第4話 見つかった?
どうして彼がここ『マルガレーテ』に?
そんな風に驚いて思わず身を隠してしまったけれど、よく考えてみれば、それはありえるこどだろう。ルードさんが言っていたように、あの店は魔法使いも御用達なのだから。
となれば、ますます店への興味は増すばかり。あの丁寧な縫製と飾りは、やはりここで施されたものに違いない。昨日破けてしまった箇所を、直しに来たのかも……
……王子自ら? まさか。そんな雑用は人にやらせればいい。
でもそうでないなら、どうして?
「はっ、何してるの私ってば……」
狭い路地に身を潜める己の姿に、ふと我にかえり、まるで不審者そのものだと失笑する。
一度は彼の視線に入らないように隠れてしまったのに、今さらどのタイミングでお店にいけばいいのか。
なぜか今ここで王子の前に姿を出すことがためらわれ、私は『マルガレーテ』は諦め、カフェのお姉さんが教えてくれたもう一つの方のお店に向かうことにした。
しかし、路地を出て逆方向に背を向けたところで声が聞こえた。
王子の声がよく通るせいで、つい気になり、背を向けたまま立ち止まり聞き耳をたててしまう。
「ここを訪れたら頼む。引き留めるように……」
「はいはい、分かっていますとも。同業にも手を回して何か分かればお知らせします」
「ああ、悪いな」
「あら珍しい口調ですこと」
女性が笑う声が聞こえ、思わずちらりと振り向いてしまった。
巻き毛の女性が王子の腕に手を置き、彼の頬に顔を寄せていた。女性の影になっていて王子の表情は見えなかった。
「何を……」
王子の慌てた声に、女性の軽やかな笑い声が続いた。
なんだ、とても口は悪いし舌打ちするような人だと思っていたけれど、そうだよね。騎士たるもの、本来女性には、紳士的に振る舞えるにきまってる。昨日のちょっと乱暴な態度は、あの状況、そして相手が私だったからだ。
なんだか気が抜けたような思いで、私はその場を逃げるように立ち去っていた。
「あった、ここが『アレアナ』、繁盛しているみたいね」
そのお店はどうやら大衆をターゲットにしているように思われた。間口を大きく開き、通りかかる人の流れに商品を並べて見せるスタイルは、懐かしい商店街そのもの。
お店は繁盛しているようで、まだ開店したばかりの時間なのに、待っていたかのようにお客さんが入っていく。そのほとんどが町の中流階級の女性たちで、中には男性の姿もちらほら。私も押されるように店に入ってみれば、子供服からそれこそルードさんたちが着るような頑丈な布の作業着まで、ありとあらゆる服、それから小物が置かれていた。
商品の間から店の奥をのぞいてみると、カウンターの向こうは作業部屋なのかな。大勢の針子を抱えているようで、忙しそうに見える。ここなら、雇ってくれるかしら?
店主を探してキョロキョロしていると……
「なんだい、店の者でも探しているのか?」
振り向くと、立っていたのは初老の男性。布製の前掛けと、両腕にはアームカバー、いかにも職人といった風体だった。
「はい、針子の仕事を探していまして」
「ここで働きたいのか?」
驚いたような顔を一瞬だけした気がした。なにかおかしなことでも言ったろうか? そんな風に考える間もなく、その男性が奥の方にいた恰幅のいいおばさんに声をかけていた。
そのおばさんが店主だろう、愛想よく客に声をかけながらこちらに歩いてくる。
「あんたがうちで働きたいって娘かい? 経験は?」
「仕事は初めてです、でも裁縫は得意です」
「……初めはみんなそう言うのさ」
おばさんが大きな声で笑った。
「得意なものは何? 採寸、裁断、縫い付け、刺繍……うちは忙しいからね、掃除ひとつとっても人手がいる。売り子だってできるんならやってもらうよ」
「あ、あの、これを」
豪快なおばさんの声に圧倒されがら、鞄から今まで手慰みに作ってきた刺繍のハンカチを取り出して見せた。
すると、おばさんが黙りこくってそのハンカチをしげしげと見る。何度も裏返しながら。
「へえ、あんたこれどこで教わったんだい?」
「あの、田舎の母さんに。む……田舎の町で針子をしていましたので」
「どこの出身?」
