リントヴルムの魔法紡ぎ
宝泉 壱果
一章 職探し
第1話 就職氷河期?
──必ず、必ず訪ねるんだよ、リズ。
いまわの際に交わした父さんとの約束は、懐かしい幼馴染みに手紙を届けることだった。
幼い頃にたった数日会っただけの人に、今さら何を? ……そう思いはしたけれど、命が消えゆくなかでわざわざ残すからには、きっとそれなりの理由があるのだろう。
ならば叶えてあげるのが親孝行というもの。だけど……
メモを片手に見上げた先、高くどこまでも続く壁は、そんな思いを後悔させてくれるには充分なものだった。
私は革製の大きな鞄を持ち直し、終わりがあるのだろうかと疑問に思える白い壁を、ひたすらに伝って歩く。こうして歩いていれば、いつかは門へとたどりつくはずだと、通りすがりの町の人に聞いたから。
着く……はずなのだけれど。
かれこれ二十分も歩いただろうか。そろそろ不安になってきたところで、ようやく馬車や人が出入りしている門らしきものが見えてくる。
「ああ、ようやく!」
普段から馬車など使わない田舎者とはいえ、ここに着くまではそうとう人に尋ねながら歩いてきた。私は重くなった足にむち打ち、立派な門の前に立つ門番へと駆け寄った。
「あ、あの! ここはレイブラッド公爵様のお屋敷ですか?」
軽装とはいえ、よく見たらその門番は帯刀している。ギロリと見下ろされ、思わず身がすくむ。
「そうだが、お前は何者だ?」
「私はリーゼロッテ・エフェウスといいます、その……昔こちらのご子息様にお世話になった者です。両親から手紙をお渡しするようにと」
私はポケットからシワの入ってしまった封筒を取り出すと、門番に差し出した。
だけど受け取ってもらえない。
門番は厳しい表情を崩すことなく、私に告げる。
「ご子息であるラルフェルト様は、こういった手紙は受け取らないことにしていらっしゃる。特に、あなたのような見ず知らずのご婦人からのものは。雲の上の人に憧れる気持ちは分かるが、手紙を渡すことなど諦めた方がいい」
どうやら高貴な身分の男性にはありがちな、憧れを抱いてその思いを託したものと誤解されたようだ。
「違うんです、これはファンレターではなくてですね」
「ふぁんれたー?」
「あ、いえ! その、田舎の両親からお礼の手紙だと思うのです。実は先日亡くなりまして……ご子息さまにお渡しするようにって」
その言葉に、門番の固かった表情が微かに動く。
見た目は怖いけれど、それも職務であるからそうしているだけのことなのだろう。それに、レイブラッド家の子息といえば、その地位だけでなく美しい容姿から、町のあらゆる女性に人気がある。そんなこと、この都にやってきてすぐに私だって耳にしている。
こんな風に突然手紙を持ってこられ、諦めるよう助言するのは、門番である彼の日常なのだろう。
「決してご子息様の気を引こうとするようなものではありません。読まれるかどうかはご本人におまかせします、だからせめて、お渡しするだけでもお願いします」
「おまえ、手紙を渡すために、田舎から出てきたのか?」
「はい、父の最後の願いなので……」
もう一度差し出し、せいいっぱい頭を下げてみれば、門番は渋々ながらも受け取ってくれた。
「他の手紙などと共に混ぜることは可能だが、ご本人の元に届くかどうか分からないぞ、それでもいいな? それから後になって返却してくれと言われても、取り合えないと思えよ」
「もちろん、それでかまいません。お願いします」
「……仕方ないな」
「ありがとうございます!」
ああ、良かった。これで両親との約束が果たせた。
満足して帰ろうとしたところで、再び門番に声をかけられた。
「あんた、故郷は遠いのか?」
「はい。ここよりずっと北の……とても田舎から」
「そうか、大変だったな。しばらくこのグラナートの都に?」
「いえ両親が亡くなったので、他に肉親がいません。だからいっそここで働いて暮らすつもりなんです」
「そうか、苦労するな……がんばれよ」
「はい」
そうして門番さんに手を振って、私は帰路につく。
田舎では見たこともないような立派な門を、私などがくぐれると微塵も思っていなかった。
レイブラッド家は公爵であり、私の生まれ育った村へ療養に来ていた子息と、ほんの僅かな期間を仲良く過ごした。それだけの関係だ。
まあ、あの可愛らしい少年が成長した姿を見てみたかったというのは、否定しないけれども。
