第2話 金髪王子とアバタール

 混乱する私に、目の前の男性がさらにまくし立てた。


「すぐ近くで騒ぎが起こっているのに、どうして逃げなかったんだ、このノロマ!」

「え、あの、考え事をしてて……すみません?」

「はあ? なんで疑問形なんだ」

「えぇ?」


 まず謝罪が口をつくのは日本人の性ですが、でもさすがに理不尽さを感じる。

 だけど言われてみてようやく周囲の状況を見回して、私は青ざめてしまう。

 なぜなら、賑わっていたはずの広場には、いつの間にか私とイケメン男性以外、どこにも人が見当たらないのだから。


「早くこっちに来い!」

「あわわわっ」


 腕を引かれて、彼が飛び出してきた噴水とは逆方向へと引きずられる。

 そうだ、突然噴水から人間が飛び出してくるだなんて、非常識なのは彼ではないか。そんな状況で私が避けられるわけがないと、思わないのかな。でも思っても言えないのも私のさがで……。


「頭を伏せろ、馬鹿」

「ひいぃっ」


 今度は馬鹿だった。伏せろと言いながら、イケメンの腕が私の頭をぐいぐい押し付けてきて、広場に敷き詰められた石とキス。

 ええと、何が起こっているというの?

 確かに集中すると回りが見えなくなるほど没頭してしまうけれど……突然すぎる。

 その時、今度はさらに近い爆発音と、一瞬遅れの衝撃が体に走った。


「きゃあああ!」


 持っていた鞄で身を守るようにして振り向けば、なんと噴水の水が、まるで生き物のようにぐにゃぐにゃと動いているではないか。

 それらが鞭のようにしなり、私たちに襲いかかってきていた。

 しかし私たちの上に見えない壁があるのか、たくさんある水の鞭はほんの数メートル先で弾かれ、かわりに大きな衝撃音だけが何度も鳴り響く。その度に私の心臓も跳ね、悲鳴を上げてしまう。

 そして同時に聞こえてしまった。


「……チッ」


 私の目の前に転がり落ちてきたイケメン男性は、見たこともないような端正な顔立の、まるで前世で見た絵本の中の王子さま。

 なのに、舌打ち。しかもまさかの二度目?

 そんな私のショックを知ってか知らずか、彼は土埃を払いながら、こんな状況なのに平然とした様子で立ち上がる。

 立ち姿もスラリとした長身で、優雅そのもの。だが私のいる方を振り返りながら、また毒づく。


「遅いんだよ愚図、時間かけたんだから確実に結界を張ったんだろうな。俺だけやられ損はごめんだ」


 何のこと?

 彼の視線を追って振り向けば、いつの間にかもう一人男性が立っていた。


「口が悪いなあ、そこのお嬢さんが怯えてるじゃないか。ごめんね、きみは大丈夫だった?」

「私は……はい」


 私の後ろにいたのは、王子さまのような彼と同じ、艶やかな濃紺の制服を着た青年。

 容姿こそ平凡だったが、王子と同じく立派な体躯に、柔和な笑顔。なによりその話し方が穏やかで、怖くない。ある意味、彼の方がイケメンと言えるのではないだろうか。

 あまりの理解を越えた状況に、私はなかば現実逃避ぎみに、二人の男性を見比べる。


「レオナル」

「はいはい、ちゃんとやったって。結界だけは効いてるだろう?」


 後からやって来た男性は、王子のすこぶる機嫌の悪そうな声にも動じない。慣れた様子から、それが彼らの日常の範疇なのだろう。そんなことを考えながら呆けていた。

 だけどそのとき、男性二人が同時に、噴水の方を振り返る。

 一拍遅れて彼らの視線の先を追い、私は青ざめる。

 ただ暴れるだけだった噴水の水が、突如大きく膨れ上がり、空高く弾けて広場に雨を降らせたのだ。

 そして私は、しぶきが落ちるその向こうに見てしまう。

 ──人ならざる者を。

 いえ、辛うじて人の格好はしている。

 着ているシャツはさきほど会った服飾店の主と同じように、とても仕立良いものだ。だけどその襟元から生えた頭部には、突き出た鼻先と、赤々と大きく割けた口。そこには、私くらいの小柄な娘ならきっと簡単に噛み砕いてしまいそうな、尖った歯が並ぶ。小さな瞳は細い瞳孔がぽっかりと開いて見え、ごつごつとした鱗に覆われた皮膚は、触らなくても固いと分かる。