「北の、スヴェルクという町です。」
「ああ、あそこ。良い綿が採れるんだよねえ。そこから出てきたのかい?」
「……はい、両親を亡くしたのを期に、都で働こうと思いまして」
「そりゃあ大変だったねえ、若いのに」
思わず村といいかけて焦ったけれど、誤魔化せたようだった。
おばさんはホッとして気を抜いていた私に、ハンカチを返しながら言った。
「じゃあ、明日からでも来れるかい?」
「え……あの、雇ってもらえるんですか?」
「ああいいよ。ただし、細かいことは明日でもいいかい? 実はこれからすぐに大量の生地が馬車で届く予定なんだよ。月に一度の仕入れ日でね、従業員総出で仕分けたり、悪いんだけどあんたに構ってられやしないんだ」
「はい、それはもう、かまいません!」
雇ってもらえるなら、一日くらいどうってことない。むしろ、準備もできてちょうど良い。
「それともう一つ。うちはお堅い商売はやってなくてね、庶民の服しか扱ってないんだ。あんたの満足するような丁寧な仕事はあげられないよ、とにかく手早く、数をこなさなくちゃ利益なんて出ない。もちろん給料もね。それはちゃんと理解しておいておくれよ?」
「はい、わかりました」
「そういや、あんた田舎から出てきたんだろう、住むとこは?」
「あの、住み込み希望なんですが」
「そうか……ねえ、部屋はまだ空いてたっけ?」
店主がカウンターの奥に行き、縫い作業をしていた少女の一人に話しかける。いくつか会話して戻ってくると、どうやら私にとって良い返事をもらえそうだった。
「とりあえず他の娘と相部屋でもよけりゃ、すぐに入れるよ。それでもいいかい?」
「はい! ありがとうございます」
「あんた、名前は?」
「リーゼロッテといいます、よろしくお願いします!」
私は嬉しくなって、思いきり頭を下げた。
やった、住み込みの仕事ができる。
喜んでいるのもつかの間、店の前に大きな幌馬車がやってきて日差しを遮った。突然暗くなったために、店の客たちも入り口を振り返る。
「ああ、思ってたより早かったね。あんた、じゃあ明日の七時に来ておくれ、そのときに給金の話もするから!」
私の返事も聞く間もなく、店主のおばさんは客を掻き分けて行ってしまった。
作業部屋の中からも、大勢の従業員たちが表に出ていく。よく見れば、若い娘ばかり。
すると売り子もバタバタと忙しく働き始める。
「さあ、月に一度の安売りが始まりますよ! ぜひ棚を空ける勢いで買っていってください!」
一層賑やかになった店を、なんとか潜り抜けるようにして出た私。
バーゲンの熱って、どこの世界も一緒なのね。前世では遠目で母の戦いを見守るだけだった私には、この戦場はまだまだ時期尚早だった……
それから再び馬車に乗り、町の中央にある市場に私はやってきていた。
ここは何でも揃うと評判の市場で、値段もお手頃。
どうしてここに買い物に来たかというと、ようやく仕事が決まったため。住み込みも始められるならばと、身の回りの道具もいくつか買いそろえることにした。働き始めてから足りないものがあっても、どのくらいの頻度で外出できるのかも分からない。
どうやら『アレアナ』はかなりの繁盛店のようだし、準備は万端にしておかないと。
残り少ないお金を使い、新しい石鹸など洗面道具、やわらかなタオルも買った。それからお店のお姉さんに勧められ、手荒れ防止のクリーム。あとは就職できたご褒美に、少し奮発してきれいな花の彫りが入った指ぬきをひとつ。
市場の呼び声や行き交う馬車の音、それから広場で遊ぶ子供の声を聞きながら、広場の露店に並ぶ。
町は昨日の騒動なんて嘘のように平和で、活気に溢れていた。
美味しい匂いに惹き付けられ、お昼には腸詰めソーセージの入ったサンドを注文。ルードさんからいただいた報酬の銅貨でお釣りが出たので、ほんと感謝しなくちゃ。
とにかく何をしていても気分が良いのは久しぶりだった。
隣の露店でフルーツを買い、ベンチに腰を下ろし、腸詰めサンドに大口でかぶりついたそのとき。
「ごほっ!」
広場の反対側にハニーブロンドを輝かせて颯爽と歩く長身の王子を発見し、慌ててパンを詰まらせてしまった。
なんでまたここに?
