第29話 一同対面

 連れてこられたのは、市街地から離れたところにある邸宅だった。人が住んでいる気配はない。けれど手入れはされているようだから、貴族か富豪の別荘だろう。

 奥の部屋からは、若い女人の荒い声が聞こえてくる。


(仲間割れ? でも、この声、どこかで……)


 聞き覚えはあるけれど、扉を隔てているせいではっきりとは特定できない。

 声に意識を集中させようにも、少しでも歩みが遅くなると暴漢が剣を向けてくるものだから、夏蓮も鳳泉も足を動かすより他になかった。


 やがて辿り着いた突き当たり。精緻な彫り物が施された扉が男手に開かれる。


 突き飛ばされるように、夏蓮と鳳泉は室内に押し入れられた。

 手を縛られ、受け身も取れないまま二人して床に転がる。痛みに一瞬詰まった息を吐き出して顔を動かすと、二人の姿が視界に入った。

 

 上座で悠然と座る女人と、うずくまる小汚い少女。衣服についた泥は足型をしていた。誰かに蹴られたのか。

 夏蓮たちに背を向けていた少女は、肩を震わせながら振り向いた。


「夏、蓮様……」


 真っ青な顔でそう呼んだのは、後宮にいるはずの春鈴だった。


 どうしてここに。


 夏蓮が問うよりも先に、春鈴の顔がくしゃりと歪む。


「も、し訳……申し訳ございません! こんなはずじゃ……っ私はただ……!」


 泣き崩れた春鈴に、夏蓮の思考がもやがかったように鈍る。のろのろと緩慢な動きで上座に顔を向ければ、女人は余興でも見るような楽しげな視線を夏蓮たちに向けていた。


「あらあら。暴露ばれてしまいましたわねぇ。ああ、でもいいじゃない。あなたがわたくしに手を貸したことは、紛れもない事実ですもの」


 花弁はなびらのような唇が、かわいらしい声音で囁く。人形のように整った顔には、女神の如き微笑が浮かんでいた。

 春鈴の嗚咽が大きくなる。

 夏蓮は早鐘を打つ心臓の音を耳元に聞きながら、乾いてうまく動かない喉を無理矢理に震えさせた。


「な、んで……」


 声に出して、けれど同時に理解する。

 なんで、なんて聞くまでもない。

 彼女は、関係者だ。春鈴を利用してこの騒動を引き起こした、首謀者。

 

