第81話 変装デート

 その日の放課後。

 俺は、食堂に隣接したカフェで天王寺さんと勉強していた。


「実力試験まで、後少しですわね」


「……そうだな」


 辺りには誰もいないため、俺は素の口調で天王寺さんと話す。

 試験間近だが、放課後の学院に生徒たちの姿はあまり見えなかった。貴皇学院の生徒はそもそも家が勉強に集中できる環境なのだろう。学院に残る必要がないのだ。


「一応、貴方には今までも話を聞いていただきましたし、事情を説明しておきますわ」


 その手に持っていたシャーペンを置いて、天王寺さんは言った。


「次の実力試験までは在籍を許されました。ですから予定通り、わたくしはこの試験で必ず此花雛子に勝ってみせます。そして……この学院に残る理由をなくしてみせますわ」


 その言葉を聞いて、俺は目を見開いた。


「それって……」


「……まあ、そういうことですわね」


 縁談が成立すると、天王寺さんは学院を去ることが確定してしまった。

 それでも、天王寺さんは何も言わない。

 この人は……雛子とは違う。天王寺さんは心が強くて、自分を抑えられる人だから、面と向かって「助けて」と言えないのだ。


「そう心配そうな顔をしないでください」


 ふと、天王寺さんは俺の顔を見て言った。


「天王寺家に貢献することが、わたくしの幸せです。ですからわたくしは――」


「――本当に、そう思っているのか?」


 真正面から天王寺さんを見つめて言う。

 すると天王寺さんは押し黙った。


「……天王寺さん。明日、一日だけ時間を作れないか?」


 目を丸くする天王寺さんに、俺は続けて言う。


「前に、庶民の生活について興味があるって言ってたよな?」


「ええ。確かに、そんなことを言いましたわね」


 天王寺さんは養子だが、物心つく頃から天王寺家で育ったため、庶民の暮らしを知らないらしい。だから、俺たちみたいな庶民の生活に関心を持っている様子だった。


「試験前に、少しだけ息抜きしないか? 今までの礼もあるし、よければ俺に、庶民なりの息抜きを紹介させて欲しい」


 急な提案だったかもしれない。

 しかし天王寺さんは、真剣に考える素振りを見せてから、


「そうですわね。折角ですから、ご一緒させていただきますわ」


 天王寺さんは笑みを浮かべてそう言った。

 折角ですから……まるで自分がこの学院の生徒だった記念を作るかのような口振りだ。

 天王寺さんがその気なら、俺はできるだけそうならないよう努力しよう。




 ◆




 次の休日。

 雛子と静音さんを説得して外出許可を得た俺は、駅前で天王寺さんを待っていた。


「……よく考えたら、久しぶりのオフだな」


 時刻は昼過ぎ。仕事とは全く関係がなく、純粋に遊ぶためだけに外出したのは、お世話係になる日以来のことかもしれない。お世話係になってからは、休日も殆ど勉強に費やしていたため、今日はどこか時間を持て余している感覚がして落ち着かない。

 そして……よく考えたら、今日はデートである。

 恥ずかしい話だが、俺はこれまで一度もデートをした経験がない。

 今更だが、少し緊張してきた。


「お待たせしましたわ」


 横合いから声を掛けられる。

 振り向くと、そこには天王寺さんがいたが――。


「天王寺さん、その姿は……?」


「変装ですわ。今日はわたくしのような人間が、滅多に足を運べない場所へ案内してくれるのでしょう? 悪目立ちしないための策ですわ」


 天王寺さんはいつも縦に巻いている金髪を、真っ直ぐ下ろし、水色のベレー帽をかぶっていた。服装は白いブラウスに青色のスカートで、学院でのよく目立つ天王寺さんと比較すると、少し落ち着いていて、清楚なイメージである。

 都会に溶け込む服装だ。変装は見事成功していると言えるだろう。

 ただし、天王寺さんは元々の容姿が優れていた。普段の天王寺さんも綺麗だが、今日の天王寺さんからは別種の魅力を感じる。どのみち容姿端麗なので、辺りの通行人たちから注目を浴びていた。天王寺さんはどのような格好をしても人目を引くらしい。


