第3話 早すぎる再会
広場での喧騒を抜け出して、私は宿へと戻ってきていた。
あの場で気を失うように眠りに落ちた王子を、レオナルさんが回収にきたのはすぐだった。
「心配しなくていいよ、巻き込まれて災難だったね。きみは怪我はない?」
「はい、なんともありません」
「そうか、それは良かった。ならば、きみも暗くならないうちにお帰り」
そう言われ、レオナルさんにひとつ頭を下げてから、帰路につこうとしたら。
少しだけ血色が良くなった王子の様子を気にしていたのが分かったのか、レオナルさんが聞いてもいないのに教えてくれた。
「酔っぱらっているだけだよ、自らの魔力のせいで。あの
疲れ果てて宿にたどり着くと、どっと体が重くなったような気がする。
グラナートに出てきて、今日ほど目を白黒させた日はなかったから、それは仕方のないことかもしれない。
足を引きずるようにして番台にたどり着けば、まだ今日という日が終わってなかったのだと実感するはめに……。そう、今日というより、今日の災難が。
鍵を受け取った私を呼び止めたのは、宿の年老いた女主だった。
「ちょっとお待ちよ。あんたの支払いは今晩までだよ、明日以降どうするか、早めに決めておいてくれないかい?」
「そうですね……たぶん、もう数日はお世話になると思うんですけれど……」
「そうかい、なら先払い三日分で、百五十銅貨で頼むよ」
「み、三日って。先日は五日で百五十銅貨だったじゃないですか、どうし…」
「おかしくなんかないさ、見てごらん。今日は客を断ったくらいなんだ、あんたに割り引きしなくても客は他にもいる。他の連中のように一月単位なら、もう少しまけれるよ。どうするんだい?」
確かに、私が最初にこの宿に来たときとは違い、今日はたくさんのお客さんで賑わっていた。一階の食堂には、泡をこぼしながらお酒を煽るおじさんたちでいっぱい。
ここの宿は宿場通りから少しだけ外れているせいか、先日まであまり繁盛していなかった。そこで連泊するかわりに値引き交渉に応じてくれていた。でもまさか安くなるからといってこの先、一ヶ月もここに宿泊するわけにもいかない。
しかしこの五日間、互いの事情が合致していたとはいえ、お世話になっているのは確か。あまり無理を言うことは憚られた。
私は仕方ないと諦め、三日分の宿泊代を財布から出したのだった。
気を取り直して夕食をとるために一階の食堂へと降りると、どうやらお客さんたちの間では、さきほどの広場での話題でもちきりだった。
安宿のお客さんたちは、地方からの出稼ぎの男性ばかり。みんな体力自慢の大きな体つきで、もう慣れたとはいえ、大きな声に少しだけ物怖じしてしまう。
食事のトレイを持って、私は食堂の片隅に落ち着く。
「また
「今回は古参の登録証を持ってる奴らしいって話だな」
「古参っていや、規制が厳しかったころに登録された奴等だろう? そんな奴まで暴走されたらたまったもんじゃない」
「騎士団はなにやってるんだ」
こんな風に、大きな声は自然と私にその話題を届けてくれる。
やはりワニ頭の
さっきは逃げるように広場から離れてしまったけれど、あのラルフ……かもしれない金髪王子のことは気になっていたから。
無事だったのかなぁ。けっこう血が出ていたけれど……。
いいや、止めよう。
私が心配してもしょうがない。彼は騎士団でエリートなのだから、福祉だってちゃんとしてるはず。きっと手厚い治療を受けたに違いない、優秀な人材だもの。
むしろあれ以上つきまとえば、迷惑をかけてしまった私が何を言い出すのかと、また叱られてしまう。
それだけは嫌だ。あの舌打ちは、なかなかに胸に突き刺さるものがあったし。
「聞いた話じゃ、あちこちで下級アバタールが発生してるせいで、騎士団は人手不足って噂だ」
「そのせいで俺たちの仕事もあるわけだが」
「そりゃあ、違いないけどよ、危険は少ない方がいい」
彼ら出稼ぎが急激に増えているのは、この国の首都であるここグラナートを守るための城塞を補強するためと聞いている。どうして補強が必要かというと、今この国の各地で多発的に発生している、
そんな状況が続いていることを、私はこの街へ来てから知った。
