第6話 三度目の再会
お城のすぐお膝元、ダグラス通りから馬車に乗り、やってきたのは昨日も訪れた中央市場のそばにある広場。
庶民的で安い露店が並ぶ広場を人が行き来し、買い物途中の休憩所のようになっている隅のベンチに、私はどしりと腰をおろしていた。両脇には裁縫道具が入った固い革の鞄と、身の回りのものが入った旅の鞄がひとつずつ。
すっかり日が高くなり、どうしてこんな場所にいるかというと、今日から雇ってもらえるはずだった『アレアナ』に断られ、すっかりあてが外れたからだ。
これからどうしよう。
そう考えつつも、思考はそこから一歩も進むことはなかった。
──なぜ、今日になって急に雇ってもらえないんですか?
そう言って私は、『アレアナ』の女店主に食い下がった。
「詳しいことは言えないんだけど、その代わりに他の店を紹介するからさ、そっちに行ってくれないかい。話は通しておくからさ」
「紹介って、同じような仕事ですか?」
「ああ、うちよりよっぽど上等な店だよ。『マルガレーテ』っていってね」
「マルガレーテ!」
「ああ、知ってるなら話は早いね。そこで雇ってもらえるようにするから、ちょっとまってて」
「え、あの!」
店主はそう言うと、小さな封筒を持ってきて私に持たせた。
「あの、私、あそこはちょっと……」
「なんだい、あそこに勤められるなんてなかなかできないんだよ。とにかく、あんたは『マルガレーテ』に行って、そこで雇ってもらうかそれとも、また他の店を紹介してもらいな。悪いけど、うちじゃ無理なんだから」
「はあ……」
そうして追い出されるようにして、『アレアナ』を後にした。……『マルガレーテ』には行かずに。
あんなに浮かれてルードさんたちに報告したのに。そりゃ、口約束とはいえ、雇ってくれるって言われたのだから、間違いではないけれど。
だけど彼らに、何て言えばいいの。
あんまり恥ずかしくて気が動転して、『マルガレーテ』になんてとても行ける精神状態ではなかったのだ。
それで怖くなって、逃げるように馬車に飛び乗ってしまった。はっと我に返ったときは、見知ったこの市場の停留所近くだったという……。
「あああ、恥ずかしい」
ベンチに座って頭を抱え、一人悶えていると。
「あ、昨日のパンのおねえちゃん」
可愛らしい声に顔を上げれば、ぬいぐるみを抱えたにこにこ顔の少女が、私の前にしゃがんでいた。
「あ、あなた昨日の……」
「ねえ、今日は大きなパンくわえてないの?」
昨日、ラルフを見かけて咄嗟に彼の視界に入らないよう、振り返ったときに花壇にいた少女だった。ちょうどそのとき、腸詰めサンドをくわえていたので、彼女にとってかなり忘れられない出来事にはなったかもしれない。
……できれば忘れてほしかった。
「今日は……ほら、まだお昼には早いでしょう?」
「うん、そうだね!」
そんな苦しい言い訳も、彼女の天真爛漫な笑みに、まあいいかとつられて笑う。
すると少し離れたところから、彼女の母親がやってきた。
「シャル、失礼なことを言わない!」
「あ、ママー」
スレンダーな銀髪美女の母親が、少女を抱き上げた。少女は無邪気に抱きついて、きゃっきゃと笑う。
「ごめんなさい、娘が失礼なことを言ったわね」
「いいえ、そんなことはありません。ね?」
「ぱくぱく、くわえてもーぐもぐ!」
「こーら、シャル! ……ごめんなさいね、本当に」
即興でご機嫌に歌いだす少女に、母親は苦笑いだ。
幼い少女が、なんでもかんでも楽しい遊びにしてしまうのは、きっといつものことだろう。私もかつてはそうだった。
「可愛い娘さんですね」
「末っ子だから甘やかされてるの……あら、あなたどこか旅行でも行かれるの?」
私の大きな鞄を見て、女性が聞いてきた。
女性もその娘も、よく見れば絹に細かい手の込んだレースで飾られた、上品な服装に身を包んでいる。きっと貴族、もしくはそこまでいかないまでも上流階級の人たちなのだろう。
その立ち姿も美しく、つい見とれてしまう。
「どうしたの?」
「あ、いえすみません。旅行ではなく、このグラナートに職をさがしに来たんです」
「まあ、お若いのに。まさかお一人?」
「はい、一人です」
女性が周りをぐるりと眺め、私がたった一人なのだということを納得したようだった。
そして娘を下ろし、私のいるベンチの端に、二人並んで座った。
「どういうお仕事をさがしてらっしゃるの?」
「針子の住み込みを……裁縫が得意なので」
「ええー、おねえちゃんちくちくとくいなの?」
「うん、そうなの」
すると少女が目を輝かせる。
「じゃあ、これ、これちくちくできる? あのね、ママはちくちくがだいっきらいなの!」
「シャ、シャル!」