 その姿は、いわゆるワニそのもの。

 そして恐ろしいことに、頭がワニにしか見えないその人物が、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきているんだけど……気のせいだと誰か言って。

 しかも彼、ワニ男……服装が男性用なので『彼』とするが……両手には大きな魔法陣が浮かび上がっているように見るんだけど。


「チッ、おいおまえ、逃げるぞ」


 舌打ちも三度目になると、もう気にしてられない。というか、何が起こったのかわからないまま、私は突然金髪王子に抱えられていたせいだけど。

 しかもお姫様抱っこではなく、小脇に抱えられて。

 私を抱えたまま王子がその場を飛び退くと、ワニ男の腕の魔法陣から、膨れ上がった水が私たちのいた場所を、まるで砲弾でも浴びせたかのように打ち抜いていた。


「いやあああ!」


 大きな音がして、土ぼこりが舞う。

 広場の石畳がスポンジだったのかと勘違いするほどに、大きく穴が!

 や、ちょっと、嘘と言って。

 あまりの事態にパニックを起こす。だけど突然荷物のように抱えられていようとも、手にはしっかりと鞄を離さなかった自分を誉めたい。というか、硬直して離れないといった方が正しいのかもしれないけれど。

 しかしこの後、金髪王子さまの発した言葉で、私は驚きに息をのむことに。


「暴走魔法化身アバタールの分際で、調子に乗るな!」


 ──魔法化身アバタール

 それは、田舎の村では、決して見ることがなかった存在。

 魔法が溢れるこの世界で、凝縮された魔素を元に生まれる生き物と、教えられてきた。その性質は様々で、害をなさず町の人混みにまぎれて生き、人に役立つものから、様々な問題を起こすものまでいるという。

 稀に我を失って暴れることがあるって聞くけど……今まさにその状況!?

 そこで初めて私は、制服を着た彼らの正体に気がついた。

 そうだ、魔法騎士団。

 驚いて口を馬鹿みたいに開けていたと思う。ワニと金髪王子さまを見比べていると、彼は私を下ろし、睨み付けるように言った。


「俺がいいと言うまでここで動くなよ、いいな!」

「は、はいぃ!」


 どんな状況に置かれているのかようやく理解し、私は逆らう気など起きるはずもなく、鞄を抱えて地べたに座り込む。

 突然金髪王子様風の彼は、紺色の軍服のような上着を脱ぎ、その胸ポケットから美しい銀細工のメダリオンを取り出して、自らの首にかけた。そして私にむかって上着をふわりと放ってよこす。


「持っていろ。それには護符が施されている、ないよりマシだ」


 護符?

 渡されたのは、彼らが着るいわば軍服。

 その上着は肩の部分がばっくりと割けていて、私がはっとして見上げれば、当然ながら白いシャツ姿になった金髪の……このさい王子と呼ぶことにしよう……王子の肩は、赤く染まっていた。

 それは考えるまでもなく、私を避けるために負った傷で……

 痛々しい姿に申し訳なさが募り、謝ろうと口を開こうとしたそのとき。突然王子の全身が、音をたてて炎に包まれた。


「きゃあ、か、火事!!」


 思わずそう叫んでしまうのも仕方がないと思う。

 だって私、日常に必要な小さな魔法しか見たことがなかったんだもの。それなのに。


「火事なわけあるか、馬鹿なのかおまえ」


 え?

