第23話 合縁奇縁と意外な素顔

「……君は、私達の名を聞いて何か思うことはないかい?」

「思うこと、ですか? その、どこかでお聞きした覚えはあるのですが……」


 思い出せなくて、と申し訳なさそうに眉を下げる夏蓮に、桂澄と鵬瑛は顔を見合わせ、物言うように視線を交わす。

 何かを確認し合うような雰囲気に、夏蓮は恐る恐ると尋ねた。


「あの、もしかして、お会いしたことがあったりしますか……?」

「ーーええ。子供の頃、まだ私たちが十にもならない頃に、王城内でお会いしていますね」


 あの時は確か、母君と逸れていたのでしたか。

 懐かしがる声音に、靄がかっていた記憶が蘇ってくる。

 そうだ、まだ夏蓮が五つ程の頃、母に連れられて父の忘れ物を届けに来たことがある。物珍しさに動き回っているうちに逸れて、辿り着いた書庫で泣いていた。

 そして、話しかけてきた男の子の顔はーー……


「ああ……!!」

 

 思い出した!


 あまりのことに開いてしまった口を手で覆う。

 久しぶりだと、桂澄と鵬英は人好きのする笑みを浮かべた。


「その節は、ありがとうございました」

「いえいえ。あの時は私たちも珍しく子供がいて、好奇心から近づきましたから」


 王城では滅多に子供なんて見かけませんからね、とのんびり話す鵬英に、それもそうだと夏蓮も頷いた。……ところで、はたと気がついた。

 あの時、自分は母に連れられて王城に入った。

 けれど、彼らの側に親らしき人影はあっただろうか……?


 否、ない。


 親の姿なく、けれど勝手知ったるという風に過ごしていた。この、王城で。


 急速に頭が回転を始める。

 聞き覚えがある? ーー当然だ。無いわけがない。

 鵬英、桂澄。

 その、名前を持つ人は……!


「第一皇子殿下と第二皇子殿下……!?」


 思わず声が裏返る。

 正解、と頷いた二人に、夏蓮は頭痛と眩暈がした。


「縁は異なもの味なもの、と昔から言いますが、こうくると運命のように思えますね」


 桂澄の言葉に、夏蓮は微笑から一転して盛大に顔を顰めた。小さな眉間にくっきりと皺が浮かび上がる。

 おや。兄弟はもう一度、顔を見合わせた。


「わたし、あの人の妻になるつもりなんて全然、まったく、これっぽっちもありませんから!」


 言葉のついでに顔も背けてやる。

 そうだ。もともとはその話だった。

 多少揺らぎもしたが、思い返せば後宮入りするに至った理由さえ彼の皇子なのだ。それを忘れて思惑通りになるなんて真っ平御免だと気を引き締める。

 兄弟は、正妃の存在は知っていてもその関係が不仲だとは知らなかったらしい。

 そうとも知らず八つ当たりのようにしてしまって、申し訳なくなった。


 気まずい雰囲気が室に漂う。

 それを打ち壊すように、また扉の向こうから騒がしい声が聞こえてきた。


 今日は随分と来客の多い日だ。どうやらまた、複数の人がこちらに向かっているらしい。

 次第に近づいてくる喧騒に、鵬瑛が腰の獲物に手をかける。笑みを崩さない桂澄ですら、その瞳を鋭くさせて待ち構えた。




 ーーーーバンッ!