私は噂話を聞きながら食事を終え、席を立とうとしたところで、食堂にいた一人の男性に話しかけられた。
「ああ、そんなところににいたのかリズ、探したよ」
「こんばんはルードさん。どうかしましたか?」
「悪いんだけど、またこれ頼んでもいいかな」
彼、ルードさんは、同じ宿に泊まっているお客さん。こうして朝晩の食事のときに顔を合わせ、知り合った出稼ぎの青年だ。
年がそう離れていないせいか、おじさんたちより話しやすく、彼もまた親近感をもって接してくれている。私よりも一月早くグラナートに住んでいるせいもあり物知りで、引っ込み思案な田舎者である私にとって、たくさんの情報をくれるありがたい存在でもあった。
「まあ、派手に破けているけれど、怪我はなかったんですか?」
どうやらルードさん、仕事中にズボンの裾をどこかで引っかけて、破いてしまったみたい。
日雇いで働いている彼らは、こうして服を傷つけてしまうことがよくある。でも最小限の荷物で来ている彼らは、替えもそう多くあるわけでもなく、破れた服を修繕して着まわしている。
ここに宿泊しはじめてすぐの頃、たまたま隣の席で食べていたおじさんの、シャツの袖ボタンが外れていたのに気づいた。その時はその場でつけてあげたんだけど、それはもう喜ばれて。
ただのボタン付けですよ?
針仕事の苦手な男性が多いのは、どこの世界でも一緒なのね。
以来、ほんの少しの手間賃をいただいて、簡単な服の修繕ならばと、仕事を請け負うようになっていた。
「僕は大丈夫だよ。それより、なんとかなりそうかな」
裾は五センチほどの破れ。そのまま縫い合わせるとすぐにまた裂けてしまいそうなので、もしかしたら当て布が必要かもしれない。だがそれとて私にしてみれば、とても簡単な作業。
「これくらいならすぐにできますよ。朝には渡せますけど、それで大丈夫ですか?」
「ああ、もちろんだ。助かるよ」
ルードさんからは十銅貨を手間賃にもらうことに。些細なお金ではあるけれど、ありがたいのはこちらの方。
「さっきちょっと聞いたけどリズ、もう三日、部屋の延長をしたんだって?」
「あ、はい……今日もいくつかのお店に断られてしまって」
「おいおい、お嬢ちゃんは今日もダメだったんか?」
ルードさんの隣で飲んでいたおじさんにも、驚きの声をあげられる。
彼らは、私が毎日仕事を探して回っていることは承知していた。そしてことごとく断られ続けていることも……。
「……はい、でもまだまだお店はあるようなので、頑張ります」
「そうか、残念だったけど、きっといつかは何とかなるからさ、だからあんまり無理はするなよ?」
「ありがとうございます、ルードさん」
「そうだぞ、とりあえず他の仕事で食いつないだって、だれも責めたりはしねえんだから」
「いや、リズなら大丈夫だって、すごい器用になんでも縫っちまうんだから」
「お、ずいぶん兄貴ぶって世話を焼くじゃないかルード?」
「そんなんじゃねえって」
照れたようにルードさんがおじさんに返すと、笑いが巻き起こっていた。
見た目は怖いおじさんたちだけど、みんな優しい人たちばかり。こうして偶然宿で知り合っただけの私を気にかけ、慰めてくれる。
ルードさんなんて、田舎に置いてきた妹さんが、私に近い年だと言っていたし。他のおじさんたちも家族を残してきて、似たようなものみたい。私が十六歳で一人、誰にも頼らず都に出てきたこと、それから仕事を探して宿住まいということを聞いただけで、それ以上は根掘り葉掘り聞いてくることがない。
だからルードさんたちは、私がどこの村から来たかも知らなかった。
仕事を断られた理由を察したいま、その優しさは故郷のことを知られたら、失ってしまうかもしれない。けれどこれまで、充分わたしを助けてくれている。本当に感謝しかない。
「そういや、あの店には行ってみたか?」
「あの店?」
「前にちょっと話したろう、城のすぐそばのダグラス通りに、有名な店があるって」
「ああ、特定の貴族や魔法使いにばかり品を卸しているっていう……」
「そう、それ」
ルードさんもまた他のおじさんたちとともに、城塞都市であるこの都を囲む壁の補強の仕事をしている。