 遠退きかけた意識を、奥歯を噛み締めて引き止める。眦を決して睨みつけた夏蓮に、彼女は「まぁ怖い」と明るい声音でうそぶいた。


「御機嫌よう、書庫以来ですわね。そして鳳泉には、お久しぶりと言っておこうかしら」


 まさか貴女まで連れて来るとは思っていなかったけれど。

 鈴を転がすようなころころとした笑い声が室に響く。

 穢れを知らぬ子供のように、媺苑は悪意のかけらもない笑みを浮かべていた。


「いい姿ねえ、お似合いだわ」


 あなたにぴったりの格好ね、と媺苑が笑う。

 仕草も声音も言葉遣いも、どれもこれもが優美に映るのに、夏蓮には彼女自体が歪んで見えた。


 鳳泉は信じられないといった様子で女を見つめていた。


「どうして、媺苑様が……」

「あら、決まっているでしょう? 身の程をわきまえない愚かな娘に、このわたくし手づから世の常識を教えて差し上げるためよ」


 それ以外に何があるというの、とさも不思議そうに首を傾げる媺苑に、鳳泉は顔を青ざめさせた。


「鳳泉、落ち着きなさい」


 落ち着いた声音で夏蓮が宥める。

 かれんさま、と頼りない声で呼ばれて、夏蓮は安心させるように微笑んだ。

 少しだけ、鳳泉の頰に赤みが戻る。

 媺苑は面白くないと扇子の内に嘆息した。


「お前ともあろう者が、風紀を正すどころかそんな女に仕えるだなんて……堕ちたものね」


 残念がるような口振りだが、その声音には侮蔑の色が滲んでいた。

 くらかげを差した目が夏蓮を見る。書庫で会った時とは違う、明らかな憎悪に塗れた目がそこにあった。


「未来の皇后となるわたくしの側近くに、愚か者などいてはならないのよ」


 お前には期待していたのに、と媺苑が嘆く。

 夏蓮はようやく彼女の目的を理解した。


 けれど、おかしい。


 皇子を慕うというなら、まだ理解はできた。けれど未来の皇后になろうというのに、どうして夏蓮を邪魔に思うのか。

 第三皇子は末の皇子、皇位継承権は最も低い。皇后になろうというのなら、第一皇子の正妃の座を狙うのが手っ取り早いはずなのに。


『貴方は兄君達とは違うのですから』


 襲撃を受ける前、盗み聞いた言葉が脳裏に蘇る。あの翁と媺苑は繋がっていると、夏蓮は直感していた。

 兄達とは違う。何が、とはわからない。けれど、全てが繋がっていると仮定するなら、違いは皇位に関係しているに違いない。

 夏蓮は知らない何かを、媺苑は知っているのだ。


 ーーこの人の思い通りにさせてはならない

 

 それだけははっきりとわかった。


 爪が食い込むほど強く拳を握る。

 夏蓮たちの背後には、剣を構える男が二人。もし拘束がなかったとしても勝ち目はない。

 逃げようにも扉は暴漢に塞がれている。媺苑の背後には窓が一つ。けれど、衝立ついたてもある。そこに誰か潜んでいないとも限らない。

 この場から逃れることは出来そうにない。


(考えなさい)


 今、自分にできること。

 優先すべきは命と、一つでも多くの情報を伝えること。

 どちらも、誰も、何も諦めてはならない。

 夏蓮は腹の底に力を込めた。


「わたくし、これでもあなたには同情しているのよ? 殿下の気まぐれとはいえ、分不相応な夢を見てしまったのだもの。縋りたくもなるのでしょうね」


 同情と言いながらも媺苑の口調は馬鹿にしたようで、とても悪意に満ちている。


「……貴女ほどの方なら、ただ口にするだけで正妃になれたはずでしょう。わざわざ私を手にかける必要はありましたか」

「なかったわねぇ、本来なら」


 媺苑の扇子を取る手に力が篭る。崩れなかった鉄壁の微笑が、初めて剥がれ落ちた。美しい顔が醜く歪む。


「何の役にも立たない小娘が、事を仕損じなければ」


 忌々しげに、媺苑が春鈴を睥睨する。辛辣しんらつな言葉は春鈴の怯えを助長させた。

 春鈴は、実行役を命じられていたのか。


 まず思いついたのは毒だった。殺すつもりがないのなら、病を装って里下がりさせれば後腐れもないだろう、と。

 けれど、夏蓮には苦しんだ覚えがない。もし毒を盛られたならば、毒に耐性の無い夏蓮が今生きているとは考え難かった。


 盛れなかった? ーー否、春鈴による給仕を受けたのは一度や二度ではない。盛る機会はいくらでもあったはずだ。


 考えられるのは盛らなかったか、あるいは。


(殺すための毒ではなかった.……?)


 少しずつ、確実に夏蓮をむしばんだ心のおり。自分でも制御出来なかった感情が、落ち着きを取り戻し始めたのはいつからだった?

 監禁された後、夏蓮の食事は皇子自らが運んできた。それが、毒の混入を防ぐためのことだったとしたら?


 ただでさえ警備の手厚い後宮の奥深く。硝子ガラスを守るように二重に嵌められた鉄格子と、鍵によって管理された重厚な扉。

 逃げ出すことも、忍び込むことも出来ない部屋。


 ふ、と。夏蓮の肩から力が抜ける。


(わかりにくいのよ、昔から・・・


 夏蓮の瞳に光が映る。揺らぐことなく、夏蓮は真っ直ぐに媺苑を見据えた。

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