ごめんなさい?」


 とりあえず謝るのは、条件反射。

 でもどうして彼がここに。しかもこんな時間に。

 それに、何て言った?

 ──見つけた、よくも勝手に逃げたな……?


 確かに今日は、何度か彼の前から逃げ出たけれど、彼は知らないはず。それともまさか、昨日のこと?

 でもレオナルさんには帰っていいよと声をかけられたのだから、私は悪くない……はずよね?

 なのにがっしりと大きな手で、手首を握られていて。


「だから、なんで疑問形なんだ……いや、いい。そうじゃない……リズ」

「へ? あ、はい?」


 名前を呼ばれ、私は首をかしげる。彼に名前を告げただろうかと。

 だが私がそんなことを考えていた間にも、彼は明後日な方向へ進んでいたようで。


「誰だこの男は、おまえの知り合いなのか!」


 王子が指差したのは、手をひっぺがされてきょとんとしていたルードさん。

 いったいなぜここでルードさん?

 そう思いながらも、聞かれたことには素直に答えると。


「彼はルードさんといって、この宿に泊まっている方で……」

「あ、あんたこそ何だよ、突然やってきて。リズに触るなよ、怖がっているじゃないか」


 よせばいいのに、ルードさんが王子に食ってかかった。

 確かに手首を握られていて、先日取り押さえられた魔法化身アバタールと同じ状態ではある。そんな手元をちらりと見た王子が、怒ったように言った。


「怖がらせるわけがないだろう!」


 いえ、迫力満点で、怖いです。


「リズが何をしたっていうんだ、離せよ。何なら俺が話を聞くぞ」


 その言葉を聞いたおじさんたちが、我に返ったようにルードさんの応戦を援護するかのように、指笛を鳴らし、歓声をあげた。

 ちょっと、まって。なんでこんなことに?

 あわあわと周囲を見て、いよいよ困った事態だということに気づいて、挑発するようなルードさんを諌めようと声をかけるのですが、私の小さな声では届かない。

 だけど私はそこでふと、気づいてしまった。

 私を掴む彼の手が、とても熱いことに……


「何を勘違いしているか知らないが、邪魔をするな。ここでは話もできん、場所を移すぞリズ」

「え、あ!」


 引っ張られるようにして立ち上がったところで、私は初めて彼に抵抗した。


「待って、待ってください。ダメですよ、あなた熱が……」

「……リズ? ダメとはどういうことだ」

「いえ、そうではなくて」

「……まさか、俺のことが分からないのか?」

「熱があって……って、ええ?」


 背の高い王子が私をじっと見下ろす。そして一呼吸おいてから、真剣な面持ちを崩し、くまのせいか胡散臭さがあるけれど、それを差し引いても極上な微笑みを見せた。

 少女マンガのように、彼の背後に薔薇が咲き、星が降るかと思った。本当にいるんだ、こんな人……なんて呆けていたら。

 彼は言った。


「俺はラルフだ、リズ。幼い頃に村でおまえに救われた、ラルフェルト・レイブラッドだ。手紙を届けてくれたろう、だから迎えにきたんだ」


 ……ラルフ?

 本当にこの人が、私の知るあの、可愛らしいラルフ?

 美しい少年の微笑みが、今目の前の大きな青年に重なり、思い出の方ががらがらと崩れていく。

 だって髪の色も違うし、痩せこけて助けが必要なラルフの影の形もない。それに……口悪いし。人相悪いし、舌打ちも!

 すでに王子は私の中で、少年ラルフとは別人と位置付けていたのに!