都市の守りを固めるために、工事には魔法が施されることになっていて、当然魔法に精通した人々とも顔を合わせるのだそう。
そこで聞いてきたのが、なんと魔法使いたちには特別な糸を使った、特別な効果をもたらす服が支給されているらしいということ。
恐らく、今日手にした騎士団の立派な紺の制服、あれもそうに違いない。刺繍やボタン一つ一つの彫金など、細かい部分までとても素晴らしかった。
そういった魔法使いたちの特別な注文に応じられる店は、この都でさえ多くはなく、特に有名なお店があるのだそう。それが『マルガレーテ』という店だと、ルードさんから聞かされていたのだ。
でも初めて働く私には、どうも敷居が高いような気がして……。
「まだ、行ってみてません。だってそんな凄いお店……きっと私なんかじゃ無理だと思うし」
「そんなの行ってみなくちゃ分からないだろ。それにリズが縫ってくれた服は、直す前よりすごく具合がいいんだ。仕事も丁寧だし、いけるんじゃないか?」
「そうかな……そうだといいけど」
確かに、ルードさんの言い分はもっともかもしれない。
どうせ断られるにしても、行かなければ一緒。ううん、それどころか可能性は永遠にゼロのままだ。
「じゃあ、せっかくだし、明日は行ってみようかな」
「ああ、その意気だ」
「はい」
なんて、ルードさんに乗せられたかたちで、約束したはいいものの。
陽気なおじさんたちと別れ、自分の部屋に戻ってきて、ため息をつく。
「はあぁ……いち、にい、さん。あと金貨三枚かぁ。やっぱり堅実な方向も捨てがたいよね、これじゃ」
何よりもまずやるのは、財布の中身の確認。
お金が必要なのは、なにも宿泊代だけではない。この所持金では、すぐにでも仕事を見つけねば、困ることになりそう。
『マルガレーテ』どころか、裁縫店ですらなくてもいいから、働き口を探した方がいいのかも。町の食堂とか、ありがちだけど私にもそれくらいならできるかもしれないし。
田舎の家から、あまりたくさんは持ち出せなかった現金のかわりに、父の残してくれた薬草なら、いくつか手元にある。だけどそれらを売るには、それなりの伝がないと無理なのだ。
他に売れるものがあるとしたら、手慰みに練習してきた刺繍やパッチワークの小物ぐらいかしら。
「はあ……」
裁縫道具の鞄を開けて、ルードのズボンのほつれを直しながら、ついて出るのはため息ばかり。
悩みはお金のことばかりではない。
実は、前世の記憶が戻ってからというもの、なぜか霞んでしまったリーゼロッテの記憶。
決して忘れてしまったわけではないのだけれど、どちらかというと前世の自我に追いやられている気がしてならない。でもそのおかげで、どん底の悲しみ……両親の死から、立ち直れたと言っても過言じゃない。
だけどそれは裏切りにも近いもので……。
今こうして宿に泊まれるのも、食べるものに困らないのも、みんな亡くなった両親のおかげなのに。そんな大事なお金を費やしてまで、裁縫店での仕事を探しつづけていいのかと、不安になったことは一度きりじゃない。
だけど──分かってはいるけど、前世の自分が勝ってしまう。
私は最後の糸の始末をすると、窓辺に寄り添って夜空の月をながめる。
うっすらと雲がかかる月は金色で、まるで今日見た王子の髪と同じ色。そして自然と思い出されるのは、その美しいかんばせ……ではなく、彼の紺色の制服だった。
「ああ、すごく立派な制服だったなあ。あんな美しくムラもなく一色に染められた布と、丁寧な縫製、田舎じゃまず見られないもの。ああ、もっと細部を見ておきたかった!」
実は、前世では制服フェチだった私。
病気のせいで通えなかった学校への憧れがきっかけだけれど、軍服もいけることに今さらながら気づいてしまった、うん。
あんな立派な服を作れるような職人になりたいな。
そういえばあの制服こそ、ルードさんたちの言っていた『マルガレーテ』で作られたんじゃないのかな。すべての魔法使いたちの頂点にいる彼らが使うものだもの。
やっぱり、行ってみよう。諦めきれない。
たとえ断られても、お店の中を見るだけでも勉強になるかもしれないし。