頬を染める母親の膝を乗りこえる勢いで差し出された、猫のようなぬいぐるみを受けとってみると、その目にはめこまれた石のボタンがゆるくなり落ちかけていたのだ。
これなら簡単だろうに。私はくすりと笑いながら、裁縫道具の鞄を開けた。
「私が直してしまってもいいですか?」
「ほんとう? 頼んでしまってもいい?」
「もちろんです」
わあ! と嬉しそうな声をあげる少女が、飛びはねながら私の前で手元をのぞきこむ。
「ええと、シャル?」
「うん、私シャルっていうの」
「私はリズよ、危ないからね、触らないように見ててね」
「うん!」
可愛いお客さんの目の前で、私は猫の目のボタン、緩んだ糸を切って外した。
黒く光る石は、きれいに磨かれていて、かすかに金色の粒が混じる。まるで宝石のように綺麗。
「ぴかぴかしてるでしょ」
「そうね、とっても綺麗。ちゃんとつけてあげないとね」
きっと彼女のお気に入りのぬいぐるみなのだろう。
シャルと揃えたのだろうか、彼女と同じ毛並みの琥珀色に合わせ、薄茶色の糸を用意した。猫ちゃんの目がズレないように慎重に位置を決めて、丁寧に縫い付ける。糸の切れはしが中に入るよう少し引っ張り気味に玉をつくり、糸を始末する。それから少し石を持ち上げると、ぷつっという音とともに糸がぬいぐるみの中に消えてしまう。
それを見て、シャルがぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「ほら、出来たよ」
「ありがとう、リズおねえちゃん!」
こんな簡単なことで喜ばれると、かえって照れてしまうくらいだ。
母親にも、重ねてお礼を言われる。代金をと申し出てきたのだけれど、これくらいでお金なんてとんでもないと断るのに大変だった。
「ねえ、あなた。私たちのよく行くお店に行ってみたらどうかしら。とても素敵な店なのよ、紹介するわ」
「え、でも……」
「ほら、今着てるのもそうなの。上の娘が特に重宝しているお店でね『マルガレーテ』っていうのよ」
そんな偶然があるのだろうか。
まさかここで再び『マルガレーテ』の名を聞くことになるとは、思ってもみなかった。
「シャルのこれもそうなのー!」
シャルがくるりと回って見せたのは、彼女の琥珀の髪をまとめるリボンは、赤い生地を活かし薄紅色の糸で花びらをグラデーションに描いた刺繍が刺されていた。まるで本物のダリアのよう。
驚いている私に、シャルがきれいでしょう? と自慢げだった。
うん、すごい。
私も、『マルガレーテ』で働きたい。
鞄にしまってあった紹介状を取り出す。
「それは?」
「今日もらった紹介状なんです、マルガレーテあての」
「……まあ、本当?」
うなずく私に、彼女が微笑む。
「それじゃ、これも縁なのね。もしマルガレーテで断られそうになったら……そんなことはなさそうだけど、ふふ。私の名前を出すといいわ。私はエリザベート・ミルヴェーデン、これでも学者をしているのよ。覚えておいてね」
エリザベートさんが視線を私から、はしゃいでいたシャルの方へと向けた。
私もつられるようにそちらを見れば……
「……ラルフ」
シャルの頭を撫でるラルフが、そこに立っていた。
昨日と同じように紺色の制服を着たまま、でも顔色はゆうべより良くなっている。
ひょいとシャルを抱き上げ、騎士さまだと昨日と同じように喜ぶ彼女を、母親であるエリザベートさんに引き渡す。そして私たちに手を振る親子が去っていくと、彼は私のすぐ前に。
怒られる。なぜかそう思ったのに、かけられた言葉は違った。
「迎えにきた。マルガレーテに行くはずだったんだろう?」
「……うん」
ラルフは私の荷物を片手に持ち、もう片方を私の前に差し出した。
「どうして、ここにいるって分かったの?」
ラルフの手を取り、彼が用意した馬車に乗せられてから、私はようやくそのことに気づく。
ラルフの答えは明確だった。
「昨日、あそこにいただろう。行くはずだった『アレアナ』にもいなくて紹介したはずの『マルガレーテ』にも訪ねてない。宿に戻ることはできないなら、まさか知らない場所には行かないだろう。昔もリズは大胆なわりに臆病だったからな」
「……そんなこと、って。昨日私が広場にいたって、知ってたの?」
「だから言ったろう、よくも逃げたなと」
あ。そういえば。
「いや、その。全部を話す前に倒れた俺も悪かったけどな……昨日色々な店に聞いて回って、お前らしいのが来たら『マルガレーテ』に行くよう手配しておいたんだ。それなのに、いなくなって焦った」
「ご、ごめんなさい。倒れたラルフを起こすのがしなびなかったの」
「……わかってる」
さすがに大の大人が倒れたとあって恥ずかしいのか、ラルフは照れたようにそっぽを向きながらそう言った。
でも、なぜラルフが私を『マルガレーテ』に?