「その……変、でしょうか?」


 天王寺さんが頬を赤らめて訊いた。

 しまった。じろじろと見過ぎた。


「いや、変じゃないけど……その姿は、新鮮だなと思って」


「髪を下ろした姿でしたら、わたくしの家でも見せた筈ですが」


「髪型だけじゃなくて、全体の雰囲気がいつもと違うというか……」


 素直に「新鮮で可愛い」と言うのは恥ずかしかったので、言葉を濁す。

 すると天王寺さんは、こちらの心境を察したのか余裕のある笑みを見せた。


「今のわたくしと、いつものわたくし、どちらが好みですか?」


 非常に難しい質問だった。

 じっくり悩んだ末、俺は答える。


「……どちらかと言えば、いつもの天王寺さんかな」


「そうですか。こちらは伊月さんの好みではなかったのですね」


「そうじゃなくて、いつもの方が天王寺さんらしいというか……自然体な気がするから」


 頬を掻きながら伝えると、天王寺さんは嬉しそうな顔をした。


「そうですわね。正直、この服装は少し落ち着きませんわ。本来のわたくしなら、もう少しこう……ゴージャスに着こなしますの!」


 胸に手をやり天王寺さんは堂々と告げる。


「今日は俺が自由に案内していいんだよな? 危ないところに行くわけじゃないが、天王寺家のご令嬢には似つかわしくないところへ行くつもりだぞ」


「問題ありません。そのための変装ですわ。例え見られたとしても、正体がバレなければ天王寺家の世間体も守れますし、今日は存分に楽しむつもりでしてよ」


 自分の変装は完璧だと言わんばかりに、天王寺さんは得意気な顔をする。


「今更だけど、よく家が許可してくれたな。護衛もなしなんだろ?」


「ええ。お父様もお母様も、とても寛容な性格ですから」


 どこか誇らしそうに天王寺さんは言った。


「逆に、伊月さんの方は何事もなく許可を得られたのですか?」


「ああ。まあ……何事もなかったかと言えば、嘘になるが……」


 静音さんは最近、俺の行動をあまり制限しなくなったため、すぐに納得してくれた。

 問題は雛子だ。天王寺さんと二人で出かけたいと伝えると、雛子は驚くほどふて腐れてしまった。今まで天王寺さんに色々教わってきた礼がしたいと説明すると、どうにか納得はしてくれたが、不機嫌そうに「埋め合わせはして」と念入りに言われた。