「うそ、ラルフなの? だって違うよ、なにもかも」

「違わない」


 彼は制服の胸元からメダリオンを取り出し、その細工の蓋を開けて中身を取り出した。

 すでに黄ばんでいて、ところどころほつれている小さな布の切れはし。そのすみには小さなヴィオラの刺繍。


「それ、は……」

「そうだ、リズが初めて作った刺繍だって言ったろう、俺のために」


 それは覚えがあった。

 母さんに教わりながら、必死に刺した紫色のヴィオラ。療養に来ていたラルフの気分が、少しでも良くなるようにと一生懸命祈りながら。

 出来映えはとても母さんのものにはほど遠い酷いものだったのに、笑顔で受け取ってくれたラルフ。

 とても嬉しくて、でも、それからすぐに帰ってしまったから、すごく泣いたっけ。

 それだけは遠くなった記憶のなかでも、とくに鮮やかな形で私の中に残っているのだ。


「ほんとうに、あのラルフなの?」

「そう、ラルフだ。またリズにそう呼んでもらえる日を待っていた」


 その刺繍を握りしめ、私は青年ラルフを見上げる。

 目の下のくまが、そういえば唯一の共通点かな。

 ううん、血を吐くほどに魔力に酔う体質もそうだ。美しい顔立ちも、ただ黙っていれば面影だってあるじゃない。

 私はたぶん、考えないようにしていたんだ。

 あの白くて長い塀と大きな門が、まるで父さん母さんと私を隔てた死と同じように、ラルフもどこか現実味のない思い出にしていた。もう、交わることのない世界の人だからって。

 だから、手紙も届かないものだと、すんなり諦めてた。


「リズ、会えて良かった……」

「うん、わたし……も?!」


 一度は離された手が伸びてきたかと思ったら、そうじゃなかった。

 彼の体がぐらりと揺れ、そのまま私に覆い被さるように倒れてきたのだ。


「ちょ、あ、ぎゃあ、ラルフ?」

「おい、危ないリズ!」


 支えようとしたのだけれど、小さな私ではどうしようもなく。力を失ったラルフの体に押し潰されるようにして崩れ落ちた。

 もう少しでぺっしゃんこになるところで、ルードさんや他のおじさんたちが異変に気づき、ラルフを皆で支えてくれ、私は事なきを得たのだった。


「大丈夫ですか、ラルフ?」

「いったいどうしたんだこの騎士の兄ちゃんは?」


 声をかけても返事はなく、支えられ項垂れる顔は土気色だ。きっと、昨日の怪我や魔力酔いが回復していないのだろう。

 額に手を添えれば、とても熱い。


「ルードさん、みなさん、すみませんが彼を私の部屋まで運んでもらえないでしょうか」

「なに言ってるんだよ、こいつをリズに部屋に? ダメに決まってるだろう」

「熱が、とても高いんです。放っておけません。お願いします」

「熱?……本当に?」


 ルードさんは渋ったものの、他のおじさんたちはもう彼を運ぶべく、肩をかしていた。そこにルードさんも加わり、皆でラルフを二階の私の客室のベッドに横たえてもらった。

 宿のおかみさんに事情を話し、濡れタオルをつくってラルフにかけてあげた。まだ呼吸も荒く、苦しそうだ。

 私は彼の制服の胸元から銀のメダリオンを引っ張り出し、ずっと持っていたハンカチの切れはしを、中に戻す。

 そこへノックがしたので振り向くと、ルードさんに手招きをされた。

 ラルフの様子を見ると、熱こそ高いものの、呼吸が急に落ち着いてきていた。まだ目は覚まさなそう。

 今なら離れても大丈夫かなと、ルードさんとともに廊下に出た。


「あいつとは知り合いだったのか?」

「はい、幼い頃に……だったみたいです。言われるまで分からなかったのですけれど」

「だって、あいつ……いや、あの人は騎士団のラルフェルト・レイブラッドなんだろう? 有名じゃないか、そんな人とリズが知り合いだなんておかしくないか?」


 ルードさんの言うことはもっともだった。


「もしかしてさ、リズも実は貴族のお嬢様だったなんてこと……」

「そんなの、あるわけないです!」

「……本当に?」

「本当ですって。私の父が田舎で薬術師をしていまして、幼いラルフが療養に来たことがあったんです。その時の、ほんの一週間くらいの知り合いですよ」


 幼い子供どうし、仲良くなるなんて簡単でしょう。身分なんてものをまだ、よく知らなかったし。

 そう言うとようやくルードさんも納得したみたい。でも……


「だからといって、あんな狭い部屋に一緒にいるわけにいかないだろう? 今晩はリズはどうするんだよ。明日から職場に行く約束したんだろう?」


 ルードさんは私の心配をしてくれていた。

 でもあんなに高い熱を出しているのに、放ってはおけない。彼は今、あの少年の頃と同じように苦しんでいるのだから。


「大丈夫です、明日はまだ契約を交わしたり、細かい仕事の説明をされるだけですよきっと。だからルードさんも休んでください、体が資本でしょう?」

「そうだけど、魔力酔いって言ってたじゃないか」

「はい、そうみたいですけど……?」


 ばつの悪そうなルードさんの表情に、私は言おうとしている意味がつかめず、首をかしげた。


魔法化身アバタールみたいだな、まるで。まさかあいつらも化け物みたいになって暴走するんじゃないかって噂があるくらい……」

「……ルード、さん?」


 私のしかめた顔を見て、しまったという風にルードさんが自分の口を塞いでいた。

 化け物?