するとその王子が歩いていた向こう側で、黄色い声が聞こえたかと思えば、なんと市場にいた売り子のお姉さんたちが彼をあっという間に囲む。話に聞いていた通り、魔法騎士ってすごい人気なんだ……。
私はむせ込みながらも、長い腸詰めサンドをくわえたまま、人だかりに背をを向けて隠れる。ちょうど小さな花壇があり、しゃがみこんで花を愛でる母娘と目が合ったが、気にしていられるものですか。
だって……集まったお姉さんたちの隙間から、昨日と変わらず青く鋭い視線が私を捉えたような気がしたから。
気のせい、なはず。
昨日会った田舎娘なんて、彼は忘れてる。それにけっこう距離が離れてたし。
心臓のドキドキを、そう言い聞かせて鎮めるのに必死だ。
しかし間が悪いものは、重なるもので。
目の前にいた少女……五歳くらいの幼女がすっくと立ち上がり、なんと可愛いお目々をこぼれそうなほど開けて、指差したのだ。
何をかって? 私を通り越した向こうの人物を。
やめてぇ。
「わあぁぁー! ママ、騎士さまだよ!!」
私はとっさに鞄を抱え、紙袋のフルーツを片手にその場を逃げ出す。もちろん腸詰めサンドは口にくわえたまま。
母親の方が私を見てぎょっとしているけれど、そんなのかまっていられなかった。
金髪王子めがけて駆け出す少女とは逆方向へ、一切振り向くことなく、逃げた。
なんで逃げるのかは自分でもよくわからないが、とにかく逃げてしまったのだ。
そうしてしばらく歩いた先、町を巡回する馬車の停留所の軒下に、私はとりあえず落ち着くことにした。
焼きたてで湯気がたっていた腸詰めはすっかり冷え、固くなったパンを袋に入れてため息をつく。早足で歩く間、私の頭に浮かんだのは『マルガレーテ』で女の人にキスを受ける王子の姿だった。
彼はもしかしたら、私の知っているラルフかもしれないけれど、だからといって今さら気にする必要なんてこれっぽっちもないのに……
「信じられない、自意識過剰だよね……なにやってるんだろう私」
すっかり落ち込んだところで、ふいに懐かしくて、優しい声が聞こえたような気がした。
──お腹が空いていると、ろくなことを考えないものよ、ねえリズ?
いつもは心の奥にしまわれている母さんの記憶が、本当に迷ったり辛くなったとき、こうやって慰めるかのように思い出すことがある。
それは私がこの世界で刻んだ時が、現実なのだと思い知らせるのと同時に、強い力となってくれる。
一度はしまったサンドを袋から取り出し、私は人目も気にせずかぶりつく。
腸詰めの適度な塩気は、胃袋だけでなく、心に染み入るような気がした。
それから馬車を乗り継ぎ、再び宿へと戻る。
夕刻には少し早いが、宿のおかみさんに宿を出ることを告げておかねばならないし、明日からの仕事もある。今日は早めに休もうと思ったのだ。
宿の帳場でおかみさんを待っていると、ルードさんが私を追うように入ってきた。暗くなるまで働いていることが多い彼が、こんな時間に戻るとは珍しい。
「リズ、今ちょうど入っていくのが見えて、走ってきたんだ」
「大丈夫ですか、息を切らして」
「で、どうだった? 今日は例の店にいったんだろう?」
身を乗り出しながら聞いてくるルードさん。
まさかその『マルゲレーテ』には行かなかったなどと言いづらかったが、その代わりに、心配してくれた彼に良い知らせが出来て良かったと思う。
「はい、マルガレーテではありませんが、仕事は決まりました」
「本当か? どこ?」
「『アレアナ』というお店です。住み込みもさせてもらえるようで、とりあえず……」
「やったな、リズ!!」
全てを言い切る前に、ルードさんが雄叫びを上げながら、喜んでくれた。
ずいぶんと頼りなくて、心配させていたんだなと、恥ずかしくもあり、でもすごく嬉しかった。兄がいたら、まさにこんな風だったのだろうかと、心が温かくなる。
「なんだい、騒がしいね」
「あ、おかみさん」
帳場の奥から出てきた老婆が、ルードさんを睨み付けたが、彼はちっとも気にした様子もない。後から入ってきた仲間の出稼ぎ労働者たちに、さっそく私の朗報を告げて回っている。