田舎にやってきた公爵家の小さなラルフ少年は、体を壊していたせいもあるけれど、色白で痩せっぽっち。長めのアッシュブラウンの髪に、灰色の瞳。頼りなげだけれど美しく天使のような顔立ちだった。
出会ったのは私が七つの頃で、彼は十歳くらいだったろうか。少年とはいえ高い声音は、鈴がなるかのように可憐。儚げな容姿とあいまって、幼いながらも女子としてのプライドは粉々もいいところ。心のなかで完敗宣言をしたことを、うっすらではあるが覚えている。
きっと今でも美しく、昔の印象を残した優しげな青年になっているに違いない。
両親が何を思って、今さら彼あてに手紙を書いたのかは、私には知るよしもない。だけど封筒には父の名が書かれている。それに気づきさえすれば、あの繊細で優しい少年なら、きっと両親を偲んでくれることだろう。
私は大役を成し遂げ、晴れ晴れとした気持ちでだった。
──私の名はリーゼロッテ・エフェウス。
齢十六にして、天涯孤独。
今いるここ、人で賑わう首都グラナートからはずっと北にある、山に囲まれとてものどかなリントヴルム村で生まれ育った。
父は村の薬術師、母は針子で家計を支える普通の家庭の、ごく普通の村娘。ただ一点、生まれる前の記憶があるということを除けば、だけど。
そう、私は転生者だ。
とはいえ思い出したのはごく最近。村を襲った山の噴火で両親を一度に亡くし、もうこれ以上ないという悲しみに陥ったことが、記憶を呼び起こすきっかけだったのだと思う。
私はこことは全く違う世界、日本という国で生き、そして死んだ過去を持つ。
前世での私は、生まれてすぐに発症した難病のせいで、ろくな青春も謳歌することなく一生を終えた、いわば薄幸の少女。そのせいかあまり自慢できるような教養もなく、性格などは引っ込み思案。だけど両親の懸命な愛情に支えられ、それなりに恵まれた人生だったと思う。
そうして私はリーゼロッテでありつつも、前世の記憶を背負って生きることになったのだ。
元々両親はよそから村に入った者だったため、村に親族すらいなかった私は、壊滅状態になった村を出て、都で働き口を探すことに。
かろうじて生き残った私を含む数人の村人たちは、おのおのが親戚などつてを頼って散り散りになってしまった。
村の外にいたため生き残った長老が、一緒に隣村で暮らそうと言ってくれたけれど、私はそれを断り、都に来ることを選んだ。
それは天涯孤独というより、前世の記憶がそうさせたと言っても過言ではない。
私のなかに残る遠い世界の記憶は、常に白に囲まれた病室の中。いつだって自由に憧れ、いつか大好きな服飾の世界で働くことを願ったけれど、決して叶うことはなかった。
だけど今は違う。夢を追える健康な体があるのに、何もせずじっとしてはいられない。そんな衝動に突き動かされた。
なんて、一大決心して都で仕事を探し始めたはいいものの……
「そこをなんとかお願いします、雑用からだっていいんです!」
「悪いけど、よそをあたってくれ。うちじゃ人手は足りてるしこれ以上雇えないんだ」
「そんな……」
すまなそうにするくらいなら、お試しで雇ってくれてもいいじゃない。
夕方の店じまい時だというのに、いまだ取引のお客さんがはけていない店内。人手が足りてるなんて言い訳は、白々しいとは思わないのかしら?
けれど店主のおじさんは、言葉を濁しながらも譲歩するつもりはないようだった。
「とにかく、そういうことだ」
「ま、待ってください。私のどこがいけないんですか、裁縫の腕も仕事に対する真面目さも、誰にも負けません!」
「そうは言われてもなあ……悪いことは言わないから、あんたは田舎に戻った方がいい。それか少なくとも、この町で働きたかったらリントヴルム村の名は出さないほうがいい。じゃあな、忠告したぞ」
「え? 田舎って……あ、ちょっと!」
取りつく島もなく店主は私を押し出し、目の前で扉は閉められてしまう。
店を見上げながら、大きなため息をついたのはこれで通算十軒目。
小綺麗な宮殿風店舗をかまえる町一番の老舗から、新しく夫婦で始めたばかりの小さな内職店まで。行き当たりばったりとはいえ、高望みはせずに、目についたかぎりの縫製店で面接へ挑んだ。だけど……
まさかまさかの就職氷河期を、ここにきて迎えるはめになるとは。
全戦全敗、箸にも棒にもひっかからないってどういうこと?