その理由を問う前に、馬車が到着してしまった。
扉が開けられ、ラルフに手を引かれて降りれば、立派な店舗の重厚な扉の前だった。間髪を入れずその扉が開いたと思えば、中から一人の女性が出てきた。
ラルフと一緒にいるところを遠目で見た、あの巻き毛のひとだ。
三十代くらいだろうか、目鼻立ちがはっきりとして、体つきもまさに大人の女性。
「あなたがリズね、ようこそ、待っていたわ。私はこの『マルガレーテ』の店主ヒルデガルト・レフラーよ」
「はじめまして、リーゼロッテ・エフェウスです」
柔らかく優しそうに笑う店主ヒルデガルトさんは、私たちを店の中へ導く。
目ためより広い店舗の中は、重厚な色の調度品で統一されていた。さっきシャルに見せてもらったような小物や帽子、ハンカチーフなどがケースに並べてあったけれど、それだけ。『アレアナ』のようにところ狭しと服を並べてはいない。
店の奥の、天国かと思うような座り心地のいいソファーに、ラルフと並んで収まると、店主は私の前に一枚の紙を広げた。
「あの、これは?」
「契約書よ。あなたと、マルガレーテとの雇用契約書」
いきなり?
驚いていると、ヒルデガルトさんがそれを読み上げる。勤務時間や給料、それも仕事のランクごとに決められた歩合から、休日の取り方まで。それは事細かに書かれていた。
「あと住むところだけど、店の上階に従業員用の部屋があるわ。そこで大丈夫かしら?」
ええと、もちろん大歓迎なのですが、ヒルデガルトさんはそこだけラルフに聞いている。なぜ?
「それで疑問がなければ、サインをしてちょうだい」
「あの……聞いてもいいですか?」
「なあに?」
ちらりとラルフを見てから、私は疑問に感じていることを尋ねる。
「私はこれまで、たくさんのお店で雇ってもらえるように頼んできましたが、全部断られました。それはたぶん、私がリントヴルム村の出身だから。だから嘘を言ってアレアナでは雇ってもらおうとしてたんです」
「……そうね、それもおよそ聞いているわ」
「じゃあ、どうしてこちらでは雇ってもらえるんでしょうか」
私はまだ、ヒルドガルトさんに鞄の中にある、刺繍のひとつだって見せてない。
「それは……」
彼女はラルフを見てにんまりと微笑む。それを受けてラルフはぷいとそっぽ向いてしまった。それがなにか私には預かり知らない、阿吽の呼吸のように感じられた。
ふいに、彼女がラルフの頬に顔を寄せた、昨日の朝の光景が頭によぎる。
「困った客避けよ」
「……へ?」
「本当に、私たち困ってるのよね」
ヒルデガルトさんは肩をすくめ、大袈裟に困ったような顔としぐさを、私にしてみせた。
「注文が多いのに、やたら貴重な護符の制服を破いてくる馬鹿……いえ、乱暴な騎士様がいてねぇ。繕うったって護符は複雑なのよ。だけど昨日見せてもらったけれど、昨日のあの繕い、絡み合った護符の効果を消さずに見事だったわ。だから、うちの店はあなたの腕が欲しいの、それはもう喉から手がでるくらいに」
「……はあ?」
「まあ、その困ったお客様もあなたを捜していたようだし、利害が一致したのでお願いしたの。かっさらっていらしたらどうかしらって。そしたらまあ、逃げられたって……しかも倒れてたせいで」
ヒルデガルトさんが笑いを堪えきれずに肩を震わせていた。
つまり、困った客って……
私はラルフの方を見る。
するとすごく不機嫌そうに舌打ちをした。
「余計なことを言うな、ヒルデ」
つまり、ラルフのことなんだね。
そんなこんなで、混乱してはいたものの、私は『マルガレーテ』と無事に契約を交わすことができた。
でも、そういえば……聞いたことには答えてもらってないような……。
色々疑問は残るけれど、とにかく私の就活はようやく終わりを告げたのだ。
今は素直に喜んでおこう。
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