 魔法騎士団のラルフが?

 驚いている私に、ルードさんがごめんと言いながらも、言い訳をした。


「う、噂だよ。最近のアバタールの暴走事件があんまりにも多くて、それに騎士団も影響受けてるって噂があって。だから俺、ごめん」

「大丈夫です、分かっています」

「ごめんって、リズ」


 私はルードさんに微笑み、頭を下げる。


「私は気にしてませんよ、それじゃ、おやすみなさいルードさん」


 そう言って強引に部屋へと戻った。

 しばらく物音ひとつしなかったが、じきに足音が遠ざかるのを、私はなんとも言えない気持ちで聞いていた。

 静かに寝息をたてるラルフの横で木椅子に座り、小さな机に肘をつきながら彼を見る。

 ルードさんにはああ言ったものの、魔法騎士団がそんな誤解を受けているなんて、私は知りもしなかった。

 確かに口は悪くぶっきらぼうだったけれど、ラルフは私が幼馴染のリズと知らずとも、怪我をしないようにしてくれたし、紳士的なレオナルさんも同じだった。それなのに、そんな噂をする人がいるなんて。

 ──彼が化け物なら、転生者の私は何なんだろう。

 考えるだけで、怖い。

 私の知るかぎり、この世界では転生などという概念は存在しない。ならば黙っていたほうがいいのだと、改めて思う。

 それにしても……

 ラルフの額のタオルを替えながら、私はため息をつく。

 彼が私を覚えていてくれたのは嬉しいが、こんな事態になるなんて、思わなかった。

 私はそれから何度かラルフの熱を冷ます布を替えていたのだが、眠気が勝りつい机に頬づえをついていると、いつの間にか寝入っていた。



 翌朝、私は荷物をまとめて帳場にきていた。


「じゃあ、残りの部屋代かわりに、彼をもう少し寝かせてあげてください。熱も下がったようですし、じきに目が覚めるかと思います。置き手紙は残してきましたので」

「ああ、かまわないよ。達者でね」

「はい、お世話になりました」


 おかみさんに挨拶が終わるのを、ルードさんたちは待っていてくれたようだった。

 宿を出たところで、夕べ祝杯をあげてくれたおじさんたちが口々に、また何かあれば顔をだせよと言ってくれた。これも何かの縁、世話を受けるだけでなく、私からも恩を返せるよう頑張ろうと前向きな気持ちになれた。

 ルードさんも、控えめながら笑ってさよならを言ってくれる。

 でも、周りのおじさんたちが彼の肩を抱いて、私に言いました。


「あの騎士団の立派な兄さんには敵わないかもしれないが、こいつのことも、頼ってやってくれよ」

「もちろんです」


 すると、ルードさんが照れながら。


「じゃあ休みの日にでも、『アレアナ』にのぞきにいくよ。リズの作ったものを見に」

「はい、ぜひいらしてください」


 それからルードさんに仕事場についたら、役人にラルフのことを伝えてもらう約束をした。

 そうして皆と別れ、私は馬車に乗る。

 宿に残したラルフが心配ではあるけれど、『アレアナ』の店主と交わした約束は守らねばならない。ラルフとは会えたけれど、それだけだ。私は自分の足で立つための仕事を、しっかりとしていかなければ。

 決意をこめて、『アレアナ』の扉を叩いた。

 ……なのに。

 店主に頭をさげたその後に、とんでもない言葉が帰ってきた。


「悪いね、あんたを雇えなくなったんだよ」


 なんですってえぇぇ!?

 私は抱えていた二つの鞄をどすんと落とし、呆然と立ち尽くすしかなかった。

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