私は店を後にして、近くにあった広場までとぼとぼと歩き、片隅の小さな生け垣に腰をおろす。
今生、与えられた人生を悔いのないように、堅実に自分の足で歩いて行こう。そう誓ったばかりなのに……
思い立った先から、壁にぶち当たってしまった。
確かに引っ込み思案で、臆病な性格は今の私にも引き継がれている。自己アピールなんて決して得意じゃない。いくつかのお店で断られるのだって、仕方ないと思う。
とはいえさすがに十軒すべてで、話も聞いてもらえないだなんて、思ってもみなかった。
でも本当に落ち込む理由は、単に仕事が見つからないというだけではなく。……先ほどの店主の言葉から推察できる、私の田舎が原因なのではないかということ。
実は、思い当たる節がないわけじゃない。
村を出る決意を伝えたときに、長老からはこう言って反対をされた。『忌み事が村を襲えば、周辺の村々には多大な影響もある。なかなか受け入れてはもらえないだろう。哀しいことだが……』
私はあまり気に止めていなかったけれど、あれはこういうことだったのかと、今さらながら身に染みる。
これまでの九軒でも思い出してみれば、出身のリントヴルム村の名を出すと、急に対応を邪険に扱われたような……不採用十店目にして気づく私も、どれだけ鈍いのかという話だけれど。
魔法が息づくこの世界の、山に囲まれた奥深い位置にあった、故郷リントヴルム村。
そのリントヴルム村の象徴ともいえるお山が、大地の怒りと言い伝えられている噴火をおこし、村や周辺の森に多大な被害を及ぼしたのは約半年前。
その噴火とともに吹き出した、高濃度の魔力に包まれた周辺は、人の住めない大地となってしまったのだ。リントヴルムの出身というだけで邪険に扱われるのは、これまで育んでくれた村の全てが否定されたようで、とても辛くなってしまう。
……でもね、だからといって。
いくら両親が残してくれたお金がまだあるといっても、いつまでも蓄えに頼るわけにもいかない。
出身を偽ってでも、まずは職を確保するのが先決だろう。稼いで生活の基盤を確保するために、不本意ではあるけれど、生きていくためには選ぶ道は一つしかない。
──ああ、大好きなリントヴルム村を偽るなんて、亡くなった両親や村のみんなは、許してくれるかな……。
だけど、グラナートの縫製店で針子の仕事に就きたいという夢を、まだ諦めたくない。
少なくない良心の呵責にさいなまれつつ、とりあえず今日のところは宿に戻ることにした。
村のことはもちろん、新たな就活対策を立てねば。そう思って大事な鞄を手に立ち上がったその時──。
広場の向こう、ちょうど噴水を挟んだ反対方向で大きな爆発音がした。
……え?
爆発って、この世界に爆発?
つい私がそんな事を突っ込み入れていたのがいけなかったのだろう、ほんの少し反応が遅れてしまった。
「危ない! どけっ!!」
「え……ぎゃあああ!」
なんと、目の前の噴水からふき出す水の向こう側から、男性が飛び出してきたのだ。
水しぶきとともに、スローモーションのように迫る男性の大きな背中。
──ぶつかる。
当然、私の反射神経では避けきれるわけもなく。
「……ッ!」
身構える私の耳が、舌打ちのような音を拾う。
次の瞬間、ぶつかると思われた男性がバランスを崩し、片手を石畳につけながら、私のすぐそばをかすめながら横転していった。
咄嗟のことだったのだろう、転がる男性が点在していた生け垣の石で左肩を酷く打ち付けたのが目に入り、私の方が顔をしかめてしまう。
「……つぅ」
「だ、大丈夫ですか?!」
慌てて駆けよると、その男性はむくりと起き上がり、私の手をバシリと払い除けた。
そして夕日を受けて輝くハニーブロンドをなびかせて、澄んだ青い瞳は強く美しく……はっとするほど整った顔立ちで、しかも精悍。
見とれていた次の瞬間、形の良い唇が開き……
「避けろって言っただろうが!」
「は、はいっ、すみません!」
お、怒られた! ものすごいイケメンに!
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