 私を見下ろす、凛としたまさに王子然とした声。彼の足元に浮き上がった魔方陣を見て、全身を包む炎がただの炎ではなく、彼自身が操る魔法なのだということを悟る。

 目の前で巻き上がる炎が散らす火の粉が、噴水の水を蒸発させて光となり、あたりに雪のごとく降り注ぐ。

 それがひどく幻想的で、一瞬にして心奪われてしまう。火の粉は私の上にも降り注ぐのだけれど、渡された彼の制服がかすかに光り、熱さを打ち消してくれているのだと思う。


「護符は万能じゃない、大きな魔法が飛んできたら、避けるなりなんなり自分でどうにかしろ」


 彼はこちらに背を向けたままそう告げると、躊躇することもせず歩き出す。噴水を越えてこちらに向かってくる、ワニの頭を持つ魔法化身アバタールのほうへ。

 それを追いかけるように、もう一人の男性が声をかけた。


「おい、怪我してるじゃないか、大丈夫なのかラルフェルト?」

「……かすり傷だ。それより応援は呼んであるんだろうな?」


 ……今、なんて言った?

 ラルフェルトって……まさか、ラルフ?


「レオナル、一気に取り押さえるぞ」

「了解……ということで、きみ、ごめんね巻き込んじゃって」


 レオナルと呼ばれた紳士的なイケメンが、苦笑いで私に謝ってみせてから、王子の後に続く。うなり声を上げて噴水の水を曲芸のごとく操る、ワニ男さんのところへ……

 周囲のことなどおかまいなしに暴れる様子で、ワニ男には誰も近づくのは無理だろう。私から見ても、あのワニ男は正気を失って暴れているとしか思えない。

 私はただただ呆然とするしかなかった。

 そんななかでも、気になるのは王子を呼ぶ名前。

 ラルフェルト……たまたま同じ名前なのだろうか。

 きっと、そうに違いない。

 だって私の知るラルフ……ラルフェルト・レイブラッドは、優しくて繊細な子だった。それに、髪の色だって違う。あんな派手なハニーブロンドではなく、もっとくすんだ色だったはず。

 それにほら、名前なんて日本と違ってたくさんあるわけじゃなく、祖父母の名前を引き継ぐことだってよくあることだ。

 ラルフも魔法騎士になったって、父さんが言っていたけど、でも……。

 まるで怪獣映画のごとく暴れるワニ男を押さえ込もうと囲む、二人の魔法騎士をながめながら、私は解決しそうにない問いをぐるぐると考える。

 田舎者の私でも、魔法騎士たちのことは聞かされて育つほどに、彼らはこの国で最も有能な魔法使いたちの集まり。

 どんなに尊い身分の者であろうとも、その実力がなければなれない、というのは亡くなった父さんの言葉。

 でもまさかそんな場所に、同じ名前の人が何人もいるものなのかしら。もしかして彼は……ラルフ本人?

 そんな風に思いかけたところで、噴水を挟んで対峙していた王子がいきなりキレた。


「いいかげんに正気に戻れ、この迷惑野郎!」


 そう怒鳴ったと思えば、王子が思いきりグーでワニ男を殴り、その勢いで大きな体が吹き飛んでいた。

 その様はとても野蛮……いえ逞しく、振りきった拳も男らしいものだった。

 うん、やっぱりあの王子は同名の別人に違いない。

 というか、魔法騎士って思っていたより力業集団だったのね……

 それからレオナルという紳士的な彼の方がワニ男を押さえつけて、魔法封じの印が入った手錠をはめた。どうやらそれで一件落着を迎えたようだ。

 良かった。そうほっとしたとき。


「おい、大丈夫かラルフェルト?」


 王子がその場でうずくまり、なんと盛大に吐血していた。

 レオナルさんが顔色が土気色になっている王子に肩を貸し、こちらへ運んでくるではないか。


「悪いんだけど、ちょっと寝かしといて」

「え、あの、大丈夫なんですか?」

「あー、うん。魔力酔いだろうから、あんまりよくはないよねラルフェルト?」

「うるさい、余計なことを言うな」


 苦しそうに咳き込みながら、王子は生け垣にもたれかかるようにして座り込んだ。

 首にかけたメダリオンを、ぎゅっと握りしめながら……


「じゃあ、応援隊員がかけつけてくるまで、あいつを見張ってなくちゃいけないから、きみ、ちょっとそいつ見ててくれる?」

「え、ええ?! ……はい」


 嫌とは言えない状況なのだけれど、苦しそうにする彼を放ってもおけず、そう頷くしかなかった。


「大丈夫ですか?」

「……気にしなくていい」


 気に、なりますよ。あんなに吐血して……

 肩の傷だって生々しいのに、更に無理をしていたってことでしょう?