「ところで、伊月さん」


 天王寺さんが小さな声で訊いた。


「これは、その、デートと解釈してもよろしいのでしょうか……?」


「ん――っ」


 つい返答に詰まってしまう。

 折角、意識しないようにしていたのに、まさか天王寺さんの方から訊かれるとは。


「ま、まあ、そうなるな……」


 肯定すると、天王寺さんは微かに頬を赤らめた。


「……わたくし、殿方とデートするのはこれが初めてですわ」


 そう言って、天王寺さんは上目遣いでこちらを見た。


「ですから……楽しみにしていますわよ?」


 やや意地悪な笑みを浮かべて、しかしその瞳には期待を込めて、天王寺さんは言った。

 そんな天王寺さんの態度が、今までの厳しいレッスンを思い出させる。

 冷静に考えれば、俺はいつも、この人と二人きりで過ごしてきたのだ。

 今更、過剰に意識する必要はない。


「ああ。今日は庶民流の遊び方を、存分に教えてやる」


 今日は俺も思いっきり楽しもう。

 俺は天王寺さんと共に、街へ繰り出した。




 ◆




「なんですのこれは!? なんですのこれは!? なんですのこれは――ッ!?」


 ハンドルをぐるぐる回転させながら、天王寺さんは混乱する。

 その様子を、俺は横目で眺めながら、ゆっくりハンドルを右に傾けた。

 久々に訪れたゲームセンターは、以前と全く変わらない雰囲気を醸し出していた。雑多な音が耳に届き、子供から大人たちまで、色んな世代の人たちが遊んでいる。

 俺たちが今、プレイしているのはメジャーなレースゲームだった。画面の隅に映っていた天王寺さんの車体がコースを外れ、ガードレールに激突する。


「ああっ!?」


 悲鳴を上げる天王寺さんを他所に、俺は悠々と先頭を走り続けた。


「――よしっ! 一位!」


 ゴールした俺は、ハンドルから手を離して、隣に座る天王寺さんの方を見る。


「天王寺さんは……」


「……最下位ですわ」


 分かりやすく意気消沈する天王寺さんに、俺は思わず吹き出した。


「笑わないでくださいましっ! こっちは必死だったんですのよ!?」


「わ、悪い。でもゲームなのに、投げられたバナナを見て『マナー違反ですわ!』って叫ぶのは、流石に面白かったな。……ぶふっ」


「だから笑わないでくださいましっ!」


 あれは俺だけではなく周りにいる人たちも笑っていた。

 天王寺さんは気を取り直して、他のゲームを見て回る。先程の敗北が尾を引いているのか、まだ悔しそうだったが、それでも興味津々に他のゲームを観察していた。

 天王寺さんをゲームセンターに誘ったのは正解だった。雛子と同様、天王寺さんもこの手の娯楽には疎いらしい。

 今日は天王寺さんに、未知の世界を経験させることができる筈だ。


「伊月さん、こちらの和太鼓はなんでしょうか?」


「太鼓の鉄人か、音ゲーの一つだな。……これもやってみよう」


 おとげー? と首を傾げる天王寺さんの前で、俺は百円玉を投入する。

 操作方法を天王寺さんに伝え、すぐに曲を選んだ。

 ゲームが始まるや否や、天王寺さんは混乱する。


「こ、こんなの、演奏じゃありませんわ!」


 普段の自信に満ちた振る舞いは何処へ行ってしまったのか。天王寺さんは両手に持つバチを、わたわたと困惑気味に動かしていた。

 最終的に、俺と天王寺さんのスコアが表示される。


「よし、これも俺の勝ちだ」


「くぅぅ……っ! 本物の太鼓でしたら、絶対わたくしの方が上手ですのに……っ!」


 中々ユニークな負け犬の遠吠えだった。

 天王寺さんは、また次のゲームを探し始める。


「伊月さん、こちらは!?」


「お、ホッケーか。懐かしいな」


「ここに置いてあるのは……小型のフライングディスクですの? これを投げればいいんでしょうか?」


「待った待った! 今、説明するから!」


 パックを投げようとしている天王寺さんを止めて、ルールを説明する。

 常識に疎いのか博識なのか、よく分からない人だ。……しかしこのアンバランスな知識がいかにも上流階級のお嬢様らしい。雛子も似たようなものだった。

 天王寺さんと二人でエアホッケーをプレイする。

 当たり前のように俺の勝ちだった。


「次! 行きますわよ!」


 天王寺さんがまた他のゲームを探す。


「あれは……競馬、でしょうか?」


「競馬ゲームか。試しにやってみるか?」


「いけませんわ! 勝馬投票券の購入は二十歳からでしてよ!」


「これもゲームだから大丈夫だ」


 焦る天王寺さんに、俺は笑いを堪えて言う。

 少しユーザ登録が面倒だったが、すぐにゲームへ参加できた。


「く……っ! また、負けましたわ……っ!」


「まあ、これは運ゲーだから……」


 今日の天王寺さんは運にも恵まれていないらしい。

 天王寺さんは他のゲームを探そうとしたが……その前に、軽く休憩を挟むことにした。

 自販機で二人分の飲み物を購入した後、階段の傍にあったベンチへ腰掛ける。


「伊月さんは、以前まではよくこちらで遊んでいたんですの?」


「遊んでいたっていうより、バイトしてたんだ。偶に知り合いが来た時は、店長の許可を得て少しだけ遊んだこともあるけどな」


 だから、完全に初心者である天王寺さんに負けることはない。


「ゲームセンター……でしたか。ここは非常に刺激的な場所ですわね。わたくし、このような雰囲気の場所を訪れたのは初めてですわ」


 そりゃそうだろうな、と俺は内心で納得した。

 お世辞にも治安がいい場所とは言えない施設だ。天王寺さんの両親は寛容らしいが、華厳さんの場合は絶対に雛子をこのような場所へ向かわせないだろう。

 しかし、ここでしか得られない経験もある。

 天王寺さんは無事、その刺激に魅了されたらしく、ゲーム中は無邪気な子供のように一喜一憂していた。


「じゃあ次は、ボウリングでもするか。いや……カラオケの方が一般的か?」


 雛子のお世話係である今の俺にとって、今日の出費は微々たるものだった。

 次はボウリングでもいいしカラオケでもいい。とにかく、天王寺さんにとって珍しい経験を提供したいところだ。そんなふうに考えていると、


「……全部行きますわよ」


 絞り出したかのような声で、天王寺さんが告げる。


「全部行きますわよ! わたくしが勝つまで逃がしませんわ!」


 少し天王寺さんの闘争心を刺激し過ぎたかもしれない。

 けれど、その要望は俺にとって願ったり叶ったりだったので、「ああ」と頷いた。

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