「あんた仕事が決まったのかい、そりゃ良かったね!」
「はい、それでとりあえずまだ明日、詳しいお話を聞きに行くことになっているんです。住み込みもできるそうなので、もう部屋をお借りすることはなさそうです」
「分かったよ、もらった部屋代は約束通り返せないけれど、酒は一杯おごってやるよ。祝いだからね」
「ありがとうございます」
それから夕食に食堂へ降りた後は、大変だった。
私の就職祝いと称して、すでに乾杯が交わされていた。きっと、理由はなんでもいいのだろう。彼らは毎日繰り返される重労働の日々に、いつだって刺激が欲しいのだから。
私はルードさんたちに手招きされ、おろおろしているうちに食事の盆を奪われ、あっという間におじさんたちの真ん中に座らされていた。
「今日はお嬢ちゃんの祝いだ。酒は一杯だけだが、盛大に祝ってやろうじゃないか」
「ほら、リズはこれ」
ルードさんから渡されたのは、麦でできたお酒ではなく、ヤギのミルクとココナツのような果汁を混ぜて発酵させたジュース。
私がお酒を飲まないのを、しっかり見られていたようだ。
そのジュースの入ったジョッキを持たされ、おじさんたちが一斉に声をあげた。
「リズの就職に、乾杯!!」
宿で知り合っただけのおじさんたちと、いつの間にか打ち解けている自分自身が、今日は信じられなかった。
これまでは引っ込み思案だからと、遠巻きに見ているだけだったはずなのに……。そこにまさか自分が加われるなんて、夢にも思っていなかった。
笑い合い、豪快に食事をほおばり、大声で喋り、たまに喧嘩をする。
病院のベッドの中でなく人の輪で生きるって、こんなにも騒がしくて、嬉しいんだって、改めて知ったような気がする。
それもこれも……
「ルードさんの、おかげです」
「なにがさ。リズが一番がんばったんだろ?」
就職のことだと思っているルードさんが、きょとんとした様子だ。だけどそのあと、彼は私の手を取り優しく握りしめた。
……え?
うん、手、握ってるね……って、ん?
「リズ! あ、ああああの、俺!」
しんと急に食堂が静まり返った。
広い宿の食堂の、端から端まで……
目の前では顔を赤くしたルードさんが、私を見て何かを言おうと唇を震わせているところだった。
いや、あの、お酒に酔って赤いんだよね、ね?
「俺は、これからも……」
身を乗り出したおじさんたちの顔が、輝いてて怖い。
「これからもリズが頑張る姿を……」
意を決したようなルードさんの声を遮ったのは、宿の大きな扉が開き、壁に打ち付けられる音だった。
皆が一斉に振り向く。
もちろん私も…………
「……え?! うそ、なんで?!」
ゆっくりと歩いてくるのは、濃紺の制服に身をつつんだ金髪王子だった。
その彼が、まるで悪の限りをつくしたかのような凶悪な睨みをきかせながら、こちらに近づいてくるではないか。
あまりの迫力のせいか、屈強なおじさんたちでさえ、無言で彼に道を開ける。
誰か彼を止めて、とまでは言えないけれど、そんな簡単に道を開けないでよ。
ついに王子が、いまだ手をルードさんに握られたまま動けずにいた私の間近まで来た。そして怖い表情のまま、無言で私からルードさんの手をひっぺがしたのだ。
背の高い彼が、座ったままの私を見下ろし、呟く。
「見つけた」
「へ?」
何を言われたのか、咄嗟には分からなかった。
王子の目の下には、室内のランプだからというには誤魔化せないほどの、くまがくっきりと見えた。
そういえば、昨日吐血したんだよね、この人。忘れてたけど。そもそも休んでなくちゃいけないだろうに、なんで朝から町をうろついていたのだろうか。
再び発した声は、さらに不機嫌そうに低かった。
「……見つけた。昨日はよくも勝手に逃げたな」
目の前に立ちふさがる、怖い顔をした王子さま。
蛇に睨まれた蛙のように、身をすくめながら私は彼を見返すしかなかった。
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