第80話 結婚と妥協
翌日。
授業が終わって休み時間を迎えた教室にて、俺は深く溜息を吐いた。
「よお、西成。なんか黄昏れてんな」
「なになに~? 相談事なら乗るよ~?」
大正と旭さんがやって来る。
本当にこの二人は、いつも話を聞いて欲しい時にやって来る。……きっと偶然ではないのだろう。どちらも教室のムードメーカーであり、気配り上手だ。誰かが悩んでいると感じたら、無意識に声を掛けているのかもしれない。
「あの、お二人に訊きたいんですが……縁談って、どんな感じなんですか?」
「え!? まさか西成君、縁談の話が来ているの!?」
「いや、俺じゃなくて、あくまで友人の話です」
「なーんだ。裏切られたのかと思っちゃった」
裏切り? と首を傾げる俺に、旭さんは説明する。
「今時、縁談なんて、一部の大企業くらいしかやらないからね~。私たちの社会的地位からすると、縁談=玉の輿みたいな認識かな~」
「偶に俺たちくらいの地位でも、親同士が婚約を勧めてくることはあるけどな。でもそれは縁談って言うほど堅苦しいものじゃないし……当然、拒否権はある」
旭さんの説明に、大正が補足する。
裏切りって……つまり俺は、逆玉の輿を狙っていると勘違いされたのか。
「縁談って、そもそも拒否権はあるんですか?」
「家による……正確には、親によるとしか言いようがねぇな」
難しい顔で大正が言った。
「此花さんとかのレベルになると、拒否権はないかもね。でも、そういうのは大抵、幼い頃からしっかり説明されているパターンが多いし……最近は世間の目も厳しいから、あんまり強引なことはしないと思うよ? 親子の溝が深すぎると、後々会社の経営を巡って対立しちゃうかもしれないし」
雛子の場合は、その性格上、縁談の相手が決まっていなかった。
旭さんの説明に納得しながら、俺は一つの確信を得る。
天王寺さんは……その気になれば、縁談を断れるのだ。
だが、断らない。恐らくその理由は、天王寺さんが養子だからである。
天王寺さんは自分を育ててくれた天王寺家に恩を返したいと思っているのだ。そのため最初から縁談を断る気がない。あの決意の固さを考えると、きっとどのような相手との縁談でも受け入れるつもりだろう。最初から断るという選択肢を持っていない。
けれど、それは本当に正しいことか?
俺はそんな天王寺さんの、背中を押してもいいのだろうか?
――いいわけがない。
気づいていない振りはやめろ。俺はもう何度も見ている筈だ。
天王寺さんは縁談に乗り気ではない。そのサインを、俺は何度も目にしている。
縁談の話が持ち上がった時の天王寺さんは、いつもより暗い様子だった。「その縁談を良く思っているのか」と訊いたら「黙秘する」と答えられた。こんな分かりやすいサインを見逃すほど俺は馬鹿ではない。
「西成君、大丈夫? 凄く難しい顔してるけど……」
「……大丈夫です。縁談って、どうやってぶち壊せばいいのか、ちょっと考えていただけなので」
「本当に大丈夫!?」
旭さんが驚愕する。
「ええっと、よく分からないけど……物騒なことはしない方がいいと思うよ?」
「フィクションではよくあるけどな。嫌々結婚しそうなヒロインを助けるために、縁談に乗り込んで花嫁を搔っ攫うやつ。俺も一度くらいやってみてぇな~……」
「大正君がやったら、ただのコントにしか見えないんじゃない?」
「お前、舐めんなよ! 俺だってマジになったら格好いいんだからな!」
「はいはい」
激昂する大正に、旭さんは適当に流した。
「まあ現実問題、一番スマートな解決策は、やっぱり当人同士で話し合うことだよね。このご時世、縁談が成立する確率なんてそう高くないし、相手だって断られる可能性をある程度は考慮しているでしょ。そう考えたら、断るハードルも低くなるというか……」
「情報化社会の利点でもあり欠点でもあるよな。いい相手を見つけやすくなった代わりに、複数の候補が常にいるような状態だから、表向きには『あなたが一番です!』なんて言ってる奴も、実際は第二志望、第三志望だったり……だから断られてもダメージは少ないんだよな。中々世知辛いけど」
「でも、そういう駆け引きって徐々に面倒臭くなってきて、気づけば誰でもよくなっちゃうらしいね。……縁談に限った話じゃないけどさ、一度に沢山の候補を前にすると、次第に選ぶのが面倒臭くなって、つい手頃な選択肢に手を伸ばしちゃうんだよ。で、後になってから、そもそも何も選ぶべきじゃなかったと反省するわけ。いつの間にか、
「あ~、それはよく分かるぜ。株取引を勉強し始めた時の俺と全く同じだ。候補が沢山あると、次第に感覚が麻痺して『もう妥協して決めてやろっ!』って思っちゃうんだよな。んで、その妥協した判断を、賞賛に値する行動力だと勘違いして、そこはかとない達成感を覚えるわけだ。……大損してから過ちに気づくんだよなぁ」
「そういう人に限って、慎重な人を『行動力がない!』って馬鹿にするんだよね。あれって妥協した自分を認めたくないだけじゃないの?」
「……昔の俺を馬鹿にするのはやめろ」
身に覚えがあるのか、大正は複雑な顔をした。
「あ、ごめんね西成君。すっかり私たちだけで話し込んじゃって」
「いえ……就活生とか、マッチングアプリのユーザとかに聞かせてやりたい話でした」
「しゅう、かつ……?」
「まっ、ちんぐ……?」
ブルジョワどもめ。
この二人ほどの地位になれば、就活もマッチングも縁遠い話らしい。
「でもさ~、結婚は妥協が大事って話も聞いたこともあるよ~?」
「うわ、聞きたくねぇ。夢のない話は子供に毒だぜ」
「少なくとも貴皇学院の生徒たちの半数は、子供である前に会社の跡取りだけどね」
両耳を塞ぐ大正に、旭さんは苦笑しながら言った。
子供である前に会社の跡取り。
そんな旭さんの言葉が、強く耳に残った。
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