 けたたましい音を立てて扉が開け放たれる。

 そこには皇子と、久しぶりに見る女官たちの姿があった。

 皇子は放心する夏蓮に一目だけ向けてから、すぐに眦を釣り上げて桂澄たちを睨みつけた。


「いったいどういうおつもりですか!?」


 語気も荒く怒鳴りつける彼に、桂澄達でなく夏蓮こそ驚いた。桂澄は今日一番の輝かしい笑顔を皇子に向けている。鵬瑛はといえば、彼もやはり優しい微笑を湛えていた。


「どういうつもりも何も。私たちは義妹いもうとに挨拶に来ただけですよ」

「そうそう。まさかあの時の彼女だったとは思わなかったけれどね」


 いやはや、昔も愛らしかったが、美しくなったものだ。

 夏蓮に向けて微笑む桂澄に、皇子が苛立たしげに睨めあげる。


 一方で、夏蓮の許にはいつの間にか傍にやってきた女官達が、口々にご無事でなによりですと声をかけにきていた。

 彼女達に戸惑った様子は無い。久方ぶりに会う主人への気遣いだけがあった。


「申し訳ありません、申し訳ありません! 私がもっと強くお引き止めしていれば……!」


 涙ながらに謝ってくる姚佳を慰めるように抱きしめるが、彼女が何について謝罪しているのかはわからない。

 彼女達に会えて嬉しいはずなのにそうと感じることもできずにいると、その肩を支えるように鳳泉がそっと手を添えた。


「鳳泉……」

「大丈夫です、何の心配もいりませんわ。さあ、姚佳もしゃんとなさい。夏蓮様、どうか皇子のお傍に」


 助けを求めて彼女を見たはずなのに混乱の渦中へ行けと言われて、夏蓮は迷子のような心境だった。


 行きたくない。


 しかし鳳泉はそれを許すつもりはないようで、さあ、と夏蓮の背を押しまでするものだから、いよいよ逃げ道がなくなってしまった。

 仕方なく、重い足取りで近づいていく。三人はなおも言い争いを繰り広げていた。


「どうしてあなた達はいつもそうやって……!」

「まあまあ、少し落ち着いて。そんなに大きな声を出しては喉を痛めてしまいますよ」

「そんなことどうだっていい!」


 気の昂りに任せて八重歯まで剥き出しにする皇子に、桂澄も鵬瑛も怖気付いた様子はない。仔猫の癇癪かんしゃくをあしらうような余裕さえ見せていた。

 そして、やはり夏蓮の聞き間違いではなかったらしい。皇子はどうしてか、彼らに対しては言葉遣いを改めていた。二人を前にした皇子の言動は幼さを感じさせるから、その認識も強ち間違いではないのかもしれない。

 所在無く立ち尽くす夏蓮の姿に気がついた桂澄がにっこりと企んだ笑みを作る。


 「いいのかい?」

 「何がですか!?」


 桂澄はおもむろに手を持ち上げて指差した。

 今度は何なんだと皇子が振り返る。

 目があった瞬間、皇子は自分の失態を悟った。


 こんなにも狼狽ろうばいする彼を初めて目撃したかもしれない。

 夏蓮は他人事にも似た感想をぼんやりと抱いた。

 皇子は目に見えて反応を示さない夏蓮にも動揺して、言葉を尽くそうにも言葉を尽くせず、ただ手だけが行き場無く右往左往とする。しまいにはガシガシと頭を掻き乱すものだから、ますます目の前の人が誰なのかわからなくなった。


(ーーあ、でも……)


 ふと、思い出す。

 時折、片手で足りるほど目にした、『皇子』ではない彼自身。『奏清牙』という人の、もしかしたら素なのだろうか。

 思えば思うほど、無邪気な姿が見え隠れして、余計それを信じたくなる。


「あなたは、」


 不自然に途切らせると、清牙の目が不安気に揺れた。途方に暮れたような眼差しに、やはりと思う。


「子供みたいね」

「なっ……!?」


 ぼん、と火を噴くように顔色が変わる。

 あらすごい、とこれまた素直に呟くと、今度ははくはくと鯉真似まで披露してくれた。見事なものだ。

 まじまじと見つめていると、清牙は居心地悪そうに目を彷徨わせる。

 すると今度は、桂澄達が面白いものを見たと目を瞬かせる。

 女官は我関せずの姿勢を貫き、訳知り顏の二人はにやにやと締まりのない顔をしていて、とても助けてくれそうにはない。味方の一人も無しに戦地に赴くかのような心地だった。


「なかなか見る目がある。そうなんだよ、この子はもう二十にもなるのに、まだまだ稚気が抜けなくてねぇ」

「まあ、そこがまたツボを擽ってくるのですが」


 うんうんと心底共感して頷く桂澄を援護するように鵬瑛に付け加えられて、清翔は頭がどうにかなってしまうのではと本気で思った。働きすぎて暴走する頭を押さえて、赤くなった顔を隠す。

 なるほど、確かに彼らしい。思わずこくんと頷けば、桂澄達は気を良くしてあれやこれやと話し出した。

 子供の頃の話まで語り出す彼らに、ほう、と夏蓮もわかりやすく関心を示す。戸惑う皇子は、とにかく好奇心と悪戯心を擽った。


(理想と現実は違う、ってよく言うけれど……。でもこの差、嫌いじゃないわ、私)


 街の若い娘達は悲嘆に暮れるでしょうけど。なんて、どうでもいいような優越感に小さな笑いが湧き上がる。


「どうだい、可愛らしいだろう?」

「ええ、とっても。是非もっと聞かせてくださいな」


 にっこりと満面の笑みを浮かべて催促されて、皇子の忍耐は遂に底をついた。


「っもういい加減にしてくれ!!」


  最後の一枚の仮面も、呆気なく剥がれ落ちた。

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