となれば、背に腹は変えられない。私は出身地を偽る決意をする。父さん、母さん、村のみんな、ごめん。
決意が固まれば、対策はひとつ。
リーゼロッテとして生きた記憶をほじくり出し、故郷のリントヴルグと同じように山に囲まれ、だけどもう少し都会の町がなかったかと考える。リントヴルムが受け入れられないなら、追求されたときのために、代わりを用意しなくては。
「うーん、どこかあったかしら」
……確か一番近い町がスヴェルクといったっけ。風習も近いだろうし、そこの外れに住んでいたことにしたらどうだろう。リントヴルム村とも行商人は行き来があったはず。
苦し紛れに思い付いたわりに、良いアイデアだと思った。
私はそれですっかり満足すると、薄いマットの寝台に身を投げ出す。するとあっという間に意識は霧散していったのだった。
翌朝、食堂に降りると、相変わらず賑やかだった。
私は朝食を簡単に終えてから、雑踏の中からルードさんを探して修繕済みのズボンを渡す。そして約束の十銅貨銭を一枚受け取った。これは今日のお昼代になってくれるだろう。
「例の店には行ってみるのか?」
「はい、やっぱり憧れはありますから、当たって砕けろです」
「砕けてどうすんだよ。でも前向きになったのは悪くないな、がんばれよ」
「はい!」
ルードさんと笑いながら、宿を出る。
彼らの現場は、宿のすぐ近くにある乗り場から馬車で向かう、街の南西にある。私は彼らに手を振って別れ、反対に中心部にある、高くそびえるお城のすぐそばの通りへ出発した。
広い市街の中での移動は、主に馬車が使われている。私はこれまでその馬車を利用して、行き当たりばったりで降りてみては、町の人たちに聞いて回り、裁縫店を巡っては雇ってもらう交渉をしていた。
だけど今日の目的地は決まっている。
大きなお城の南側に東西に伸びる大通りがある。そこがルードさんの言っていたダグラス通り。
宿の周辺とは違い、建物は三、四階の建物が立ち並び、路地にいたるまで煉瓦と石畳が敷き詰められた、とてもきれいな町並みだった。
通りの西口から馬車を降りて、私はお城に向かって歩き始める。
どのお店も立派な看板や旗を店先に掲げ、通りに自慢の商品をショーケースに並べていた。細かい細工の家具屋や、格式高い書店。それから見たこともない花が並ぶ花屋に、その向かいには立派な薬屋。その隣の焼き菓子店には、色とりどりの箱に入った美味しそうなケーキ。ああ、カフェもあるみたい。まだ開店時間には早いせいかお客さんはいないけれど、店員さんが椅子やテーブルを並べ始めていた。
「あの、お尋ねしたいのですが」
「なあに?」
カフェの準備をしていたお姉さんに、この辺りで針仕事を請け負うお店はないかと尋ねると。
「ああ、縫製店ならそこにあるわよ、ほらそこに有名な『マルガレーテ』あとはここからもう少し東に行ったところにも『アレアナ』というお店もあるわ。手頃なのは『アレアナ』よ。そっちをお薦めするわ、安くて色々置いてあるのが売りなのよ」
「そうですか、ありがとうございます」
こうして尋ねると、たいがいの人は自分が贔屓にしている店を紹介してくれる。
でも私はお姉さんが最初に指差した方向、『マルガレーテ』へ向かう。
例え当たって砕けても、お店は一見の価値あり。きっと建物もきらびやかに違いない。
大きな通りに行き交う馬車が過ぎるのを待って渡ると、五軒ほど隣に見えた看板『マルガレーテ』。決して大きな文字ではないけれど、張り出した軒の下に、アイアンアートで文字を象った、重厚な看板がぶら下がっている。
もう開店しているのだろうか、馬車が横付けされたかと思うと、そこから一人の男性が降り立ち、扉を開けて入っていったのが見えた。
その横顔は、見覚えがある。
私は鞄を持ち上げ、とっさに回れ右をして隣の路地に身を隠していた。
一瞬だったけれど、それだけで充分だった。
背が高くすらりとした立ち姿、輝くようなハニーブロンドの髪に、金の刺繍がほどこされた紺地の制服──
「……な、なんでここに」
見間違うことなく、そこにいたのは昨日出会った王子さまだった。
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