第22話 珍妙な来客者
(ほんっと、ご苦労なことよね)
閉ざされた扉を見つめながら、夏蓮は他人事のような感想を抱いていた。
あの日から、夏蓮は自ら扉に近づくことをしなくなった。部屋の最奥、壁際に椅子を置いて、何をするでもなく日がな一日扉を見つめ続ける。
扉は一日に二度、音を立てる。その向こうに誰がいるのかは知らない。声をかけられたことはないし、声をかけたこともない。覗かれも、覗きもしていなかった。
それなのに音の主は毎日毎日飽きもせず、鍵を開けては皇子が来るより早くに施錠していく。
それが皇子の意図してのことではないことは、悟るのに時間はかからなかった。
鍵はかかっているはずなのに、彼は毎日慌てた様子で室に飛び込んでくる。
部屋の中で椅子に座る夏蓮を見つけてようやく肩の力を抜く姿を、もう何度見ただろうか。
音の主が誰なのかはわからない。
見つかれば手酷い目に遭うことはわかっているだろうに、どうして毎日同じことを繰り返すのか。
わからないが、夏蓮はただそれを黙した。どっちつかずの自分を卑怯者よと自嘲しながら、動くことをしなかった。
随分と大人しくなった夏蓮を皇子は気遣わしげに見るが、その表情の中には安堵が確かにあったから、これでいいかと妥協している。
日々の変化が薄れていってしばらく、色褪せていった毎日の中で、けれど今日という日は一味違っていた。
(人の声……男、でも皇子の声じゃない……)
珍しく人の声が聞こえてきたかと思えば、男子禁制の区域だというのに聞き慣れない男の声。しかも一つならずあるそれらに、夏蓮はさっと身構えた。
まさか父や兄かとも思ったが、声を聞く限りあるそうでもないらしい。
それに、か細く女の声も紛れているようだった。
男たちの声は次第に近づいてきて、この部屋に向かっていることが嫌でもわかる。
間の悪いことに、鍵はまだ外されたまま。
身を潜められるような場所もなく、相対するしかない現状に冷や汗が背筋を伝う。
「ああ、ここのようだね」
声がして、ゆっくりと扉が開かれた。少しでも間合いを取るために、体を壁に押し付けて敵とも知れない相手を睨みつける。
姿を現した二人の男は、どうにもちぐはぐだった。
片や、武官の装いをしていながら、その手に持つのは武具ではなく羽扇。
片や、文官の装いをしていながら、腰に佩いているのは官位を表す玉ではなく剣。
変装した刺客だとしたら物知らずにも程がある。
武官姿の男は夏蓮の姿を認めると、遠慮無く部屋に踏み込み、夏蓮の前に立った。
その数歩後ろで文官姿の男が、同じく夏蓮をひたと見据える。
「へぇえ? 君が噂のご正妃殿かい?」
にっこりと殊更に深い微笑を浮かべて問いかけてくるが、そこに疑念は欠片も無い。わかりきっている癖にわざわざ尋ねてくるとは、意地の悪いことだ。
不躾な視線と共に黙殺するが、男に堪えた様子はない。
「君の名前は?」
「己が名を名乗らないような無礼な人に名乗る名は持ち合わせておりませんが」
音程を下げて、冷たい一瞥と共に吐き捨てる。
彼はきょとりと一瞬放心したかと思うと、次の瞬間実に愉快そうに笑い声を上げた。
腹を抱えて体勢を崩しかけた彼を、沈黙して控えていた文官姿の男が駆け寄ってその体を支える。
その男はもまた、声を上げることこそしていないものの、隠しようもなく肩が震えていた。
「ああ、失礼。悪気があったわけではありません」
男は口ではそう言うが、その目尻には薄っすらと涙が滲んでいて説得力などありはしない。だが、彼の物言いは取り繕ったものではない気品を感じさせるものだった。
「貴方たちは何者? ……わたしを殺しに来た刺客?」
それにしては生気に満ちすぎている気もする。事実、夏蓮の
今度ばかりは文官姿の彼も声を殺すことは叶わず、
珍妙としか例えようのない来客に、夏蓮はどうしたものかと困惑した。
男たちに害意は見受けられなかった。腰に佩いた剣に手をかけるでも無く、暗器を取り出すような素振りもない。
もちろん、武芸に縁のない夏蓮にさえ見破られるようなら彼らは廃業を考えるべきなのだが、それ以上に彼らは夏蓮に対して友好的に接してくるのだ。ともすれば、慣れ親しんだ女官たちよりも、余程。
腹を抱えて笑い続ける男たちのうち、先に収まりだしたのは文官風の男の方だった。
「っふふ、失礼しました。そして、お初にお目にかかります。私は鵬瑛と申します。あちらの未だに笑い転げているのが兄の桂澄です」
どこまでも穏やかな風貌をさらに和らげて微笑む男に、夏蓮はどこかで聞き覚えがあるようなと首を傾げた。
(鵬瑛、桂澄………?)
間違いなく聞き覚えがあるはずなのだが、はてさてどこで耳にしたのだったか。ありふれた名前でもないのに、記憶を手繰り寄せてもあと少しの所で逃してしまい、歯痒い思いをする。
うーん、と唸る夏蓮の思考を遮るように鵬瑛が声を掛けた。
「改めて、お名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか?」
私達は名乗りましたよ、と言外に告げる彼に、そうだったと背筋を正す。
「第三皇子陵清翔が正妃、円夏蓮と申します」
軽い拱手をすると、二人からは驚いた声が漏れた。見上げれば、聞き間違いではないようで、彼らは確かに瞠目して夏蓮を見つめている。
「円、夏蓮……? あなたが……?」
予想外の反応に夏蓮困惑した。行動を振り返ってみても、おかしなところはないはずなのだが、どうして彼らは驚いているのだろうか。
「戸部侍郎の娘の、円夏蓮姫ですか……?」
「え? ええ、はい。そうですけど……」
どうしてそこを問うのだろうか。
訳もわからず首を捻っていると、彼らは顔を見合わせた。
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