 胸を押さえて、苦しそうに美しい顔が歪んでいるじゃない。伏せられた目に、長い睫毛が小刻みに揺れている。

 さっき聞いたように、彼の症状が魔力酔いならば、私にできることはない。ならばと、私は必死に抱えていた鞄を開ける。


「おい、なにしてる?」

「縫ってます」

「はあ? なんで突然……」


 しばらくは周囲のことなど気にした様子もなかった王子は、激しい苦痛は収まってきたのか、さっきよりは声がしっかりしてきた。そして私の手元を見て、すこぶる嫌そうな顔だ。


「おい、勝手に触るなって」

「仮縫いで、破れを悪化させないよう止めるだけです。このままじゃ羽織ることすら無理ですよ?」

「余計なことを……これだから女は嫌なんだ」


 苦々しい口調で服を取り上げようとする王子の手をするりとかわし、私は彼の上着の修繕をつづける。

 私のせいで破れた肩口を合わせ、裏に当て布をして仮止めをしているのだ。彼の制服は、丈夫で美しい艶をもつ生地が使われている。縫製もしっかりしていて、とても素晴らしいものだった。恐らく破れた服をこのまま着続けることはないだろうが、私のために負わせた怪我を詫びる、せめてもの償いにと考えたら、これくらいしか私に出来ることはない。

 破れを合わせるための当て布には、手慰みに縫った刺繍がしてあったけれど、裏だから見えないはず。


「おまえ、針子か?」

「その予定です。すぐに終わりますから、黙っていてください」

「……チッ」


 四度目の舌打ちは、なんともあからさまだった。

 でも王子はよほど体が辛いのだろう、それ以上は黙りこくり、再びまぶたを閉じて苦しみを耐えているようだった。

 魔力酔い……亡くなった父さんから教えられたことがある。

 大きな力を使える魔法使いは、その扱う魔法の大きさゆえに体に負担が大きいのだそう。一定以上の魔素を身体に取り込み、魔力に変換させる。この膨大な力に身体が耐えきれなくなることを、魔力酔いというのだと。だけどそれらの症状は、まだ体が出来上がっていない子供が患うもので……。

 薬師だった父が、そんな子供を何人か治療していた。

 小さな少年ラルフもその一人。

 だけど今、私のそばで横たわる彼のような成人、しかも鍛えられた立派な体格でもそんな症状が出るなんて……よほど体に問題があるのだろうか。それともやっぱりこの人がラルフだから?


 最後の針を通し、糸を縛って切りとる。

 表からはなるべく目立たないよう縫えた上着をぱんぱんと払い、しわを伸ばして広げる。

 こうして見ると、仕立てや装飾細工がとてもきれいな服だ。


「出来ましたよ、護符が施されているのならこれも羽織っていた方が楽に……あれ?」


 王子の頭が、こつんと生け垣の縁にもたれた。


「……寝てしまったんですか?」


 顔色は土気色のままだけれど、繰り返される寝息は穏やかだった。

 少しでも楽になりますように。そう祈りながら縫った上着を、そっと王子の上にかけてあげた。

 鞄に道具をしまい、私はそこで広場周囲の様子に気づく。

 噴水を中心にした大きな円を描くようにして、いつの間にか青い炎がぐるりと取り囲んでいた。円の中に取り残されているの一般人は私一人のようだけど、その外側には何人かの人影が。こちらの様子を伺いながらも、なるべく広場の隅に寄って身を固くしているみたい。

 そうか、この炎の円が魔法の結界なのか。

 私の父も、ほんの僅かな魔力と薬草を使って治療を施す薬術師ではあったけれど、それは目に見えるようなものではなく……

 初めて目の当たりにした魔法は、まるで前世で見た映画やゲームのCGのような現象だ。

 そうして周囲を観察しているうちに、あたりがいっそう騒がしくなる。

 どうやら応援の騎士団が到着したようで、濃紺の制服を着た人たちが大勢つめかけていた。と同時に噴水周りの結界が解かれ、それと同時に喧騒が私たちを取り巻きはじめていた。

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